お座敷のあと、感想を読ませていただくことがよくあります。とてもうれしいです。大人の感想はもちろん、子どもの感想の中には「生活」をまるごと出してくれるのがあったりして、すごく勇気づけられます。
が、一方、すごく悩みます。
わたしのところに「お座敷」の口がかかったのは「たまたま」だと思ってます。なにか確固たるものがあったわけじゃない。それどころか、わたしは勉強嫌いで、めんどくさがりで、話の内容もブレまくりです。でも、それ以来たまぁに声をかけてくださる方がおられます。でもまぁ、話すスピードで考える間を与えないだけのことのような気がしてる昨今です。
ところが、「お座敷」って話す側と聞く側の間にアンバランスがあるんですよね。で、きちんと聞こうとされる方であればあるほど、そのアンバランスは大きくなる。極端に言うと、わたしがあたかも確固たるものを持っているかのように誤解をされるわけで。
そこで、「わたし」と感想の間に乖離が起きる。
これがこわい。
なにがこわいって、グダグダになっても、それすらプラスに評価されてしまう可能性すらある(笑)。やばいです。とにかくそのスパイラルをどこかで断ち切りらなきゃ。
過小評価は人をダメにするけど、過大評価もまた人をダメにする。等身大、等身大。
日: 2012年9月11日
綱渡り
今日は文化祭1日目。しかも、午後からは出張。どないすんねん。
もちろん、文化祭の担当者は、わたしが、とりあえずであっても、いたほうがいいわけで。なので、
「午後から出張です」
って言ったら、メッチャイヤな顔をされます。よくわかります。
でも、出張先の方も、とりあえずであっても、わたしがいたほうがいい。それなりの役割は一応担っている(はず(笑))なんです。
で、それぞれが自分の運営しか考えていなければ、結局わたしがとる行動はどちらからも批判されてしまう。じゃあ、両方を満足させるためにはどうすればいいか。走る以外方法がない(笑)。
てことで、文化祭のキーになる行事にギリギリまでいて、あとの流れだけ確認しておく。保険として、卒業生でもっとも信頼しているヤツに来てもらって采配をふるってもらう。わたしはそのあとダッシュ。駅では南の端から北の端まで2分で走り切る。で、出張先にギリで行く。
まぁ、こんな選択肢をとるわけなんですが…。
ダメだな。こんなことやってたらダメだ。綱渡りは、結局すべてを中途半端で終わらせることにしかつながらない。