日本社会のしくみと教育

今日は某人権教育研究会の夏季研です。事務局なので早めに行かなきゃなりません。なので、いつもより少し遅いくらいの時間にスタート。到着したら、すでに他の事務局の人は来ておられます。窓から外を見ると、なにやら続々と人が来られます。君たち、来るのが早すぎるよ。
てことで、午前の分科会用に会場設営。が、フタを開けると満席です。なにしろ、おそらく過去最高の140人ほどの参加ですからね。
今回のわたしの役まわりは「odd socks day」についての代理レポートです。ただし、わたしはトリ。前におふたりレポートされます。ともに厳しい状況の生徒へのかかわりですが、どうも「インクルーシブ」な感じがありません。うーん。
ということで代理レポート。
途中
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うちの学校には車いすの生徒も、突然大声を出したりウロウロしたりする生徒もいません。入試制度や進路指導の結果、そうした子どもがうちの学校から排除されているからです。だから、生徒たちには「そういった生徒と出会えなくて不幸だね」って言ってます。
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とコメント。そのあとはつつがなくレポートして終了。
おべんとを食べたら、今日の講師の知念さんお迎えです。
知念さんには、個人的にものすごくお世話になっています。もっとも、知念さんご本人はご存知ありません。わたしの最初のおべんきょ成果のタイトルは、「〈ヤンチャな子ら〉の学校経験」からパクりました。それだけでなく、全体の構成もメッチャ参考にさせていただきました。実は学校づくり研究会でお会いできたらお礼を言いたいと思っていたのですが、残念ながら会えませんでした。直接メールでやりとりしたのはハクロンを書いたときで、こっそり「ブツ」を送ってもらいました。そんなこんなで、今回の依頼を通して、ようやく直接会えることになりました。
ということで、午後の記念講演。
まずはアリストクラシーからメリトクラシーの話。あるいは近代の学校制度がめざした理想と、結局の現実の乖離の話。さらに、現在の教育格差の話。そんなあたりを説明されます。個人的には、このあたりは知っている話ではありますが、今回の参加者、特に新規採用の人たちには知っておいてほしいところですね。
話はさらにブルデューやコールマン調査へと進んでいきます。マニアックです。そして、ここからが知念さんの真骨頂ですね。X市の調査から浮かびあがるものです。
端的に言うなら、SESというひとつの物差しで測れるのか?ということです。ここで知念さんは「大企業型」「地元型」「残余型」という3類型を持ち出されます。そこから、インタビュー調査結果を類型化して、その語りの特徴を示されます。これが実におもしろい。生徒たちの顔が浮かんできます。
そして「まとめ」です。知念さんは「理想の世界」や「あるべき方向性」は示されません。逆に、これまでめざしてきた方向性への「疑問」を提示されます。つまり、これまでめざしてきた方向性は「大企業型」だということです。なぜなら「メリトクラシーな社会」を目指してきたからです。でも、それは破綻している。そのような中、「地元型」への着目は、おもしろいですね。そして「残余型」の厳しさもまた示されます。つまり、社会関係資本みたいなものが、実はすごく大切だということです。
話を聞きながら、<やんちゃな子ら>の2類系の話を思い出します。あるいは『ヤンキーと地元』『裸足で逃げる』のこととかも思い出します。前者は「地元型」のしんどさを、後者は「残余型」のしんどさを描いていますね。そして、後者が女性を描いているのも象徴的です。
と、質疑応答の中で、ご自分にジェンダーの視点が不足していることを話されました。いや、不足していることがわかっているということは、その視点があるということなんですけどね。ほんとうに不足している人は、「不足している」とは言われません(笑)。
ということで、メチャクチャスリリングな講演も終了。
帰り道ご一緒させていただきながら、いろいろ話。当然のことながら志水さんの話が出てきます。たしかに、志水さんは「大企業型」をめざす方向なんですよね。でもそれは時代かな。まさに志水さんは「メリトクラシーな時代」の中を生きてこられた。でも、知念さんはそれが崩壊した「ペアレントクラシー」の時代を生きておられます。あるいは、インタビュー対象者がそういう時代の人たちです。そういう意味では、志水研が知念研へと移行していくのは、当然の流れなのかもしれません。
ということで、京都駅で「軽く」呑み。今日の振り返りをしたり、はまたた、わたしのおべんきょの話をしてみたり。会長も合流してきて、大盛り上がりです。が、突然「2時間縛り」があることが発覚。まぁでも、その方がいいです。ということで、8時に解散。
ちょうどいいですね。