夜は、部落史の連続講座です。
今日はその第1回目。村上紀夫さん(大阪人権博物館)による「中世の被差別民と芸能」でした。
近年(でもないか…)、「部落史の見直し」の中で、歴史の中で生きてきた「被差別民衆」の姿がいきいきと描かれるようになってきました。でも、その多くは、いわゆる「カワタ」の人たちであることが多かったのではないかと思います。「被差別民衆」の中には、「カワタ」以外にさまざまな生業や役目を担う人々がいたことも明らかになってきています。しかし、そうした人々の姿にかかわる研究もすすんでいるのでしょうが、わたしの知るところでは、まだまだ「わたしたちの知る範囲」までは来ていないような気がします。そんな中で、今回の連続講座は「芸能」にスポットをあてていこうという試みのようです。
今回のテーマは「万歳(まんざい)」。
中世の「非人」と言われる人たちの中で、「散所」といわれる場所に住む人たちが、やがてその住んでいる場所の名前である「散所」という被差別民として扱われるようになります。この人たちの中で門付け芸をする人たちが出現し、そのうちの一つとして「万歳」があります[1] … Continue reading)。
ちなみに、「散所」と言われる人たちとその周囲の人たちの関係って、とっても微妙です。というのは、日常のさまざまな集まりに関してはわけへだてなく行われます。ところが、結婚の祝いについては別です。呼ばれない。呼ばれないということは、おそらくは通婚もなかったのではないかと類推されます。また、争議の調停の文書などを見ると「散所は餌取みたいなもの」みたいな記述があり、このあたりに差別意識の本質みたいなものが隠されているのかなぁと思いました。ちなみに、村上さんは、「日常は「ぜんぜん差別なんてしてないよ」と言っているし、本人たちもそう信じ切っている。ところが、いざという時になると、蛇の鎌首のようにもたげてくる意識がある」と表現しておられました。なるほどなぁ…。
ところで…。
この「万歳」の人たちは、正月から数ヶ月かけて、あちこちを訪れながら「お祝い」を述べながら旅を続けます((といっても、けっして「放浪」をしているのではなく、ひとつのルールに従って、あちこちを訪れていたとのことです。なので、迎える人たちも「あぁ、もうすぐ万歳が来るなぁ」とわかるんだったとか。こういうの、けっこうありますよね。
*2:現在資料として残っているのは、京都の万歳のようですが、もしかしたら、あちこちに「万歳」と言われる人たちがいた可能性もあります。
*3:「だいどこ万歳」というそうな。つまり、座敷ではなく玄関から入った土間(台所の前)で万歳をすることからきているとのことです。
*4:暦をつくるとか、占いをするとかという特殊な技能を持っていますので。
*5:実際には、「尾張」のみのピュアなものではなく、さまざまな系統が交じりあってできているだろうけど、方向としてはということです。