思わず買ってしまった

思わず買ってしまいました。「「産む機械」バッチ」!
送金のために英語を読まなくちゃならなくてちょっとかなりたいへんでしたが、まあなんとかなったんじゃないですか。ちなみに、その後英語のメールが来て「どうしよう」とか思ったけど、なんとなくわかった気がしました。
あと、「「産む機械」Tシャツ」もほしかったんですけど、こちらの方は、値段がどのくらいになるのかとか、なによりサイズがどうなのかとかよくわからなかったので*1、とりあえずいまのところベンディングです。

*1:きちんと読めばいいんだろうけど…

劇薬…

わたしは、毎年4月、最初の授業で「わたしの授業の受け方」というレクチャーを1時間ほどかけてやることにしています。ここでちょっと紹介。

  • 準備物

必ず持ってきてほしいものは、教科書とノートと筆記用具(できれば黒+3色程度)。
教科書は、まずは基本です。勉強するすべての内容が教科書に書いてありますし、問題も書いてある。で、わたしが黒板に板書する内容は、わたしがまったく教科書を見ないとしても、ほとんど教科書と一緒になります。ということは、よく必死で板書をうつす生徒さんがいますが、あれって実は無駄な作業なんですよね。どちらかというと、わたしの話を聞きながら、「ふんふん、ここをしゃべっているのか」と思ってくれたら、それで充分なわけです。で、教科書に書いてないことを話した時、はじめてそれをメモする。
ところで、その部分だけをノートにメモしても、前後の脈絡がないのでなんのことかさっぱりわかりません。なので、そのメモは教科書にすればいい、と。そうすると、1年経ったら世界でたった一冊の「君だけの教科書」ができあがります。ということで、教科書には必ず名前を書いて、なくさないようにしましょう。
じゃ、なんのためにノートを持ってくるのかというと、問題を解くためです。
よく教科書に答を書く生徒がいますが、あれはやめてほしいですね。というのは、教科書に答を書いてしまうと、「解答つきの問題」になってしまって、次に解こうという気が起こらないです。さらに、スペースが小さいので、「答だけ」の解答になってしまう。
なので、問題の解答は、ノートに書くようにしましょう。もしも解答があっていたら、きちんと「◯」をしましょう。もしも間違っていたら、きちんと「×」をしましょう。よく、まちがえた解答を消して正解を書く生徒がいますが、あれはあきません。もったいないです。自分がなにをまちがえたのか、それを分析して、次に活かすことで、「力」がつきます。生徒たちには「人間は失敗から学ぶ」とえらそうなことを言って煙に巻いておきます(笑)。

  • 授業のリズム

数学の授業にはリズムがあります。

  1. テーマの提示
  2. 解説
  3. 例と解答
  4. 問い
  5. 解答

「テーマの提示」はあっという間なので、これは必ず聞くこと。
「解説」は、より深く理解したい生徒が聞くものであって、「あかん、パニクッた!」と思ったら、とりあえず無視をしてもかまいません。
「例と解答」。これが一番大切です。とにかく「どうやって解くのか」ということがわからないと、どうしようもありません。
「問い」。必ずやりましょう。間違いをおそれないことです。体育の授業なんかだと「間違い」は時としてケガにつながりますが、数学はとっても安全です(笑)。とにかく、自分で問題に触れることが大切です。
「解答」。あった問題はどうでもいいです。間違った問題については、「どこで間違ったか」ということをていねいに分析しましょう。そのために、わたしは「ここでこういうミスをしがちだよ」とか「この中に、きっとこういう間違いをした人がいるんじゃない?」と分析の補助をするようにしますので、それを参考にして下さい。
これら5つのリズムが、簡単なテーマだとひとつの授業で2〜3サイクル。むずかしいテーマだと1サイクルあるわけです。とすると、「解説」とか「問いのあまった時間」なんかをうまく使うと、50分の授業の中で集中しなくちゃならないのは30分程度ということになるかと思います。逆に、その程度の時間だけを集中していればいいわけですから、数学の授業*1は楽なもんです。

  • わたしがやりたくないこと

これは生徒たちには基本的に言わないことですが、わたしがやりたくないことは「試験前日の補習」と「プリント学習」です。
いずれも、日常の授業をおろそかにしてしまうものです。
「試験前日の補習」は、当然おろそかにしますよね。だって、普段やらなくてもそこで教えてもらえばいいや。ということになってしまいます。なので、わたしは「試験前日」じゃなくて、できるだけ普段補習をするようにしています。逆に、その積み重ねがあれば、試験前日にやらなくてもいいということです。
もうひとつは「プリント学習」です。「プリント学習」をやると、生徒たちはだんだん教科書やノートを持ってこなくなります。そうすると、たとえば「問い」をやる時に「◯ページの◯番」と言うだけではダメで、黒板に問題を書かなくちゃならなくなります。そうすると、マジメな生徒はそれを写しはじめる。となると、ものすごく時間がかかります。ですから、どんどん授業が遅れだす。一方、やる気のない子は黒板を写すことすらしなくなります。すると、ますます時間があまってしゃべったり漫画を読んだりとなっていきます。必然的に、クラスが崩壊していきます。
それだけならいいのですが、わたしの時間だけじゃなくて、他の時間にもそれは飛び火していきます。「◯◯先生はプリントくれはった」とか「去年の先生はプリントくれはった」となります。こうなると、もうお手上げです。わたし個人の問題じゃなくて、学校全体の問題になります。なので、どこかでそれを防がないといけません。で、わたしは基本的には「よそはよそ、うちはうち」と言い放ってプリント学習はしないようにしています。
ところがですね、プリント学習をしないと、もう持たない時が来るんです。
生徒たちは、実は小学校の頃からプリント学習にならされています。「いよいよ勉強をしないと赤点の危機」という時になると、とりあえず勉強をしなくちゃならんなぁということで、とりあえず前を向きはじめるのですが、その時点では「どうしていいかわからない」ということになる。で、混乱したままあきらめて寝てしまうということになります。
こういう時のカンフル剤として「プリント」を出さざるをえないんです。これが悪循環を招くということはわかっているのですが、どうしようもありません。そして、この「プリント」は見事に効きます。
しかしね。このプリント。生徒たちから力を奪っていくものなんです。だから、使いたくない。
「プリント」は、授業をするものにとっては、劇薬*2です。

で、今、ある講座でとうとう使いはじめました。効果はてきめんですねorz。

*1:少なくともわたしの

*2:あるいは「麻薬」

で、また玖伊屋

久しぶりに9時前まで寝坊。
その後、玖伊屋の会場まで後かたづけ&仕事をしに行きました。
仕事の方は、うちの放送部の取材。玖伊屋にちょいちょい来てくれるお客さんが、放送部の取材に応じてくれるということなので、まぁ、取材をしてみようかということで。で、わたしはというと、顧問ではありますが「若い人は若い人同士で」と適当に話をして、そのまま「若くない人」の集まりに参加。なんだかダラダラと話をしていました。まぁ、ダラダラと話をしていると、本当にダラダラとするもので、結局2〜3時間ほどもダラダラ話をしていましたか。
やがて、取材も終わったみたいなので、ようやく今回の玖伊屋も解散。
次回は3月10日です。

その後も目白押し

  • まずは、某在日外国人教育関係の会議。

フタを開けてみたら、出席者は半分くらいの5人。んなもん、会議になりません。しかも、議案もあまりないし。ということで、3〜4時間の会議を覚悟していたのですが、1時間ちょっとで終了。ということは、当然のことながら(笑)「飲み」の時間が増えます。昼過ぎから焼酎でした。

  • 続いて、打ち合わせ

「謀議」と書くと、いろいろいらんキーワードでひっかかってくるみたいなので、ここは素直に「打ちあわせ」としておきましょう。
京都駅で先方と待ちあわせて「さて、なにを飲みながら打ちあわせをしましょうか?」とたずねてみました。すると、「ビールやろう」という人と「コーヒーで」という人が混在。ここは、真ん中をとってビールのある喫茶店へ。あ、わたしはコーヒーを飲みましたけどね。
なんか、今月末に大阪府南部でパネルトークをすることになっているみたいで、そのネタの仕込みでした。しばらく「う〜ん」と頭をひねっていたのですが、まぁ、あんまりたくさんこちらからしゃべるより、質問を受けながらアドリブでやった方がいいんじゃないかという安易な結論に落ち着きました。まぁ、そんなところで。
他に、わたしの「肩書き」を訂正してもらったり、2〜3事務連絡をして終了。
その後「コーヒーで」と言っておられた人が仕事で帰られたので、「ビールやろう」と言っていた&思っていた人でビールを飲みに行って、しばし懇談。

  • その後は、玖伊屋

今日は玖伊屋ですが、もうすぐ上の子どもが入試なので、わたしはご飯だけをつくって帰ることになっていました。で、メニューをいろいろ考えたのですが、簡単なところで「キムチチゲ」にしました。
とにかく、野菜なんかをどばどば切って、鍋の中にドンドン放り込んで、上にキムチと豚肉をのせて、その上から焼肉のタレをドババとかけて火にかけたら終わりですから。
てなことをやっていると、今日に限って久しぶりの人やはじめての人がたくさん来られました。こんなメンバーだったら帰れへんやんか(;_;)。
でも、みなさんから「今日は帰らなアカン」という暖かい言葉をもらったので、なんとか終電で帰宅することができました。家に帰ったら「あんた、帰ってきたんか」と驚かれましたけどね(笑)。
てことで、詳細は玖伊屋の開催報告で…。

旅芸人みたい…

朝、朝食をすませたら、すぐに駅へ向かって移動。そのままどんどん移動。
いつもドキドキするのは、「隣に座るのはどんな人だろう」ということです。
で、今日隣に座ったのは、手足の長い若いにぃちゃんorz。最悪です。ちなみに、昨日は分厚い資料を持ったビズィネスマンでした。こっちも最悪でしたorz。
いずれの方々も、当然のように「非武装中立地帯*1」を占領してきます。こっちは狭いのなんのって。しかも、若いにぃちゃんにいたっては、手足が長いものだから、寝られてしまうとトイレに行けないです。はぁ…。

*1:席と席の間の肘掛け

その後は定番、交流会

お店はどうやら「鶏」の店のようです。ズリとかささみの刺身なんかが出てきたり、串焼きもいきなり「ボンジリ」が全開で出てきたりします。すごいっす。と、交流会参加者の一人が突然「あ、鶏インフルエンザ…」。で、わたしのフォロー。「あ、BSE騒ぎの時も、東九条マダンでは焼肉かなり売れましたし。みんな「いまさら一緒」って食べてましたよ」。「まぁそうやね」とおいしくいただきました。
交流会で話題になったのは、解放運動のあり方のこと。
なかには「中の人」もいたので、いろんな話が出てきました。時として、歯に衣着せぬきびしい話もいっぱい出てきました。それでも、みなさんやっておられるんですね。で、思わず江嶋さんの言葉を引用してしまいました。「「解放運動は、51%の正しさと49%の間違いの運動」って江嶋修作さんが言っていました。でも、かつては「51%の部分を80%ぐらいが正しい」みたいなことを言っていたし、いまのバッシングは、49%の部分を80%ぐらいにとりあげている。いずれもやっぱり違うんだと思うのですよ」すると、本当に苦労をされながら、今も一生懸命部落解放研究所の仕事をしておられる方が「それ、それよ。どれだけ絶望をしても、その2%の差があるから、いまもこの仕事を続けているのよ!」
あの、少数点在の厳しい状況と、その厳しい状況の中で運動を続けている人の熱さを感じた一日でした。

で、フィールドワーク

朝起きると、雪が積もっていました(笑)。

今日は午後から、どういうわけかS県で漫談。
といっても、前半授業実践のレポートがあって、後半1時間ほどを担当しただけです。展開としてはまったく新しいものなので、ちょっとドキドキしましたが、なんとかつとめあげられました。
その後、車でまわるだけではあったけど、3ヶ所のムラにつれていってもらいました。
いや、ほんとうにびっくりしました。3ヶ所ともがいわゆる「少数点在」のムラなんです。1ヶ所目はそれでもちょっと大きめ。2ヶ所目は戸数が20戸くらい。3ヶ所目にいたっては、10数戸ですか。
どのムラも、いちおう地区改善事業は入っているとのことですが、いわゆる「ニコイチ」じゃなくて、「市営住宅」とのことで、すべて一戸建てです。もちろん「団地」はありません。つまり、まわりからはさとられないようにということのようなんですね。
でも、一目見たらバレバレです。いずれのムラも道は狭くて曲がりくねったまま。車からは降りずに通過しただけですが、普通車が道幅いっぱいです。ところどころ「ここ、入れないから向こうからまわるね」というところまであります。

ひとつめのムラA地区。入り口を入った瞬間に「あ、ここからムラですね」「そうです」。で、ある瞬間に「あ、ムラ、出ましたね」「はい、あの川を渡ったところで出ました」。
ふたつめのムラB地区。公民館の裏側にある空き地に車をとめて「あそこです」と指をさされました。小さな土地に、A地区と同じタイプの市営住宅が数軒並んでいます。ムラのまわりにぐるりと鉄柵があります。「え?あれ?あの柵、あれでムラってバレバレじゃないですか」「ええ」表にまわると、川が流れていて途中から暗きょのあとがあります。「昔はこの川に丸田が一本かかっているだけだったんです」「へ?」「だから、こっち側*1からは丸わかりなんですよ。でも、ムラの人たちは必死で隠していた」「んなむちゃな」
もう少し車を進めると、「このあたりはもともと女郎街でした。ここもまわりにぐるりと堀があってね、女郎さんが逃げられないようにしていたんです。B地区の人たちはその監視役もしていたということで、そのことがまわりの人たちのまなざしを一層きついものにしたんです」「…」
みっつめのムラC地区。ムラの裏側には竹藪があります。「あの竹藪ね、昔はずっと続いていて、このムラを取り囲むようになっていたんです」すると、同乗の方「ほんとうに、「藪の向こうに人がいるのかな」という感じでしたよね」「ええ、そうでしたね」「S県では各地区*2ごとに子どもたちを公民館に集めていろんな伝達をしたりするんですが、ここのムラの子らは20数年前まで、公民館に入ろうとしたら「お前らは出て行け」って生徒からも教員からも言われて、しかたなく運動場で時間をつぶしていたということです。子どもの人数が5〜6人もいたらその中には「おかしい」と言う子もいるんでしょうけど、兄弟だけだったりするとそれすらもできない。少数点在のムラには運動が起こりにくいんです」。
その後、表にまわります。すると、見たことのあるような大きな「工場」の跡があります。「このムラも現在廃品回収なんかをしているんですが、ちょっと前までは自動車解体業をやっていたんです」。それでですね。見たことがあったのは*3。でも、今は「跡地」みたいです。工場の前には山のようにいろんな種類のくず鉄があります。
ほんとうに一区画をくるりと回ったら、あっという間にムラを出てしまいました。

ほんとうにショックでした。わたしが今まで見てきたムラっていうのは、たいてい都市部の大きなムラでした。でも、ぜんぜん違うムラもあるんですね。
都市部のムラと農村部のムラの違い。さらに、農村部でも富裕層のいる(いた)ムラと、そうではないムラの違い*4。まさに、小林丈広さんの言われる「部落の4類型」のうちのひとつの類型「農村貧困型」の典型を見た感じでした。ここから、「法は切れた。格差は解消した。だからあとは自助努力で…」というのは、無理ですわ。やはり、解放へ向けたとりくみが絶対に必要だと、認識をあらたにしました。
てか、こうしたムラにフィットしたとりくみをしてこなかった、わたしたちの「無知」が問われるんだろうな。

*1:ムラじゃないほう

*2:ここの「地区」はムラじゃなくて、小学校の地区割りのことです。

*3:京都府南部にも「解体の街」がありますから。

*4:このあたりのムラでは、近世の頃、農業は許されなかったとか…

リサーチ

最近、職場の中でのトランスをもう少しすすめてみようという気持ちになっています。もちろん、あくまでもわたしの性別は「どっひー(笑)」なんでしょうが、仮にふたつにわけざるを得ないとするならばどちらに近いかというあたりを、少し追及してみようかなという感じなんです。
実は、現在不便がまったくないと言えばウソになるのですが、かといってどうしようもなくしんどいというわけでもありません。なので、そのままでも充分にやっていけるのですが、まぁ、今後のことを考えると、トランスを進めることも大切かなぁという気がしてきたんです。なので、同僚にそれが可能かどうかのリサーチを最近はじめました。
いままで、トランスにかかわる話を一人ひとりの教員と話すことはあまりなかったので、なかなか興味深い*1ですね。
人によってはぜんぜんバリアがなかったり、人によっては「受けいれているけど、具体的なことについてはとまどいがある」と言ってくれたり。さらに、「昔のいつきさんを知っているから、ちょっと複雑」と言ってくれる人もいました。もちろん昔からのつきあいがあってもぜんぜんバリアがない人もいます。
ただ、これって「受けいれなくちゃならない」ということが前提になっている気がするんですよね。でも、それは個人的には「なんだかなぁ」という気がします。個人の思いとしてはイヤだと思っているのに無理をして受けいれてもらったとしても、結局あとから歪みがくるような気がします。わたしとしては、いろんな思いをきちんと出してもらって、その上で理解を求めていきたいなぁ。
そうそう。
基本的には、はじめて出会ったのが「いまのわたし」な人の方がバリアは低いですね。やはり、昔のわたしを知っている人の方が複雑な思いがあるようです。
深いなぁと…。

*1:といったら語弊があるけど…

フィールドワーク

今日は、浪速の近くで漫談。終わってから、友だちと一緒に呑み。呑みながら、フィールドワークについての話がちょこっと出ました。
部落なんかにフィールドワークに行く人って、たいていは「悲惨な状態」を見ることを期待していくんじゃないかと思います。ちなみに、わたしも例外ではありません。
ところで、実際に行ってみると、地区改善事業なんかで、それこそ1950年代のムラの姿なんてかけらも残っていません。そこにあるのは、巨大な団地群だったりします。しかも、ムラ中の高齢化は激しく進行しているので、歩いているのはたいていおばあちゃんやおじいちゃん。あるいは、だれも歩いていない!そんな町なので、お店も儲かりません。なので、食べ物店もぜんぜんありません。そうなってしまうと、結局、事業のあとにつくられた「遺跡」を歩くことになりますし、そこに「ムラの文化」みたいなものはほとんど感じとることはできません。
ただ、こうした現在のムラの姿ではありますが、ムラの人たちの闘いの中で勝ち取ってきた事業の「成果」でもあるわけです。そりゃぁ、実際に住んでいる人にとって、バラックに住むより団地に住む方がいいに決まっていますから。そして、その時点から30年以上経過した結果としての現在の姿でしかないわけですから。また、多くのムラでは「このままではいけない」ということで、自分たちのムラの文化をもう一度発掘しよう、あるいはつくりなおしていこうという動きがあります。浪速の太鼓集団「怒」もそういう動きの中で活動があるわけです。
ところが、これがまたフィールドワークに行く側にとっては悩ましいことなんですね。なにしろ、フィールドワークでふれることができるのは「人間」じゃなくて「場所」だけなんですよね。となると、村の中で今新しく動きはじめている「人」の息づかいは、フィールドワークでは感じられない。
で、今日話していた内容は、どうもこのあたりの食い違いが、フィールドワークに「行く側」フィールドワークを「企画する側」フィールドワークを「受ける側」の3者の中で大きくなってきているんじゃないかという話なんです。
で、わたしはというと…。
個人的に好きなのは「自主フィールドワーク」なんですね。まずはムラ中をほっつき歩く。出会った人には適当にあいさつ。そうすれば不審な目がふと和らぎます。ムラの境界は注意深く歩いていると自然と感じとることができます*1。さらに、ムラ中の掲示板やお店の看板を見ていると、どんな仕事があったのか・あるのか。いまどういうことがムラ中で課題になっていて、それに対して何をしようとしているのか。そんなことがだんだんとわかってきます。スーパーの惣菜コーナーを見たら、そのムラの食文化がよくわかります*2
そして、人の息づかいを感じとるためには、お好み焼き屋さん*3に入ります。昼時には、たいてい誰か近所の人が食事をしていたり、出前の電話がかかってきたりします。そんなところで行き来する会話を聞いていると、巨大な団地群の中の「遺跡」とはまったく違った「いま」が感じられます。
こんなフィールドワークをしてみたらどうかなぁ。

  1. あらかじめそのムラの歴史を簡単に予習する。
  2. 昼時をまたいで2〜3時間ほどフリータイム(個人行動)。
  3. 昼のビールは許可(笑)
  4. 3時間ほど散歩して帰ってきたら、情報交換会。
  5. 情報交換会のあと、地元の人からみんなが見つけたトマソン(笑)の説明を受ける。
  6. その説明を受けた後、再度散歩(個人でも全体でもOK)。
  7. 散歩のあと、夕方のビールを飲みながら振り返り。

*1:もちろん多少のブレはありますけどね

*2:「浪速ショッピングセンター」の肉コーナーには、「さいぼし」「こごり」「カス」がわんさか並んでいます。

*3:別に定食屋でもいいんですけどね・笑