午後は在日外国人生徒交流会

で、レポートを終えて、東九条へ。こちらでは、京都・在日外国人生徒交流会のメンバーが、11月3日の東九条マダンへ向けて、キムチのつけ込みと焼肉のタレづくり。行ってみると、卒業生とかその友だちとか、結構いっぱい人がいてなかなか活気がありました。キムチ・タレづくりと平行してお昼ご飯づくりもやっていました。メニューは、定番のチヂミと水餃子、あとは簡単なところでピビンパです。作業が一段落したのは、すでに3時頃。それからみんなで昼ご飯を食べて、いろいろ話。卒業生の在日の子が、中国帰国の中学生とけっこういい感じで話をしてくれていました。やっぱり、教員ではできない役割があることを実感したし、それをきちんとやってくれる姿に関心をしました。
昼ご飯のあとは、在日の子が持ってきてくれたチョゴリを使って試着タイム。とうぜん(笑)、生徒からは「次はいつきちゃんな!」という声がかかります。で、その声に答えて、初チョゴリ*1これがそれです(笑)。ピンクのチョゴリにはちょっと歳がいきすぎていますが(涙)、まぁ、それはそれで…。でも、ちょっとうれしかったです。
なんだかんだで、交流会が終わったのが5時半頃。メッチャ疲れました。でも、たくさんの生徒が来てくれて、とても活気がありました。やっぱり、生徒が来るとおもしろいなぁ。
さて、次は東九条マダンだ!

*1:そのうち公開します

ならサンウリム

今日は、奈良の東大寺で開催された「ならサンウリム」でサムルノリをしてきました。
とりあえず、朝、パートナーの運転する車で奈良へ向かいました。と言いたいところだけど、パートナーは道を知らない&慣れないでかい車ということで、途中はわたしが交代して運転。でも、まぁ身体もずいぶんとマシになってきているので、いいかな。
で、着いたら他の人たちはすでにご飯を食べていました。で、開口一番「どないしたん?」「いや、バイクで…」「な、ゆうたやろ?またなんかあるでって」「まぁ2度あることは、ってことはもう一回?」みたいなしょーもない話をして、それが一段落したら「あそこに、泡盛売ってるで」と、さっそく飲む話。まぁ、帰りはパートナーに運転してもらうから大丈夫です。
で、適度に酔ったところでサムルノリの練習。微妙にあいません。でも、それくらいのほうがいいんです。練習でぴちっといけた時って、たいがい本番で滑りますから。
で、本番。気持ちよかったです。みんなが「あわせよう」と思っています。ちょこっとずれたら互いに目で合図。ピタリとあったところで、それぞれが遊びを入れます。そんなことを繰り返しながら、15分ばっか、プクを楽しみました。やっぱ、サムルはいいなぁ…。

F1最終戦

アロンソの圧勝。ミハエル・シューマッハは途中リタイア。なんか、今シーズンを象徴するエンディングでした。
でも、シューマッハって、初チャンピオンの時ルノーに乗っていたような気がする。あのとき、たしかV8エンジンだったけど、すごく早かったんじゃなかったっけ。あのときからファンなんですよね。というか、もともとわたしが好きだったドライバーは、アラン・プロストだったりするんですけど…。
まぁ、フェラーリが長いトンネルを抜け出したここ数年で、その間他のチームは長いトンネルだったわけで、ふたたびフェラーリはトンネルに入ったわけです。これが長いのか短いのかは、まだわかりません。来年のフェラーリシューマッハに期待しようかな。

初プレステ2

昨日、ふと思い立って中古ゲームソフト屋に行きました。GT4を買おうと思ったのですが、やっぱ高い…。ボーナスまで待とうか(涙)と思って、別のソフトを見ていたら、「モトGP」なるものがありました。これなら給料日当日のわたしなら手が届く(笑)!で、買ってしまいました*1
で、そのゲームを取り出して、昼から上の子どもと遊びました。やっぱり、ゲーム慣れをしているヤツは上達が早い。「実車ならこうは行かない」などと言っていたのですが、まぁ、ゲームの世界ではそんなものは戯言ですね。素直に負けを認めました。

*1:ちなみに、「ポイント会員になるか」と聞かれたので、申し込み用紙に必要事項を記入。で、生年月日を西暦で書いたら「元号で書け」と言われたので拒否。そのまま会員になるのを断りました

サムル

10月23日に奈良の東大寺で「ならサンウリム」というお祭が開催されます。で、わたしも一緒にサムルノリを叩かせてもらっている人たちに「叩いて」というオファーが来て、行ってくることになりました。で、今日はその練習。
今回は、いつものメンバーのうちの1人が都合がつかず、そのかわりに別の人が参加することになりました。おもしろいもので、メンバーが替わると、雰囲気が変わります。いつもは、みんなが好きずきに叩いているのですが、今回は「調和」という感じです。実は、こうなるとわたしとしては、叩きやすいんです。このあたり、やっぱりクラシック好きの血が出てくるのかなぁ。
で、「チン、ちょっとうるさすぎるし、ない方がいいんちゃう?」という話がでて、わたしの担当はプク→チン→プク→チンという、持ち替えまくりになりました。でも、おいしいところを渡り歩けるので、メッチャ楽しいかなぁと。
練習していると、2台のチャンゴと2台のプク、計4台の音がひとつになるのがよくわかります。思わず鳥肌が立ちそう。
う〜ん、23日が楽しみ…。

で、総括合宿の続き

朝、朦朧とした頭の中に「ピピピ」という音が響きます。今日もいらない目覚ましのおかげで6時に起きてしまいました。くそ〜。でも、根性で、布団の中でしばらく寝返りをうっていました。そうこうするうちに、だんだんと起き出してきて、やがて朝食*1。8時半から総括会議の続きです。
よもやま話をしている時は、「高校生やなぁ〜」と思うのですが、会議の時はぴしっとしている姿に「すんげぇ〜」と思ったのは、わたしばっかりじゃなかったと思います。いや、ほんとうにみんな今年の交流会の総括を真剣にし、来年の交流会へ向けて、成果と課題をきちんとまとめていました。約3時間の白熱した会議。ウチの学校の職員会議よりよっぽど中身がありました(笑)。
お昼に解散ですが、急がない人たち相手に、軽〜く東九条フィールドワーク。今回は、「パッチギ!」の撮影後なんかも案内したりして、1時間ほどの散歩でした。

*1:おにぎりを1人2個

寄り道

で、みんなで帰ったのですが、わたしだけ東九条で寄り道。今日から明日にかけて、夏にやった全国在日外国人生徒交流会の生徒実行委員会の総括合宿をやっています。で、わたしも夜から参加。といっても、着いたらすでに今日の論議は終わっていて、生徒はお風呂へ。教員はビールという状態でした。なんとなくぐだぐだしゃべっているうちに、昨日からの疲れがでてきておねむ。おとなしく2段ベッドの下段にもぐりこんで、おやすみなさい…。

スピーカーまわりのこと

この日記を見ていただいている方、けっこう放送担当(放送部顧問)をしておられる方、多いんですね。他にも、オーディオマニアの方もおられるみたいですし。
いや、スピーカーの数を増やしたいというのは、前々から事務長に言っているのですが、なかなか予算がつかないみたいで、実現できません。
ウチの学校、創立当初は古墳の上にできた学校で、まわりに人なんて住んでいませんでした。私が赴任した頃も、学校の前に数軒あったくらいでした。ところが、ここ数年ものすごい勢いで宅地造成がされて、学校のまわりにどんどん家ができはじめました。すると、「こっち方向には家がないな」ということで設置されていたスピーカーの方向に、どんどん家が建ってくるわけです。すると、「放送、五月蠅い」「チャイム、五月蠅い」ということになるわけですね。そんなん、学校のまわりに住んだらうるさいのなんてわかりきった話なのに。しかも、あとから学校ができたんじゃなくて、先にあったんだからねぇ。でも、まぁ「住民感情」というのは、そうゆうもんなんでしょうね。

強制執行阻止緊急集会

京都府宇治市にウトロという在日朝鮮人集住地域があります。もともとは、戦時中の京都南飛行場の建設のために集められた朝鮮人飯場でした。日本の敗戦(朝鮮の解放)のあと、ここで飛行場建設をしていた日本人達*1はそこからとっとと逃げていったのですが、さまざまな事情で本国に帰らなかった朝鮮人達は、そこで生活を続けました。
ところが、ウトロの土地は、その上にすむ人たちの意志とは関係なく、日産車体に譲り渡されていました。ここが、おそらくウトロ土地問題の原点となるところです。
その後、ウトロに人たちは、まわりの日本人からの差別とそれによる貧困の中で、それでもたくましくしたたかに生活をしてこられました*2
ウトロの問題が「日本人の問題」として認識されるようになった最初の出来事は、おそらく「水道問題」だったのではないかと思います。1980年代後半、周囲では上水道がひかれるのが当たり前のご時世に、ウトロには水道管が入っていませんでした。そのため、宇治・久御山という工業地帯であるにもかかわらず、ウトロの人たちは井戸水で生活をしていました。もちろん、水質調査をしたら「飲料に適さない」と出てきます。「ウトロに水道を!」というウトロに人たちの声に呼応する形で、「ウトロ地区に水道敷設を要望する市民の会」というのができました。

と、ここまで書いて、こりゃぁ、長くなるなということで、あとは詳しくは、ウトロのサイトをご覧下さい。ウトロって何?とか年表なんかもあります。

で、わたしとウトロとのつきあいはかれこれ13年になりますか。チャンゴを教えてくれたのもウトロ、焼肉の楽しさを教えてくれたのもウトロ、朝鮮人の多様さを教えてくれたのもウトロ。まぁ、いろんなことを教えてもらってきました。
で、いまそのウトロがたいへんなことになっているわけです。
で、集会に行ってきた*3わけですが、いや、したたかですわ。「強制執行は中止になったけど、うれしい反面、実はちょっと残念」「強制執行になったらニュースになる」などという発言が町内会の実質トップからでてくるという…。まぁ、かつて300人の焼肉をする時に、まわりは「雨が降るか、かろうじて持つか」という天気にビビっていたにもかかわらず、この人「土方は天気には勝てん」と、一人悠然とタバコを吸っていたという人ですから。
しかし、転売につぐ転売。しかも、あとになればなるほど状況が悪化していくという…。
なんとも言えない、口惜しさというか無念さというか…、そういう思いがこみあげてきました。それでも、オモニやハルモニ達は元気だったし、日本全国どころか、韓国からも駆けつけてきた支援の輪の広がりが救いだったかなぁ。
決戦は11月に持ち越しということです。

ウトロお礼と報告
昨日25日は「強制執行阻止緊急集会」に多くのみなさまが
お集まりいただきありがとうございました。
今回の強制執行が中止となったことで、ウトロのハルモニに
少しではありますが、安堵の表情が見えたことがなによりでした。
とはいえ、11月以降はシビアな状況が続きます。
昨日にも増して多くのみなさまがウトロに注目し、ことあれば
ウトロに駆けつけていただける体制をとっていただきますよう
重ねてお願いいたします。
本日も早朝より町内会会長、副会長とKINの蠔芝遠さんが
東京の韓国大使館に出向きました。守る会とKINの2人の
メンバーは宇治市役所に現地調査を要求する韓国国会議員の
要望書を届ける予定です。
強制執行を避けるための最大限の努力を続けています。
今後とも支援の輪を一層広げていただきますようお願いいたし
ます。
最後に昨日の新聞報道記事NET版京都新聞のアドレスを
貼り付けます。(携帯の方はPCで見てください)
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2005092600029&genre=C4&area=K20

*1:いまで言う「ゼネコン」です。

*2:こういう書き方って、紋切り型でイヤなんですけど、ほんとうにそうだったりするんですよね。

*3:というか、放送担当として実行側にいたりして…