長くやるもんだなぁ

今日、廊下である教員に呼びとめられました。
「ぼく、こないだのリビングライブラリであの子を当ててよかったんですかねぇ」
「差別問題の関係者になって気づいたこと」というセッションの質疑応答の時間に、誰も発言しないので、その教員は適当に生徒に当てて感想を言ってもらったんですね。で、その子が「わたしも差別を受ける立場の人間です」って話をしてくれたんです。
その教員は、自分が当てることでその子に「言わせてしまった」って思ったのかな。そして「よかったんでしょうか」って悩んでたんです。もちろんわたしの答えは「当てたことがよかったんです」です。
だって、当てたとしても、その子が「言いたい」と思わなかったらたぶん言わない。その子は「言いたい」って思ったから言ったんです。言うか言わないかはその子が決める。教員ができることは、その場・そのタイミングをつくることくらいです。「その場」はその子本人がつくりました。だって、「その本」を選んだのはその子です。そして「タイミング」は「本」とその教員の共同作業です。そしてその子は自分で「言おう」と決めた。
その子のその決定はいろんな人をつなぎました。
まずはその時そこにいた子。そんなことがあったから、金曜日の昼休みにその子のところに行きました。そしたら、同じセッションにいた別の子が
「びっくりしたわ」
って言ってました。どこか遠いところから来た人じゃなくて、隣で机を並べてる子が話したことのインパクトとリアリティは、きっと忘れないです。
次にわたし。その子のことは前から気にしてたけど、言ってくれたおかげでその子とつながれました。ちなみに東九条マダンに誘ったのはその子ですが、そのおかげでアボジとも出会えました。
次にI野さん(笑)。わたしとアボジがつながったおかげでI野さんもアボジやアボジの兄弟やそのパートナーがさんともつながれました。
そしてなによりその子。同じ小学校出身の別の在日の子と
「あんた、なんでここにいるのん?」
「あんたこそ」
「残り短いけど仲よくしよな」
ってやってました。
最後に最初の教員。「よかったんですかねぇ」って言ったあと
「かつてすごく世話になった恩人が部落差別を受けたことを知って、ほんとにこの問題について知らなきゃならないって思ったんです」
と言ってくれました。そんな話を放課後の廊下でする日が来たんだなぁって、感慨深かったです。
ながくやるもんだなぁ…。

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