呑んだくれの週末・その3

今日は月曜日ですから週末ではないですが、なんか週末の気分なんですよね。
で、今日はいつもの通りN湯の友だちのところへ。やっぱり大分に来たら行きたくなります。
今日〜明日人間ドックで検査を受けられるG藤さんが迎えに来て下さります。N湯に向かう途中お買い物。N湯ではK村さんの家にいつも泊めてもらっているのですが、ここ数回は晩ご飯の食事はわたしがつくることにしてしまっています。いや、「つくれ」と言われるわけじゃないんですけど、なんとなくつくりたいなあという気分になるんです。
で、今回は生春巻き(笑)。
つくるのは簡単だし、手巻き寿司みたいで、はるかに格安だし。だから大人数でワイワイやるのにちょうどいいんですね。
N湯に到着したら、まずはお風呂。今回はG藤さんの家の隣の旅館のお風呂にもらい湯です。G藤さんの交渉の甲斐あって、貸し切りのお風呂*1に無料で入らせていただきました。って、めっちゃ贅沢な話です。
ポカポカに暖まってK村さんのお家へ。晩ご飯をつくったら宴会です。これまでの2日とは違って、のんびりとよもやま話をしながら、ダラダラと呑みます。居間の外にはデッキがあります。なんとなく外で呑みたくなって、ワインを持ってデッキへ。ひんやりと涼しい高原の空気が心地よいです。
あしたの朝は久住の山は見えるかなぁ…。

*1:もちろんかけながし。窓を開けると源泉のタワーがボコボコいっています

第2ラウンド開始

今日は、県内のリーダー啓発講座とかいうお座敷です。「中・上級向け」とか書いてあるのが笑えます。たぶん企画書書く時にこういう書き方しないとあかんかったんやろなぁと…。
高座の前に軽く食事。太刀魚うまいです!◯ールもうまいです(笑)。

集まってこられた方は年齢層もさまざまです。前の方におられる高齢の女性が、ほんとうにニコニコしながら話を聞いて下さいます。ところどころでツッコミを入れてこられたり。なんとも暖かく、でも熱心な人たちに脱帽です。
人前に立つと、さまざまな視線のパワーを感じます。例えば「試験官」のような視線もあれば、拒否の視線もあります。受容の視線もあれば、「もっと聞きたい」という視線もある。真剣なまなざしもあれば、笑顔のまなざしもあります。時として視線がない(笑)(もちろん寝ているという意味ね。視覚障碍の方からは視線を感じます))こともありますが…。
でも、いずれの視線も、わたしの話へのその人のリアクションなわけです。そんなものを感じながら、あっという間に2時間が過ぎます。まぁ話をしている方はあっという間ですが、聞いている方は長いだろうなぁ(笑)。

ムラ巡り

昨日一緒だったMさんと10時に待ちあわせ。今日は午前中があいているのでムラ巡りです。てか、昨日の夜
「どこか行きたいところはありますか?」
と聞かれたので
「ムラに行きたいです」
と答えたのですが、どうよ…。
ロビーにはすでにH本さんがおられます。
「まっきーさんも来るよ」
まっきーさんも好きやなぁ…。やがてまっきーさん登場
「わたし、O地区に行くの、はじめてなんです」
目がキラキラしています。困った人たちだ*1
まずはO地区に到着。着いた瞬間、笑いました。なんという計画的につくられたムラやねん。ムラをぐるりと囲む塀。中にはきちんと区画整理された改良住宅。外から見たら一発でわかります。あかんでしょう。
なんでも、O地区はもとからあったムラではなくて、地区改良のために新しくつくられたところで、大分県内のいろいろなムラから移住されておられるとか。
まずは教育集会所へ。小学生・中学生と教員らしき人がいます。なんでも夏休み中の学習会だとか。そうか、やってるんだ。なるほどなぁ。法律があろうがなかろうが、やらなきゃならないと思っていることはやる。きっとそういうことなんでしょうね。なんか、襟を正さなきゃならんなぁという気持ちになります。
続いて保育園へ。みんな元気にプールで遊んでいます。楽しそう。ここの保育園、どうも地域のコミュニティセンターの役割も果たしているみたいです。子どもを通じて地域の人々がつながるわけですね。特に高齢化している地域の場合、たしかに保育園がそういう役割を果たすのって、すごく効果的なんだろうな。そしてなによりも、子どもたちが地域とつながる。大分の地道なとりくみを垣間見た気がしました。

続いてA地区へ。集会所にはいると、子どもたちがつくったらしい共同制作のパネルがあります。なんでも夏休みの学習会の最後につくるそうな。どれを見ても、こっそりと左上に荊冠があるのがいい!

A地区もO地区も、やはり近隣の人たちとの間にさまざまな軋轢があるそうです。
例えばA地区の場合は地区改善事業が入るわけですが、道の広さがA地区内のみ広げられ、近隣は「対象外」ということで放置されるといったことがあったそうな。A地区の人たちは「それがまた差別の理由にされる」ということで、「なんとかしてほしい」とかけあわれたそうですが、「予算がない」と却下されたとか。結局、部落差別とは何かという一番根本のところを考えずに、とにかく住環境の整備など*2に特化した同和行政のたてかたに、こうしたひずみが出てきたんでしょうねぇ。とは言え、こういう書き方は「後出しじゃんけん」であることはわかっているのですが…。

*1:含む、わたし

*2:いや、それはそれで大切なんですが