で、宴会

病院から、家とは反対方向、大阪に向けてスタート。今日は、異業種の集まる忘年会です。企業の人たちと「人権」をキーワードに呑めることなんて滅多なことがありません。
てなことで行ったのですが、あいかわらずみなさん元気元気。やっぱ教員とは馬力が違います。
てことで、家に帰ったら終電でした。
一日が長いな…。

ヤクゲト

仕事が終わったところで、速攻移動です。目指すは、Iちゃんさん*1のところ。診察室にはいると、お互いにいきなり「ネタ」全開です。それにしても、今日の診察、なんかあまり帰したがっていないなぁと思ったら、なんでもわたしが今日の診察の最後。しかも、今日は夜勤とか。ちなみにあしたはそのまま日勤なので、連続30数時間の勤務らしいです。すごすぎ…。これでも「産婦人科医が減ってもちょうどいい」とか言うのか?って、古いですね。

*1:ふたりいるのでややこしいっす。識別用のフラグが必要だな

今年最後は朝が早い

朝、起床はいつも通りです。でも、向かう方向が違います。バイクに乗って向かったのは、京都の北東部にある峠です。今日はその向こうにある橋の向こうまで行かなくちゃなりません。
それにしても、7時過ぎの峠越えは、マジで寒いです。途中、右手の親指の感覚がなくなります。エンジンもまわるのをいやがっています。ムチャクチャや…。峠を越すと、さすがに気温はマシになってきましたが、今度は朝日がまともにこっちに向かってきます。まいった…。それでもなんとか湖を越える橋までたどりつきました。橋の上は橋一本文の長さの渋滞。そりゃそうです。この湖を越えるためには、北の端まわるか南の端をまわるか、あとは橋が2本しかありませんから(笑)。バイクじゃなきゃ遅れるところでした。
で、ようやく目的地に到着。
今日の高座は高校1年生の子どもたちを対象に9時から約1時間。いやぁ、みなさんマジメです。笑うべきところではちゃんと笑って下さるし、〆のところで「この言葉は覚えてほしいな」というと、ちゃんとノートとるし(笑)。
話が終わったら、何人かの生徒さんが「はじめて寝ませんでした*1」とか「手を触らせて下さい*2」とかやってこられました。ちょっと照れます。そうそう、この高校の3年生に友だちがいるのですが、彼女ら、授業を抜けてきてくれました。1年生の前でハグハグしてたら、みんな目を丸くしてましたよ。
高座が終わったら、バイクで出発。さて、4時間目の授業だ(笑)。

*1:わたしの答えは「それはないやろ(笑)

*2:ホルモンやったら手の感触が変わるということを友だちから聞いたそうな

これでええんか?ええんやろなぁ…

明日は職員会議&研修会の日。でも、年内にヤクをゲトしようと思ったら、あしたしか日がありません。てことは、さすがに潤沢な在庫があるといっても(笑)そろそろなくなりどきです。しかも、年を越して最初の「営業日」は、共同作業の日なのでもっと出にくい日です。
てことで、おそるおそる管理職に「あの…。職員会議、出られるだけ出ますが、どうしても病院に行って薬をもらわなくちゃならないんで、途中から休んでもいいですか?」と聞いてみました。ちなみに、休暇の「理由」の欄には

K西医科大学女性診療科受診(性同一性障害

と書いてみるテスト
すると、管理職の答え。
「それはたいへんやなぁ。大切な薬やしな。無理せんでええで。余裕を持って行きや」
う〜ん。
いや、最高の職場だと思います、たしかに。
でも、これでええんやろうか…。きっとええんやろなぁ…。

感想文

エントリを[work]にしようかどうか迷いましたが…。ま、こっちの方で。
いちおう人権学習の担当をしているので、1年に2〜3回、子どもたちが書いた人権学習の作文や講演の感想文などをすべて読まなくちゃならないんですよね。自分のクラスだけだったらなんていうことはないんですが、これが、全学年全クラスになると、そうとうな負担になります。800人ぐらいいますからねぇ。
しかも、「読み応え」のある感想文って、やっぱり少ないです。ほとんどが
「差別はいけないと思った」
「差別がなくなればいいと思った」
みたいな…。
もしも自分が担任をしていたら、「「差別はいけない」とか「差別がなくなればいい」とかって、何も書いていないのと同じ」というふうに最初に言っちゃいます。なので、自分のクラスからはほとんどでてきません。まぁ、何を書くかはそれぞれの子どもたちが考えることなんですがね。
そんな中、ある部落の方の講演に対する感想文は、本当に読み応えがありました。例えば、「自分の友達に部落の人間がいる」「自分の元彼が部落」みたいなところからはじまって、「自分の体には傷跡がある」とか、自分の身のまわりを振り返りながら、部落の人がさしだしてくれた「人生」に、なんとか応えようという思いがあふれています。力のある話には、こういう感想文を書かせるものがあるんだなぁと思いました。
ただねぇ…。
劇薬なんですよね。
わたしたち教員が普段やっているのは「漢方」です。漢方は効いているのか効いていないのかわからない。だんだん飲むのがおっくうになってくる。悪くなった時に、はじめて「あぁ効いていたんだな」みたいな感じですか。
でもね。それがあるから劇薬が効くんですよ。
だって、普段本当に何もやっていなかったら、部落の人がいくら話をしていても、その話はきちんとは届かないと思うのです。

それに引き替え、やっぱり「映画」はあきませんねぇ。映画って、映画そのものからは直接はメッセージがこないと思うんです。そうじゃなくて、その映画を見ることで、自分が過去経験してきたことや受けてきた授業なんかのイメージが喚起されて、自らが「気づく」というものなんだと思うのです。その「気づき」によって、自らがなんらかのものを獲得していく。だから、あらかじめ「見るポイント」みたいなものを与えてしまうと、すごく表層的なものになってしまうと思うんですよね。
でも、これがなかなかできない。

あ〜、靴の上から足を掻いている気分です…。

てことで、感想文集をつくるか…はぁ…。

授業アンケート

さて、2学期も最後の1週間。授業はあるけど*1、まぁのんびりした1週間です。
で、「年内に授業アンケートをとること」というお達しが、今年もありました。

質問項目は

  1. 先生の授業中の話し方は、早さが適切で聞きとりやすい。
  2. 先生の授業中の指示や質問は、わかりやすい。
  3. 授業中の説明は、内容や順序が整理されていてわかりやすい。
  4. 先生の板書は、字が読みやすくよく整理されている。
  5. 授業の資料(プリントなど)は、よく整理されていてわかりやすい。
  6. 授業の進む早さは、自分にちょうどよい。
  7. 先生は、生徒の発言や意見など反応を大事にしている。
  8. 生徒の私語などが少なく、学習しやすい雰囲気の授業である。
  9. 授業のポイントと定期試験の内容が関連していて適切な定期試験である。
  10. 授業を受けることで、その教科の知識や学力が身についたと思う。

これらについて子どもたちは、A・B・C・Dの4段階で評価するわけです。

ん〜。まぁ、たしかに「伝える」ために必要なスキルではありますね。で、「伝わっているかどうか」は確認した方がいいかな。わたしとしては、子どもたちから生の声を聞きたいタイプなんで、こういうのをとるの、そんなに抵抗がないんです。てか、いまさらあらたまって「アンケート」という形をとらなくても、普段から子どもたちに「聞こえる?」「見える?」「早い?」って聞いてますし(笑)。あるいは、「ん?」という顔をした子どもがいたり、黒板を指さしながら隣としゃべっている子がいたら「なに?どうした?ここ?」って聞きますし。
「伝える」ことが仕事だから、当たり前のことだと思うんですよね。
ただ、これを「一律」でやるのはどうかなぁ…。たとえば、あえて聞こえない声で語ることで伝えるというテクニックはあります。あえてわかりにくい板書をすることで、考えてノートをさせるというテクニックもあります。そういうことをふまえての総合的な評価なんですよね。断片的にひとつの局面をきりとると「わかりにくい授業」になるかもしれない。でもまぁ、たぶん、子どもたちはそれを評価してくれると思います。

一番問題なのは、子どもたちが正直に書いてくれるかどうか。それは、子どもたちとの人間関係だと思います。人間関係があれば「D評価」もしてくれます。でも、子どもたちとの人間関係がなければ、たぶん「A評価」しかしてくれない。
さて、この結果をどう読みとるのかな?それは、こちら側の問題ですよね。

*1:てか、いつのまに試験後に授業なんてするようになっているんだ?しかも、それがあたりまえになっているんだ?

ノンストップも丸9週…

10月13日(土)の玖伊屋以来、これで丸9週、土日がほぼつぶれています。一日だけ「このままじゃもたん」と思って休んだ日があったはずだけど、それもたしか10月のこと。11月からこっちは、完全につぶれています。その最後の日が今日。放送部の引率です。
ほんとうに行きたくなかったんです。でも、子どもたちが「研修会に参加したい」という限りは行かなくちゃしかたがありません。しかも、顧問はボーっとしていたらいいわけじゃなくて、午前は顧問の情報交換会。午後は、アナウンス・朗読の指導講習会。って、顧問も研修だよ!

朝、目が覚めたのは友だちからのメールの着信音。時計を見ると、9時です。
…。
今日の研修会、受付が9時半〜で、開始が10時だよな。
飛び起きて、身支度をして、会場に直行です。そんなときに限って雨(;_;)。
会場に着くと、子どもたちも集合していました。ちょっと安心。あとは一日放送漬けです。ま、自分自身のスキルアップにもつながるからいいけどね。
で、帰ろうと思ったら、また雨。さっきまでやんでたやんか!
帰りに久しぶりにパソコン関係の雑誌を買って、家に帰って読んでみると、浦島状態でした。

作文コンクール入賞発表会

「関西ネット」というのがやっている、「ちがうことこそすばらしい 子ども作文コンクール」というのがあります。今年で12回目。わたし、どういうわけか、こういうのにかかわってしまっています。しかも、この入賞発表会が、今年ははじめて京都で開催。夏にも大会をやったのに、なんでやねん…。
他府県の事情はともかく、京都はこういうのをやる実務派の人間がとても少ないです。で、わたしはというと、もともとはまったく実務派ではないのですが、諸事情により、いつの間にか実務派に分類をされてしまっています。なので、会場とり*1、後援とり*2、当日の司会*3なんかをしなくちゃなりません。もちろん、その他諸々の雑事はあるのですが、これはお友だちにお願いしてかなり負担をしてもらいました*4
でもまぁ、そこで読まれる子どもたちの作文や、それを読んでいる時の子どもたちの表情、あるいはそれを聞いている子どもたちの表情。それから、子どもたちを連れてこられている親御さんの表情。こういうのを見ると、「よかったなぁ」と思ってしまうんですよね。このあたりがわたしの「弱い」ところです(笑)。

ただ、なんか、自分の心の中に、感動をしながらも冷めたところがある。「ほんとうの」父親に捨てられ、でも、新しい父親と出会い、その父親にほんとうに支えてもらう。そのお父さんに「ありがとう」という高校生の作文。読みながらその子は泣いていました。心を揺さぶられながらも、でも、どこかで冷めたところがある。
それは、「自分」というものをどこか置き去りにしているような気がしてならないんですよね。いや、もちろんかかわっておられるみなさんはわたしのことは十分に理解をしてくださっています*5。司会なんでスーツを着たんですが、もちろんレディスのスーツです。ネックレスなんかもしちゃっています。ちょこっと口紅なんかも塗ってみました*6。なので、なんら自分を隠してはいないんです。でも、そういうのとはちがう、どこか「置き去り感」みたいなものが、どうしてもぬぐえないんですよね。
たぶん、それは「比較」をしてしまっているんだと思うのです。
もちろん、「自分」と。そして、トランスジェンダー生徒交流会に集う子どもたちの姿と。
比較には何の意味もありません。でもやってしまう。
でもまぁいいや。そういう自分をようやくまともに見つめられるようになってきたわけで…。

「式」が終わったら、たまたま近所で結婚式に出席していた外国人教育の仲間と出会いました。「後輩」を半ば強引に呑み会に連れて行き、その後わたしは中途で失礼。なんでも、今日は実家でごはんを食べる日だそうな。
まぁ、あたしゃまぁまぁうまくやっているほうなんでしょうね。

*1:まぁ、他の人に頼んだんですけど、「頼む」という作業はしなくちゃならないんですよね。でも、感謝感謝!

*2:教育委員会なんて、遠〜い彼方にあると思っていたんですけどね。てか、昔は「敵」だったのに、どうなってるんだ?

*3:昨日もやったっちゅーのに!

*4:含む、会議の出席

*5:たぶんね

*6:たぶんわからないような色だけどね_| ̄|◯

宴会

放課後は、校内をうろつきまわってネタ拾い。その後、急いで帰宅→着替え→宴会へ。
今日は、学校の忘年会です。どういうわけか、幹事が回ってきて、欠席裁判で司会があたりました。どんな服を着ようかとずいぶん迷ったのですが、結局「それしかもっていない」黒のスーツにしました*1
ネタ拾いは、途中にやるカルトクイズのためなんですよね。まぁ、こういう余興もしなくちゃならないわけで。
それにしても、ここ数日、しゃべってばっかりやなぁ…。いくら本職とはいえ…。
まぁ、2時間ちょい。つつがなく司会も終えて終了。
外に出ると、みんな2次会に行ったみたいです。誰かに連絡をしようかと思ったのですが、そうとう疲れているのでやめました。で、大学時代からお世話になっている居酒屋に久しぶりに顔を出して、ワインを一杯だけ飲んで、ひとりの2次会終了。

さて、あしたも司会だ_| ̄|◯

*1:ミニスカサンタという話もあったのですが(笑)

カムアウト

ところで、今日はあるクラスが2時間授業があります。どうしようかと思ったのですが、かつてその子ら、エキストラで出てくれたことがあるので、その時のビデオを見せることにしました。ついでに、1年前に放映されたビデオももってきて、これでちょうど50分程度です。
まぁ、4月からはじまって、12月までいろんなことがあったから、このあたりで「カムアウト」をしてもいいかなぁ、と。
けっこうみんな真剣に見てくれていました。
印象的だったのは「つきあいは変わらない」と書いた子どもたちがたくさんいたことです。この言葉って、2種類の意味があると思います。ひとつは、薄っぺらな意味での「変わらない」。もうひとつは「本質的なつきあいができてきたから、これからも変わらない」。願わくば後者であってほしいです。というか、後者であると信じたからこそ、子どもたちにビデオを見せたんですけどね。