とにかく、ひたすら考える日々が続いているわけです。なので、脳ミソがクタクタです。さらに「負のオーラ」もやってくる。いろんな感情が呼び覚まされます。心もクタクタです。
そんな時は「人権」についての話を聞いてリフレッシュしようかなと。
てことで「おべんきょ処」へ。
いつものメンバーがそこにはいて、和やかに笑いながら「おべんきょ」がはじまります。
内容は「学力保障」。歴史を知り、歴史を断罪せず、常に今にフィードバックする。歴史を知ることは今を知ることだってことにあらためて気づかされます。
1時間半後には、ちょいとリフレッシュしてました。
年: 2014年
ここでしか通用しない常識
前回欠席した子にテストを返そうとしたら、メッチャ不機嫌そうに
「点数知ってるし、いらん」
とか言います。かなりムッとしたので、テストは押しつけて、不機嫌に授業をしていたのですが…。30分ほどして
「さっきの態度にムッとしている。なぜあんな態度をとった?」
と聞いたら
「寝起きで機嫌が悪かった」
とのこと。
あのね…。
てことで、みなさんに注意。
「「寝起きで機嫌が悪かった」で通用するのはここだけやしな。地下鉄で乗り越しそうになって、誰かが起こしてくれたとして、その人に「なにんするねん!」とか言って「寝起きで機嫌が悪かった」は通用せんよ。ケンカになるよ」
世間では当たり前のことでも、ここでは通用しないことがあって、そんな中で日々生きてるんだなぁと…。
「値段は不明」とか
今日は東九条マダンの買い出しです。
いつも発泡スチロールの容器を買う場所に行って、いろいろ必要な雑貨を買っていたのですが…。
近くに八百屋さんもあったので、念のために
「白菜、ありますか?」
と聞いてみると
「ケース単位ならね」
とのこと。ふむ。さすがはプロ仕様です。
「ひとケース、いくらですか?」
と聞くと
「それはわからへんねん。ちょっと待ってや」
と言いながら、携帯電話でなにやら話しながら移動されます。向こうにあるのはにぎやかなホールです。
やがて、ケースを肩に担いで持って帰ってこられて
「○○円ね」
とのこと。安っ!
てか、そりゃ、値段わからへんわ。競りで落としてきたわけやもんね。
夕方、仕事に煮詰まって、その時ふと
「いまやってることより、こっちの作業のほうが先やん」
と気づいて、印刷開始。
あ、この印刷、脳ミソが必要です。段取り組んでやったらうまくいくけど、いきあたりばったりにやったら、あとでえらいことになりそうです。
てことで、慎重に下準備をして、あとは刷り刷り。ふむ。まぁ、こんなもんか。
で、修理から帰ってきたスマホを、とある機器にBluetoothで接続しようとしたらうまくいかない。スマホは機器を認識するけど、機器がスマホを認識しない。これは悲しい片思いです。
家に帰ってネットで見たら、なんか、KitKatがめんどくさいらしいです。
うーん(;_;)。
ま、そんなこんなの一日。
ぶった切り
今、頭の中は沖縄人権学習でかなりの部分がしめられています。他にもやらなきゃならないことがあるのにヤバイです。でも、仕方ありません。
とにかく、ビデオ編集です。必要最小限にとどめながら、なおかつつながりがあって、必要不可欠なものがあるってところを要求される(自他ともに(笑))ので、かなりきついです。
てことで、放課後、ひたすら映像を見ながらぶった切って素材づくりです。
にしても、そういう仕事をしている時に、よもやま話をしかけてくる人がいるんだけど、なんなんだろう…。
で、大阪へ
なにがどうなってて大阪に行くのかわかりませんが、それでも大阪なわけです。
会議まで少し時間があるので、クールダウンのひととき。
で、会議。
け、けっしてスマホの環境整備なんてしないんだからね!
で、会議終了(笑)。
恒例の飲み会です。今日はいつになく会議が長かったので、飲み会は短め。それでいいと思います。とにかく、しばし電車で寝ることにしましょう。
近現代の部落史
今日は某人権教育研究会の研修会。午前は「ツラッティ千本」の見学、午後からは「近現代の部落史」の講演という、マニアにとっては垂涎ものの一日でさす(笑)。
午前、案内して下さるのは古川豪さん。わたしが大学時代にすでにフォークシンガーとして活躍されていました。そんな方と、なぜかここ一年くらい知り合いになって、今度イベントで話さなきゃならないはめになって、どうしたものかと思っているのは別の話です。
この古川さんの案内がすごくいい!「研究者として」ではない。「行政」でもない。「生活人」と「実践者」があわさった感じです。だから、生活のにおいがぷんぷんとしながらも、とても優しいまなざしと、同時に鋭いまなざしが同居しています。約1時間半みっちりと話をしてもらって見学終了。
午後は去年に引き続き本郷浩二さんによる講演です。本郷さんの専門は「融和運動」です。
従来「融和運動」は「水平運動」の前史として、あるいは「越えるべき存在」として語られてきましたが、そこにスポットを当て再評価をしておりる。これまたとてもマニアックで、去年からものすごく聞きたかった話です。
話の内容は、近世までを軽くおさらいして、明治〜戦前あたりをざっと流すという感じでしたが、まさに前近代とはことなる、現在の部落問題の成立の過程を見事に話してくださいました。そして、最後の最後にほんの少しだけだけど「融和運動」の話。
ずっとずっと「自分たちがやってきた「解放教育」って、融和的な側面があるよなぁ」という疑問が拭いきれなかったのですが、「それでいいんだよ」っていうふうに歴史的に励ましてもらえた気がしました。
にしても、戦前で終わっちゃったよ。ここからが大切なんだよね。
これは、三年連続になるかな(笑)?
一からやり直し
修理に出していたスマホが帰ってきました。まっさらな状態です。すべてが一からやり直しです。やれやれ…。
今日もかよ
さすがに朝はしんどいわけですが、今日も呑み会なわけです。
というのは、いま、京都で「全研」というのをやっていまして、全国から人権啓発やってる人が集まってこられています。となると、当然
「京都に行くから呑も」
って声がかかるわけです。
さて、どこにお連れしようか…。やっぱりここは「おたふく」かな(笑)。
てことで、お友だちと3人でおたふくへ。お店に近づくと、すでにカラオケタイムに突入しています。カウンターに座ると、宴たけなわです。なんか、大笑いしながら、在所自慢とか被差別自慢とかしておられます。えらいタイミングやな(笑)。まぁ、これでこそ「おたふく」です。
わたしたちも話に混ぜてもらいながらというか、聞かせてもらいながら、お客をやります。おたふくにおいては「Do the 客」です。
みなさんの話が一段落したところで、せっかくの遠来のお友だちですから、わたしはカウンターを離れて、3人で話をシェア。それぞれの地における人権啓発のありようとか、さまざまなかかわりなんかを聞かせてもらったり。
で、9時に閉店なので、もう一軒いくことになり、これまた昔からある居酒屋へ。
なんか、店構えが変わった気がするけど、中は昔のままなので、たぶん変えたのは入り口だけなんでしょう。
なんか、このあたりになってくると、なんの話をしてるのかだんだんわからなくなってきます。まぁ、そんなもんでしょう。ダラダラ呑んでいると、閉店の11時です。
うわ、今日も帰ったら0時をまわるのか(;_;)。
ま、楽しいひとときが過ごせたからよしとしますか^^;;。
延々と
で、「隣の人」と意気投合したので、なんか、昼ごはんを食べに行こうということになり、車に乗せてもらってイタリアンレストランへ。ワインを飲みながらパスタを食べていると
「ぷりっぷりのホルモン」
とかいう話になって、なぜか焼肉屋へ(笑)。で、ハイボール濃い目がほんとに濃かったので、これ以上は呑めないなと思ったので解散したのですが、すでに5時です。
で、なぜか帰りに大阪に寄って、O田さんと合流。
「なに食べます?」
「軽く寿司とかいいですね」
「でも、大衆的な寿司屋の酒はまずいんですよね」
みたいな会話をしながら、とある大衆的な寿司屋へ。メニューを見て
「ほら、やっぱりまずそう」
とか言いながら、はずれのない焼酎お湯割りを頼んで、あとは延々と話。
気がつくと9時半です。これで家に帰ったら…。11時か…^^;;。
産社の可能性
今日の午前は分科会です。さてさて、どんなレポートが出てくるのかなぁ。そんなことを思いながら座って分科会がはじまるのを待っていたら、昨日一緒に二次会に行った人が隣に座って
「ありゃ、どうも」
「おはようございます」
みたいな…。
で、レポートの内容は「労働」。「産業社会と人間」という科目における労働観の育成みたいな話でした。個人的にはかなり興味があるというか、参考にしたいというか、さらにいうなら少しうらやましいというか、そんな内容なんですが…。
ところどころに出てくるんですよね。ヘテロ的なものが。で、思わず隣の人と
「これ、どーする?」
「いつきさんから問題提起を。あとから追撃します」
みたいな会話。
「産業社会と人間」は、総合学科の必修科目なのかな。で、レポーターの方は、それなりの学力が必要と考えておられるようなんですね。でも、そうじゃない実践例が大阪にあるわけです。
大阪の場合は、学力的にしんどい層が入ってくる学校でこそ必要だと考え、そういう組み方をしています。まぁ、それぞれの県の作風というのがあるので、どこかでやっていることをそのまま他県に持っていってできるわけでもないので、それはそれでいいんですが…。でも、「産社」って、可能性がある科目なんですよね。
ちなみに、わたしはうちの職場でもやればいいと思っていたのですが、一笑に付されました(笑)。そのあたりが「うやらましさ」につながっているわけです。
そうそう。あと、論議の中で「教員は世間知らず」という自己批判が出てきたんですけど…。ほんとにそうなのかなぁ。
考えようによっては、教員ってすごく「つながり」の可能性を持っているんじゃないかと思うのです。例えば、普通に生活をしていたのでは絶対に会えなかったであろうムラの人や在日の人にも会える。それだけじゃなくて、さまざまな仕事をしている人や、ほんとに遠い地に住んでいる人とも会える。子どもを通して、すごくいろんな人とつながる可能性を持っているわけです。そこで身につける価値観は、あまりにも多様性に飛んでいる。まぁ、それが「世間知らず」と言われる所以かもしれませんがね(笑)。
そんなことを考えたひとときでもありました。