今日の午前は「身だしなみ点検」です。去年までは「服装頭髪点検」と言っていましたが、名称変更です。名称変更をすることの意味は、まわりからはわかりにくいことかもしれませんが、実はとてもとても大きいんですよね。それは「教員の認識の変化」だからです。
ちなみに、昨今「地毛登録」が話題になっています。もちろん「黒がデフォルトという固定観念によるマイクロアグレッション」というのは含み込んだ上で、それでもうちの学校には「地毛登録」があり、それをモヤッとしながらも「マシ」と考えているのがわたしのスタンスです。なぜなら、それが「現実のなかでのベターな選択」だからです。
現実は常に先行しています。そして、それの解釈は常に遅れる。そして「対応」はもっと遅れます。その遅れる原因は「現実への無理解」ではなく、解釈や意志一致や対応とのタイムラグなんです。そのタイムラグをどうすれば少なくできるかというと、ひとつはもちりん「意志一致」ですが、もうひとつは、学校を取り巻く「外圧」を減らすことです。簡単に言うなら、「茶髪の子が通ってる」という状況が学校の評価を下げるという「外圧」の中で、学校は存在している。その「外圧」は、もちろん大阪のように「3年連続定員割れだと統廃合して廃校」という極めてわかりやすいものから、「地域の声」とか「学校評判サイトの評価」という、わかったようなわからんような「外圧」もあります。
そのような中、やるなら「全員の髪の毛の色を登録する」みたいな、アホみたいなことをするか、さもなくば「やらないか」なんだけど、その妥協点として「地毛登録」なんですよね。結局それは「この社会の中で子どもを守るための方便」なわけです。もっというなら、アカンことも間違っていることもわかった上での選択なわけです。
もちろん、それを変えていくのが人権教育の営みなわけですが、そこには「変えても大丈夫な保険」がなくちゃ、どうしようもない。つまり、「統廃合の対象にならない」とか「学校評価が下がらない」とかいう、教員にはどうしようもないところをなんとかしないと、「人権教育」のはしごがはずされる結果になって、結論的には「人権教育」が学校の中で孤立し、「人権教育」が学校から排除されてしまうということになりかねない。
で、そういう地域や保護者や行政のことは、学校の背負わせるなと。学校は校内のことをやるから、地域や保護者や行政のことは学校外の人がやってくれと。その時に、「それは人権啓発担当の行政が」とか言わずに、「地毛登録があかん」と思っている人が、主体的に地域や保護者や行政に働きかけて、学校を批判するのではなく学校を応援する形での世論をつくってほしいわけですよ。
とまぁ、そんな朝を過ごして、さっくりと授業を終えて、いろいろ悩んだけど、年休をとって職場を離脱。てか、「正当な権利」としての年休とるのになぜ悩まなきゃならないかということもあるわけですが、それもおいておきましょう。
で、新幹線に乗って埼玉へ。
到着したのは、19時です。これが年休をとらなかったら21時なわけで、そうなるとめげますからね。
で、熊本のお友だちと合流して、楽しい夜ごはん。このお友だちは、「綴り方」の神髄を実践しておられる方で、わたしは全面的にリスペクトしている方です。だって、子どもたちは綴るんです。自分のしんどい生活を綴るんです。そしてそれを単に「綴る」に終わらせるのではなく、本人に投げ返し、子どもたちに投げ返すんです。これを「共同推敲」と言います。そして「進路公開」へと流れていく。同和教育がもっとも大切にしてきた神髄が、ここにあるんですよね。
で、そのお友だちを独占しての晩ごはんは、楽しくないわけがない。
そうこうするうちに、滋賀県の悪いお友だちから連絡。「どこにいる?」。この人もハチャメチャだけど、筋が通ってるんですよね。で、なぜかわたしはその「筋」に合格しているみたいで、お友だちだったりするわけです。ちなみに、そのお友だちの「筋」は簡単で「偉そうにしてる奴は嫌い」です。だから、反権力です。じゃ、「おまえはどやねん」ということになるわけですが、まったく偉そうではない。このあたりがおもしろいんですよね。
てことで、滋賀のお友だちと合流して「そばを食べよう」と。ところが、そば屋はすでに閉店です。かろうじて探し出したそば屋は「中華そば」でした。これは違う。で、最後にたどりついたそば屋は沖縄料理店でした。これもなにか違う気もするけど、そば粉が入っていなくても沖縄そばは「そば」ですから、まぁええかと。てことで、友だちふたりを対面させて、楽しい呑み会は、オリオンビールから泡盛へと移行していくわけです。
でも、明日のことも考えなくちゃね。