ゆきみちゃん講演会

一昨年までは特殊な人権学習の組み方をしていたうちの学校ですが、去年からそれができなくなったので、まぁ「ありがち」な組み方にしました。まぁ、全学年一斉ってのはおもしろいけど、カリキュラムとしては無理があったので、それはそれでいいかなとも思ったりもしています。
で、外部講師をどの学年のどの内容で入れるかが問題です。
三題噺は「部落差別」「外国人差別」「障害者差別」です。これを各学年に振り分けて、さらに何学期にやるかを考える。3年生の2学期はリビングライブラリなんで、そうなると1・2年に外部講師となります。そんなことをいろいろ考えて、部落差別はわたしが話をしようかと。それがこないだでした。
それにしても、1学期は1年でプレゼン、2年生は講演で、3年生はプレゼン。来週は1年生のワークということで、何回人権学習するねんという感じです。
てのはおいといて…。
「障害者差別」と「外国人差別」を誰にお願いするか。もちろん鉄板の人もおられますが、あえてそこははずしたいと思ってお願いしてるのが小林春彦さん三木幸美さんのおふたりです。でも、このおふたり、ここ3年でメッチャビッグネームになってしまって、そのうち相手してもらえなくなるかもなと(笑)。でも、わたしに先見の明があったということにしておけば、少しうれしいかもです。
そんなわけで、今日はゆきみちゃんの講演会。対象は2年生です。
1・3・4と授業をやって、昼休みに準備をしてると、同僚が迎えに行ってくれたゆきみちゃんが到着。そこからふたりで準備したりしていたら、生徒が体育館に入ってきました。マジか…。まだ10分前だぞと思ったけど、こいつら10分前行動をしてるんだった^^;。
で、ゆきみちゃんが話しはじめたんだけど、やはりいいな。淡々としてます。「大きな差別」を語らない。ほんとうに身のまわりで起こったことを淡々と話す。だから伝わります。そしてもうひとつ。受け身ではない。なぜなら「ダンス」という形で子どもたちの居場所づくりをしているからです。だから、教員サイドのことも語ってくれます。これは大きい。なぜなら、例えばうちのガッコの子らの中には保育の道に進む子もいます。そんな子らが将来出会うであろう子どもたちの話をしてくれているからです。それからもうひとつは仲パレ〜ダイバーシティパレードという「運動」もやっています。そういう多彩さが、子どもたちのどこかに引っかかります。
終わってから、なんでもひとり会場の外で質問に来た子がいたとか。さらに職員室でダラダラしようと思ったら、ひとり相談に来た子もいました。そうこうしていると、ある担任さんが感想文を持ってきてくれました。そこにも自分のことを書いてる子がいました。すごいな。ほんとに響いたんだ。
今年もゆきみちゃんに来てもらって、ほんとうによかった。来年も来てくれるかなぁ。

その後、しばらく職員室で話をして、4時に年休をとって、ゆきみちゃんと京都駅へ。近くの居酒屋に入って、反省会です。でも、とくに反省することもなく。仕事のことやプライベートなことなどいろいろ話。そうか、ゆきみちゃん、仕事に投入しながらも、少し客観的にみられるようになったんだ。そこから、今の仕事の魅力なんかもわかるだろうし、だから仕事の意味や価値がわかるようになる。
わたしもわたしでいろんな話。
あっという間に時間がたって、気がつくと、ゆきみちゃん、次の仕事に遅刻だとか。ごめん^^;。
それにしても、おなか減った。
家に帰るとたらこパスタ。これは食べなければ!

昼間飲まなかった

朝、目が覚めると、やっぱり起きる気が出ません。まぁ寝坊ができる時は寝坊をしましょう。
で、昼前にのそのそ起きだして、ダメダメ先輩と合流。今日は合同おべんきょです。約束はただひとつ。
昼間は飲まない。
です。
なので、昼ごはんは炭酸を飲みながら食べて、やがておべんきょ開始。ダメダメ先輩は原稿書き。わたしは昨日決意したサックスです。
これ、「付録を見ろ」とか書いてあるので、それを読むためにうしろに行ったり、前に出てきた「規則」を確認するために前に行ったり、はたまた脚注を確認するためにうしろに行ったり、とにかく忙しいです。しかも、言葉使いが独特で、その独特さこそが大切なんだけど、それに前は挫折したのでした。今回は昨日のノートがあるから、その独特さを確認しながら読み進めたので、なんとかいけるかなと。
にしても「対偶」ってそういう使い方なんだ。あたしゃてっきり「p→q」に対する「qでない→pでない」なんだと思ってて、まったく意味がわからなくて困ってたんですよ。
そんなふうに読み進めて、晩ごはんはビール解禁。あーおいしい!

なんか、気持ちいい

朝目が覚めた瞬間「アカン」と直感しました。飲み過ぎです。たぶん2軒目の焼酎がアカン原因です。
てことで、午前はグダグダしながら、それでも後半は軽くおべんきょ開始。
昼をまわったところで外出。向かうのはなぜか立命館大学の図書館です。ここで本を一冊借りることにしました。お目当ての本はすでにあるので、その本のあるところに行って
「あの…、貸していただけますか?」
と聞くと
「どうぞどうぞ」
と。ここに入れてもらって助かったo(^^)o
で、家に帰って再びおべんきょ。
いろんなペーパー読んでましたが、どうやら再びこの本と対面しなきゃならんかなと。これまで何度も読んでるけど、ノートとってないから中身が頭に入っていません(;_;)。
とにかく言葉の意味を、直感ではなく定式化されたものとして身につけないとアカンかなと。てことで、用語集をつくるくらいの気持ちでノートをとりはじめたけど、たいしたもんですね。ノートをとると意味がわかる。今まで何度か読んでよくわからなかったところが、少しクリアになったかな。
となると、次に読むのはサックスかなぁ。本丸やな。前に挫折して、それが原因で分析できなかったから、今度は最後まで読みきろう。

夕方の外出まで1時間半。ランニングかな。ランニングアプリを変えたから、そいつの使い心地を確かめたいという気持ちもあります。
んー。ラップタイムを読み上げてくれるのはいいけど、英語か(笑)。まぁええでしょう。てか、この間後半ペースが落ちる感じだったけど、今日は後半ペースがあがる感じだったので、少しホッとしました。

夜は熊本から来られたお友だちと、そのお子さんと3人で家の近くで呑み。ちなみに「お子さん」と言っても中学校の教員されてます。お友だちも中学校の教員されてたので、学校談義や教育談義。さらにお友だちは今度おべんきょの道に入ろうと思っておられるので、そんなことも。楽しいな。
飲み終えて外に出ると、京都市北部特有のひんやりした空気です。
気持ちいい1日でした。

予想外

朝、「今日は雑務をこなしておべんきょもするぞ」と決意して出勤。職員朝礼で一日のスケジュール聞いた瞬間「あ、無理…(;_;)」とわかりました。
府立高校模試があって、午後は採点か…(;_;)。
府立高校模試、はっきり言ってうちの子らにとっては意味ないです。そもそも、学校間に格差があって、それなのに京都府立高校の全生徒を対象にしてるわけで、そうなると、それぞれの学校ごとに点数が固まるのは当たり前です。簡単に言うと、偏差値が50あたりの学校だと、ほとんどの生徒が40点〜60点に固まるだろうし、偏差値が45あたりだと20点〜30点あたりになるだろうし。さらに、そんな学校内でコースにわけてるから、「一般コース」は15点〜25点になるのはあたりまえです。ついでにいうと、その一般コースを習熟度にわけてるわけで、千枚漬けをそぎ切りにするのかというアホなことをやってるわけです。
で、試験問題つくる人間は全府立高校生を対象にするから、そこで例えば平均点を50に設定するわけで、そういう問題も出すわけですが、15点〜25点の教室にとっては平均点が20点なテストなわけです。はっきり言って、そんなテストを定期テストで出したら「試験作成者が悪い」となります。そういうテストなわけです。そしてそういう教室では、簡単に言うとみんな試験はあっという間に終わってしまうわけで、最後まで解く生徒は誰もいないという風景になるわけです。
つまり、「うちの子らの学力を測定するためのテストではないから、そんなテストは意味がない」ということです。
ついでに言うと、採点は楽といえば楽だけど、ワクワクしません。しかも、各大問がaとbにわかれていて、細かく合計点を入れなきゃなりません。必然的に1枚の答案用紙のバラバラに離れた10ヶ所くらいの枠に「0」を入れなきゃならないわけで、思わず「クレペリン検査やな」というと、みなさん苦笑するなど^^;

そんな一方、わたしがつきあいのある数少ない卒業生の中でも、ほんとに数少ない大学教員やってる卒業生が来てくれて、いろいろ話をしたり。

で、夜は夜で、なんだかお座敷依頼をしてくれた人と打ち合わせだかなんだかわからんけど呑み会。
そんな感じで一日がすみました。
なんかもう、はじめに思ってたこと、なんもできない1日やったな。

古いつきあい

水曜日は、見かけ上はあまり授業がないようですけど、実は忙しかったりします。てか、GTECってなんだよ!「英語に必要な4要素」のテストらしいです。今回は試行の3要素のテストとかで、「読む・聞く・書く」らしいです。そんなん「食う・寝る・遊ぶ」やんか。
てことで、朝から軽い放送業務。
そこから3連続授業であっという間に昼です。急いで昼ごはんを食べて、会議があったり。
なんか、このあたりでヘロヘロです。

で、夜は飲み会。
新羅」という焼肉屋さんが発展的解消をされるので、そのお疲れさまです会です。120人に案内出したら85人が参加するという、とんでもない会です。
ちなみに、わたしはその85人の中でも、最も早くから「おつきあい」のある人です。なにせ、店ができる前からのおつきあいですからね。
1992年かな。Cという在日の高校生が指紋押捺を留保するということで、そこに立会いに行ったのがはじまりでした。それそのものは市役所の人々がとても柔軟で、なにごともなく終わりました。そのあとCとメッチャ話し込んで、いっぺんで友だちになりました。
それからCの家によく行きました。
やがてCのオモニが家を改装して焼肉屋をすることになって、「新羅」ができました。開店祝いになにをするか考えて、パートナーと一緒に看板をつくりました。たぶん85人の半分くらいの人は、ここからのつきあいかな^^;
その「新羅」が河原町にお店を移転するということになりました。うれしかったのは、看板も移転させてくれたことです。でも、わたしはこのあたりからあまり行かなくなっちゃいました。なにせ遠いというか、動線が違うというか。
新羅」にはなかなかおもしろい常連さんが多数おられて、なかなか盛り上がったのですが、やはり高齢化の波が来て、再移転されることになったということです。今回は、その区切りの飲み会ということでした。
大切な友だちのCは亡くなっちゃったのですが、妹のSやYと久しぶりに昔話をしました。
今振り返ると、いろんなことがあったなぁ。カマキリつかまえたりしたなぁ。
そんな話をしながら二次会に行って、相変わらずなオモニと話をしたり。
隣りにいたのがI成さんで、これが悪くて(笑)飲み過ぎてしまいました。
家に帰ったところで記憶がなくなりました。それにしても、よく鞍馬まで行かんかったわ…。

やっと来てくれた

朝からそんなことを考えながら、なんとなくヱビスをあけてしまったり。ダラダラと暴走機関車がつくってくれるごはんを食べながら朝を過ごします。
果たして今日は現役は来てくれるんだろうか。
と、卒業生が精算をしてる時に現役登場!よかった、来てくれた。でも、ひとりでは交流にはなりません。と、1994年の卒業生が高校生の子どもを連れて来てくれました。やったね!他にも卒業生が来てくれたり、昨日の晩から残ってくれたり。
さでと、何をつくろうか。あまり時間がないから、チヂミとギョウザでいきましょう。みんなが買い出しに行ってる最中に、サクッと皮をつくってしまってしばし寝かせましょう。みんなが帰ってきたら餡づくり。ひたすら包丁を動かします。が、みんな包丁使いがうまい!おかげでメッチャはかどりました。
サクサクっとギョウザをつくって、みんなで食べながら雑談。その後自己紹介。時間が短かったので、そんなに深い話まではできなかったけど、久しぶりの「交流会」という感じでした。
さてと。
お家に帰って、寝る前のビールを飲もうかな。

4連発

今日はすごいミッションの日です。果たしてもつんだろうか。
まずはNPO法人JUMPの総会です。てことで、朝から新大阪へ。前を歩く人、メッチャ見覚えがあるから
かよんさんだぁ」
って声をかけたら、メッチャビビられてしまいました。なんでも道で声をかけられることがほとんどないんだとか。マジか…。
で、総会はつつがなく終了。その後懇親会ですが、わたしのところにはいろいろ連絡が入りはじめます。なにせ、今日の午後はここでstnの交流会がありますからね。なので、ぼちぼちと人が集まってきました。まぁ、JUMPの懇親会と並行でもいいでしょう。

で、さっさとビールを飲んで、すみやかにワインに移行です。すでに酔っぱらいの様相を呈しかけてますが、ここは踏ん張りどころ。何せ今日は長丁場ですからね。S藤さんの差し入れのメッチャおいしいいぶりがっこをボリボリしながらワインをチビチビ。でも気がつくとわけわからんようになっているのは当然のことです。で、わけがわからんままにKみちゃんから連絡。来てくれたんや!Kみちゃんを会場に誘導したところで、Tじさんに引っ張られて会場をあとにして、向かうは前のおべんきょ部屋です。

ここで、おべんきょ仲間の歓迎会です。今回は卒業生も参加させてもらえるので、喜んで参加させてもらいました。が、すでにベロベロになりかかってます。いや、ベロベロというよりヘロヘロか。おべんきょ仲間のしょーもなくも楽しい話を聞きながら、最後は寝てました。

で、再びTじさんに引っ張られて東九条へ。今日は卒業生の会です。会場に着くと、いつになくにぎやかです。暴走機関車家族をはじめいつものメンバーに加え、stnから流れてきてくれた人もいて、なかなか楽しい。
で、気を取り直して飲み直しです。やがて11時過ぎ。今日は「おっさんずラブ」の最終回じゃないですか!ラッキーなことにstnの流れの人もおられます。一緒にキャッキャ言いながら見てしまいました。
時計が12時をまわったところでおふとんを敷いて横になったら速攻爆睡です。

それにしてもよくがんばったなぁ(笑)。

突然の訪問

今日は校外学習の日です。例年ビール抜きのバーベキューの1日になるんですが、今年はなぜか引率なし。学校待機になりました。なので雑務をしたりランニングしたり。走っているうちに、なぜか「王将のギョウザを食べたい」と思って、しかもそれがいつの間にか「天一食べたい」に変わっていったり。たぶん、昨日の夜ケンミンショーで富山ブラックを見たからですね。「京都ブラウン」が食べたくなったんでしょう。
てことで、誘惑に耐え切れずにJR→地下鉄と乗り継いで今出川へ。ちなみに、午後に行く予定のところの近くにも有名店はあるのですが、やはりここは今出川店です。京都ブラウン、うまかったっす。
その後、北大路まで移動して、大谷大学に潜り込んで、少し原稿考えてみたり。
そうこうするうちに四日市の人たちが到着。ツラッティに向かいます。ここ、これまで何回来たかなぁ。ここの展示はけっこうおもしろいんですよね。なんと言っても古地図がおもしろいです。それから航空写真かな。京都の街の変遷がよくわかります。四日市の人たちが本郷さんの説明を聞いている間、わたしは「ふーん」と思いながらそんなこんなを見てみたり。
その後、なぜかわたしがあたりをほんの少しだけ案内してしまいました。よく知らんのに、よー案内とかするわとは思います。
で、5時になったところで、みなさん、「六条村に行きたい」と言われるので、それでは案内しましょうかと。てことで、川崎村→天部村を経由して六条村へ。さて帰ろうとなったけど、なんとなく「飲むか」となって、たまに行く角打ちへ。いつものお母さんが「あんたはん、久しぶりやな」ときれいな京都弁で迎えてくださります。
でも、今日の話で一番おもしろかったのが、
「北は〇〇通り、東は〇〇通り、南は〇〇通り、西は〇〇通り。これらに囲まれたここが同和地区や。オレはそこで生まれ育った」
と胸を張って言われたところかな。なんでもとある運動団体支部長もされてたとか。そこから昔話をたっぷりと聞かせていただきました。まさにオールロマンス行政闘争の頃の話です。メッチャおもしろかった。
そんなこんなで有意義な夕方は過ぎて行きました。

生みの苦しみ

今日の夕方は入口にたどり着いたかもしれない話を深めるおべんきょ会です。2時間ほど早めに前のおべんきょ場所に行って、おべんきょ部屋に侵入していろいろ調べてみたり。
いま、わたしの頭の中は『この本』になってるので、ついそちらに引っ張られます。なので、いろいろ検索かけてみると、少ないながらもやっておられますね。これはおもしろい。ということで、「のおと」をつくっておべんきょ会に参加。みんなであーでもないこーでもないとウンウンやって、2時間弱で挫折。センセはひとこと。
「生みの苦しみやな」
てことで、暑気払いに行きました。今回の幹事はわたしです。まぁええかと久しぶりのおむら屋です。だって、野菜が食べたいんだもん。
ここでは、もっぱら沖縄修学旅行の話で盛り上がりました。が、わたし、長く修学旅行に行ってない。でも、沖縄には行ってます。行ってますが、なにせ野入さんプロデュースのディープなフィールドワークしか知りません。なので、話が微妙にズレます。まぁええか。泡盛飲んで話を聞こう。
ま、そんな感じで9時過ぎに飲み会終了。久しぶりの叡電を楽しんで、無事家に帰りましたとさ。

やってたなぁ

今日は午後から第二の故郷に出張です。なんでも、人権教育研究会の総会だとか。わたしはそこの研究会には所属してないけど、オブザーバー参加をさせてもらってます。
前半は総会。わたしは議決権はないから、ひたすら聞くだけです。寝ちゃいました(笑)。で、そのあとの記念講演は、かつて一緒に同和教育の連絡会をやった仲間によるものです。
第二の故郷の中学校は、とにかく荒れと低学力で有名でした。いつだったか、中の人が「うちは京都で一番学力が低い」と胸を張ってました(笑)。でも、それではどうしようもありません。なので、おそらくは50年くらい前からいろんなとりくみをしてきました。
はじめは「荒れ」との闘いです。ちなみに、40年くらい前の状況は、教員の平均年齢が30歳くらい。平均在職期間が2年くらいという、メッチャクチャなデータが残っています。つまり、教員がもたないってことです。そんなところから、「荒れ」を克服するとりくみが長く続きました。ちなみに、いつ頃まで続いたかというと、わたしが担任してる頃も続いていました(笑)。なにせ、近所の中学校と河原で決戦してたらしい。もちろん素手なんてことはないです。金属バットとチェーン使ってたらしいです。ほんとに落ち着いたのは、ここ10年くらいじゃないかな。でも、荒れてる時の子どもたち、決して学校からソッポを向いてはいませんでした。中学校への信頼は厚かった気がします。そんな「信頼」をベースに、20年くらい前から「低学力」との闘いがはじまりました。
ちなみに、わたしが「参戦」したのは30年くらい前です。最初期に出会った子らは、まさに荒れと低学力の両方を持っていて、「学習会」という名前の信頼関係づくりの場に誘うところからはじまりました。そんななかで、でもやめていった子もいたなぁ。やはり、高校では最低限の学力はどうしても要求されるんですよね。
「低学力」との闘いが組織化されたのが「同和教育連絡会」だったんですよね。ここは10歳くらい年上の先輩たちが参加していて、鉄砲玉時代のわたしは参加させてもらえませんでした。でも、ほどなくして鉄砲玉を卒業して参加するようになりました。なんかそう考えると、歴史の転換点に、わけもわからずに居続けてますねぇ。
で、低学力は克服したかというと、まだできていません。でも、かなりマシにはなったかな。
荒れも低学力も、ほんとに長い時間をかけてそうなったわけで、それは対症療法的になんとかなるものではないんですよね。そして、「連絡会」も対症療法でなんとかしようとはしてない。
そんな歴史を、仲間の講師は話されました。
わたしは今も「連絡会」に参加しています。まだ歴史は終わってなくて、つくられている途中です。

で、夜は数学科の飲み会です。場所はおとつい行った店です。我ながら「なにやってんねん」と思います。まぁでも、料理もワインもおいしいし、赤ワインこぼさなかったし、久しぶりに「今宵もはじまりました」に投稿できたし、まぁええか。

さらに出掛けには70円まけてもらえたし、店員さんに顔は覚えられてたし、まぁええか(笑)。