くやしい・wpath(3日目)

朝起きて、校正サービスから返ってきた原稿をざっと読んでみます。ふむ、何ヶ所か「それはちげーよ」と思うところはあるものの、どちらかというと「あー、そこはそうやるのね」ってところばかりで、やはりネーチブチェッカーはすごいと感心。というか、たぶん、ある程度わかってる人がやってくれてるな。
てことで、明らかに違うところだけ修正して、最後にT田さんにも読んでもらって、ようやく完成。あとはどこかでプリントアウトしてもらうだけです。
てことで、今日の会場へ移動開始。途中チーズ屋さんに寄ったりしながらCENTRAL STATIONまでプラプラ歩きます。
今日の天気は雨。でも、雨に濡れたアムステルダムが、またきれいです。

CENTRAL STATIONからはトラムを使います。あーだこーだ言いながら一日券を買って、なんとかトラムに乗り込んで。
会場に到着したらすでにプログラムは完璧にはじまっています。てか、Sさきさんにとってのメインプログラムである「GIC(Gender Incongruence Child)に診断は必要か不要か」みたいなディベートがはじまっています。
これ、難しい問題ですね。基本必要ないとは思っていますが、現状の中で必要とされているわけです。で、現在必要とされているから、じゃあ診断するかとなると、今後もそれにしばられてしまう。だから、どこかでパラダイムの変換をしなきゃならないはずなんです。つまり「診断の有無にかかわらず、必要なサポートはしたらいい」ってことですね。もちろんこのあたりにはお手本があるわけで、それは同性愛者をめぐる診断の話です。つまり、同性愛であることそのものは病理ではないが、そのことに起因して(社会的に)起こる困難については、それを主訴とする診断をつければいいってことですね。
てことで、ディベートが終わったあとも、このあたりについてHがしさん、Kうさん、Sさきさんあたりはランチを片手に大激論してました。ちなみに、ランチは大きいサンドイッチがゴロゴロ。大きすぎるよ(;_;)。
午後からは当事者によるセッションがひとつ。それを見に行った(≠聞きに行った(;_;))のですが、GID学会とはまったく違います。端的に言うなら、当事者語りじゃないってことです。まぁ当然ですね。ここは学会であり、集まっているのは専門家だからです。だから、たとえ当事者であったとしても専門性をもっていることが前提なんです。今回のセッションは各国の状況とアドボカシーがテーマでした。いやぁ、ニーシャ@マレーシアすげーよ。とにかくトランス・クライムがいっぱいあって、その人数を提示するだけじゃなく、経験を語るフィルムもプレゼンしてくれました。てことは、そういうところにかかわっているってことですよね。にしても、自分の被害体験を語る当事者の「当然感」はショックでした。「あぁ、3回あるよ」「5回だね、うち1回は警察ね」みたいな。つまり、そういう状況だってことです。たぶん、わたしには語る言葉はないな。
ニーシャたちはAPTN(Asia Pacific transgender Network)というグループをつくっているらしく、ところどころでロビーでみんなで話し合ってます。さらに今夜はみんなでディナーをするんだとか。HがしさんやSさきさんは、Rぽたんやわたしに「行っておいでよ」と言うのですが、うーん。今回はやめときました。
すべてのプログラムが終わって外に出てグダグダしてると、Hがしさんがやってきて「なんか、シスジェンダー立ち入り禁止とか言ってるよ」と言うので、じゃあ行ってみるかとホールに入ると、なにやらいろいろ話をしています。どうやら、当事者としてwpathに問題提起をするらしい。で、相談をしたあと、当然のことながらどこから来たどんな人かです。「Medical?Psychologist?Law?」とかやってます。でも、手をあげない人がいるのを気にしたらしく「Research?」とやると、みんな笑いながら挙手。と、「Nothing(ねーよ)!」みたいな発言も出てきて、なかなかおもしろいです。その後自己紹介からの記念撮影。「I support transgender children with Yuki」とか言っておきました。

てことで、本日のプログラムは終了。
帰りはKうさんが借りたバイクでCENTRAL STATIONを目指します。

いやぁ、さすがは自転車大国オランダです。でも、走ってみてわかりました。走りやすいんですね。とにかく平坦です。そして、自動車とバイクと歩行者のレーンがきちんとわかれています。そしてなにより、みんながそれを守っている。だから、バイクはけっこうなスピードで走っているのですが、あまり身の危険を感じないんです。ただ、右側通行にはまいりましたね。そんなこんなで、バイクで走りながらプチ観光気分です。
で、Hがしさんのホテルまで走って、Hがしさんとバイバイ。今度はKうさんのホテルのカフェでしばしビールタイムです。ここで、晩ごはんをどこで食べるかの論議がスタート。結局、インドネシア料理ということになりました。
で、CENTRAL STATION前のゴチャゴチャしたところをブラブラ。教会の裏をブラブラしてると「飾り窓」発見!なるほどなぁ。おもしろい。
それにしても、音楽がないですね。日本であれば繁華街に行くとなんらかの音楽が聞こえてくるんですが、それがまったくない。これがうれしいです。たぶん、他者に音楽を強要しないんでしょうね。だからこそ「音楽」を求める人がいて、だからこそ「アムステルダムコンセルトヘボウ管弦楽団」みたいなものが必要とされるんでしょうね。
で、たまたま見つけたインドネシア料理屋さんでディナーです。入店時間がすでに9時です食べ終わると、当然11時。てことで、二次会はアパートです。Kうさん、自分のホテルはすぐそこなのに、来てくださいました。ごめんなさい^^;;。

にしても、自分が英語ができないことが、じわじわとくやしくなってきました。もしも英語ができていたら、APTNの人たちとご飯を食べて、情報交換をして、自分の世界を広げられただろうになと思うと、絶対に英語ができるようになってやるって気持ちがふつふつとわいてきました。そして、2年後はリベンジをするべく、もっかい参加をしたい。そんな気がしてきましたを

泥縄式・wpath(2日目)

朝、グループメッセージを見ると、すでにKうさんHがしさんは会場に行ってます。朝、強いなぁ…。昨日は3時まで飲んでたからなぁ…。あ、Kうさんはいつも通りか^^;;。
でも、わたしは今日は学会には行きません。なにせ、ポスターの英訳をしなくちゃなりません。てことではじめたのですが…。これがたいへん!
いちおう、ポスター7枚分です。そのほとんどは、誰かの語りです。そんなもん、そのまま訳せるはずがないです。だって、語順はムチャクチャ、主語はない。でも、それこそが「味」なんですよね。どうするか…。「味」は全部切り捨てて、ニュアンスもできるだけあきらめて、発言内容を要約した日本語をつくって、google先生とexcite先生に聞いてみる。で、残ったのは、極めて理論的な文章です。これがまた訳せない。だって、ワンセンテンスが長い!長くなると、わたしの力では無理!てか、google先生もexcite先生も訳せない。どうする?
と、そこにT田さんが起きてこられました。
googleで翻訳したらダメだよ。構文が入れ子構造になって、わけがわからなくなってしまう。そうじゃなくて、文章を短く直して作文するんだよ」
ここからT田さんと、文章の解釈やふさわしい単語探しがはじまりました。で、悪戦苦闘しながらも、夕方にはなんとか翻訳終了。ここから校正サービスにファイルを送ります。
さてと、これで今日できることは終わりました(笑)。向かうはウェルカムパーリーです。いよいよwpathの会場に潜入です。
会場は屋外の森の中といった風情の場所です。

すでにみなさん飲んで食べてしておられます。あちこちに屋台みたいなのがあって、フリーフードやフリードリンクがおいてあります。でも、ここで問題が。言葉がフリーじゃない。とにかく「Heineken please」「Three red wine」ぐらいの感じで、最後に「Thank you」でおしまい。なんとか飲み物は確保できました。
と、おお!サム・ウィンターがいる!そっちへ行ったら向こうも気づいてくれてハグです。しかし、日本人で固まっていても、なんか、いろいろ話しかけてこられます。Hがしさんがおられる時はいいのですが、向こうに行かれた瞬間がたいへんです。どないすんねんと思いながら、ブラジルからの参加者と「どっから来たん?」「日本、あなたは?」「サンパウロサンパウロには日本人がいっぱい住んでるよ」「知っとる知っとる」みたいな感じで無理クリ話してみたり。こんな時、お酒の力は大きいです。
やがて、なんとなく終わりの時間が来たらしく、みなさん、三々五々帰っていかれます。そうか、日が長いんだ。だまされそうになります。
てことで、二次会はアパートで。
おぉ!校正サービスから返ってきてるよ!
てことは、最終チェックを明日やれば完成か?

長い一日・wpath(1日目)

とうとうハードな一週間の開始です。
フライトが10時前。2時間前には関空に行かなきゃ間に合わない。ということは、6時すぎには家を出なくちゃなりません。そして、長い長いフライトがあって、からの時差があるから…。
まぁええか。なるようになる。
関空に到着したら、wi-fi借りて、荷物を預けて…。なにせ、はじめての外国旅行です。正確にははじめてじゃなくて、20年くらい前に韓国1泊2日の旅はありましたが、本格的な旅行は、やはり今回がはじめてです。そんな初ガチ外国旅行が、初の国際学会で、初のポスター発表で、しかもなんか賞がもらえるとか、わけわかりません。
で、なんとか飛行機に乗り込みましたが、なんかフリーダムな感じです。国内線はなんとなくピリピリしてるけど、国外線は席も変われるし、自由に歩けるし。まぁ、長いからしかたないのかな。でも、実はポスターは完成していないので、飛行機の中でやらなくちゃ。ちなみに、もうひとりの発表者であるHがしさんもまだできていないとか。しかも、わたしは半分くらいできてるけど、Hがしさんはぜんぜんできてないとか。てことで、ふたりしてパソコンぱちぱちです。が、そんなのも長くは続くわけもなく、結局Kうさんとふたりで、ジンを飲み、ワインを飲み、ビールを飲み、しばし寝て。そんな機内を過ごしましました。まぁ、それでもポスターに使う「セリフ」は日本語ではあるけどできたから、少しは進んだってことですね。

で、とりあえず宿舎へ。今回はO田さん・Y野さん・T田さん・Sさきさん・Rぽたん、途中からM木ちゃんとわたしの7人でアパート借りて合宿です。どうなるか、ドキドキします。
アパートの管理人さんを待つ間、アパートの近くのカフェでエスプレッソを飲んだりして、ここではじめてのユーロでの支払いです。ヒマなのでウロウロしてたら、甘ーい香りの煙が…。大麻かよ(笑)!
それにしても、アムステルダムの街はあまりにもきれいです。

どこにでもある風景がそもそもきれいです。なんか、その街並みを見ただけで「来てよかった」という気持ちになります。
で、アパートに入って、説明を受けて、近くのスーパーに買い出しに行って、部屋割りジャンケンをして、晩ごはんにスタートです。目指すは「Loetje」というお店。なんでも、オランダ料理のお店だとか。
まずは席を待つ間、ビールです。さすがはオランダ!ベルギービールがある!しかも安い!でも「デュベル」って言っても通じませんでした(笑)。この店で、コロッケを楽しみ、ステーキを楽しみ、ワインを楽しんで…。あれ?外はまだ明るい…。10時半だけど…。そうか、緯度が高いんだ。この店を教えてくれたTommyさん@フィンランドは「フィンランドだと一晩中明るいよ」と、平然としています。そりゃそうだ。白夜だよね。
てことで、おいしい料理を楽しんで、アパートに帰って二次会です(笑)。

ポスター、どうする?明日は明日の風が吹く(笑)。

交流会はエンドレス

今日はトランスジェンダー生徒交流会です。ちなみに、同じ日に「放送部の甲子園予選」はあるわ、「在日外国人生徒交流会事前合宿」はあるわ。トリプルブッキングです。いや、最初にトランスの交流会を入れていたのに、あとからあとから入ってくるからこんなことになっちゃうんです。
まぁでもしかたない。
とりあえず、交流会に先立って「NPO法人JUMP」の総会です。わたし、なぜかここの副理事長らしいです。なんか、よくわかんないです。で、総会は無事終了。
急いで集合場所に向かうと、いますねー。でも、お互いに「そうだよな」と思いながら声をかけられない、あの空気は、「まんまるの会」ができる前の待合室の空気と同じです。ちなみに、わたしはその空気を壊しに行くわけですが、別にそんなの得意なわけじゃなくて、ほんとはしんどいんですよね。まさに「意を決して」いくんですけどね。
で、どうにかこうにか交流会も開始。今日は「子どもカレー」「キーマカレー」「ハンバーグ」「ポテサラ」と、子どもが好きなメニューです。みんなでわいわい楽しく調理。まぁ、大量のタマネギをみじん切りにしなくちゃならなくて、号泣してる参加者もいましたけどね。
で、みんなでご飯を食べて、ダラダラ遊んで話をして。
さてと、最後のイベント、自己紹介だ…。これがまたハードルがあります。みんなこれがあるのは知ってます。知ってて来てます。でも、しんどいんです。だから、イヤなんです。でも、これをしないと集まる意味がない。そして、みんなそのことも知ってます。
なんとなくイヤがるみんなを、なんとなく集めていって、「さぁ、じゃあしゃべるか」という空気をどうつくるかですね。でも、みんな観念したらしゃべります。だって、しゃべる中身を山のように持ってますから。というよりも、しゃべることすらできない中身も持っている。だから、イヤなんです。それを引き出されちゃうから。でも、荒療治かもしれないけど、それを繰り返すこと。今回しゃべれなくても、いつかしゃべれるようになることを信じて、とにかく話すこと。
そんなこんなで、2時間くらい話し合って、今回の交流会も無事終了。
昨日の二日酔いも相まって(笑)、メッチャ疲れました。

その後、二次会。子どもたちはこれも楽しみにしているから困ったもんだ(笑)。
そして、三次会は、あらい商店。ここでようやくひといきついで、ゆっくりと話ができるようになります。木曜日から行くオランダでの衣装(笑)の話なんかをしながら、11時頃に終了。
さてと、どうやって京都まで帰るかな?なにせ、今頃「全国在日外国人生徒交流会事前合宿」をやってますからね。と、K川さんが「京都まで送りますよ」とのありがたいお言葉。ほんとにいいんですか?
てことで、甘えてしまいました(笑)。
ほんと、助かりました。ありがとうございます。マッサージをしてもらって送ってもらうとは、どんなけ甘えんねん、自分。と思いながら、毛布にくるまって寝る夜でした。

今日も変わらずいつもの通り

今日は2ヶ月に一回の滝井参り。
なんか、建物が新しくなって、「あれはとこ?」「これはどこ?」でした。極めつけはO田さんの居場所がわからない。構内図があるんですけど、何回見ても書いてない。
「わかりますか?」と来てくださった方に「わかりません」と答えると、「場所は変わってません。別館です」とのお答え。そりゃ、構内図に書いてないわけですわ。
待合室でポスターの配置を考えていると、しゃべりかけてくる仲間がいるのもいつもの通り。
「すまんけど、これ、させて。お尻に火がついてるねん」
「なんや、おもろな」
まぁ、わたしらを本館に収容すると待合室がうるさくなりますからね(笑)。
で、部屋に入って話を開始。いつもにも増してグダグダです。うしろで存在を隠してる学生さんが思わず笑ってしまい、存在が顕在化してしまったり。
で、お勘定をすませて、次の場所へ。
今日の「まんまるの会」のお題は「きちんとした自己紹介」「近況報告」「雨にまつわるあれこれ」です。
「えーと、なに言おうかなぁ…。とりあえずMTFで」
「なんでそれが自己紹介やねん(笑)」
「近況報告…。なんもないなぁ」
「2ヶ月も生きてて、なんもないわけがないやろ」
今日もツッコミを入れまくってしまいました。すみませんすみません。
で、そのあとは楽しい呑み会。あかん、ワインボトル、あけてしもた(笑)。

家に帰ったら、なんかこちゅかる子さんが怒涛のツイートをしていたのでまとめなんかをつくってみたり。

大島さんを偲ぶ会

今日は「大島さんを偲ぶ会」です。
とある事情*1で、スタッフの集合時間に50分ほど遅れて(笑)到着。とりあえず、一着しか持ってないスーツに着替えて、少しおすましモードになりました。
開始時間の2時になって、まずは康さんのスピーチ。「湿っぽいのはやめましょう」とのことです。まぁ、そりゃそうだよな。
で、みんなでお焼香。わたしにも順番がまわってきたけど、クリスチャンだから少し大島さんとお話して、一礼で終了。
その後みんなで少しずつ大島さんの思い出をシェアしました。
参加人数は…。30人くらい?うちトランスは…。遠く関東から1人来られていました。あとは、関東から「どうしても行けない」と黒い4人組が花束を送ってくれて…。関西勢は…。法律適用した人が5〜6人?。メールを送ってくれたのが1人。それから、適用する気がない人がひとり(笑)。まぁ、こんなもんですね。大島さんは宣伝するのが下手な人だから、しかたないです。でも、逆にここに来ている人はほんとに大島さんと親しく遊ばせてもらった人です。
いろんな人の思い出を聞いて、最後がわたしの番。

実は、この役は康さんの方がいいと思ってたんだけど、康さんが先に「いつきさんやって」って言っちゃったんです。「ボク、泣くし」って。「いや、そんなん、わたしも泣きますよ」って言ったんだけど、涙が似合うのは康さんよりわたしだろなって思って、引き受けました。

てことで、さっき、そこのコンビニでワインを買ってきたので、まずは乾杯します。大島さん、フランスのワインしか飲まないんです。チリのもおいしいのにね。だから、今日もちゃんとフランスのワインです。他に飲みたい人は?あ、康さん。はい、コップ。そうそう、福引したら、チーズがあたったので、アテです。ここに置いときますね。
はい、カンパイ!

大島さんをはじめて見たのは、2002年に岡山であった「第4回GID研究会」でした。懇親会のあとに、当時岡山で活動をしていたP3の責任者の経営されてたバーかなんかであった当事者交流会でした。真ん中のソファを占拠して、大笑いをしている一群がいます。「あれ誰だろ?あー、針間さん」「あれは?あー、野宮さん」「あっちのイケイケねーちゃんは?あー、東さん」そんな中に「あれが大島さん」という感じでした。
その後、1年間、なにがあったかよくはわからないけど、なんとなく知り合いになった気がします。翌2003年、聖地東京ウィメンズプラザに帰ってきた第5回GID研究会は、歴史的な研究会でした。なにせ、懇親会の参加人数を読み間違えて、食事がまったくたりない。しかたないので、近くの居酒屋を探して、二次会をすることにしました。で、わたしは主催者特権(笑)で、大島・針間の近くにちゃっかり座って、いろんな話をしました。この時、大島さんから「近いうちに大阪か京都でGID研究会をやるから、場所探しを手伝ってほしい」って言われました。
2003年3月は、まさに特例法前夜です*2。この頃は、特例法賛成派と反対派で血を血で洗う抗争がありました。人が死ぬことすらありました。
わたしは基本的には特例法には反対の立場をとっています。それは今も変わりません。なぜなら、特例法は戸籍制度の強化とつながると考えているからです。
そんなわたしなんですけど、でも、大島さんとはそれからも仲よくおつきあいをさせてもらっていました。大島さんも、特例法をつくった人であるにもかかわらず、例えば一宮であった「TFN(トランス・ファミリー・ネット)」の設立大会なんかにも参加されていました。ちなみに、その時の懇親会ではお菓子しか出なくて、わたしは大島さんに「酒、ほしいですよね。買ってきます」って耳打ちしたら、「お!買ってくるかね!」と大喜びしていたことを思い出します。
そして、神戸であった第7回GID研究会をお手伝いさせてもらいました。わたしは「刷りもの担当」だったので、印刷物をつくって郵送することが仕事でした。そんな時、必ず大島さんは来られるんですね。責任者だったらドンと座ってりゃいいのに、必ず一緒に封筒はりをされる。
そんなふうにして、第7回GID研究会をやりました。
その後、大島さんが新たな仕事をしなきゃならなくなったみたいで、きっとその時の縁だと思うのですが、お手伝いさせてもらうことになりました。なんでわたしなんだと思ったのですが、そこに座っておられる工藤さんがかつて「大島さんは今まで見た人の中の最高齢のADHD」って言っておられて、わたしもADHDの系統なので、まぁ気があったのかなと思います。あの頃は、そこに座っておられるやはりADHDの系統の菅井さんたちと、ほんとによく飲みました。
大島さんがその仕事を終えられたあとも、よく飲みました。
わたしはいろんな集まりをしているんですが、そこに大島さんを誘うんですね。すると、場所がわからない。わたしは呑んでて迎えに行くのが面倒だから、若いのを行かせるんです。「どんな人かわからない」って言うから「青いリュック背負ってるおっさん」って言ったら、ちゃんと連れてくるんですね。
で、なぜ呼ぶかというと、一緒に話をするのも楽しいんですけど、こういう集まりに来たら、必ず一万円置いてくれるんです。まぁ、そんな人でした。
その後、なぜか縁あって、わたしは関西GIDネットワークの適応判定会議の外部委員になりました。すると、毎月ここで会議がありまして、会議のあとは飲み会があるんです。で、理事の方々は判定会議のあとに理事会をやる。大島さんとわたしは早めに飲み屋に行って、1時間ほどふたりで呑むんですね。その1時間、ほんとにいろんな話をしました。
今わたしは研究にも首をつっこんでます。大島さんは研究者の先輩として、いろんな話をしてくださいました。
そんなふうにしていたんですけど、最後に会ったのは、今年の1月の適応判定会議でした。その時の顔が真っ黄色だったんですね。集まってるのは医者です。みんな、息を飲んでました。その空気をなんとかしなきゃならないと思って「正月やで、みかんの食いすぎに決まってるやん!」ってボケたんですけど、次の2月に亡くなられました。

大島さんは特例法が成立したあと、行き場を失っておられたように思うんです。でも、実はその後、個別の法的な問題がいっぱい起きています。例えば嫡出子のことや、一度性別変更した人の再変更の問題、あるいは刑務所の処遇の問題など、まだまだやってほしいことがありました。でも、それはわたしたちに託されたんだと思います。
わたしは今も特例法には反対しています。そういう意味では大島さんとは対立する立場です。でも、わたしは大島さんを敵とは思っていません。なぜなら、大島さんとわたしの対立は「コップの中の対立」でしかないからです。そのコップの外を見た時、大島さんとわたしは同じ方向を向いています。
大島さんは、特例法という形で、ぜったいに変わらないと思っていた社会を変えました。そういう形で、わたしたちに「社会は変えられる」という希望をくれました。だから、大島さんのあとを引き継いで、わたしたちは、この社会を、よりよい社会へと変えていかなくちゃと思います。

終わったあと、大島さんのおつれあいさんから「大学の中にはお弟子さんができなかったんだけど、ここにお弟子さんがちゃんといたんだね」って言われました。うれしかった…。

*1:友だちと昼のワインを飲んでた

*2:なつかしいなぁ、上川さんの選挙があって、銀河さんが選挙カーの真似をしたり。

のんびり→まったり

で、おべんきょ師匠に最寄りの駅まで送ってもらうわたしだったりします。
道中での会話。
師「今ね、I谷さんの一番の悩み、知ってる?」
い「さあ」
師「大学のプールにかるがも親子が住み着いちゃって「プールの水が抜けない」って悩んでるのよねー」
い「あー、プールの授業がはじまるから」
まぁ、こういう学校だから「運営交付金」を大幅減額されるんだけど、わたしはこんな大学がいいと思ってるんですよ。
かるがもを大切にできない大学が、学生を大切にできるか?!←違うか^^;;

で、Nグモへ。
去年死にかけた原因箇所のチェックをしてもらって、M木ちゃんと合流。
そこからは、またーりと呑み。
はげしい1日の終わりはこんなんで…。

最後はこれか?

今日はヤクゲトの日です。なので、朝はゆっくりできます。金曜日の夜から続く絶不調を、このあたりで断ち切りたいものです。
で、無事ヤクをゲットして、午後からは出張。小学校・中学校・高校の3本のレポートを聞きました。
小学校のレポートは…。それ、人権のレポートちゃう。授業実践のレポートや。てか、授業がわからない子にわかるように教えるのはレポートちゃう。それ、普通のことや。そんなことを思いながら、ボーと聞いていたのですが、レポートのあとの休憩で研究会の会長がやってきて、「いつきちゃん、質問してーや」とのお言葉。「質問してくれな、育たへん」。へいへい。
で、中学校のレポートは…。それ、人権のレポートちゃう。保健のレポートや。なんしか、子どもの思いがまったく伝わってきません。まぁ、担任じゃない人がレポートしてる時点で、そこを指摘するのはあれやなぁと思いながらも、会長のお言葉があったので、いろいろツッコミ。
最後の高校のレポートは…。疲れたから休憩(笑)。まぁ、仲間のレポートなので、ツッコむところもないわけです。

で、知り合いに京都駅まで送ってもらって、大阪へ。
まずはKうさんと梅三小路のとあるビールの店で合流。少し気になっていることを打ち合わせ。で、ふたりそろって5分遅刻で会議場所へ。まぁ、ふたりそろって遅刻したら、なんで遅くなったかは明白ですが、みなさん笑って迎えて下さいます。
会議の方は、特に荒れることもなく(笑)。まぁ、荒れる要素がどんどんなくなってきてますね。
にしても、なぜにトランス女性が表面化しないのかなぁと考えていたのですが、結局医療のお世話になる必要がないんですね。
ホルモン→自己輸入
SRS→タイ(会議の必要なし)
戸籍変更→会議の必要なし
です。それに対して、トランス男性は
ホルモン→要会議
胸オペ→要会議
SRS→国内(要会議)
戸籍変更→会議の必要なし
です。
もちろん、それを割り引いてもアンバランスであることは否めませんが、そんなことも要因のうちのひとつなのかなぁ。

で、会議のあとはいつものお店へ。
いつも通り、おいしいお酒とおいしい料理とおいしい会話なのですが、なーんとなく限界が近づいているのがわかります。日本酒を2杯飲んだところで、思案に入りました。「次に飲むべきはなにか?」。
お店のS井さんに質問。
い「あの…。水かお茶か、どっちがおいしいと思いますか?」
S「それはお茶でしょう」
い「うーん、炭酸ありますか?」
S「ありますよ」
い「じゃ、炭酸で」
みなさん「それ、アルコール入ってんの?」。んなもん、入ってますかいな(笑)。
てことで、最後に炭酸を2杯クイッとやって、お店を出ました。
家に帰ると、フラフラじゃない。これはいいかも…。

おかしいな…。

とにかく、午後から出なきゃならないことがよくあるので、毎年「授業はできるだけ午前中に」ってお願いしてますが、今年は見事に希望通りにしてもらえた関係で、午前中は授業。午後から雑務ってできるので、ものすごく楽になりました。
が、おかしい…。なんか、午後から雑務がはかどりません。なんでだろ…。
今日もいろいろやってるんだけど「これができた!」って感じじゃなくて、「これ、できてるのかなぁ…」という感じで勤務時間が終わっていきました。
ま、そんな日もある。てか、そんな日のほうが圧倒的かな。

さてと。
TLやウォールでは、パレードについていっぱい流れています。みんな楽しそうです。「よかったよかった」と思いながら、なんともいえない思いもあります。
もちろんそれは、「24時間ひとりパレード」をやりつづけている/やらざるを得ないわたしの思いです。
そう言えば、かつて「ブブさん」から「いつきさんがホッとする時って、どんな時間」と質問されて絶句したことがありましたって(笑)。
まぁ、そんなもんです。
関西の片田舎の、誰も知らないところで、今日も明日もひとりパレードをやり続ける。まぁ、だからできることもある。
と、信じること。

と思ったら、これかよ!

部屋の大掃除をしていて、腰が痛くなったので、ひょいとパソコンを開けると、今日はこんなニュースが。
自民・稲田政調会長、LGBTの大会出席へ 自民党3役の出席は初
はい、きました!
まぁ、かつて同性愛者への差別発言をした石原元都知事の元職場でオープニングイベントをされるわけで、隔世の感があるわけです。個人的にはもやっと感があったりするわけですが、それはおいておきましょう。
いや、この「もやっと感」はですね。例えば、第7回GID研究会に日をあわせて開催した「トランス全国交流会」は「日之出解放会館」でやったし、第10回学会の時は「日之出集会所」でやったというわたしのもやっと感なんですけどね。ま、それはおいておきましょう。
まぁ、運動がそれだけ大きくなったってことで、無視できなくなったんでしょうね。
でも、一部のL/G/B/Tにとっては「元から味方」かもしれないけど、一部のL/G/B/Tにとっては自分たちを抑圧してきた張本人が、総括も自己批判もなしで「出席」するってどうよと、わたしなんかは古い人間だから思うんですけどね。