やっぱり避けて通れない

2学期の人権学習の中で、ある学年は部落問題を扱います。
まぁビデオを見せて、生徒に考えさせたり教員から話をしてもらったりという感じで2時間を過ごすのですが…。
実は、わたしの職場の同和部は、「部落史の見直し」でけっこうその筋(笑)では知られていたりするわけです。もちろん、わたしがやったわけじゃなくて、うちのボスがやったわけなんですけどね。
でも、子どもたちに専門外*1のものが話をできるかというと、けっこうしんどいわけで。なので、5年ほど前までは1年かけて部落史の学習をしていましたが、ここ数年は避けて通っていたんですね。
でも、今年、いろいろいろいろ考えて、やっぱり避けて通れないなぁと。で、どこからアプローチするかと考えて、やっぱり教科書の記述かなぁと。
てことで、家に帰って下の子ども(6年生)の社会科の教科書を貸してもらって読んでみました。

検地と刀狩によって、武士と、百姓・町人(商人や職人)という身分が区別され、武士と町人は城下町に住み、百姓は農村や漁村、山村で農業や漁業、林業などに専念するようになりました。こうして、このころ、武士が支配する社会のしくみが整えられていったのです。
注)百姓 もともとは、一般の人々という意味でした。武士が登場すると、しだいに農業や漁業などを営み、年貢などを納める人々を指すようになりました。そして秀吉の時代に、農民や漁民など、村に住む人々の身分を指す言葉になりました。

人々の暮らしと身分
江戸時代の社会は、支配者である武士をはじめ、百姓や町人など、さまざまな身分の人々によって構成されていました。
武士や町人は、豊臣秀吉の時代から、政治や経済の中心である城下町に集められました。江戸をはじめ、全国につくられた城下町では大名やその家来たちが住む武家地、寺や神社の地域、町人地など、身分ごとに住む場所が決められました。町人地では、町人たちが町という小さな社会にまとまり、商業や手工業、流通、文化など、さまざまな仕事を営みました。都市には、城下町のほか、門前町や港町、宿場町、鉱山町などがありました。
いっぽう、人口の80%以上は、百姓によってしめられました。百姓は、農村や山村、漁村に住み、農業や山仕事、漁業などを営んで、米をはじめとする農産物をつくり、山は海から自然の恵みを得てくらしていました。百姓は、名主(庄屋)とよばれる有力者を中心に、時部tなちで村を運営しました。幕府や藩は、こうした村のまとまりを利用し、また五人組という仕組みをつくらせて、収穫の半分にもなる重い年貢(税)をおさめさせたり、いろいろな力仕事(役)をさせたりしました。
このほか、皇族や公家(貴族)、僧侶や神官などの宗教者、能や歌舞伎をはじめとする役者、絵師、学者、医者など、多くの身分が見られました。また、百姓や町人とは別にきびしく差別されてきた身分の人々もいました。
注)差別されてきた人々 百姓や町人とは別にきびしく差別されてきた身分の人々は、住む場所や身なりを百姓や町人から区別され、村や町の祭への参加をこばまれるなど、きびしい差別のもとにおかれ、幕府や藩も差別を強めました。
これらの人々は、こうした差別の中でも、農業や手工業、芸能を営み、また治安などをになって、社会を支え、伝統的な文化を伝えました。

いやぁ、おどろきました。今さらながらだけど。
ほんとうに細かいところまでていねいに書いてあるんですね。
ただ問題は、これを子どもたちが覚えているかどうかなんだけど…。

*1:例えば、わたしは社会の教員ではない、という程度の意味