「自分らしく生きる」?

朝起きるとすっきりしてます。birth効果なのか、単に早く寝たからなのか。まぁ全部ひっくるめてでしょうね。やはりこういう日が大切です。
てことで、今日は朝から3時間連続です。本来は2時間しかないんですけど、来週出張なので、それの振替授業です。きつい。
とにかく何も考えずに授業をこなして、ようやくひといき。ちょっと自炊でもしますか。
午後は「おいた」をした子の相手をしてみたり。なかなか飲み込みが早いから助かります。放課後は文句のある子の相手をしてみたり。
「なんでわたしだけ。それって運なん?」
「そやで、運やで。交通違反と一緒やで」
「T先生も同じこと言ってたわ」
まぁそんなもんですよ。あきらめなされ(笑)。

てことで、1時間休みをとって退勤。向かうは豊中です。今日はこんなのがあります。

一歩くんと出会ったのは、ちょうど10年前ですね。あれからいろんなことがあって、今はお互いに人前で話をするようになりました。ちなみに、一歩くんもわたしも共通してるのは「自分「を」語る」のではなく「自分「で」語る」ところです。たぶんふたりとも「自分のことをわかってほしい」とか思ってません。自分のライフヒストリーを触媒にして、そこに起こる化学反応を期待しているんだと思います。
そんな一歩くんとわたしに「自分らしく生きる」というテーマで対談をしろというオファーが来たんですよね。おもしろいなと思ったけど「自分らしく生きてるのか?」というか「自分らしく」ってなんだ?ってふたりにそれを頼むか?と(笑)。でも、頼まれたことは断れません。それは一歩くんも同じだったみたいで、やることになりました。
ちなみに打ち合わせはしましたが、ぜんぜん打ち合わせていませんでした。その後、いちおうLINEで話す項目は決めたけど、一歩くん、よほど不安だったのか、おとついも「打ち合わせしよ」って言ってくれたけど、結局「なんとかなるで」ということで、やっぱり何も決めず。でもいちおうスライドだけ準備することにしました。でも、やっぱり不安なんでしょうね。豊中に向かう電車の中で、再びLINEで打ち合わせ。ここでようやく意思一致ができたかな。
てことで、会場に着いてセッティング。ところが音声が出ない。まいったな。まぁええか。てか、なんで画面の色が真っ黒になったんだ?でも、そんなことも言ってられないので、プロジェクタとつないで二人会開始です。

今回の二人会ではひとつのチャレンジをしようと思いました。それは、徹底的にライフヒストリーにこだわるってことです。用語説明もしないし、社会への発信もしない。ひたすらそれぞれがそれぞれのライフヒストリーを話す。社会化をするとすれば、それは聞く人に委ねる。そのためには、過去あったことへの今の自分の評価を徹底的に排除する。楽しかったことは掛け値なく楽しく話す。
てことで、普段は話さない親のところから話をスタートさせました。すると一歩くんもそれに応えるように親のところから話をスタート。へー、そんな子ども時代を過ごしたんだ(笑)。
歴史が重層的であるのと同じようにライフヒストリーも重層的です。そして、親や友だちや教員や、その他さまざまな人との相互作用の中にライフヒストリーがある。そして、内面はそこにはほとんどあらわれない。というより、内面は「あとになって言葉化される」。なので、言葉化される以前の内面は、ライフヒストリーには含めない。それがチャレンジでした。
そうやって語っていった時、ふたりのライフヒストリーは、あたりまだなんだけど、まったく違うんですよね。そういうライフヒストリーが、後になって言葉化された内面へと話が進んでいった時に、共通の体験へと変化していく。おそらくそんな二人会だったんじゃないかな。
そして最後に「自分らしく生きる」ってなに?という問いにふたりで答えました。
一「みんなから自分らしく生きたらいいんだよって言われたけど、その「らしさ」に自分はなかった」
い「「ありのまま」なんていうものは永遠に変化し続けつくり続けるものなので、そんなものはない」
まぁそういう結論しかないよなぁ(笑)。
終わってからいろんな人が来てるのがわかりました。みんな「おもしろかった」とか「斬新だった」とか言ってくれました。よかった(^^)。でも、グッタリと疲れました。
なので、打ち上げでははじめはしゃべれませんでした。もちろん燃料補給をしたらしゃべれるようになったけどね(笑)。
でもま、こんな機会はきっと二度とないだろうし、あったとしても二度はできないな。