なんしか、うるさい。てか、「五月蠅い」という言葉がピッタリ。そんな子どもたちがいます。たぶん、授業の声、一番後ろの生徒に届いていません。で、声を張りあげると、前のほうはわたしの声がうるさいからますます大きな声でしゃべります。これ、いたちごっこですから、わたしはしないことにしています。
ところで、そういう「場」の雰囲気を読む子だったら、わたしが声を小さくしたらそれにつれてしゃべる声をコントロールするのですが、そういう子ははじめから授業中に私語はしません(笑)。てことで、声を大きくしたり小さくしたり。もう、1時間の授業が終わると、精神的にクタクタです。
さすがに今日はキレました。でも、絶対に怒鳴りたくありません。だって、「力」で屈服させられた人間は、どこかで必ずそれが噴出しますから。それがわたしに対してだったらいいんだけど、他の生徒に対してや他の授業に対して噴出したらえらいことになります。で、ふだんとは違う言葉。「
マジで疲れた。というか、本当に疲れるのは、こういう状態でも、生徒たちのことが嫌いになれないということ。一人ひとりの子どもたちは、ほんとうにいい子らなんですよ。みんな大好き。それが「層」として存在した時、一変する。そのギャップが疲れるんです。
授業終了後、後ろのほうの子に「声、聞こえた?」と聞くと「だいたい聞こえたけど、小さい声の時はしんどいかな」という答え。ジレンマです。
ところで、授業時数を多くしたら、これ、どうなるんだろう…。学力向上につながるの?