「かかる」か…

「病気にかかる」っていうのは、たぶん「健康な状態」がもともとあって、「病気な状態」になることで、それは治療の対象になるわけなんでしょうね。
で、たぶんGIDって、生まれながらのものっていうことなんでしょうね、たぶん。まぁ、「かかる」場合とか「悪化」する場合もあるような気がしないわけてもありませんが。
で、「その人としての健康な状態」は生まれながらに実現されていなくて、それが「治療の対象」になると。つまり、「生まれながらの治療の対象」ってわけか。まぁ、「健康な状態」はいまだ実現されていないわけですから、なにが健康かわからないけど、「いまだ見ぬ健康な状態」を目指して「治療」するってわけですね。
なんか、それってイヤだな。
まぁ、あたしゃトランスだから関係ないか。どっちかっていうと変態やしな。変態なら「治療」なんて蹴飛ばせる。
「生まれながらの変態」。かっこいいな。そっちがいい。

異変

なんか今年は変。一年生の最初の授業でもざわめきはなかったし、いまだに「クスクス」ってやる子がほとんどいない。なんでだろう…。可能性としては
1、完パス
2、完バレ
3、単に変なやつと思ってる
4、特に関心なし
5、すでに知られてる
ん~。まぁ、2か3やろな(笑)

と思ってたら、放課後一年生から呼びとめられました。
「先生と話したいと思ってたんですよ!

「なんで?」
「先生、性同一性障害っていう病気にかかってはるんでしょ?」
「かかるて(笑)」
さらに他の生徒に向かって
「テレビにも出てはるんやで」
「すごー」
いや、すごくはないんだが…。
てか、GIDって、かかるもんやったんや(笑)
てことで、どうやら答えは2と3と5みたいです。

花粉がきつい

スギ花粉が終息したと思ったら、ヒノキ花粉の最盛期。
かつて血液検査のついでに花粉症の抗体検査をしてもらったら、スギ・ヒノキともに数値が振り切れてたし、そりゃきついわけですよ。
まずはコンタクトが入れられない。てことはメガネ。で、マスクが必要。となると、マスクからでる呼気でメガネが曇る。
朝、出掛けにマスクを忘れたら最低です。一時間ちょい、いつくしゃみの嵐がやってくるか、ドキドキもんです。
一度くしゃみの嵐がやってきたら、もうダメですね。

せっかくの気持ちいい「春うらら」の季節がなぁ…。
ヒノキ花粉の終息はいつだ?

今日の夜は、なぜか大阪で会議。
でも、サクサクっと終わってしまいました。わたしともう一人の方はここで仕事は終了。でも、まだ会議が続く人がおられるので、近所で待ちます。
が、なかなか来ない。まずいよ。ふたりでボトルをあけちゃうよ。
てな感じで待っていると、ようやく本隊到着。
あとはワイワイ飲んでいるうちに、見事に終電の時間です。あやうく飛び乗って、即爆睡。ふと目が覚めると
「次は山科〜」
とか言ってるよ!あやうく飛び降りて、無事お家に帰れました。
久しぶりにセーフやんか。
家に帰ったらほめられたんやけど、なんか違う気もする…。

語っちまった

なんか、最近イヤなことが起こりつつあります。そんな気持ちがわき起こってきて、つい教室で語ってしまいました。

わたしは大きな声で言えば勝ちという社会は嫌いです。
それはどうしてか。
わたしは人権教育を担当しています。
人権とはなにか。それは少数者が生きられることだと思います。では少数者とは誰か。それは、人数が少ないという意味だけではなく、パワー、すなわち権力を持たない人のこともさします。
それは例えば部落の人であったり、在日外国人であったり、子どもであったり、障害者であったり、女性であったりします。
こうした人たちは、少数であるがゆえに、あるいは権力を持たないがゆえに大きな声を出せません。
もしも大きな声がまかり通る世の中であれば、少数者の小さな声は無視をされてしまいます。
だから、大きな声がまかり通る社会ではなく、小さな声に耳を傾ける社会でなければならないと思っています。

まぁいいか。授業をはじめましょう。

「正しいこと」を主張する人は、自らを正しいと思っているがゆえに躊躇がなく、大きな声で主張することが多いように思います。そして、そこに同時に他者への抑圧が潜んでいることに気づきにくい。なぜなら、自分は正しいことがわかっているから。
それならわたしは躊躇しながら、自信なく、小さな声でつぶやく生き方を選びたいと思います。

楽しい!

今日は、ある意味、はじめての「講義」。先週は、まぁガイダンスって感じでしたから。
今日の講義は10人くらいの、まぁいってみれば読書会です。
読書会なんて、30年ぶりくらいですよ。
誰かが一段落を読んで、そこで疑問や感想を述べる。今のところは、それにたいして教員がコメントを入れてる感じだけど、相互に考えを述べあうようになったら楽しいだろうな。
でも、いまも充分に楽しい。自分の疑問に直接答えるわけではなく、著者の思想や時代背景の紹介を通して、自分で自分の問いへの答えを探す感じ。
うん、こんな授業、自分もしたいな。きっと、どんな子らが相手でもできるはず。いや、うちの子らだからこそ、これをしなくちゃならないんだろうな。

今日も花見

今日は大阪で花見と思っていたけど、朝、Mちゃんと合流したところで、なんとなく九条で花見に変更。たしかに大阪に行かなくても、京都で十分ですわ。てか、有名な観光地に行かなくても、九条の桜は十分にきれいです。しかも、すいてるし(笑)
てことで、しばし桜の下でなごんでから、なぜかおたふくへ。まぁ、Mちゃんの「おたふくデビュー」てところですか。
おたふくに入ると
「おぅ」
と声がかかります。Kっくんです。いや、久しぶりです。
「いつきちゃん、いつもいっぱい連れてくるやろ。だから、席あけたってるねん」
あぁぁ、すみません、すみません。でも、Kっくんがいないと、なんかさびしいんですよね。
それにしても、Kっくん、なんか雰囲気変わったな。前から優しい人だと思ってたけど、「優しさ」に触れるためには、ちょいとハードルを越えなきゃならないところがあったんだけど、そのハードルがすいぶん低くなった気がします。たぶん、パートナーさんの影響だな。すごく楽しそうにしてるもん。
で、一通り食べて飲んだところで、ふたたび鴨川の河原をブラブラしながら九条へ。
こんなとき、京都っていいなぁと思います。河原を歩けば中心街を南北に移動できますからね。
で、コンビニで晩ごはんを仕入れて、九条の河原でピクニック。河原のご飯はおいしいです。って、先週もやったな(笑)
さてさて、寒くなってきたから、そろそろ帰りましょうか。あしたも朝が早いです。

質疑応答

みさなんとわかれて、わたしは京都駅へ。ここでN江さんと合流。しばしお店を探してふらついたあと、てきとうにお店に入って、さて、呑みです。
実はこの間
「質問があるんやけど」
ってメールがあったので、きょうは質疑応答です。さてさて、どんな質問があるんやろ。ドキドキ…。
出てきた質問は、さすがに核心に触れる内容です。
いい質問って、自分の中で言葉かできていなかったり、潜在意識の奥底に沈んでいたりするものを浮かび上がらせてくれる力がありますね。N江さんの質問はそんな感じがありました。
まぁもちろんそんな話だけじゃなくて、日常の仕事の話やなんやかんや。
気がつくと、あっという間に終電の時間じゃないですか!

花見

会議が案外早く終わったので、近くにある「京都市内中央部にある森」に移動して、軽くお花見。基本的にはしょーもない話なんですが、そこにある情報量と蘊蓄の深さはさすがです。
一時間半ほど、グダグダ呑みながら、グダグダ話をして、花見も終了。