大島さんを偲ぶ会

今日は「大島さんを偲ぶ会」です。
とある事情*1で、スタッフの集合時間に50分ほど遅れて(笑)到着。とりあえず、一着しか持ってないスーツに着替えて、少しおすましモードになりました。
開始時間の2時になって、まずは康さんのスピーチ。「湿っぽいのはやめましょう」とのことです。まぁ、そりゃそうだよな。
で、みんなでお焼香。わたしにも順番がまわってきたけど、クリスチャンだから少し大島さんとお話して、一礼で終了。
その後みんなで少しずつ大島さんの思い出をシェアしました。
参加人数は…。30人くらい?うちトランスは…。遠く関東から1人来られていました。あとは、関東から「どうしても行けない」と黒い4人組が花束を送ってくれて…。関西勢は…。法律適用した人が5〜6人?。メールを送ってくれたのが1人。それから、適用する気がない人がひとり(笑)。まぁ、こんなもんですね。大島さんは宣伝するのが下手な人だから、しかたないです。でも、逆にここに来ている人はほんとに大島さんと親しく遊ばせてもらった人です。
いろんな人の思い出を聞いて、最後がわたしの番。

実は、この役は康さんの方がいいと思ってたんだけど、康さんが先に「いつきさんやって」って言っちゃったんです。「ボク、泣くし」って。「いや、そんなん、わたしも泣きますよ」って言ったんだけど、涙が似合うのは康さんよりわたしだろなって思って、引き受けました。

てことで、さっき、そこのコンビニでワインを買ってきたので、まずは乾杯します。大島さん、フランスのワインしか飲まないんです。チリのもおいしいのにね。だから、今日もちゃんとフランスのワインです。他に飲みたい人は?あ、康さん。はい、コップ。そうそう、福引したら、チーズがあたったので、アテです。ここに置いときますね。
はい、カンパイ!

大島さんをはじめて見たのは、2002年に岡山であった「第4回GID研究会」でした。懇親会のあとに、当時岡山で活動をしていたP3の責任者の経営されてたバーかなんかであった当事者交流会でした。真ん中のソファを占拠して、大笑いをしている一群がいます。「あれ誰だろ?あー、針間さん」「あれは?あー、野宮さん」「あっちのイケイケねーちゃんは?あー、東さん」そんな中に「あれが大島さん」という感じでした。
その後、1年間、なにがあったかよくはわからないけど、なんとなく知り合いになった気がします。翌2003年、聖地東京ウィメンズプラザに帰ってきた第5回GID研究会は、歴史的な研究会でした。なにせ、懇親会の参加人数を読み間違えて、食事がまったくたりない。しかたないので、近くの居酒屋を探して、二次会をすることにしました。で、わたしは主催者特権(笑)で、大島・針間の近くにちゃっかり座って、いろんな話をしました。この時、大島さんから「近いうちに大阪か京都でGID研究会をやるから、場所探しを手伝ってほしい」って言われました。
2003年3月は、まさに特例法前夜です*2。この頃は、特例法賛成派と反対派で血を血で洗う抗争がありました。人が死ぬことすらありました。
わたしは基本的には特例法には反対の立場をとっています。それは今も変わりません。なぜなら、特例法は戸籍制度の強化とつながると考えているからです。
そんなわたしなんですけど、でも、大島さんとはそれからも仲よくおつきあいをさせてもらっていました。大島さんも、特例法をつくった人であるにもかかわらず、例えば一宮であった「TFN(トランス・ファミリー・ネット)」の設立大会なんかにも参加されていました。ちなみに、その時の懇親会ではお菓子しか出なくて、わたしは大島さんに「酒、ほしいですよね。買ってきます」って耳打ちしたら、「お!買ってくるかね!」と大喜びしていたことを思い出します。
そして、神戸であった第7回GID研究会をお手伝いさせてもらいました。わたしは「刷りもの担当」だったので、印刷物をつくって郵送することが仕事でした。そんな時、必ず大島さんは来られるんですね。責任者だったらドンと座ってりゃいいのに、必ず一緒に封筒はりをされる。
そんなふうにして、第7回GID研究会をやりました。
その後、大島さんが新たな仕事をしなきゃならなくなったみたいで、きっとその時の縁だと思うのですが、お手伝いさせてもらうことになりました。なんでわたしなんだと思ったのですが、そこに座っておられる工藤さんがかつて「大島さんは今まで見た人の中の最高齢のADHD」って言っておられて、わたしもADHDの系統なので、まぁ気があったのかなと思います。あの頃は、そこに座っておられるやはりADHDの系統の菅井さんたちと、ほんとによく飲みました。
大島さんがその仕事を終えられたあとも、よく飲みました。
わたしはいろんな集まりをしているんですが、そこに大島さんを誘うんですね。すると、場所がわからない。わたしは呑んでて迎えに行くのが面倒だから、若いのを行かせるんです。「どんな人かわからない」って言うから「青いリュック背負ってるおっさん」って言ったら、ちゃんと連れてくるんですね。
で、なぜ呼ぶかというと、一緒に話をするのも楽しいんですけど、こういう集まりに来たら、必ず一万円置いてくれるんです。まぁ、そんな人でした。
その後、なぜか縁あって、わたしは関西GIDネットワークの適応判定会議の外部委員になりました。すると、毎月ここで会議がありまして、会議のあとは飲み会があるんです。で、理事の方々は判定会議のあとに理事会をやる。大島さんとわたしは早めに飲み屋に行って、1時間ほどふたりで呑むんですね。その1時間、ほんとにいろんな話をしました。
今わたしは研究にも首をつっこんでます。大島さんは研究者の先輩として、いろんな話をしてくださいました。
そんなふうにしていたんですけど、最後に会ったのは、今年の1月の適応判定会議でした。その時の顔が真っ黄色だったんですね。集まってるのは医者です。みんな、息を飲んでました。その空気をなんとかしなきゃならないと思って「正月やで、みかんの食いすぎに決まってるやん!」ってボケたんですけど、次の2月に亡くなられました。

大島さんは特例法が成立したあと、行き場を失っておられたように思うんです。でも、実はその後、個別の法的な問題がいっぱい起きています。例えば嫡出子のことや、一度性別変更した人の再変更の問題、あるいは刑務所の処遇の問題など、まだまだやってほしいことがありました。でも、それはわたしたちに託されたんだと思います。
わたしは今も特例法には反対しています。そういう意味では大島さんとは対立する立場です。でも、わたしは大島さんを敵とは思っていません。なぜなら、大島さんとわたしの対立は「コップの中の対立」でしかないからです。そのコップの外を見た時、大島さんとわたしは同じ方向を向いています。
大島さんは、特例法という形で、ぜったいに変わらないと思っていた社会を変えました。そういう形で、わたしたちに「社会は変えられる」という希望をくれました。だから、大島さんのあとを引き継いで、わたしたちは、この社会を、よりよい社会へと変えていかなくちゃと思います。

終わったあと、大島さんのおつれあいさんから「大学の中にはお弟子さんができなかったんだけど、ここにお弟子さんがちゃんといたんだね」って言われました。うれしかった…。

*1:友だちと昼のワインを飲んでた

*2:なつかしいなぁ、上川さんの選挙があって、銀河さんが選挙カーの真似をしたり。

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