カテゴリ

ちなみにセクシュアリティについての話ですが…。
一緒に呑んだ方に
性自認ってどうやったらわかるんですか?」
とか聞かれたので、
「そんなんわかるわけないですよ」
と、いつもながら適当な答えを発してしまいました。まぁそれはそれでいいのですが、セクシュアルオリエンテーションの話になって
「わたし、MTFレズビアンでネコです」
という話をすると、大うけ。
「え〜、わたしタチですよ〜」
「それは珍しい。わたしのまわりはネコばっかりでねぇ」
「え〜、すごい!わたしのまわり、タチばっかりなんです!」
どうやら、ネコのまわりにはネコが集まり、タチのまわりにはタチが集まるらしいです。で、結論は
「合コンしましょう!」
って、どんな会話やねん(笑)。

てな大切な会話もあったわけですが、そのうち
「自分自身のセクシュアリティがよくわからない」
みたいな話になるわけで。
でも、わからなくて当たり前なんじゃないかと思うんですよね。いや、わかる人ももちろんいるんだろうけど…。
自分のセクシュアリティと向かいあって、それについて考えれば考えるほど、自分をある特定のカテゴリにあてはめるのが難しくなるんじゃないかと思うのです。そもそもカテゴリ・ラベルっていうのは、物事を単純化した上で、それに「えいや!」と貼るものなんじゃないかなぁと思います。で、そこに自分をあてはめようとすると、単純化した「器」には入りきらないところが当然出てくる。すると、「このカテゴリには入らない」となり、別のカテゴリを探す。でも、そこでも同じことが起こる。こうして、カテゴリ探しの旅は永遠に続いてしまう。
逆なんだと思うのです。自分の中には「こういうカテゴリとこういうカテゴリとこういうカテゴリがあって、それぞれがこれこれこういうふうに絡みあっていて…」みたいな感じなんじゃないかなぁと思うのです。
例えば、わたしは、基本的には女性に性的指向が向くけど、まったく男性にむかないかというと、そういうわけではない。じゃぁバイセクシュアルかというと、それも違う。おそらくは、バイセクシュアルというよりは、「レズビアン、ごくたまぁにヘテロ」みたいな感じ?
カテゴリとカテゴリは、概念としては排他的かもしれないけど、実際にはそれらをオーバーラップしながらわたしたちは生きていると考えてもいいんじゃないかなぁと思うのですが…。

またまたおたふくへ

今日は大分のお友だちが来られるとのこと。なんでも目的は2つあって、ひとつは金沢のお友だちに会う。もうひとつが「おたふく」のお好みを食べる。もうほとんど、マニアのような目的です。
てことで、夕方京都駅近くまで出撃。ホテルのロビーで合流して、とりあえず京阪七条まであたりを案内しながらブラブラ散歩。途中、カスやさいぼしを売っている店を紹介したら「京都土産」とか言ってお買いあげ。う〜ん、マニアックです。
おたふくのほうは相も変わらずの異次元空間です。そこだけ独自の時間が流れている感じ。そんな時間の流れに身をまかせながら、セクシュアリティのことやらなんやらと、いろんな話。
8時頃に
「店を変えましょう」
ということでお勘定。その後カラオケへ。2時間みっちり歌いました。なかでも「青空」のデュエットは気持ちよかったなぁ。東じゅんさんとデュエットした「夏の終わりのハーモニー」以来かな。
ほどよく酔いもまわって解散。ええ案配ですわ。