焼肉しゃぶしゃぶ食べ放題のお店でさんざん肉を食べました。根っから解放教育にどっぷり浸かっているラガーマンと濃いぃ話をしました。結局終電には間に合う時間だったのですが、わたしを呼んでくれた人が、家まで送ってくれましたm(_ _)m。
今日はクズになりませんでした。いい一日でした(マル)
年: 2005年
ムラ中のお散歩
みなさん、研修のあと懇親会をされるということで、わたしも参加することになりました。懇親会が始まるまで1時間ほどあるということで、旧南王子村の自主フィールドワークをすることにしました。
まずは、第1住宅(笑)から。でかい…。ピロティーではおばあちゃんたちがジュースで宴会をしていました。コミュニティがあるなぁ。その近くに古〜い工場があるのでひょいと除くとガラス工場。なるほどなぁ。このムラの産業には「人造真珠」があります。これについての詳しい展示はりばてぃおおさかにあります。そこからは延々と住宅とその下の店舗群が並んでいます。それにしても、このムラはほんとうにお店が多いです。それだけ活気があるということなんでしょうね。途中読み聞かせのとりくみで有名なS保育園なんかもあります。
と、そこに肉屋をハケーン。ひょいと見るとカスハケーン。思わず2袋ゲットズサー(笑)。お金を払いながら「これ、どこから入れてはりますの?」と聞くと、「うちは松原からやねん」とのこと。なるほど…。やっぱりここでもなかなか入らなくて、たまたま入荷したとのことです。ラッキー!今度の玖伊屋で出そうかな。
その後、フラフラとあちこち見てまわったのですが、なんでわかるんかなぁ。しばらく歩くと「ん?ムラからはずれた」と直感して左折。「ん?ムラに帰ってきた」と安心。これを繰り返しながら結局ムラの最外周に近いところをまわっていました。でも、だんじりの倉庫とか(前の道を見たら線が引いてあるのを見て納得・引き回しの練習をしてるんだ)お寺とか神社とか、いいものをいっぱい見ました。そうそう、すごくしゃれた門構えの奥に和と洋の建物がある古い豪邸があったのですが、隣を見るとやはり人造真珠の輸出販売をしているところでした。部落=貧困という図式は、少なくともこのムラではあてはまらないということがよくわかりました。もちろん、貧困な人もたくさんいるのですが、それはどこの町でも同じことなんですよね。
てな感じで、微妙に進路を調整しながら、ぐるりと一回り。第1住宅に帰ってきて、約1時間のお散歩糸冬了。
富秋中学校で話
なんと、今日は土曜日だというのに、教職員研修をされるそうな。すごいなぁ…。てことで、ゲストスピーカーで行ってきました。
富秋中学校の校区には、旧南王子村という一村独立のカワタ村がルーツにあるムラがあります。他のムラは基本的には本村の枝村として成立しているので、ここはかなり特殊な成り立ちをしています。もちろん、本村ですから発言権も強かったし、経済的にもかなり潤っていたと考えられています。そうそう、『ある被差別部落の歴史』という本に入っている江戸時代の人口の変化の図はこのムラのことです。江戸時代の中期に、全体の人口増加が停滞するのに、ここのムラは人口はそれ以降も増え続けるわけです。で、著者はどう結論づけたかというと「ムラの人々は信心深かったので、間引きをしなかった」なんです。で、長くこの言説が流布していたのですが、現在は「人口増加を支える経済力があった」という解釈がなされています。
ということはおいといて…。
話の方は…。やはり大阪の人を相手にしゃべるのは難しいです。笑いのレベルが高い。すべりまくりました。修行をして出直して来ますです。さらに、2時間の予定が2時間半しゃべってしまいました。すみません。
power
で、研究集会の記念講演は朴木佳緒留さんの「学校教育におけるジェンダー平等を考える」。いや、おもしろかったです。ジェンダーをめぐるさまざまな論議と、そこからひきだされる学校教育のあり方について、かなり柔軟な観点で語られました。一方、朴木さんって、とてもていねいで柔らかい物腰なのですが、ごりごりのフェミニストなんでしょうね。「男性と女性の違いはpowerだ」と一刀両断です。
ここでいうpowerは「権力」です。すなわち、「男性には権力がある」ということです。まぁ当たり前といえば当たり前なんですけど、続けて言われたのが「これを話すとみんなに引かれてしまう」なんですね。たぶん聞いている人(こういう研究集会に参加しているのは圧倒的に男性が多いんですよね)は、「頭ではわかるけど認めたくない」とか「一般化されても困る、自分は権力的ではない」とか「うちではパートナーが権力を持っている」とかいろんな思いが頭に浮かぶんでしょうね。もちろん、わたしはこれをタニンゴトとして考えるわけにはいきません。やはり、社会的に「男性」として存在している部分もかなりあるわけで、そういう自分の存在を簡単に否定することは、等身大の自分を認めないことになりますから。
でも、「簡単な例」には笑いました。
なんでも、最近朴木さんは新幹線に乗る時、特に夏にはグリーン車に乗るそうです。「いや、お金があるからじゃないんです」って。
わかりますよね〜。
問題は「肘掛け」の位置づけなんです。朴木さんは、あの肘掛けは「中立地帯」と考えておられるんです。ところが、ほとんどの男性はあそこに肘をかけるらしいです。すると、肩や日出が触るので、それをさけようとすると、ものすごく窮屈になってしまう。「若い時は大丈夫だったけど、最近はあの窮屈な恰好をして東京まで行くのがしんどい」とのことです。
ちなみに、自分の経験だけでものを言うのはあれなので、新幹線に乗るたびにリサーチをしたそうです。すると、女性が隣にいる場合、男性の約8割が肘掛けを占領して、女性は0%だったそうです。
この例を出すたびに、聞いている人に引かれてしまうらしいんですけど、なんかわかるなぁ…。たしかに、新幹線に限らず電車で誰が隣に座るかって、かなり切実だもんなぁ…。
帰りの車の中で「人の話の聞き方にも違いがありますよね。女性はたいてい受容的な態度だけど、男性はたいてい「試してやろう」という感じですからねぇ」なんていう話をしてました。
「あなたは権力を持っていて、それを行使しているのよ」ということを、アサーティブネスに伝えることって、実はとっても難しいことなんだろうなぁ。てか、気づくのが難しいのか…。>自分
眠〜
今日は京都府南部で研究集会があります。わたしは録音・録画を担当するので、機材つきで最初に到着しなくちゃなりません。まぁ、いつものことなんですけど。てことで、9時過ぎに現地に着くためには、7時前に六甲を出なくちゃなりません。なので、起床はいつもと同じ6時です。ところが、どうも緊張していたみたいで、夜中に何度も目が覚めて、どうも眠りが浅いです。しかも、コーヒーを飲むヒマもなかったせいで、めちゃくちゃ眠いです。まぁ、自業自得ですけどね。
六甲へ
とても眠いなぁと思いながら、自業自得ということで、6時起床。上の子どもはクラブ合宿とか。中学生の演劇部で合宿とは、やるなぁ。でも、「ヨーグルトを身体であらわすとどうなるか」とかおもしろそう。
で、わたしは午前は学校。金曜日と火曜日にある研修会の準備なんぞをサクッとやって、六甲へ。教育研究所がやっている教育課程編成なんとかという研究会で男女共生教育の分科会があって、そこに参加をしました。
会場に到着して、まずは受付。宿泊の性別欄を見て「ほほぉ〜」と思いました。性別欄に男と女の箱があって、どちらかに◯をするのですが、わたしのところだけ「セルの結合」がされているんです。なるほどなぁ…。
会場にはいると全体会の真っ最中。学力保障の問題についての講演で、フィンランドの教育について話をしておられました。感想を一言で言うと、「フィンランドっていいなぁ」です。そりゃ、教員が働きやすいはずですわ。
というのはおいといて…。夕方から2時間弱、20人ほどの人を相手に話。聞いている人たちの中には「男女共生」とか「両性」とかいう口に優しい言葉ではなく、「女子問題」という形で女性の置かれた状況を教育課題として研究実践してこられた方もおられます。
最近思うのですが、「両性」などという形になってきたことで、セクシュアルマイノリティが課題の中に入ってきました。で、ある意味わかりやすいといえばわかりやすいのでみなさんにもてはやされている(つまりバブル)んですけど、これでいいんだろうかと思うんですね。というのは、「女子問題」が解決したわけでもなんでもない、というか、逆風が吹き荒れているといってもいい状態で、「別の課題」がスポットを浴びるということは、女性のおかれた現状をマスクしてしまうんじゃないかなぁと思うんです。ということで、できるだけ控えめに、また、フェミニズムとの関係を常に意識化しながら話をしたいなぁと、最近思っています。とか言いながら、パフォーマンスでスカートなんかはいたりして(笑)。そうそう、ある方が、「宮崎留美子さんの話も聞いたことがある」と言っておられました。「ヒゲの跡を消すための化粧がたいへんだそうですね」とのこと。そらたいへんですよ。「あんた、うまいこと消してはるなぁ」「いや、脱毛しましてん」「痛いんちゃうのん」「いや、ゴムぱっちん程度ですよ」。
で、無事2時間ほどのおつとめも終了。あとは全体で懇親会。なんか気がついたら「講師席」とかにいて、おさーんに囲まれてしまっていました。いづらい…。さいわい、女子問題の先輩や昔からお世話になっている人もいたので、そのあたりの人たちが抜け道で助かりました。
懇親会終了後、「カフェいつき」の開店です。部屋の前に張り紙をして、しばらくボーとしてるとだんだんと人が集まりはじめました。何種類かの友だちに声をかけると、その友だちがさらに友だちを呼んできます。すると、会ったことのない人が出会う場ができます。そんな場をつくるのがとてもおもしろいです。おもしろいのはおもしろいんですけど、チューハイを飲んでいるうちにだんだん眠くなってきました。で、やがて椅子に頭を置いて寝てしまったみたいです。ふと目が醒めると、12時半。みなさんも眠くなったみたいで「じゃぁそろそろおひらきに…」。はい、おやすみなさい。あしたも起床は6時。起きられるかなぁ。
遠方より
とか思っていたら、出張で京都に来ているkawasaki KR250さんからメール。「20時頃だったらおっさんたちから解放されるかな」。急遽、◯子ちゃんにも連絡。◯子ちゃん、所用で大阪にいたのですが、急いで京都に帰ってくるということで、迎撃作戦を実施することにしました。
話の内容は、トランス業界の表の話から裏の話まで。あるいは、ネット業界の世代交代の話。さらに、「理論より実践」を旨とする人なので、足の長さののばし方から女性に見える顔のつくりかたなどを教えてもらいました。
なんだかんだと話をしていると、あっという間に12時前。ホテルの門限が12時ということなので、お友だちとバイバイ。別れたあと、さてどうしようと◯子ちゃんと顔をあわせて、結局天一@今出川へ。やれやれ…。就寝は1時半ですわ。
京都府南部でサムルノリ
わたしが属しているグループが、京都府南部で老人講座か何かのステージがあるので、キャンプを途中で抜け出してサムルのお手伝いに行きました。
サムルはまぁいいのですが…。ステージとステージの間のつなぎでしゃべらなくちゃならないのが、今回の一番の課題です。だいたい5分くらいしゃべってほしいと言われていたのですが、何をしゃべればいいのか、あまり考えていなかったんです。いろいろ考えて、プランを思いついたのが、出番の5分前。それから一生懸命話を組み立てて、いきなり「しゃべり」の時間です。いやぁあせりました。なんの準備もしていないネタおろしの講演みたいな感じですね。でもまぁ、舌先三寸の仕事をしていますので、そこをなんとか切り抜けてしまいました。この器用さが命とりです。
それにしても、わたしがステージに上がって話しはじめたときの聞いている人たちの反応は、いつものことながらおもしろいですね。話の内容とは別にあちこちでヒソヒソ話をしているのが見えます。まぁしゃーないですね。目の前の物体の見た目と声があまりにもギャップがあるんですからね。
てなことで、とちりまくったサムルも終わって、一日終了です。
さてと、明日は土用の丑。ウナギでも買って帰ろうかな。
子ども会のキャンプ
この3月に引っ越しをするにあたって、一番気になっていたのが子ども会でした。
パートナーとわたしがかかわる以前は、行政や某運動体が丸抱えと言っていいような状態でした。行政の人たちから出てくる言葉は「親がもっと子どもにかかわらなあかん」。一方親から出てくる言葉は「なんで子ども会なんてやらなあかんねん」。親たちは、子ども会をやる意義を完全に見失っていました。キャンプについても「これこれやって」と行政から言われた親たちは「なにやんの?」「なんでせなあかんの?」「なんでわたしばっかりやらなあかんの?」と口々に言っていました。子どもたちもぜんぜん把握されないままにバラバラ。ひとつひとつのプログラムも「遊ばされている」という感じで、楽しんでいる感じが伝わってきませんでした。もちろん、こういう状態を「なんとかせなあかん」という親もいました。が、どうすればいいのか方法がわからない状態でした。
そこで、いまから2年前、わたしたちが中心的に子ども会を担う時に、行政からの独立を宣言しました。独立を宣言するということは、財政面も含めて、あらゆる援助も断ることを意味していました。でも、子ども会費を集めたりバザーに出店したり、いろいろな方法でお金を集めながら、「子どものため」をかけ声に活動をしました。1年間の活動を終えた時、ものすごくしんどかったけど、「やりきった」という充実感が親たち全員にあったんじゃないかと思います。
実は、子ども会の運営方法を変えることの本当の意味は、親を変えるところにありました。なので、上の子どもは卒業しましたが、翌年下の子どもが小学校に入学したことで、パートナーとわたしは引き続き子ども会活動を続けました。そのなかで、ようやく「親自身がやる子ども会」が定着してきたかなぁという気がしました。
でも、子ども会の運営には細々としたことがたくさんあります。そうしたことを、わたしたちがいない状況でやりきれるのかどうか、やはり不安でした。引っ越しをするにあたって「キャンプとか祭りとか、また手伝いに来るしな」と言い残して引っ越しをしました。
で、今回は「新体制」でのはじめてのキャンプでした。
実は、少々不安もありました。でも、そんな思いはとても失礼なことだということがよくわかりました。現地に着いた子どもたちを班ごとに並ばせてインフォメーションをする。班ごとに親がついて工作や遊びをする。もしかしたら他から見たら「あたりまえやん」と思われるかもしれない子ども会の姿がありました。
考えてみると、親たちにもプライドがあるんですね。でも、行政が抱え込むことでそのプライドを育て発揮する場所がなくなり、反対の方向を向いてしまった。行政の介入を切ることで、自分たちがやらなければならない状況ができ、そのことが親たちの「力」を引き出すことになったんだと思います。
みなさんの生き生きとした姿を見て、無性にうれしくなったし、そこに「助っ人」としてしか参加できな自分の今のありように少し寂しさを感じました。でも、子どもたちが楽しんでいるんだから、それはそれでいいかな。
なにに注意やねん
で、帰りのことです。いつもの通り、バイクでブイーンと走っていました。と、前を走っているトラックのうしろのステッカー「オカマに注意!」。う〜ん。そら注意せなあかんわなぁ。たしかに君の後ろをオカマが走っとるよ。バイクはすり抜けもするし、左折のときの巻き込みもあるし…。うんうん、注意して走ってね。
って、正しいやん、あのステッカー(笑)。