発表メモ・GID学会番外編

とりあえず、メモだけはっておきます。

「男とはなにか、女とはなにか」。「性を変更する」ってどういうことか。それを考えないと、支援の方法は見つからない。
とある民法学者によると規定はない。「社会から女性と見なされる人のことを女性という」→部落の定義

結論的には、身体加工のみ性の変更ではない。社会的な関係をどう変えていくのかということが重要。
しかし、そのことを特に若年層当事者は誤解しがち。なぜなら、SRSには付加価値が多すぎる。→身体加工に走ってしまう

やりたい子はやったらいい。でも、それをしないと性の変更ができないとするのはまちがっている。

高校2年で出会ったある参加者。
高校中退→板前→「なにやってるねん」「保育士になろう」→高校に行く→卒業→短大入学
中退前「医者に行きたい」「ホルモンしたい」
「医者はいつでも行ける。ホルモンはいつでもできる」といって邪魔した。

メールで取材。
Q「きみにとって、わたしは邪魔やった(笑)?いや、正直、邪魔して時間かけさせたやんか。あの時間は無駄やったか意味があったかを聞かせてm(_ _)m」
A「すぐに治療したいとゆうのはあったんですけど、時間かけずにぱっぱっとやってたら、親に何の話もせずやってたから、時間かけたというのには良かったのかもしれないと、今になって思いますね。でも高校のときとかは、なんでそんなすぐに治療とかしていったらあかんねん!今すぐにしたいねん!て思ってましたね、正直(-_-;)」

繰り返す。
やりたい子はやったらいい。でも、それをしないと性の変更ができないとするのはまちがっている。

今の動き→医療と学校と家庭の連携→「個人のケア」で突破しようとしている。
で、教員にも期待される。「教育は大切」わかるけどね。
でも、教員は忙しい。
「無理解」というけどね。→研修→課題は山積み
研修は、「知る」ためじゃなくて「わからないけどわかりたいと思っていることの糸口を見つけるためのもの」。研修を受けたから理解できるものではない。

で、わからないから専門家のところに連れて行こうとなってしまう。これが連携?
学校教育の中でになわなければならない役割は何?
専門家のところに連れて行くこと?ちゃうやろう

ほんとはみんな「なんとかしたい」と思っている。それは教員の本能。でも、ルールとの間の齟齬がある。ルールはなぜある?誰が必要としている?制服は誰が必要としている?

ある高校生の話
あるFTM→ズボンをむりやりはいていく。
ケース会議。親の了解がないとダメ。親に話せる関係じゃない。暗礁に乗り上げていた。たぶん病院にも行けない。さて、どうする?

1対1の限界では?
「医療」は原則1対1

しかし…
「交流会」はグループのケア→学校でできること

自分と出会うためには他者と出会わないとわからない。

「他者」は、まずは同じ属性

さっきの「大学行った子」も交流会に来ていた。「違う」とは思っていたみたいだけど、それでも来ていた。
交流会ではつめる。
中学生のFTM→必死
高校生のMTF→声が出せない。わかる→でも出す

さっきの高校生のこと
「交流会に参加した翌日父親に話をした。制服を今すぐに何とかするとまではいかなかったけど、これから話し合っていこうと父親に言われた」
好きな女の子から「なにむちゃくちゃしてるの」と嫌われた。交流会に参加後「自分は自分」→仲直り

病院に連れて行ったら病気になり、交流会に連れて行ったら変態になる。

それは生徒だけではなく教員も。

その高校生を連れてきた教員
「解決策として女子のズボンをはくことになった→「いや」だった。女子のズボンをはくふりして男子のズボンをはけばいい。本人は納得」。
抜け道を見つけられるようになった。

「他者」のもうひとつは「異なる属性」→学校でできること2

ある当事者を支援しようとするなら、その当事者自身へのかかわりと、周囲への働きかけが必要。周囲については、教員も含む。周囲のかかわりについては「そのことを」伝えるのか、「そのことを通して」伝えるのか。わたしは後者。それが「かわいそう」ではない伝え方につながる。GIDは特殊な問題ではない。

ある部落の生徒→「講演を聴いているまわりの子どもたちの顔を見た時に、このクラスなら言えると思った」

最後に写真

医療とのかかわりはぜんぜん言いませんでした。
たんなる教員のぼやきやけど、それを知った上でどう連携をとるかを一緒に考えていきましょう。

今年の最大のヒットは
病院に連れて行ったら病気になり、交流会に連れて行ったら変態になる。
でした。

総括学習会・GID学会2日目(その2)

で、岡山駅に行って、新幹線を待ちながら、総括学習会です。
でも、なんの話をしたか覚えてない。まぁ、単なる酔っぱらいの集団ですから。
その中でも最も酔っぱらっている関西組が最後まで残って、このグループが新幹線に乗ったところで、今年のGID学会も終了。
来年は埼玉。再来年は沖縄か…。

カラオケ状態・GID学会2日目(その1)

朝起きて枕元を見ると、なぜかチューハイが1本あります。捨てようと思ったけど、つい一口だけ飲んでしまいました。習性ですな(笑)。
で、会場へ。
とりあえず荷物をおいて打ちあわせ会場へ。このあたりで、だんだん頭がボーっとしてきました。これはヤバイです。やはりさっきの一口が効いたか?
それにしても、きのうからなにをしゃべるかを考え続けているのですが、まったく思いつきません。どうしよう…。
まぁ、発表の順番が最後だし、そこまで小一時間あるからなんとかなるでしょう。
シンポがはじまっても、パソコンの画面を見ながら、メモ書きの文章をあっちやったりこっちやったり。でも、こんなことをしていたら、討論にならないです。ダメです。
で、順番がまわってきたので話。
幸い数ヶ所ウケたのでホッとしましたよ。
シンポのあとはガイドライン第4版の話。ここまでは集中力が持ったのですが、そのあとはもうダメです。まぁ「趣味で下着を買いにいく人と間違われるのがかわいそう」みたいな話で突っ込もうかと思ったくらいかなぁ。
で、ようやく昼休み。
会場の外に出たら、関西のお友だちが2人ほど来ておられます。
「お昼、行きましょうか」
「行きましょう」
てことで、昼ご飯を呑みに行きました。
まぁ…。呑んだな。

で、会場に帰ったら、当然のことながらはじまっています。聞きたい演題もあったけど、入りそびれてしまったところで、つい会場の人に声をかけられて、こんなことになってしまいました。

で、さんざんみなさんに冷やかされて、今年のGID学会も終了です。
いったいなにをしていたんだろう>自分
まぁ、2日目の内容はここに書いてあるしなぁ。

で、本番・GID学会1日目(その2)

懇親会はいつもの感じです。知ってる人とダラダラ、知らない人とダラダラ。でも、ダラダラと呑むのは大切ってものです。
そうそう、今回はこの方が来ておられました。久しぶりですわ。お会いできてうれしかったですね。ほとんどしゃべれてないけど(笑)。

で、昨日の夜が遅かったので交流会はパス。友だちと岡山の夜の街でまたーり呑むことにしました。
で、気がつくと1時。閉店か…。岡山の店、ほとんど0時閉店だしなぁ。まぁマシですね。
ホテルが同じS井さんと夜の街を歩きながら
「ラーメン屋」
ってつぶやいていましたが、幸いなことありませんでした。とりあえず、コンビニでおにぎりを買って、部屋で食べながらダウン。
うん、去年よりははるかに早いな。

疲れた…・GID学会1日目(その1)

とりあえず、朝受付に行ったら三橋さんがおられました。と、そこにO田さんも…。
となると、う〜ん。なんしか受付をすませたら昼ご飯を呑みに行くしかないでしょう。向かいにあるそば屋に向かう途中Mともちゃんがやってきました。
「昼ご飯、行くよ」
「え…」
強引に誘ってしまいました。

で、いよいよ開会です。
今回こそ綿密なメモをとるぞと決意してパソコンを起動して打ちはじめました。さらに、スライドもパチパチ。
でも、ダメです。集中力が続きません。
いや、決して昼ご飯のせいでも、前日の晩ご飯のせいでも、さらに夜食のせいでもありません。今回の学会、休憩がないんです。すべてのセッションがちょい押し気味で、その分へつられるのが休憩です。さすがにノンストップはきついです。
前半戦はボーっと話を聞いてしまいました。
で、ちょっと用事であちこち電話して、後半戦。血みどろです。でも、ずいぶんなれました。てことで、一日目終了。まぁ、ここを見れば内容はわかるということで^^;;

今年もやってきた・GID学会0日目

先日、O田さんと話をしていたら、ひょんなきっかけで
O「わたし、前日から車で行きます」
なんていうことになって、気がつくとわたしも車に乗せてもらうことになっていました。
てことで、全事務局長のS井さんと大阪駅で待ちあわせ。軽く燃料補給をして、難波へ。ここでO田さんと合流して、3時間のドライブです。S井さんも、かなり専門職なので、車内ではずっとそっち系の話です。かなり勉強になりますね。
にしても、教員もある程度「そっち系」の知識が必要だと思うんですけどねぇ。
で、いったんそれぞれのホテルにチェックイン後、再集合。すでに23時半です。ここから飲み屋探しです。だって、ドライバーのO田さん、飲まず食わずでここまで来られましたから。ところが、ほとんどの店がすでにラストオーダー。そりゃそうか…。ようやく見つけたフランチャイズ系の串焼き屋さんでふたたび乾杯です。
ここでまたまたさっきの話の続き。
結局閉店の26時まで呑んで、本日の日程終了。まぁ、ウォーミングアップにはちょうどいい感じです。
にしても、前回よりは寝るのが早いな(笑)。

次の一年が決まる日

今日は3つの意味で、次の一年が決まる日です。
ひとつは合格発表。発表の瞬間は、毎年ものすごい歓声です。その喜びを忘れないでほしいなぁと思いながら、午後からは進級判定会議^^;;。これはこれで、ものすごく1年が決まります。
さらにもうひとつは、いわゆる「内示」ってヤツです。
さてさて、来年1年、どうなることやら…。

なかよしの人たちと

今日は3月1日に話をした学校の担任さんたちと呑み。
あの日はあとに宴会がありましたからねぇ。

それにしても、ほんとうに3年生の担任の皆さん、なかよしです。集合場所からすでににぎやかです。お店はいつもの「ニューエビスノ」。今日は人数も多いので、奥の座敷です。あぶないです(笑)。
この学年、ほんとうに「人権」を軸にして3年間の学級経営・学年経営をしてこられたことがよくわかります。そして、「誰か1人が」ではなく、担任全員が意志一致をしてやってこられたことが、呑み会の会話にもあらわれてきます。
ある方が言われました。

ふだんガッツリ感想を書いてくる生徒が、今回妙にうすっぺらい感想を返してきたんですよね。で、放課後に
「なんでこんな感想やねん」
と聞いたら
「先生、こんなところには書けへんねん」
と言ってきたんですよ。で、
「なにを考えてたんや」
って聞いたら、その子は
「自分らって、ほんまに無意識のうちに区別して考えてるんやなって思ったんや。よかれと思ってやってる区別もあるけど、意識せずにやっているのがほとんどなんや。それが差別と違うんかなって思ったんや」
って言ったんですよ。そしたら、そこにいた他の子も語りだしてね。みんなスイッチが入って語るんですよ。おもしろかったわー。

すると、まわりの人たちも
「おもしろ〜!」
と声をあげられます。
放課後の教室で、今日の講演について生徒たちが語りあうってすごいと思うし、そういう教室をつくってきた担任さんたちってすごいと思います。で、わたしとしては、そういう会話の「ネタ」を提供することができて、なんか、しあわせやなぁと思いました。

すごくおいしいお酒でした。

で、こちらがメイン

まぁ「一緒にまわりましょう」といった時点で、すでにここまで想定しているわけでして^^;;。
ふたりで行ったのが、なぜか「たつみ」です。
「明日の朝、早いから」
ということでさっくりと呑むことにしましょう。
ここで、宮前さんとハンセン病との出会いのこととか、わたしのものの考えの根元的なところとか、いろいろ話。そうそう、セクシュアリティについてもいろいろ話をしたかなぁ。
セクシュアリティという断面で話をすると、その人の新たな姿が浮かびあがってきて、すごくおもしろい。そんなことを感じながら、8時頃に呑み終了。
で、思わず
天一行きましょう!」
ということになったのですが、残念ながら思っていた天一が休み。てことで、しかたないので「みよし」で長浜ラーメンでも食べることにしますか。
しかし、こんな生活、あかんがな…。

京都に残るハンセン病の跡

その後、宮前千雅子さんの案内で京都に残るハンセン病の跡をたどるフィールドワークです。なんと豪華なことに、マンツーマンですよ。
まず行ったのは「長仙院」です。
ここにはかつて京都にあった「物吉村」のお寺にあった仏像なんかが移されています。そのことを示す「北御門院長棟堂 清圓寺」という札があります。仏像は真っ黒です。宮前さんは
ハンセン病の人たちが一生懸命護摩を焚きながら祈っていたんでしょうね」
と言葉を添えられました。
次に行ったのは松原通。ここ、かつての五条通とか。そういえば、そのままずっと行くと清水坂に行きますからねぇ。
ここの川沿いあたりが、かつての物吉村です。いまでこそ宮川町なんかがあってにぎわっていますが、かつては「野辺」だったところです。この一角に、「清圓寺」があったことを祀る小さな祠があります。

中にはちゃんとおいなりさんもおられます。
この一帯、「弓矢町」とか「轆轤町」という地名です。まさに、「つるめそ」であり「木地師」です。
わたしは、いわゆる「皮多系」についてはちょっとは勉強しましたが、「非人系」の歴史についてはほとんど知りません。というよりも、おそらくは研究段階なんでしょうね。それだけに、非常に興味深く感じました。