こーゆーの↑が日教組の中にあります。
かつては「なんだかなぁ」と思っていたのですが、最近「必要だなぁ」と思っているんですよね。やはり、「女性」ということを軸にしながら、そこに共通する課題を考え、問題を提起していく必要があるということを、つくづく認識させられます。
もちろん、女性と男性を二分したところに立脚をしているとしたら、それはちがうだろうと思うのですが、現実にはとても柔軟なんですよね。なにせ、わたしを「女性の生き方」という分科会のレポーターにするくらいですから(笑)。
てことで、今日は大阪でレポート。
しかし、20分とか言われたけど、なにをしゃべればいいんだろう。自分のライフヒストリー(ネタあり)だと、1時間以上かかるし、「知識」だけだとすごく薄っぺらになってしまうし…。いろいろ悩んだんですが、最終的な結論は「出たとこ勝負」でした。
会場について、見覚えのある小柄な女性が一人。「久しぶり」と声をかけられ「聞き覚えのある声だなぁ…」。で、さらに最大のヒントをいただきました。「高野山でさいぼしを持っていった…」「あぁ!塩谷さん*1!」。
しかし、さいぼしで思い出すわたしもなんだかです。
どうやら、今日のもう一人のレポーターは、塩谷さんとのことです。えらいこっちゃ…。なにがって、ふたりとも20分どころか、ピン芸人で2時間しゃべるのが平気な人間です。時間がどうなることやら…。まぁ、それぞれの持ち時間が1時間+質疑応答が40分ぐらいという配分らしいので、一安心。
まずはわたしのレポートから。とりあえず、ライフヒストリーを話さないとネタのくりようがないので、ちょびちょび話をしました。聞いてくれる人たちは、基本的には学校関係者ですから、やっぱり子どもの頃の話が必要ですからね。で、超ダイジェスト番を話し終えたところで18分。ここからです。トランスジェンダー生徒交流会の話とか、クローゼットでいる生徒や教職員の話をおりまぜながら、「現状と課題」のあたりを話したところで、そろそろ潮時かな。「これで40分ぐらい話をしましたか?」と司会の方の時計をのぞき込むと、41分。やれやれ…。
続いて、塩谷さんの話。すごかったです。わたしのように隠したまま世間の風をやり過ごしていた人間と、塩谷さんのようにそこに直面せざるを得なかった人間の違いを、まざまざと見せつけられました。だからこそ、部落解放運動が必要とされ、あそこまでの大きな結集力をもったんだなぁと、素直に思いました。
で、塩谷さんも「風邪でのどが」とかいいながら、超ダイジェスト番ながら凝縮した絶好調の話。結局、総括の質疑を45分とるはずが、ほとんどなし。司会の方から「最後にお二人から一言」と言われたので、「やっぱ先攻は不利です。今日は完全に負けました」と敗北宣言をしておきました。もっとも横から塩谷さんが「河内のおばちゃんには勝てへんで!」と勝利宣言をしておられましたけどね(笑)。
その後、そこにおられたレズビアンの人としばらく話。お互いの状況なんかを話していました。と、そこで思いついたこと。
わたしって、前にも書いたけど、あらためて学校ではカミングアウトしていないんですよね。なので、そのレズビアンの友だちに「わたしね、学校ではカミングアウトしてないんですよ。どちらかというと、クローゼットなんです。もっとも、クローゼットのドアは全開ですけど(笑)」「ほな、中、丸見えやんか」「うん、丸見えのクローゼットに入ってるねん。こっちからもよぅ見えるし。風もけっこう入ってくるし」。
そうか、我ながら、こういう表現があったんだ。
また、ネタで使おう…。
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教研・3日目(最終日)
今日は、9時から1時までの半日が討論の時間。
「キャラがかぶっている人」は今日も絶好調です。わたしはというと、少々不調気味。というか、そろそろネタが尽きてきたところへもってきて、「学ぶしかない」という「デートDV」をめぐるすごい実践だったので、ほとんど論議に参加できず。
ところが、だんだんと話が深まるにつれて、ツッコミどころが出てきました。DVの予防として、アサーションスキルを身につけるというのは、たしかにわかるのですが、それだけでいいんだろうかという思いが出てきたんです。
というのは、常々気になっているのが、子どもたちの持つ「ダブルスタンダード」なんです。たしかに、人権学習の作文なんかではいいことを書いているんだけど、実際に社会に出た時にそれが生きているんだろうか。わたしたちが育てている子どもたちは「差別をしない*1」ところにとどまっていて「差別を許さない*2」ところまで深まっていないのではないかということなんです。
で、そのあとは、やっぱり爆裂!いやぁ、久しぶりに萌え燃えました。でも、そのあと「またやっちまった」って反省をするんですけどね(笑)。
分科会の最後は、オブザーバーの人たちの発言と共同研究者の人たちのコメント。よかったです。「暴力の反対は話しあうこと」というS藤さんの言葉、けっこうしみました。そうなんだよなぁ。話しあわずにものごとをすすめようと思うと、どうしても権力関係に依存しなくちゃならないんですよね。逆に、権力関係を排除しようとすると、どうしても「話しあうこと」が必要になります。そして、そこからひとつの物事を実現した時、「わたしは社会を変革する主体としての力をもちうる人間である」という力がわいてきます。これこそが、エンパワーメントなんだろうなぁ。
さらに、ふだんは決して「語らない」本部の女性部長が、わたしが参加し始めて以来はじめて語られました。すごくかっこよかったです。この場に自分がいてよかったと、心の底から思いました。
ということで、熱く長い4日間が終了。あとは、土産を買って電車に乗って帰るだけです。大分のみなさん、ありがとうございました。
それにしてもつかれた…。風呂も入れんかったし(笑)。
教研・2日目
今日は朝9時から夕方6時まで、丸一日討論の日です。
おもしろかったのは、三重の小学校のレポート。「男子トイレの出入り口にドアがないため、中が丸見えなのがイヤ」という子どもたちの思いから、子どもたち自身が校長と交渉して出入り口のカーテン設置を実現するという話。その中で「男が見られてなにが悪い」という教員とかが出てきたらしくて、みんなで大笑いをしていました。いいなぁと思ったのは、子どもたちの思いを行動にしてそれを実現していくという経験をさせたことです。こういう経験を積み重ねることで、あきらめることなく社会に積極的にかかわる態度がつちかわれるんだと思います。そういえば、何年か前、やはり同じ三重の小学校のレポートでスリッパの色についてとりあげたのがありましたが、これもおもしろかったなぁ。近所の雑貨屋のおじちゃんに働きかけて、自分の好きな色を買えるようにしたというレポートでしたが、同じ流れですね。
なかなか高校ではむずかしいところはあるのですが、学びたいなぁと思いました。
てな謙虚なことは書いてはいますが、もちろん2日目も爆裂。もう、発言の機会があれば、ほとんど発言し続けるという迷惑な存在になってしまいました。ま、わたし以外にそういう人、もう一人いましたが(笑)。
夜は、異種格闘技戦。
通常、丸一日分科会の夜は、各単組ごとに交流会をするそうな。ところが、うちのように参加者がほとんどいない単組にとって「一人で飲めっつーのか!」ということに他ならないわけです。そりゃぁ、それぞれの分科会の報告をするとかいろんな目的はあるんだろうけど、せっかく全国から参加者が集まってくるんだから、各分科会ごとに交流会をする方がはるかに意味があると思うんですが…。
てことで、わたしが「両性」の分科会に参加して以来、「分科会参加者で飲みに行こう!」とみなさんを誘うことにしています。さらに今年は、「両性」と「人権教育(略称「人権」*1)」の合同飲み会を企画してみました。さてさてどうなることやら…。
で、会場は朝鮮料理の店。集まったのは20人ちょっと。もう…。すごかったです。
もともと「両性」も「人権」も根っこは一緒です。ところが、それぞれが分化していくなかで、少しずつ足りないところが出てきているような気がしてならないんです。
「人権」には、あきらかに「ジェンダー」の視点が欠けています。なにしろ、分科会の会場にはいると、いきなり「白黒の世界」です。居並ぶみなさんはとてもこわそう(笑)。もちろんそこからすぐれた実践が出てきているのですが、やはり「なんだかなあ」なわけです。
一方、「両性」には「実践」が不足しているように思えてしかたがない。この厳しい状況の中で、みなさんたしかにすごいとりくみをされているし、「へ〜!」と新しい世界を見せつけられる実践もあるのですが、なにかが足りないんです。子どもたちがみずからを「社会をよりよくするために変えていく主体」としていくところまで迫りきっていないんじゃないかという感じが、なんとなくするんです。
ところが、両方に参加した経験からすると、「両性」と「人権」は互いに棲み分けをしてしまって、交流がない。というより、敬遠しあっているのではないかという気までしてしまうのです。これはあまりにももったいない。
ということで、そこの交流を目論んでみたというわけです。
で、飲みはじめたら…。はじめのうちは、互いに垣根があるような気がしていたのですが、だんだんと「図々しい人」が強引に話をすることで*2、だんだんと垣根が低くなっていったような気がします。
大分行きの最終の時間が来た*3ので、やむを得ずお開きになるまでの約3時間。濃いぃ時間を過ごさせてもらいました。また来年もやろっと!
その後、中津行きの最終までの時間、もう少し呑みたいという人や、1次会には出られなかったけど合流したいという人*4を交えて2次会。さらに、地元の人たちに連れられて3次会と流れて、えらい夜になってしまいました(笑)。
ホテルに着いたのは、2時過ぎ。倒れるようにして寝ました。
教研・1日目
起床は午前5時半。6時に集合してバスに乗りあわせて教研の会場へ。さすがにバスの中では寝ました。会場に着いたら7時…。全体会の開始は9時なんで、もう、すごい余裕です。もっとも、道路が混雑している可能性が高いので、しかたないんですけどね。
会場近辺はものすごい警備です。なんでも、U翼の人たちが全国から来られるとのこと。そうか、教研って地元にとったら2重に経済効果があるんだ(笑)。
会場の前では、赤い旗がたなびいています。Kクマル派のみなさんです。
さて、本日午前のメインは、CWニコルの講演。自分の子どもの頃の話からはじまって、空手がしたくて日本に来たこととか、日本に来た当初の話とか。
ニコルから見たら、自然*1と街*2が同居する国は日本だけだそうです。そして、流氷と珊瑚礁が同居する多様性を持つ国も日本だけだそうです。そんな日本がとっても好きなんだそうです。そして、その「美しい国・日本」*3の自然が破壊されていくことが耐えられない。そこで、「恩返し」として森の再生をはじめたと。
このあたりの話までは、なんだかなぁという感じでした。まぁそりゃそうかもしれませんが、一方で「民族意識」みたいなものとしては、あまりにも単一思考で、在日外国人への同化と排外を強いている。まぁ、そりゃあんたは白人だから…。みたいな。
ところが、このあたりから話は変わっていきます。
「恩返し」は「森」だけじゃなくて、虐待を受けた子どもたちの「再生」にも結びついていくんですね。自然とふれあうことで、虐待を受けた子どもたちに笑顔がもどっていく。そんな姿を写真で見せられた日にゃぁ…。そうだよなぁ。わたしもずっとやってたよなぁ*4などと思っていたら、気がついたら泣いていました。
おそるべしCWニコル!単にS名誠とたき火で遊んでいるだけじゃなかったんだ(笑)!
てことで、午前の全体会は終了。昼ご飯と燃料を補給して、午後から分科会。わたしが参加したのは「両性の自立と平等をめざす教育分科会(略称「両性」*5)」です。
分科会の開会のあいさつを聞いたら、「今年も長い3日間がいよいよはじまるなぁ」という気がしてきます。
分科会には全国から集まったレポーターとオブザーバーが参加します。基本的には、オブザーバーとしてまで参加したい人は、実践も豊富だし、理論もすごいです。でも、討論への参加は、原則としてレポーターだけ。で、レポーターについては「しゃべり」もいればおとなしい人もいます。わたしがどっちのタイプかというと、もちろん前者なわけで…。なので、意図していないのですが、いつも目立ってしまいます。困ったことだ…。もちろん、今年も初日からかなり目立ってしまいました^^;;。
ところで、似たような人はやっぱりいます。2年前にもキャラがかぶる人がいたのですが、今年もおられました(笑)。なんしか、わたしが手をあげて、ひょいとその人を見ると手をあげています。人の話へのリアクションも似ています。さらに「できるだけたくさんの人の意見を」みたいなことを言われると、胸を押さえながら「ズキズキー!」とかやっているのも同じ感じ。
てことで、夜、呑みに誘いました。他にも何人か誘って、別府の街へ。飲み会は、他に、大分の若いFTMの当事者もいて、全部で6人。おとなしいと言えばおとなしいのですが、まぁ、一日目ですから。でも、FTM当事者の話を聞きながら、みんなでいろんな話を共有できたいい一晩でした。
その後、4人の方は帰られ、わたしともう一人は別のグループと合流して、さらにもうひと呑み。でも、1時頃にはさすがに眠たくなったので、おいとましました。考えてみたら、22時間ぐらい起きてたな…。
教研・0日目
今日は午後からお出かけ。ちょうど研修旅行で授業を振り替えをしてほしいと頼まれていたので、利害が一致したところで授業を交換していて、今日の授業はなし。なので、本当は休みたかったんですが、やっぱり気になる生徒がいたので、とりあえず職場へ。で、昼過ぎにお家へ。
午後からのお出かけの行き先は、大分です(笑)。明日から3日間教研集会があり、今年もレポートをでっちあげて参加です。今日は、その前泊ということで、大分の友だちの家で宴会です。
昼過ぎに出たのですが、友だちのお家に着いたらすでに夜8時頃。そこから飲みはじめです。なんだかんだと言いながら飲んでいたら、あっという間に0時頃。そのころには、日本酒も一升瓶が一本空いていました。どんなんや…。
さて、あしたは教研の全体会。朝が早いのでそろそろ寝ますか…。
で、フィールドワーク
朝起きると、雪が積もっていました(笑)。
今日は午後から、どういうわけかS県で漫談。
といっても、前半授業実践のレポートがあって、後半1時間ほどを担当しただけです。展開としてはまったく新しいものなので、ちょっとドキドキしましたが、なんとかつとめあげられました。
その後、車でまわるだけではあったけど、3ヶ所のムラにつれていってもらいました。
いや、ほんとうにびっくりしました。3ヶ所ともがいわゆる「少数点在」のムラなんです。1ヶ所目はそれでもちょっと大きめ。2ヶ所目は戸数が20戸くらい。3ヶ所目にいたっては、10数戸ですか。
どのムラも、いちおう地区改善事業は入っているとのことですが、いわゆる「ニコイチ」じゃなくて、「市営住宅」とのことで、すべて一戸建てです。もちろん「団地」はありません。つまり、まわりからはさとられないようにということのようなんですね。
でも、一目見たらバレバレです。いずれのムラも道は狭くて曲がりくねったまま。車からは降りずに通過しただけですが、普通車が道幅いっぱいです。ところどころ「ここ、入れないから向こうからまわるね」というところまであります。
ひとつめのムラA地区。入り口を入った瞬間に「あ、ここからムラですね」「そうです」。で、ある瞬間に「あ、ムラ、出ましたね」「はい、あの川を渡ったところで出ました」。
ふたつめのムラB地区。公民館の裏側にある空き地に車をとめて「あそこです」と指をさされました。小さな土地に、A地区と同じタイプの市営住宅が数軒並んでいます。ムラのまわりにぐるりと鉄柵があります。「え?あれ?あの柵、あれでムラってバレバレじゃないですか」「ええ」表にまわると、川が流れていて途中から暗きょのあとがあります。「昔はこの川に丸田が一本かかっているだけだったんです」「へ?」「だから、こっち側*1からは丸わかりなんですよ。でも、ムラの人たちは必死で隠していた」「んなむちゃな」
もう少し車を進めると、「このあたりはもともと女郎街でした。ここもまわりにぐるりと堀があってね、女郎さんが逃げられないようにしていたんです。B地区の人たちはその監視役もしていたということで、そのことがまわりの人たちのまなざしを一層きついものにしたんです」「…」
みっつめのムラC地区。ムラの裏側には竹藪があります。「あの竹藪ね、昔はずっと続いていて、このムラを取り囲むようになっていたんです」すると、同乗の方「ほんとうに、「藪の向こうに人がいるのかな」という感じでしたよね」「ええ、そうでしたね」「S県では各地区*2ごとに子どもたちを公民館に集めていろんな伝達をしたりするんですが、ここのムラの子らは20数年前まで、公民館に入ろうとしたら「お前らは出て行け」って生徒からも教員からも言われて、しかたなく運動場で時間をつぶしていたということです。子どもの人数が5〜6人もいたらその中には「おかしい」と言う子もいるんでしょうけど、兄弟だけだったりするとそれすらもできない。少数点在のムラには運動が起こりにくいんです」。
その後、表にまわります。すると、見たことのあるような大きな「工場」の跡があります。「このムラも現在廃品回収なんかをしているんですが、ちょっと前までは自動車解体業をやっていたんです」。それでですね。見たことがあったのは*3。でも、今は「跡地」みたいです。工場の前には山のようにいろんな種類のくず鉄があります。
ほんとうに一区画をくるりと回ったら、あっという間にムラを出てしまいました。
ほんとうにショックでした。わたしが今まで見てきたムラっていうのは、たいてい都市部の大きなムラでした。でも、ぜんぜん違うムラもあるんですね。
都市部のムラと農村部のムラの違い。さらに、農村部でも富裕層のいる(いた)ムラと、そうではないムラの違い*4。まさに、小林丈広さんの言われる「部落の4類型」のうちのひとつの類型「農村貧困型」の典型を見た感じでした。ここから、「法は切れた。格差は解消した。だからあとは自助努力で…」というのは、無理ですわ。やはり、解放へ向けたとりくみが絶対に必要だと、認識をあらたにしました。
てか、こうしたムラにフィットしたとりくみをしてこなかった、わたしたちの「無知」が問われるんだろうな。
在日青年の話
今日は午後、在日外国人にかかわるセミナーがありました。まぁ、主催者なので行かなきゃなりませんわね。てか、パネラーのうちの1人はわたしが交渉したから、ますます行かなきゃなりません*1。
で、こんな消極的な理由で参加したわけですけど、おもしろい話が聞けました。
正直言って、今の在日の青年(4世)くらいになると、いわゆる「被差別体験=個に向けられたファビア」というのはほとんどありません。あったとしても、その1世・2世・3世の経験とはぜんぜん違います。もちろん、「制度としての被差別経験」は山のようにしているはずですが、ある意味それって「スモッグ入りの空気」のような存在で、そうでない状況を経験しないとその存在にはなかなか気づけない。
そういう青年達にとって、それでも直面せざるをえないことは「自分ってなに?」ということです。あるいは、「人の価値とは何か」みたいなところとも言えるかと思います。
一方、在日をとりまく日本人の側にとって、在日とは、すでにもう「日本人」と同じととらえているんじゃないかと思うのです。ここでも、「制度としての差別」があることは知らないし、それが即、在日の人々の生活に直結しているということもよくわからない。なにより、「自分は差別していない」という、半ば確信のようなものがあるので*2、そうなってくると、「関心がない」わけです。
というところで、従来ならば成立していた「差別・被差別の関係」としての「在日・日本人」という関係が、どんどん築けなくなっているんだと思います。それでも、「在日」というのは存在し続けるわけで、まさにその存在は宙ぶらりんになっていってしまっているんじゃないかなぁと思います。
そんな中から、今回話をしてくれた2人は、「「在日」に従属する自分」から、「ありのままの自分」とその一つの要素としての「在日」へとはっきりと転換をしています。そんな二人の話を聞きながら、収録の時にソニンさんが繰り返し語っていたアイデンティティの持ちようを思い出していました。
ただ、一方で考えます。
本当にこれでいいんだろうか。本当に「戦争処理」は終わっているんだろうか。戦前〜戦後の「総括」はすんでいるんだろうか。単に風化しつつあるだけじゃないだろうか。「個のありよう」にすべてが回収されていくとしたら、それはあまりにもおそろしいという気がしてなりません。
大阪でフィールドワークとか
朝、1時間目の授業が終わったら、そのまま人権教育研究会の出張で大阪へ。
まずはリバティ大阪。
リニューアルされて、これで3回目かな。来るのは。でも、仲間と一緒に来るのははじめてです。まぁ、いまさらなんで「ほれ、あそこに写真があるやろ」とか、しょーもないツッコミを入れてました。まぁ、たいていの人は1枚は気づくのですが、もう1枚はなかなか気づきにくいやろうなぁ。なにせ、後ろの方で飲んだくれている写真やし(笑)。
他にも、ワークシートとか図録に載っているんですよね。はぁ…。
昼ご飯は、「浪速ならではの」ということで、「岳」に行ったんですが、なくなっていました_| ̄|◯。なんで、解放同盟の浪速支部に変わってるねん。てことで、「ニューなに和」に行きました。肉巻定食、うまかったです。つい、ごはんを全部食べてしまいました。ちょうど研究所の知りあいにあったもので、郵便配達をたのでしまったり*1、有意義な昼食でした(笑)。
午後は、太鼓集団「怒」のメンバーの話。
もともとは浪速の歴史について話を聞くはずだったのですが、講師の方が熱を出されたとかで、かわりに地元で地道な活動をしている人が話をしてくれました。たしかに、歴史を聴こうと思っていた部分については肩すかしを喰らった気がしますが、話の内容は、それはそれでよかったです。
「太鼓の作り手はいるけど、太鼓の打ち手がいない」という状況に、まずは外から疑問が来る。それに答えるようにして、だんだんと太鼓集団ができあがっていく。すると、逆に「太鼓」がアイデンティティを補強するみたいな感じ。あるいは、さまざまな差別的な状況と立ち向かっていく原動力としての「太鼓」。差別の壁を乗り越えていくための「太鼓」。言ってみれば「誇りうる文化」としての太鼓なわけです。そして、それを次の世代に伝えていく。
う〜ん。
ええ話やなぁ…。と思いながらも、「はたしてトランスに「誇りうる文化」はあるんだろうか」と思い、ちょっと複雑な気分。
*1:すんません
交流学習会・2日目
朝、責任者は責任があるので早く起きられたみたいです。でも、年寄りのわたしは、ちょっと寝坊気味。すんません。
と、横を見ると、きのうの夜、飲み過ぎでふらふらだった子が、「しんどい〜」とか言ってます。「ふだん、あんまり飲まないの?」と聞くと「飲みます。吐くまで」と殊勝な答え。若いな…。
とりあえず、わたしはシャワーを浴びて、朝食。和食か_| ̄|◯。
今日のプログラムは、フィールドワーク。わたしの担当は「映画『パッチギ!』に見る東九条」。なかなか魅力的でしょう!で、案内をして下さるのは、東九条で生まれ育ち、いまも東九条マダンを中心的に担っておられる朴実さん。
いや、よかったです。ほんとうに。
いかに東九条というところが行政のみならず、「京都の人々」から放置されてきたところかということ。その背景にある朝鮮人差別の実態。そんなことが、街の中のあちこちにあるんだということがよくわかりました。でも、それって、ただ単に、東九条を散歩しただけではわからないんですよね。やはり、すぐれた案内人がいるからこそわかることなんです*1。これがフィールドワークというものなんだと思いました。ほんとうに勉強になりました。
街から帰ってきてからの話もすごかったです。「東九条マダン」という、民族文化運動をはじめる時の思い、はじめた時の苦労。いまもかわらない「同化と排外」の圧力と、それでもかわりつつある運動の成果。今、朴実さんが次の課題として考えられていること。そんなことが、やわらかい口調で語られました。でもね、その底流には、つねに「恨(ハン)」というのがあることも、ものすごく感じました。
そんな朴実さんと親しくつきあわせてもらっている自分*2を振り返るいい機会にもなりました。
そんなこんなで、あっという間に午前が終了。で、学習交流会は終了。
準備はいろいろあったけど、けっこう楽しかったし、あっという間にすんだなぁ。
で、一日半ほどあけた家に帰ると、そこには日常生活がありました。
昼ご飯は、東九条で「食べたい!」と思いながらガマンをしていたお好み焼き*3。ビールを飲んだら、ほろ酔い気分→ちょっと昼寝。
夕方から子どもの数学を見て、ちょっとテレビを見て、明日に備えて寝ることにしましょう。
学習交流会・1日目
今日から明日にかけて、組合青年部の近畿ブロックの交流学習会とやらがあります。で、なぜかわたしもその運営スタッフになってしまいました。
まぁ、普通の組合であれば、わたしみたいな年寄りはさっさと青年部から出ているのですが、高齢化が著しいうちの組合では、「年齢他認」が原則でして、まわりが「あなたは青年部」と言えば青年部になってしまうというおそろしい状況があります。なので、なぜかわたしもまだ青年部らしい。
今日のわたしの担当は、開会行事の司会*1とチャング教室のコーディネート。
司会の方は、まぁなんということもなく終了。適当にネタを振ったけど、さすがに「開会行事」などというマジメなセレモニーではみんな笑ってくれませんでした_| ̄|◯。
チャング教室はなかなかのものでした。もちろん、わたしは単にコーディネート役で、講師の方がおられるんですけどね。
なにしろみなさん、チャングを触るのがはじめて。そんな人たちに、チャングの基本的な知識からはじめて、基本的な打法、さらに立って叩くところまで、わずか3時間ほどでやってしまわれました。
はじめのうちはすごく緊張しておられた参加者も、3時間後には表情もほぐれてきて、チャングを楽しんでおられた感じだったが印象的でした。そうか、楽器にはそういう力があるんだ。
その後、夕食交流会。長〜いあいさつをするヤツもいるけど、この手の集まりではしゃーないです。たぶん、それでも短い方かな。交流会の最中に、チャング教室の発表会なんかもあって、けっこうもりあがった交流会でした。
その後、2次会。三条に繰り出して、しばし飲み。気がついたら閉店の時間です。
ここで他府県の参加者が「ラーメン!」と騒ぎはじめました。三条なんで、「長浜ラーメンかなぁ」と思ったのですが、えらい人混みで断念。で、ラーメン・ラーメン…。で、「そうだ!今出川に行こう!(笑)」タクシーで行きました。もちろん、みなさんかなりのカルチャーショックを受けておられたようです*2。
で、宿舎に帰って、しばし歓談。その後、爆睡です。