てなことで、朝起きたら

雪ですわ。積もってますわ。しかも今日は電車で行く日。なので駅まで徒歩です。
これがサラサラの雪だったらいいんですけど、みぞれ交じりなもので、どうしようもないです。まいりました。
電車に乗ったら、ほどよい暖かさ。もう、眠気を誘う誘う。こりゃぁだめですわ。

と思ったら…

夜中、パートナーが「だれかいる」とか言いながら飛び起きました。なのでわたしものそのそ起き出して、1階へ。家中みたんですけど、だれもいません。外回りをみようと思って玄関のドアを開けたら…。
雪が積もってました。何考えてんだ…。
どうやらだれかがドスンドスンといわせていたのは、雪が屋根から落ちる音だったみたいです。まぁ、そう考えると安心なもので、雪が落ちる音を聞きながら眠りに落ちてしまいました。

今年は早いなぁ

昼頃、パートナーからメールが入りました。「初雪だよ」。
う〜ん。さすがに京都市北部の街。京都府南部とはずいぶんと気候が違うみたいです。いままでだったら、雪が降るのは年間1回あるかないか。それが12月のはじめに降るんだから…。でも、わたしが家に帰る頃には冷たい風は吹いているものの、すっかりあがって跡形もなくなっていました。

それでも不思議なもんだ…

ケンカした翌日だけど、朝起きるとそれはそれなりというのがこわいです。単純に仲直りしているのか、それとも破局を先延ばししているだけなのか…。ま、それでも運命には逆らえないということで、なすがままです。
今日は久しぶりに家にいる一日なので、部屋の使い回し&模様替えについてパートナーと討論。パートナーはどうも風水による確信を持っているみたいなので、かなり分が悪いです。で、結局寝室からスワンを撤去するハメになりました。さびしいなぁ…。
で、かわりに壁に掛けられるスピーカーを買うことになりそうなのですが、安くていいスピーカーはないんでしょうかねぇ。
ちなみに、聴く音楽は、オペラ・交響曲・ピアノ・オルガン・ハードロック・プログレモダンジャズあたりなんですよね。好みとしては、オルガンのペダルの音も出てほしいけど、グールドのピアノのパラパラ感もほしい。で、オーケストラの楽器の音の分離もほしいところですね。まぁそのあたりがあれば、ロックやジャズはなんとでもなるかな…。
無理か…。
でも、部屋が片づくと広くなりますね…。

で、ケンカ

ようやく家に帰ってみんなと晩ご飯。考えてみると家族で晩ご飯を食べたのはいつ以来だろう…。そんな状態なので、当然のことながらパートナーとケンカ。いや、悪いのはわたしだってわかっているんだけど、しゃーないやんか…。

まぁ、ご用があったら出動するわさ…

なんでだろう。用事のある日って用事が重なります。あっちで会議。こっちで雑用。しかも、引っ越しした関係で全部が遠い。はぁ…。でもまぁ、しゃーないです。
昼前に学校へ。サクッと用事を済ませて、駅へ。車で行こうかどうしようか迷ったのですが、とりあえず車で行って、行きつけの酒屋さんに車を置かせてもらうことにしました。まぁこのあたりが、地元テイストのあふれるところではありますね。だてに20年以上生活をしていないという…。
で、隣の県へ。ここで会議。1時間ほどの会議でしたが、大切な会議は大切な会議なんです。でも、代償が高い。コーヒー一杯600円はぼってるでしょう。
で、会議が終わったらすぐに職場にとんぼ帰り。サッカー部の激励会とのことで、放送の雑務です。ところが、こちらの思っていたのと違う機材が用意されていて、えらいことになりました。なんにもなければ15分ですむところが、激励会開始5分前にようやくトラブル解決。久しぶりに走りました。
で、お家へ。土曜日はまた道が混んでいますが、それは宿命というもの、あきらめながらボチボチと帰りました。

京都の部落史連続講座(第4回)

今回のテーマは「伊東茂光と崇仁小の教員たち」というテーマ。前回に引き続いて、「個人」という観点から部落史というか、部落解放史をみつめてみようという試みです。今回の講師は八箇さんというかた。河合塾の教育文化研究所だったっけ。なんかそういうところで研究・実践をしておられるようです。ふぅむ、きちんとした予備校はやっぱり違うなぁと。ま、それはおいといて…。
崇仁小学校って、崇仁教育で有名ということです。で、もちろん戦前のことですから「融和教育」なんですけど、いわゆる「融和教育」という言葉から連想されるものとはまったく違うもののようです。つまり一般的には「融和」というものはその名からわかるように、「部落と非部落の垣根をなくして仲良くしましょう」という感じです。ところが、崇仁教育のめざしたしたものは「奥歯をギリギリとかみしめながら『糞ッ』」みたいな感じだったみたいです。他にも、ものすごく「鍛錬」をいう感じのことがあった。
一方、部落外の人々に部落の持つ文化*1をさらけだして、「お前ら、部落のことを知らないのに、部落を差別しているやろう」とアピールする。この典型が「すき焼きの会*2」で、簡単に言うとホルモンのすき焼きを学校を訪れてきた人たちに食べさせていたそうです。まぁ、他にもいろいろおもしろいことをやっていたそうな…。
では、なぜ崇仁小学校ではこのようなことができたのか。
これは、ムラの子の在籍率の問題と絡まっているんじゃないかと思うんです。在籍率の極めて高いところでは、部落問題を、「自らの被差別の問題」ととらえて教育活動をすることができる。これは大きなメリットですよね。ブレがない。でもね、在籍率が高ければ、ムラの子がマジョリティなわけで、そんな社会って実は虚構だと思うんですけどね。たしかに、ムラの子は元気になりますけど。
ところが、在籍率の低いところでは、「関係の問題」ととらえないと活動ができない。「関係の問題」ってブレだらけだし、きわめて難しい。でも、この方が現実的だとは思うんですよね。
振り返ってみると、現在でもムラの子の在籍率の高いところでとりくまれている実践って、「まぁあそこやし…」みたいな感じですわ。だから、高校での実践例ってとっても少ないです。
まぁ、それはおいときます。
でも、伊東茂光はひとりでこんなことができたんじゃないって八箇さんはおっしゃいます。伊東のまわりには、伊東の人柄を慕って、あるいは伊東のやろうとしていることを慕ってたくさんの人たちが来た。その人たちが「適材適所」に自らをおくことで、その力は何倍にもなったということなんです。伊東も、崇仁小学校の教員を信頼していたんでしょうね。ほとんどまかせていたそうな。
でも、そんな伊東の「思想」っていうのを読み解くのはとても難しいようです。戦争の問題や天皇をめぐる問題、さらには天皇の戦争責任の問題をめぐって、伊東の思想の評価はさまざまにわかれているそうです。なるほど、伊東茂光の交友範囲は水平社左派から軍部までものすごい広がりを持っています。こんなもん、そう簡単に評価はできませんわな。
でも、講演のあと、崇仁小学校出身の方からこんな発言がありました。「伊東先生の思想はそんなに難しくない。単に『清濁併せ飲む』なんです」。いや、これも一言で言うと語弊があるんじゃないかとは思うのですが、でも、これもまた大切な指摘かなぁと思いました。
わたしが受講した3回。とてもおもしろかったし、「いま」につながる話もたくさんあったなぁと。来年もやるらしいです。楽しみ…。
てなことで、『京都の部落史』近代1・2・3を買ってしまいました。

ところでさ、伊東にしろ前回の喜田にしろ、パートナーさんはすごくたいへんだったそうな…。そのあたりほりさげると、これまた「いま」生きている「わたし」とメチャクチャつながりそうなんですけど(爆)

*1:これはサラッとこういってしまうと語弊があるんだけど…

*2:なんでも正式名称は「金玉会」だったそうな

再び!

夜は、ちょいと打ちあわせ。ごちでした。
で、帰り道のこと。せっかくお近づきになったので、一緒に駅まで散歩。改札の中に入られるのを見送って、エスカレーターをあがっている時のことです。ちょっと足元が滑った瞬間、えらいショックがありました。「って〜」と思って顔に手をやると、ちょっとぬれている。どうやら、左目の横をケガしたみたいです。まいったなぁ…。
で、電車に乗り込んで、最寄り駅へ…。
気がつくと、えらい山の中にいました。駅票を見ると、「くらま」と書いてあります。もちろん乗っているお客さんは、私一人。どないしようと思ったのですが、とりあえず運転手さんに「この電車、帰りますか?」とたずねると、「帰りますよ」とのことだったので、一安心。寝なければ帰れるな…。
外に出ると、ひんやりと澄んだ空気が体を包みます。もしかしたら、けっこうおいしい乗り越しだったかもしれない…。

正誤表

せっかくid:annojoさんがこちらでさらしてくださったので、正誤表などを…。原文はこちら

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全国人権・同和教育研究大会閉幕 「新たな人権」を提起

 宮崎県内の3市で開かれた「第57回全国人権・同和教育研究大会」(全国同和教育研究協議会など主催、西日本新聞社など後援)は28日、3日間の日程を終え閉幕した。障害者やハンセン病などさまざまなテーマへの取り組みが報告される中、特に注目を集めた*1のが「性の多様性」を訴えた*2高校教諭の講演。現代社会に求められる「新しい人権問題」の一断面として取材した。 (社会部・東憲昭)

 「男として生まれたけれど、小学生のころから手作りスカートをひそかにはいていました」

 京都府立高の数学教諭土肥いつき(旧謙一郎)さん(43)は、自らの「トランス・ジェンダー*3(TG)」体験を打ち明けた*4。通路にも座り込んだ千人を超す参加者はじっと耳を傾けた*5

 TGは、肉体的な性を超えて生きようとすること。異性の服装をするレベルもあれば、社会的な性分業(ジェンダー)の拒絶、性器への違和感から性別適合手術を選択する人まで幅広い。

 人気テレビドラマのテーマに取り上げられるなど急速に知られるようになった「性同一性障害」は、TGの中でも性的違和感が医学的な診断レベルまで強い人に限られる*6。「生まれつきの性に何らかの違和感を持つ人」としてとらえればTGは千人に一人の割合ともいわれる。土肥さんも言った。「この会場にもきっといるんです」

     *

 主催者によると、TGなど「多様な性」をテーマに当事者が報告するのは、同大会で初めて。「同和教育研究大会」という名称だった大会名に六年前から「人権」の二文字を加え、幅広く少数者の権利擁護をテーマにした流れと呼応する。

 土肥さんは「自分は変態なんやないかと悩み、自分を好きになれなかった」と繰り返した*7。その悩みは、いわれなき差別にさらされた子どもたちの心と重なった。

 「教師*8として被差別部落生まれや在日外国人の生徒とかかわることで、私は自分をさらけ出せた*9。『信頼できる人には本当の自分を話してごらん』という彼らへの問い掛けを自分にも向けることができて、ようやく自分を好きになれました」。四年前*10から女性ホルモン投与の治療を始め、外観もひげ面から長髪姿にして、戸籍名も昨年変えた土肥さんはそう語った。

     *

 障害者、高齢者、外国人、女性…。同和問題をその他「少数者」の問題解決と連動させて考える取り組みは、本大会だけでない。昨年九月に開かれた福岡市同和教育研究大会の全体会のテーマは、かつての不登校だった児童・生徒らが通う「夜間中学」だった。

 土肥さんは講演後、取材に「少数派というだけで優劣の対象にされていいはずがない*11」と語った。講演を聞いた大分県の高校女性教諭(33)は「差別はいけない、という精神論に終わらせず、常にマイノリティー(少数者)の声を聞くことが社会の仕組みを変えることにつながるのでは」と感想を述べた。土肥さんの「告白*12」は、今後の反差別運動に必要な「すそ野の広さ」を象徴するような問題提起となった。

西日本新聞) – 11月29日2時20分更新

*1:そんなに集めてないと思いますけど…。次の露の新治さんとか、午後からのデコの方がすごかったと思う

*2:訴えてないっす^^;;

*3:「・」はいらないっす

*4:いまさら打ちあけ話でもないと思う

*5:笑いがちょっと少なくて(涙)

*6:「診断基準を満たす時」としか言ってない、「強い」なんて言ってないのにぃ(涙)

*7:いや、1回くらいしか言ってないと思いますけど…。てか、いまははっきりと「変態」だと思います(笑)

*8:「教師」という言葉は使いません。「教員」です。きっぱりこん

*9:「かかわったけど、私は自分をさらけ出せなかった」が正

*10:1年前

*11:これはちゃう!「多数者もバリエーションのひとつということですね?」という質問に対して、「そうですが、でもそこに権力構造があるということを忘れてはいけないと思います」と答えたんです。ここのところを抜かしてしまうと、単なる「みんな違ってみんないい」になってしまう

*12:だからぁ、いまさら告白とちゃうって^^;;

で、帰り道の出来事

松阪からは近鉄特急がお得です。ただし、遅い時間になると、八木で乗り換えなくちゃいけません。ここのところを忘れると、たいへんなことになります。
なにせ、ふと気がつくと焼肉のにおい漂う街にいましたから*1。あわてて電車を飛び降りて、奈良行きの電車に飛び乗りました。で、西大寺から京都方面へ。約1時間の遠回りです。結局三重→奈良(通過)→大阪→奈良→京都というえらい遠回りになってしまいました。
でも、地下鉄最終で帰れたら、まだマシか…。

*1:鶴橋ですがな…