もう担任をしなくなって何年だろう。
かつて担任をしていた頃は、人権学習*1なんて、言いたいことがあふれていて、ひたすらアジテーションをしていた気がします。
そこから人権学習を「つくる側」になって、あまりの温度差に愕然としたんですね。まぁ「暑すぎる*2」側も悪いんだけど(笑)。
はじめのうちは「なんでやらへんねん」と思っていたんだけど、だんだんめんどくさくなってくるんですね。そのうち、「何を話すればいいかわからない」とか言われはじめて、そこで思いついたのが「穴埋めプリント」だったんですね。
「自分だったらこう語るだろう」というのをプリントにして、ところどころに穴をあけておけばすぐに完成します。で、自分の意図と大きくはずれることもない。やる側にしても、一緒に読みあわせをすればOK。まぁ安全です。
でも、こうなるとますます「熱」が奪われていく。すると、聞く側の生徒はおもしろくない。おもしろくないと、教員はますます語るのがしんどくなる。となると、ますます「安全側(楽な側)」へと行く。
こんなスパイラルがあったんじゃないかと、ふと思ったのです。
でも、このスパイラルから脱出するためには、自分自身が「熱」をとりもどさないと、なかなかむずかしいんです。
で、今年、外的な要因から、どうしても真剣に考え直さなくちゃならなくなって、そこからだんだんと自分自身の考えを組みかえていこうという気になってきているんです。
「あきらめる」のはやめよう、と。マイナスのスパイラルは「あきらめ」からはじまるんですね。じゃなくて、きちんと向きあおう。そこから出てくる「熱」は、きっと子どもたちに伝わるはずなんですよね。