家に帰るまでが遠足だ・怒涛の合計5連発(その5)

とりあえず、迎撃スタッフは、ようやくここでひといきです。まずは、昼ごはんを食べて、軽くビールを呑んで…。少し横になって…。寝ちゃいました^^;;。
4時前から本格的に片づけ開始。結局終わったのは5時頃です。
うわ、今日、大阪に行こうと思ってたのに…。もう、体力ありません(;_;)。断念です。
家に帰ったら、上の子どもが
「今日は早いな」
って言ったけど、これ、早いのか?

即席リビングライブラリ・怒涛の合計5連発(その4)

朝8時。騒がしいYきみちゃんがいます。なんでも、これからダンス教室だとか。それは無理でしょう、みんながかわるがわる頭を揺すってますが、そのたびに目をまわしています(笑)。廊下に行くとK野さんの足元にまるまっているヤツが。Mっくす!顔の横にはカレールーが(;_;)。ま、こんなことは東九条ではよくあることです(;_;)。みんなの処理の早いこと。
てことで、今日用事がある人たちは怒涛のように帰っていきます。取り残された数人。呆然とあたりを見まわすと、あたりはカトリーヌが過ぎたあとのようです。
とりあえず片づけるか…。でないと、次のプログラムがはじまりますよ(;_;)。

てことで、10時過ぎに徳島からのお客さんたちが到着です。なぜか迎え撃つ徳島のKKコンビ。
「なんでここにいるの?」
「わからへん」
みたいな会話をしています。でも、きっと好きなんでしょう(笑)。
で、今日の午前はTーます・Mぎちゃん・わたしの3人で、即席のリビングライブラリです。まぁ、ネタが少しかぶってるのはご容赦のほどを(^^)。てか、うまくやればかぶらないはずなんだけどなぁ…。
もともとは30分くらいのを2セッションしたかったんだけど、やたら盛り上がっている人がいて、あっさり断念。まぁええか。
お昼になったので、昼ごはん部隊がつくってくれたごはんを食べてもらって、みなさんあわただしく徳島に帰っていかれました。

ケビン迎撃作戦・怒涛の3連発(その3)

「ケビンって誰やねん!」
と言われたら、
「さぁ…」としか答えようがない気もしますが、なんしかケビンさんが東京から来られたので、みんなで迎撃しようかと。ちなみに、今回の呼びかけ人はわたしじゃなくてYきみちゃんです。
先発隊はすでに東九条で準備→宴会をしています。とりあえず、交流会のメンバーを連れて行ったのですが、カオスですね(笑)。コクリュウ系とカウンター系と玖伊屋系と交流会系が渾然一体となっています。もう、メチャクチャです。
ま、でも、こんなことは東九条ではいつものことです。わたしはクワっとお酒を飲んでいるうちに、出入り口のあたりでごろ寝。優しい人がふとんをかけてくれて、そのうち「ジャマ」とわかった人が優しくベッドまで連れて行ってくれて。久しぶりに「完璧な」人間のクズになりました(笑)。
でも、わたしなんて世話ないわな(笑)。

これはこれでひとつのプログラムなのか・怒涛の3連発(その2)

で、近くのお店に移動して、打ち上げ。
ここではテーブルごとにまとまって、さっきてきなかった話を深めます。わたしはというと、今後の交流会のありかたについて真剣に話したり、さっきははなしできなかった大学生以上の人たちと話をしたり。
なんだかんだで、9時前までいたのかな。でも、そろそろ出なきゃ。次が待ってる(笑)。

トランスジェンダー生徒交流会・怒涛の3連発(その1)

朝起きて、少しパートナーと話をして、すぐに家にスタート。集合場所に集まったのは、キャスター持った女性(含む、わたし(笑))が3人。なんか、変な感じです。
で、とりあえず買い出しをすませて、みんなの集合場所へ。するとなんだかたくさん集まっています。この感じだと、今日も盛況かなo(^^)o
とりあえず、みんなでごはんをつくりましょう。今日のメニューはいりカスの焼きそばとイタリアンぎょうざとコールスローサラダです。コールスローサラダ、見た目はなんだかですが、うまい!イタリアンぎょうざもいい香りです。そしていりカスの焼きそば!徳島からわざわざK野さんが持ってきてくださいました。
みんなであっという間にたいらげて、ここからは「遊びタイム」です。
いつもはノープログラムでいくのですが、今年度に入ってから、年齢層も広くなったし、人数も増えたから、ゆるいプログラムでもつくろうかなと。ということで、昼ごはんのあとは「遊びタイム」。その後「話し込みタイム」。で、最後に「自己紹介タイム」。
今日の「遊びタイム」はドッチボールらしいです。でももちろんわたしは「呑みグループ」。ダラダラしゃべっていましたが、そろそろ呼びに行かなくちゃってことで、ドッチボールに参戦。久しぶりにガチでボールを受けて、ガチでボールを投げました(笑)。
そのあとは「話し込みタイム」です。せっかくなので、p4cの手法をとりいれてみたりして、これまた久しぶりにガチのファシリテーターやりました。で、結局今回は「自己紹介タイム」まで時間がまわらなかったと^^;;。
そんなこんなで、かなり充実した話し込みができたかな(^^)。

問うことからはじめる

この間、p4cってヤツにすごく興味を持っています。ま、暴言を吐くならば、特段「うわこれなに!」というほどのことはない、というか「斬新!」って感じでもない。「うん(^^)」ってことなんですけど、それを「p4c」という形で提示された時に、例えば授業のあり方やクラブの運営、あるいは交流会なんかについて、新たな角度から光をあてることができて、自分の中にあったモヤモヤとした、でも大切に思ってきたことが突然浮かび上がる。そんな気がしています。

そうそう。
そろそろ試験前なので、恒例の勉強会がはじまっています。相互の教えあいの中で、子どもたちはともに考える経験をします。
とかく「すぐあきらめる」とか「考えようとしない」とか言われる子どもたちですが、なんか違うと思っています。それを言葉にしてくれたのがp4cです。p4cのスタートは「sense of wonder」みたいです。ならば、それをもじるなら「sense of awareness」かなぁ。「なぜ?」と小さな子どもたちが「問う」とき、その反対のところに「知りたい」「わかりたい」という欲求がある。わたしはそう思っています。
数学の話にするならば、おそらく、どの子どもたちの中にも「答えを知りたい」「答えにたどりつきたい」「解きたい」っていう気持ちがあります。でも、さまざまな挫折経験の中で、「答えにたどり着けない」と思い込んでしまってる。だから、「sense of awareness」を思い出すことからスタートです。
みんなと教えあっている中で、わたしのところに質問に来る子どももいます。そんな子どもたちに、わたしは教えません。
子どもたちは、自分の中に課題を解決する力があることを忘れているんだと思います。あるいは、その使い方に混乱している子もいます。そんな子どもたちに、課題を明確にすることや、どうすれば課題にとりくむ糸口がみつかるかなんかを、問を発しながら、ファシリテートします。そして、自分の中にある力だけで問題を解かせる。そのことが、次の問題を解けることとつながっていく。
わたしはそう考えています。
だから、わたしのところに質問に来た子は、逆にわたしからの質問に答えることで問にとりくむことになります。

い「この問題はなにを求めるの?」
生「ここの数字」
い「それをするために、何が課題になっているの?」
生「この方程式を解く」
い「その課題にとりくむために邪魔をしているものは?」
生「ここの数字」
い「その邪魔なものをクリアするためにはどうしたらいい?」
生「マイナスをかける。あっ!待って!解けた!」
い「ちょっと待って?なぜその方法で因数分解できると思ったの?」
生「えーと。ここがこうなって、これがこうだから」
い「ふーん、そっかぁ。すごいね(^^)!

さて、生徒も向こうに行ったし、またp4cのペーパーの続きを読もうかな…(^^)。

迷走

今日のおべんきょはおべんきょ仲間を含めて3人で。で、話題提供はわたしです。
さて、どうなるか…。
ここ数日で突貫工事でつくったペーパーですが、もちろん不満です。不安がいっぱいです。でも、やらなきゃならんのでやるわけです。
で、いろいろディスカッションしたわけですが…。
一人の人間の生き様に「がっこう」って、どれくらいの影響を与えるんでしょうかねぇ。だって、「がっこう」は学校単独では存在しない。地域の影響や保護者の影響、さらには政治の影響もうけるわけです。さらに「がっこう」ってなんだろうと思います。教科?特別活動?教員?クラスメイト?クラブ?それらが複雑に絡み合う中で、なにを「がっこう」とするのか。
逆に言うなら、それらのうちの、「狭義の学校」というものがあるなら、それはなにか?学校体制?カリキュラム?教職員集団?個人としての教員?例えばそのうちの「なにか」を取り出して、「それ」が果たして一人の人間の生き様にどの程度影響を及ぼすんでしょうかねぇ。
いや、現実にはとても大きな影響を及ぼしています。しかし、「この影響のこの部分はこれ」と切り分けられるほど簡単なことではないということです。
なんだか、考えれば考えるほどわからなくなってきました。
でも、この「わけのわからなさ」を突き詰めないと、どうやら「その先」には行けないようです。

なんか、ぼー

職場の机、部屋の端っこにあるので、暖房の効果がいまいち感じられません。なので、足先が冷たい…。とうとうガマンしきれずに、ガスストーブを机の前に持ってきました。あぁ、暖かい。ようやく足先がほどけてきました。

なんてことをしながら、事務仕事をしたり、来年のプランニングをしたり。自分の中でもやもやと「思い」が漂っていたものを「言葉」へと変換する作業です。なんとなく、そろそろ来そうかな…。