で、クローズアップ現代なんですけど…。
しんどい例と成功例という対比になりがちなんだけど、その根底には小学生と中学生ということ、それからトランス女性(MTF)とトランス男性ということ、このふたつがあるように思います。
まず、中学生と小学生の違い。
ひとつは、当事者の問題として、中学生は自分のことをある程度言葉化できるのに対し、小学生は説明できなくて「欲望」しか出てこない。出てきても、説明にも何もならない「女だ」しか出てこない。なので、周囲もどうしていいのかわからない。
それから、制度の違いとして、中学は性別2元制が強いので、逆にオプション(制服とか体育とか更衣室とか)が提示しやすく、選択肢は女か男のふたつにひとつなので、選択がしやすい。それに対して、小学校は性別2元制が弱いので、一見なんでも選択できるけど、その選択へのバイアスがインフォーマルな制度としてかかっている。だから、自分が自分の選択を阻害してしまう。
で、その阻害をより強くしているのは、まりあちゃんがトランス女性であるからです。あれがトランス男性ならボーイッシュな女の子で、とりあえずは許容されてしまう。
このあたりのふたりの状況の差をはっきりさせずに、単にふたりを並置したのでは、見ている人は「あー、中学生はえらいなぁ。小学生はかわいそうだなぁ」で終わってしまい、問題提起にはならない。
じゃ、支援のあり方としてはどうすればいいか。
まず、当事者に対しては、どんなに小さい子であっても、自分のことをある程度説明する「言葉」を身につけられるようにする必要があるんだと思います。
では、制度面は?小学校にも明確なオプションをつくる?それは違う。選択の幅を広げ、実態として選択できるようにする方向じゃなきゃ意味がない。
で、そのふたつを実現するための方策を、奈良の人々はとりくんでいたわけですよね。
実は、まりあちゃんの姿はわたしと重なる。わたしも服装はフリーチョイスです。でも、あえてスカートははかない。
で、まりあちゃんも最後ははかなかった。
それでいいんだと思います。
少しずつ少しずつ。味方を増やしていくこと。あの番組には出てこなかったけど、別のとあるラジオ放送(笑)で、まりあちゃんは
「今日も味方をつくりに学校に行ってくる」
って言ってるんですよね。それが大切だと思っています。なぜなら、それこそがジェンダーであり、ジェンダーの移行とは、それをすることだとわたしは思っているからです。そして、交流会に来ているまりあちゃんの先輩たちは、それができたからこそ性別を移行できているんです。
それにしても、あの描き方は、あまりにも当事者は孤立してる感じですよね。
そして、コメントしてるのはすべて「専門家」です。中塚さん、康さん、研修会の講師をしてた日高さんと佐々木さん。そこにあるのは「医療モデル」だし、そういう「しんどい状況の子を「個」として支援する」という観点です。
10年近く前、ひとり「トランスジェンダー」と言い続け、やっとNHKも「LGBT」とか「トランスジェンダー」という言葉を使うようになったのに、こういう話になると「やっぱり性同一性障害かよ!」って感じですね。