やれば終わる

朝、熱を測ると36.5℃。平熱です。じゃ、仕事に行くことにしましょう。というよりも、仕事の段取りから、今日休むことは許されないわけでして。
てことで、1時間目に授業プリントをつくって、さらにA4両面刷りを6枚(12ページ)を400部印刷完了。それにしても、印刷が早くなったよなぁ。リソグラフ、えらい!
その後サックリと授業を終えて、午後からは作業です。
まずは帳合機。印刷してから時間が経っているので、エラーが少ない!ジャムおじさんがほとんど出てきません。400部の帳合もあっという間に終わって、綴じの開始です。とにかくこういう作業は「しんどい」とか思ってやめないことです。やめた瞬間に作業が遅くなります。途中手伝ってくれる人が出てきたりして、ほんとに助かりました。結局2時間くらいで完成です。
そこから1時間くらい雑用をしていましたが、ボチボチとパワー切れ。定時で退勤ですね。

夜はお医者さんへ。
「すんません、明日から12月末までノンストップです」
というと笑われました。
とりあえず、薬をゲットです。根本的な解決にはなっていないのですが、方法はこれしかないです。
にしても、お医者さんに行くと体調が悪くなりますね。ぐったりと疲れて家に帰って、身体を温めるべくお風呂に入ったら、まだ水でした。なんの罰ゲームやねん(笑)。
てことで、晩ごはんを食べて横になって熱を測ったら37.8℃。
まぁそりゃそうだろな…。

打つべし!打つべし!打つべし!

とにかく、今日と明日が勝負です。なにがというと、12ページだての感想文集です。
昨日回収した感想文は、すでに200人分ぐらいは読みました。たぶん、行きの電車の中で残りは読めるでしょう。その中からピックアップしたものをひたすら打ち込むのが今日のタスクです。こういう時のキーボードの音はカチャカチャいいません。ダララララララです。つくづく25年前にタッチタイピングを練習してよかったと思う瞬間です。
で、どうにかこうにか全員分を打ちきって、あらかじめつくっておいたものに貼り付けです。当然のことながら過不足はありますが、そんなのはあとで調整すればいいです。あとは写真をトリミングして貼り込んだら、ほぼほぼできあがりです。そいつをプリントアウトして、帰りの電車の中で微調整。あしたには完成かな?

てことで、体調が絶不調。
みんなあらい商店に行くって言ってたけど、わたしは断念(;_;)

ダラダラと

今日は完全オフ日です。
昨日が激しかったので、今日はダラダラ。
近くのファミレスに行ってゲンコを少し書いたり、立ち呑みで軽くいっぱいひっかけたり。
明日から10日くらいはとんでもない日々が待っているので、それまでの束の間のクールダウン。

「カッコよさ」あれこれ

今日は体育祭。なので、メッチャ早くに出勤です。朝の気持ちいいグランドで放送セットの指示を飛ばすのは、それはそれで楽しいものです。抱えている仕事がなければね(笑)。
てことで、今日は放送席にパソコンを持ち込んで仕事です。が、なかなかうまくいきません。困ったな…。

それにしても、入学してくる子どもの雰囲気が変わりました。
いままでは「ダルくやるのがカッコいい」と思っていたのかな。でも今は「思いっ切りやるのがカッコいい」に変わった感じです。
例えば入場行進でも掛け声をかける。校歌はあえて大声で歌う。今までならダサいと思われたかもしれないけど、その「ダサい線」を越すと、それはそれで「カッコいい」と思えるところにくる。だから、たぶんいずれにしろ「カッコいい」からやっている。
ところが、かつての「カッコいい」は教員文化との親和性が少ないから批判されたけど、いまの「カッコいい」は教員文化と親和性が高い。だから評価される。
なんか、そんなことを感じました。まぁ、世相もあるだろうし、教員の枠の中で「カッコよさ」を見つけることができる子どもが入学してきてるってこともあるかな。
なんしか、「いい」体育祭でした。

その後、明日の学校公開の準備。2年生と「1年生に任せよう」と阿吽の呼吸で意思一致。まぁ、基礎中の基礎の組み方だし、いままで何度もやってきてるからさんざん見ているはずですが、任されなきゃできるようになりません。
しばらくして体育館に行ったら、できてました。よしよし。

考えるヒマもない

とあるゲンコの〆切まで、あと1週間弱。心配メールがやってきました。前にメールに返事した時は「糸口がつかめてない」と書いたのですが、その後糸口はつかめました。が、最近は糸口どころか山のように書かれているものがありそうで、逆に「今さらこんなこと書いてもなぁ」状態になっています。
まぁでも、それを書く前にやらなきゃならんこともあったりして、その作業をしようと思っていたら、それすらもできない今日のスケジュールに愕然とするなど。なにせ、1時間目はプリントづくり。2・3・4と授業があって、おべんと食べたら放送セット。午後からは体育祭の予行で、そのまま体育祭準備。
ダメじゃん…。それでも少しの時間を使って、なんとか作業は完了です。
疲れた…。きっとビールはうまいはずです。

夜はお友だちの悩み相談という呑み会^^;;
「いつきさんと一緒に呑むの、緊張します」
「なんでやねん」
「だって、RくんもIくんも「そら緊張するわ」って言ってます」
「Iくんなんて、しょっちゅう向こうから「呑みましょ」って言ってくるのに」
みたいな話をしながら呑み屋さんへ。
にしても、なんで緊張するんやろ…。
まずは久しぶりに会ったので生でカンパーイ。
うま!さすがに疲れてるだけのことはあります。
悩みの中身はガチですが、わたしにできることは一緒に飲むことと話を聴くことです。ダラダラ飲みながら、近況報告をしあったり、しょーもない話をしてみたり。でもまぁ、話をしてくれてうれしかったし、話を聞かせてもらえてよかったし。なによりも会えてよかった。
てことで、つい帰りに天一に寄ったりする夜でした^^;;

会議だらけでなんにもできない

今日は4時間目と5時間目と放課後に会議です。合計4時間くらい会議なわけですが、これって勤務時間の半分会議をしていることになります。会議って、仕事を円滑にすすめるためにするものなんだろうけど、これだけ会議があったら仕事になりません(笑)。
もちろんかつてのように「方向を定めるため」に会議があるのなら、それはそれでとても大切です。でも、今の会議は「決まったことを伝達するため」にあるので、たぶんなくてもほとんど差し支えない。いちおう「会議に出した」という既成事実が必要なんだと思うんですけど、それすらも「既成事実が必要」という考え方(システムではなく)を変えればすむことです。
もちろん、「伝達」に対して「反論」があることもありますが、まぁ稀ですね。だって、所詮「伝達の場」ですからね。そこでの反論は、結局ガス抜きでしかない。
抜け切らないガスを抱えて会議は終わるんですよ。
あまり意味ないなぁ。その間にできることはヤマのようにある。

不思議やわ

今日は本来は月一回ある会議の日です。でも、欠席することにしました。もちろん原因は「ピシッ」です。とにもかくにも不安なので、行きつけのカイロプラクティックに通院です。
いつもの通り、足首をパタパタやりながら「ふむ、ここはOK。ここかな?ふむ」とつぶやきながら、あちこちのツボをちょい、ちょいと触られます。で、「テストします」と力の入り具合をチェック。カイロプラクティックだけど、ボキボキはありません。
30分ほどの施術のあと、「骨のズレはありませんね。まぁ、身体と心のストレスで神経の流れが遅れてたみたいです。それを整えました」と不思議なことを言われたのですが、たしかに腰の痛みも足のしびれもなくなったので、そうなんでしょうね。
不思議やわ。

ピキッ

朝、facebookを見るとショッキングなニュースが飛び込んできました。もう、茫然自失とはこのことかと。
理由はよくわかりませんが「いつまでもあると思うな」って言ってはったし、そういうことなんだろうなぁ。たしかに、たまに行くだけだしなぁ。でも、前に誰かが言ってたけど、「近場の常連客」がいないともたないのかなぁ…。
それにしても、11月27日に行こうと思ってたけど、どうしよう…(;_;)

で、絶不調の身体で午前3時間の授業をこなし、昼休み。
特に何もないのに、いきなり腰が「ピキッ」っていいました。「ヤバイ!」と思って、そこからはゆるゆる動くことにしました。幸いにして、歩くこともできるし、腰も痛くありません。

てことで、仕事はしなきゃなりません。リビングライブラリが来週にせまっています。人数が出たので、各セッションの割り振りをして、ほんとは教室のセットもしなきゃならないけど、それは明日まわし。とあるビデオの編集です。
4時くらいにとりあえずビデオも完成。まぁ、完成というほどのものじゃなくて、少し細工をした程度ですけどね。

てことで、定時あがりです。
うーん、ヤバイ。腰は痛くないけど、右足に軽いしびれがきてるぞ(;_;)

レインボーフラッグとともに

朝、起きたくない(笑)
でも、今日はお葬式です。そりゃ、昨日行ったから「出ない」という手もあります。が、やはり行きましょう。
「てんまりの中の人」と一緒にタクシーに乗って、会場へ。すると「土偶作家さん」が目を真っ赤にして立っておられました。とにかくいたわりの気持ちを込めて無言でハグです。
やがてお葬式がはじまりました。

もう、遺影からして反則です。いつもの底抜けの笑顔の右にはレインボーフラッグ、左は「らっきょうの花の中の人」のお友だちが仲野さんのお見舞いのために書いたイラスト。あまりにも遺影じゃありません。
弔電を聞いていると、仲野さんがいかに広く深くいろんな人とかかわってきたのか、そしてひとつひとつの出会いを大切にして切らなかったかがよくわかります。
そしておつれあいさんのあいさつ。涙腺が決壊しました。

仲野さんと初めて会ったのは、おそらくは2001年に米子市で開催された「全外教セミナー」だったと思います。仲野さんはそのセミナーの実行委員長をしておられたと思います。仲野さんの方からわざわざわたしのところに来られてあいさつされて、「なんだか、若くて軽い感じの人だなぁ」と思ったのが、最初の思い出かな。その後、全外教大会で会うことが増えたのですが、その時は「物好きな人だなぁ。でも、義理堅い人だなぁ」くらいしか思っていませんでした。ちなみに、いつも会うたびに向こうからあいさつしてこられるので「よく覚えてはるなぁ」とも思ってました。
でも、やがて鳥取で会うことが増えるにつけ、仲野さんが鳥取をはじめさまざまなところでしておられることの貴重さがわかってきました。
例えば鳥取で上映会をした時も、当然のことながらからんでおられるわけです。その証拠にこんな写真があったりします。

そんなこんなで、ここ数年はセクマイ関係でしたしくおつきあいをさせてもらっていました。
実は、おつれあいさんの話の中にも弔電関係でもセクマイがらみのことはなにもありませんでした。でも、おそらく近年、すごく心の中にあったのは「虹色らくだ」のことなんじゃないかなと、勝手に想像をしています。で、セクマイについて興味を持たれたきっかけのうちのひとつが、もしかしたらわたしとの出会いなのかもしれないと、これも勝手に想像をしています。というのは、はじめてお会いした2001年は、わたしのトランス人生の中でもっともしんどかった時期なんですよね。そういう人と出会った時の仲野さんの反応は、きっと「ここに課題がある」なんですよね。そして放っておかない。それがおそらく「虹色らくだ」につながっている。
もちろんこれはわたしの勝手な妄想です。そんなこと恥ずかしくて聞けなかったし、今は聞くすべもないです。
実は、お葬式全体の中では「触れられなかった」セクシュアルマイノリティですが、でも仲野さんがレインボーフラッグを身にまとうことで「わたしたち」にご自分のスタンスを示してくださったんでしょうね。

お葬式が終わって、献花の順番を待ってる間に、「虹色らくだ社会部」の人と合流。いろいろ思い出話とこれからの話です。
そして、いよいよ出棺。

献花の時に一度はずされたレインボーフラッグを再び身にまとって旅立っていかれました。

お葬式が終わったところで、駅にもどって着替えて、昼ビールです。そして再びバスに乗って大阪へ。ここで今回のフェアウェルビールを飲もうかなと。
友だちとお店に入ると、ひとりで誰かと話をしてるおじさまがおられます。んー、きっとそこにはおられないお友だちと楽しくお酒を呑んでおられるんでしょうね。きっと幸せな時なんだろな。ふと「惑星ソラリス」を思い出したりして。
さてと、でも、そろそろ帰らなきゃ…。

鳥取へ

朝起きて階段を降りると、ダシの強い香りが漂ってきました。食欲をそそります。
朝ごはんは手づくりのお味噌でつくったお味噌汁です。キノコがいっぱい入ってるのがうれしいです。
朝ごはんを食べ終わって片づけして、白雲山荘をおいとま。そのまま母親の「妹分さん」のところへ表敬訪問です。ここでおいしい手づくりケーキとおいしい紅茶をいただいて、いろいろ話。
それにしても、このあたりでの生活は豊かです。お金の問題じゃないですね。時間の流れがゆるやかです。少しあこがれますね。
そんなこんなで家に帰って、帰りに買った鯖寿司をつまんで、再度出発です。

向かうは鳥取です。もちろん仲野誠さんのお葬式です。
実は9月の中頃に具合が悪いということを土偶作家さんから聞いていたのですが、その時は入院しておられるとのことで、「まぁええやろ」と思っていました。が、その後、自宅療養に切り替えられて「できるだけたくさんお見舞いに!」という連絡が入り、「10日に行きます」と返事をしていたのでした。でも、2日だけ間に合わなかったのです。
せっかく日〜月でお見舞いに行こうと思っていたんですから、やはりお通夜とお葬式には行こうと思いました。考えてみると、自分の意志でお葬式に行こうと思ったのは、これがはじめてかもしれません。
てことで、大阪で友だちと合流してバスで鳥取へ。途中、一緒に見舞いに行くはずだった「らっきょうの花の中の人」と連絡をとりあって、さらに「てんまりの中の人」と連絡をとりあって、お通夜で合流することに。
鳥取に着いて、とりあえずホテルにチェックインして、喪服に着替えて、すぐにホールに向かいました。
中に入ると、壁一面に仲野さんの思い出が貼ってあります。

その中にこんな一枚の模造紙が…。

自宅療養中の訪問予定です。すんごいたくさんの人が訪問されていることがわかります。と、10日のところを見ると…。

あらためて「間に合わなかったんだ…」という思いがこみあげてきました。
中に入ると、お棺の上にはレインボーフラッグがかけてあります。たぶん仲野さんは、いわゆるセクシュアルマイノリティでは、たぶんないです。でも、そんな人が最後の最後までレインボーにこだわってる。仲野さん本人は「アライ」なんて言葉は使わなかったし、本人もそんなことは思ってなかっただろうけど、こんな人がアライなんだよなって思うと、涙がこみあげてきます。
その後おつれあいさんのごあいさつ。
「明日行く予定でした。間に合いませんでした」
と話すと
「またこれからも来てください」
とのこと。ほんとだ。鳥取に来たら、また行こう。

その後、「てんまり」へ。なぜか中の人もまじえて友だちと3人で弔い酒です。弔い酒の割には、すんごく豪勢な料理と日本酒です。そんなのを飲み食べしながら、仲野さん亡き後の虹色らくだのこととか、いろんな話をしました。
で、10時半くらいにおいとま。と、値段見たら「安っす!」。メッチャサービスしてもらったみたいです。でも、うれしいなぁ。「てんまりの中の人」も、仲野さんが引き合わせてくれたようなもんです。
さてと。ホテルに帰って、もう少し飲んで寝ましょうか…。