勉強(その1)・職場の人権教育研修会

今日の放課後は、職場の人権教育研修会。テーマは、在日外国人教育ということで、うちの校区にある中学校の日本語教室担当の中国帰国の先生に来てもらいました。
内容は、ご自分の生い立ちの中で感じてこられたさまざまなことと、今の中国帰国生徒のかかえる課題についてです。
いや、生い立ち、すごいです。
まわりとの「違い」に気づき、やがて自分のことを隠しはじめる。でも、まわりからみたらバレバレです。
でも、だんだん日本人と同化することができるようになり、さらに「隠す」テクニックも上達してきます。
ところが、大学時代に「中国語できるの、かっこいい!」という人に囲まれる中で、自分のことを話しはじめます。そして、自分のことを語れるかどうかということが、友だちになれるかどうかの分水嶺として機能しはじめます。そして、日本語教室の子どもたちとふれあう中で、「恥じることのなくなった中国」が「大好きな中国」へと変化していきます。
でも、いまだに「(悪意のある)中国人!」という言葉に「ビクッ」とする自分がいるとの言葉も、忘れてはならないなぁと思いました。
かなりしんどい話のはずなんですが、それをさらりと、しかも笑いすらまじえて話をされました。すごい!そのおかげで、「しんどいなぁ。もうええわ」となる人もなく、「楽しく」話を聞くことができ、1時間半の研修の時間があっという間に過ぎてしまいました。
夕方、講師の方からメールがありました。なんでも、今回の講演が「デビュー」だそうです。それを聞いて、2度びっくりです。末恐ろしい新人だわ。

6 thoughts to “勉強(その1)・職場の人権教育研修会”

  1. 人権という時に私達の事が忘れられている気がしています。シャクシャインとかアテルイとか、征夷大将軍という名前の役職の者にだまし討ちにされて殺された。元々日本の国には私達が先に住んでいたのに侵略して「土人」と呼んで何年か前まで差別を公然としていた。今は公然としなくなっただけ。人権学習で取り上げられることは稀。どういうつもりなのかと怒り心頭です。

  2. せんせ〜質問(^-^)/
    尾張萬歳って聞くと、なんとなく太神楽(染之助・染太郎みたいなの)を連想するんですけど。このイメージは正しいでしょうか?なんか繋がりあるのかしらん?

  3. > しゃもさん(って書くと、なんか変だな…)
    ありがとうございます。まったくその通りですね。
    アイヌって、本来は全国におられるはずなんですが、「同化」を強いられる中で、その存在が潜在化してしまっている。また、「入植」=「侵略」も全国規模でさまざまな人たちがしていたはずで、それはまさに、「日本人の問題」であるはずです。ところが、「北海道の問題」というふうに矮小化されてしまっています。
    ただ、「人権学習」という特設の限られた時間の中で、いまわたしの職場でできるかどうかと言うと、時間的・人的・金銭的制約の中で、なかなか難しいというのも現実問題としてあります。
    とは言え、特設の時間だけが人権学習ではない(というか、特設の時間だとかえっておもしろくなくなってしまいがち…)と思っていますので、いろんなところで話をしていくことが必要かなぁと思っています。

    > 樹村さん
    あ、たぶんそういうんだと思います。つまり、「音曲の類を含めた総合エンターテイナー」が「尾張万歳」の生き残りの道だったようです。で、そこから「しゃべり」を純化していったのがエンタツ・アチャコのしゃべり漫才だったおいうふうに言っておられたような気がします。

  4. あと、「勝ち扇事件」
     (私のイイカゲンな知識で要約すると。江戸の弾左衛門が、証拠文書を捏造して「非定住民や芸能民は皆賤民で我が配下」と主張したのを、京都から巡業に来ていた歌舞伎役者が「デタラメ言うなっ!」と幕府に提訴。幕府側の証拠調べで歌舞伎役者側の言い分が認められた事件。たぶん不正確な要約ですがご容赦を)
    との整合性が気になります。
     江戸だと、車善七配下が季節アルバイト?で角付けしてたりもしたらしいですが、一方では善七や弾左衛門とは無関係な専業芸人?もいたり… 四民の他ではあったのでしょうが、少なくとも江戸では、萬歳の人ニアリイコール被差別民とはならないような気もします。

  5. 樹村さん、やっぱ詳しいですねぇ。
    たしかに、季節アルバイトとか被差別とされている人たち以外の芸人さんもいたみたいですね。
    かつて、江戸時代の職業ってすごく厳しい縛りがあったみたいに言われていたけど、実はそこそこ「ゆるさ」があるみたいですよね。なので、「儲かる話」に乗っかる人がいても、ぜんぜん不思議じゃないと思います。
    それから、樹村さんが書かれているとおり、江戸と京都とでは、被差別民のありようとか、差別のありようって、たしかにぜんぜん違うんですよね。なので、江戸では万歳≠被差別民というのは、ありでしょうね。
    わたしが行った連続講座は、基本的には「京都」という地域性の中で考えているんです。なので、樹村さんからのコメントで幅が広がるなぁ、と。

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