デート

結局2時間延々と話し続けて、関西沖縄文庫をあとにします。途中、なぜか新大阪駅に寄って用事をすませて、なぜか烏丸駅へ。これ、単なる時間調整です。で、ここからテクテク歩いて京都駅へ。30分ほどしてパートナーと合流。で、アイリッシュパブに行って軽く呑み。
考えてみると、前にパートナーと二人で呑みに行ったのは20年ぐらい前*1のことです。やっぱ、自分ばっかりが呑みに行ったらあかんですよね。子どもたちも大きくなってきたし、そろそろふたりで呑みに行こうかと。
アイリッシュパブならではの喧噪と雑多な感じの中で、カクテルを傾けながらとりとめもない話をする時間は、案外貴重なのかもしれない。

*1:あ、今年20年目だったわ!

1945±66

今日から期末試験です。てことは、午後に比較的フリーな時間ができます。こんな時は、こんな時にしかできないことをしなくちゃなりません。
てことで、大正区へ。いや、秋に予定している人権教育研究会のフィールドワークの打ちあわせです。
去年から研究会の事務局をするようになったんですが、けっこうたいへんです。やっぱり事務局というのは、研究会全体の方向づけをしなくちゃなりません。事務局長はそれにプラスして、外の団体とのいろんな雑事があるわけで、そうなると内側の雑事は事務局員がしないとまわりません。特にわたしについては、研修会の講師を考えたりフィールドワークの行き先を考えたりという、ある意味とてもクリエーティブ(笑)な役割がまわってくることが多いんです。で、
「秋のフィールドワーク、どこにしよう…」
と考えた末、8年前に一度だけお邪魔した「関西沖縄文庫」にしようと思ったわけです。

さて、大正駅に着いたら約束の15分前です。これはヤバイです。走ろう…。って、遠い。かなり遠い。荷物がなければいんですが、妙に荷物が多くて、しかも小雨が降っていて、、そんな状態で走ると汗だくです。
なんとか約束の5分過ぎに到着。ほどなく金城馨さんの登場です。8年前にお会いした時と全然変わっておられません。
「あの、8年前に○○大学のフィールドワークにくっついて来たんですが」
「あぁ、そんなことがありましたね」
お、覚えているのか?まぁたしかにフィールドワーク中つきまとっていたからなぁ…。

そこからしばらくよもやま話というかぼやき話がはじまります。
金「そう言えば、京都の○○高校の先生はご存じですか?なんか、最近学校に行っておられないとか。まじめな人ほどそうなっちゃうんですね」
い「…。すみません(笑)。でも、わたしも真綿で押しつぶされるような閉塞感は感じているんですよ」
金「そうですか。京都も大変ですねぇ」
い「いや、それをいえば大阪の方が」
金「たしかに…」
完全にぼやいています。ところが
い「もうね、どうやったら勝てるのかと思いますよ」
あたりの言葉が引き金になったのか、金城さんの言葉に徐々に「熱さ」が加わりはじめます。
金「最近ボクは「死に様」を考えているんですよ」
い「死に様ですか」
金「みんな「生き様」を考える。でも、生き様は簡単に言ったら自慢話でしかない。そんな自慢話に誰も共感しない。にもかかわらず「一緒にやれ」という時に「民族」とか「国家」が出てくる。でも、それは強制でしかない」
金「「生き様」は輪の半分。残りの半分が「死に様」で、「死に様」を経て一周する。その時に再び「生き様」にもどるんだけど、その時の生き様はたぶん最初のものとは違う」
金「「連帯」という言葉は、「違う」ということを前提としている。本来は思想的な言葉。それに対して、「共闘」は、当面一緒に闘うという意味で、政治的な言葉。「同じ」という言葉は、実は政治的な言葉。それは思考停止を招く。「違う」ということは考えないとわからない」
金「リアリズムというのは虚構だ。その最たるものがリアリズム演劇。あんな現実がどこにある?それに対して、シュールレアリズムは、シュールを通して虚構を現実に引きもどす」
おそらく金城さんの言葉を正確には伝えていないし、間違いもたくさんあると思います。それにしても、すごくおもしろい。そして、なんかわかるんですよね。で、なんでなんだろうと思った時、
「そうか」
とふと思いました。それは、おそらくは金城さんもわたしも、規模の違いやフィールドの違いや深さの違いはあるかもしれないけど、「ピン」で活動をしているということ。もちろん、ものすごくたくさんの人の支えの中にあることはわかっているんだけど、でも、誰をも代表せずに、組織をつくることも依拠することもせずに、自分の経験と感覚と感性で活動をする。そんなピンだからこそ感じること、ピンだからこそわかることが、たくさんあるんだろうな。

そうそう、1945±66のこと。
1945+66=2011は今年のこと。1945-66=1879は琉球処分の年。132年を1945という区切りで半分に折ると、今、まさに琉球処分と同じ状況があるということ。
きっとその話を秋のフィールドワークで聞けると思います。楽しみだ!

認定されてるらしい

うちの職場の下足室にはジュースの自動販売機があります。メニューを見てると「カシスオレンジ」とかあります。なんじゃこりゃ?
とある生徒がジュースを買おうとしていたので
「これ、アルコール入れんとアカンと思う」
というと、その生徒、若手の同僚に向かって
「先生、この先生、こんなこと言ってはる〜、ええの〜?」
と訴えています。で、その同僚の答え
「この先生はいいんです(きっぱりこん)」
いいらしいです。

癒やしの場か?

昨日、とある事情で落ち込みました。
ひたすら自分のレーゾンデートルとやらを考え続けました。
朝になったら、もっと落ち込んでいました。やばいです。バイクの通勤途中、コーナーでバンクさせながら
「このまま前輪がズバッといったら楽になれるな」
とか考え続けていました。もちろん、頭のどこかでは
「あかん、ヤバイ」
とかは思っていたのですが…。

校門の立ち番では遅刻してきたヤツらに
「おまえ、自分が生きていることに意味を感じているのか?」
とか、わけのわからん難題をふっかけ続けました。ヤツら、キョトンとしていましたが(笑)。

で、授業中、渡り廊下を歩いていると、向こうから生徒がやってきます。
「先生、どないしたん?」
思わず、「いや、キミこそ授業中に」
と言いかけたのですが
「あかんねん、昨日から落ちてるねん」
と正直に話します。すると、なんか、泣きそうな笑顔で
「先生、元気だしや〜」
と肩をなでてくれます。
ほんまに優しいヤツらです。

しかし、職場で癒やされるのか^^;;?

ある仮説と推論から出される結論

1、前提
ここで考える学校は一定の地域性を持っているとする。つまり、一般的な公立学校と考えて、ほぼかまわない。

2、仮説1

  1. ある生徒に対して、1年入学時は、その入学した学校の教育効果は及んでいない。
  2. Aという学校とBという学校で、互いに校区が違う時、ふたつの学校の課題*1のありように有意に差があり、それが長い年月(教員の転勤の平均年数を6年として、その2倍=12年程度以上とする)にわたって継続しているなら、その「差」と「その学校に所属する教員の力量」の相関は低い。

3、推論1
最初の仮説から出される推論は、入学時のある生徒への教育効果は、その生徒が前に所属していた集団により規定されるということ。高校であれば中学校と中学校の校区と家庭など、中学校であれば小学校と小学校の校区と家庭など、小学校であれば保育園・幼稚園あるいは地域と家庭などになる。
ふたつめの仮説から出される推論は、まったく異なる地域の学校間*2で有意に課題に差があって、教員がすべて入れ替わるぐらいの長い年月に渡ってその差が継続的にあらわれるなら、その「差」の原因は「それぞれの地域の教員の力量」以外のところに(も)眼を向ける必要があるということ。
ふたつの推論をあわせると、たとえ高校であろうとも、ある地域性を持った学校がある課題を持つ時、それは家庭やそれをとりまく地域との関連は無視できないということが推察される。

4、仮説2

  1. 同じ校区内にある学校間に競争原理が働く時、課題を共有する生徒が集まってくる。
  2. 課題の大きな生徒と課題の少ない生徒*3にたいして、単位時間あたり同じくらいのかかわりをした場合、課題の大きな生徒の方がその課題の克服にはより時間がかかる。

5、推論2
最初の仮説から出される推論は、特定の学校に課題の大きな生徒が集まり、それは蓄積されるということ。
ふたつめの仮説から出される推論は、課題の少ない生徒がたくさんいる学校では早期に課題が克服できるが、課題の多い生徒がたくさんいる学校では、それぞれの生徒の課題は学年進行とともに徐々に克服されていくということ。
ふたつの結論をあわせると、課題の大きな生徒が集まる学校では、学年進行とともに上の学年が課題を克服している間にも、新しく課題を持つ生徒が入学してくるということ。

6、推論3
推論1と推論2を重ねると、地域性を持つ学校においては、

  1. その校区内で競争原理が働くと、
  2. 特定の学校に課題を持つ生徒が集中し、
  3. その学校においては課題の克服に時間がかかるが、
  4. 上の学年において課題をある程度克服したとしても、下の学年に新たに課題を持つ生徒が入学し、
  5. 全体として課題は蓄積されていくが、
  6. その新たに入学してきた生徒に対しては、入学当初はその学校の教育効果はあらわれておらず、
  7. その生徒の課題は前の所属する集団の持つ課題と関連があり、
  8. 「前の所属する集団」の中には「家庭や地域」がある

ということ。

7、結論
すなわち、一定の地域性を持つ学校において、課題を持つ生徒が集中する学校のもつ課題は、「家庭や地域」のありようと関連があるということ。

以上(笑)

*1:なにを持って「課題」とするかは、ここでは詳しくは述べないが、とりあえず学力や生活態度とほぼ同義とする

*2:例えば熊本と秋田

*3:先ほどと同じく、学力や生活態度とほぼ同義とする

地球のステージ

今日、同志社女子大学で「地球のステージ」があるという情報が入ってきました。一般も見られるとか。
てことで、出張が終わったら、そっこう同志社女子大に移動。ちょっと遅れたけど、なんとか滑り込むことができました。
「地球のステージ」そのものについては、こちらを見ていただくとして…。

感想です。
いい。たしかにいい。いいんですけど…。しっくりこないところがある。なんなんだろう…。
スマートなんでしょうね。
京都と大阪を行ったり来たりしながら、あちらこちらで交流会&宴会&マーライオン(笑)に明け暮れているわたしにとって、「海外支援」って、とても縁が遠い存在に思えてしかたがありません。というか、海外支援の必要性は重々承知しながらも、すぐ隣にいるであろう、例えば在日外国人や部落の人々をどうとらえているのか。
「think glovaly , act localy」から、さらに「glocal」という言葉が言われて久しいと思います。でも、きっとわたしは「act localy」とつぶやきながら動き続けるんだろうなと思います。そこに華々しさはないし、どちらかというとほこりっぽい(笑)活動です。
こんな考え方をするようになったのは、やっぱり大学時代の「挫折経験」でしょうね。
まぁいいです。

でも、「震災編」はたしかによかった。なぜなら、「当事者」としてのつぶやきや、ぼやきや、うめきや、喜びが、ビンビンと伝わってきたからなんでしょうね。
なんだかんだと言っても、生徒たちに見せたいなぁ…。

可能なのか?

例えば
「夏休み、教室はクーラーなし」
とします。そうしたら、学校は節電できます。で、たぶん生徒たちは来ません。その生徒たちは家でクーラーのある生活をするでしょう。トータルで考えたら、どちらの方が節電効果があるのかなぁ。

例えば
「パソコンはバッテリーで運用せよ」
とします。ところが常時バッテリーで運用すると、バッテリーの寿命は短くなります。となると、バッテリーの交換が必要になる。で、古いバッテリーの処理とか新しいバッテリーの製作には電気がかかる。トータルで考えたら、どちらの方が節電効果があるのかなぁ。

わたしの住んでいるところは、おそらくは京都の中でも涼しい方です。朝や夕方はクーラーは必要ありません。窓を開けて扇風機をまわせばけっこういい気持ちです。でも、まぁ都市部ではこういうところは珍しいでしょう。ヒートアイランドでは、おそらくはクーラーなしでは生きていけないかも。ただ、そこでクーラーをかけると、当然の事ながらヒートアイランドはより激しくヒートするわけで。となると、ますますクーラーなしでは生きていけない。この連鎖はどこでとめることが可能なんだろう。

おそらく「エコ」って、かなりトータルで考えないと、結局精神論と自己満足で終わってしまうんじゃないかなぁ。

で、私的な上映会

すでに東京では上映会をしていますが、関西ではまったく未公開。というか、わたしも2バージョンのうちの片方は見ていません。
てことで、本日のメインイベントである「上映会」を阿◯Zさんの家でふたりで開催です。
さて、ビールをあけて、つまみも用意してスタート。
ありゃ?見たことないシーンがあるぞ。
そうか、東京で上映したのはもう一方のバージョンだったんだ。今日のものは結末がまったく違います。
「へぇ〜、なるほどなぁ」
「もう一方バージョン」かなりいい気がしました。

その後、◯K澤さんがなぜか持っておられる「鞠の行方」という1920年代の啓発映画の鑑賞会。いやぁ、おもしろい!これが当時の啓発だったんだ。でも、過去どんなことがあったかを知ることはとっても大切だし、過去を現在のわたし(たち)の感覚で判断することに対しては、慎重でありたいと思っています。まぁ、一見の価値があると思いました。

てことで、本日はふたりともあまり飲んだくれずに終了!

バイバイ原発

今日は「バイバイ原発・京都 パレード&デモ」です。
6月11日はどうしても行けなかったので、今日は行こうと決めていました。とは言え、なぜこの集会を知ったかというと、
「反原発の集会、ここしばらくないかなぁ」
と検索をしていたら、たまたま見つけたというだけのことなんですがね。まぁ便利な世の中になったものです。
ただ、いろいろややこしいこと*1を家でやっていたら、あっという間に時間は過ぎるものです。気がつくと集会の最初には間にあいそうにありません。
「しまった」
と思いながら京都駅から歩きはじめます。途中のコンビニで食料を仕入れて、会場に向かいます。
会場に到着したら
「いつきさん」
と手を振る人がいます。おぉ!Mっちゃん*2じゃないですか。久しぶりです。
「こんなところで会えるのも京都だねぇ」
などと言いながらしばし旧交を温めます。
で、しばらくしたらA久◯さん登場。ようやく乾杯ができます(笑)。
やがて集会も終了で、デモ開始です。
はじめは前の方を歩いていましたが、どうもおもしろくない。というか、後ろの方から「鳴り物」の音がします。ふたりで少しずつ後ろに移動して、関電の前あたりでは最後尾の部隊のちょい前あたりまでたどりつきました。
いやぁ、やっぱり鳴り物が入るといいですねぇ。チャンゴを持ってくるべきでしたよ。
そんなこんなで、本願寺前で流れ解散。

*1:mkv形式→mpg形式の変換とか

*2:わたしにカレーの食べ方を教えてくれたFTM?な人

で、打ちあわせ

3時ぐらいに懇親会終了。
で、京都駅に移動。今日は10月にあるセミナーの打ちあわせということで、N江さんと呑みです。
N江さんとの呑み、今年度に入ってはじめてかもしれません。まぁ、4月以降、お互いにバタバタしてましたからねぇ。なので、近況報告なんかをしながら、立ったままで打ち合わせです。いや、単に立ち飲み屋で打ち合わせをしているからなんですけどね。
にしても、懇親会で呑んで、立ち飲みで呑むと、かなりまわってきます。ちょっとやばくなってきたので、河岸を変えて、久しぶりに「へんこつ」へ。ここでも当然日本酒を飲むわけで、しかも座って呑むから楽。となると呑んでしまいます。これはかなりやばいです。
てことで、あたりも暗くなってきたからそろそろ打ち合わせも終了としましょう。

で、なにを打ちあわせたんだっけ^^;;