ここでもできるのか

朝、早く帰ってきたとはいえ、しんどいものはしんどいです。それでも、1時間目に授業があるのでしかたないです。行かなくちゃ…。
てことで、WE ARE ONE Tシャツを着て(笑)出勤です。
で、子どもたちにこの土日の報告をするなど。とはいえ、年度当初だからか、いまひとつ反応が薄いです。にしても、TRP話とか、stn話とか、ほとんどcomingoutなんだけど、直接言わないからわかりませんよね(笑)。
あとは提出プリントのチェックをしたり、頼まれたDVDを作成したり。そんなこんなをしていたら、あっという間に定時です。

で、家に帰ってお風呂に入って、ごはんまで少しあるとのことなので、ここでおべんきょです。すると、案外できるもんだなと。
今読んでるのがこれです。まぁそのせいで

隣で話す3人の熟年おねえさまの話の回転の速さがおもしろすぎて、ゴッフマンが頭に入らない。てか、3人はゴッフマンを実証してるのか?

みたいなことをつぶやいてみたりするわけです。ちなみに、即座に反応してくださったT田さんとの会話
T「読んでるのは『集まりの構造』の関与のとこですか?(^_^)」
い「いや、まだ『行為と演技』です^^;」
T「『行為と演技』で、聞き耳たてる話って、何だったかなぁ。」
い「いや、話し手と聞き手が頻繁に変わるんですが、そこで話されてる「ネタ」を通して自分を相手に対してどう演出しようとしてるんだろうと…^^;」
T「ねーるーへーそー。どういう自分を呈示しようとしているのか、にするとカテゴリーの話にできるし、スティグマ社会学につながる気持ちがしますー。」
それにしても、こういう会話ができることそのものがうれしいです。
それまで漠然といろんな人を見ていたんだけど、そしてそれは例えば「個人のふるまい」として見ていて、時に「なにかを主張しているな」とは思ったけど、そうは思わないこともままありました。でも今は、ある集団の中で、あるシチュエーションの中で、そしてある属性をあらわす徴を身にまといながらおこなう「ふるまい」は「自己呈示」なんだっていうふうに思うわけで、すると例えばあるグループでの会話の声の大きさひとつとっても、それがそのシチュエーションの中でどの範囲まで自己呈示をするのかとか、そのことを通してみたいな「意図」が伝わってきたりして、メッチャおもしろいです。そう考えると、例えばインタビューひとつとっても、そこにいろんな情報がつまっていることがわかるし、自分の今までの「読み方」の不足がわかるというものです。そして
「そうか、だからストーリーなんだ」
と。
ま、こんなことは、実は『これ』書いてる時も、ほんとうは気づいていたはずなんだけど、それが明確な言葉にはなってなかったんですよね。
てことで、ごはんを食べてビールを飲んでからも、再びおべんきょ。で、一区切りついたところで報ステの時間が来たので、離脱。ちょこっとウィスキー飲んで、さて寝ましょう。

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