呑むと体調はよくなるのか?・死のロード(5日目・その2)

「どこ行きましょう」
「どこにしよう」
と言いながら雨の降る新橋の駅近辺をウロウロ。なんでも節電とやらで、あまり店が開いていません。それでもなんとか居酒屋を見つけて入ります。
しばらくはぼそぼそと近況報告なんかをしながら話をします。と、電話が…。東ジュンさんでした。で、合流。
そこらあたりから、わたしもだんだん体調が復活してきて、話のテンションもあがります。
「いつきさん。いつきさんって、失敗した時、落ち込むけど反省しないタイプでしょう」
図星です(笑)。
関西人と関東人の「大切な話の聞き方」の違いについて、たっぷりと話をされてしまいました。う〜ん。
なんだかんだと6時過ぎまで話をしているうちに、I本くんが合流。4人で〆のラーメンを食べて、とりあえず4泊5日の死のロードは最終局面を迎えます。

とにかく新幹線のチケットをゲット。なんとか乗り込んで、あとはひたすら寝ます。ぜったいこの時の二の舞だけは避けなければなりません。まだ乗り越した方がマシです。そのための新大阪どまりです(笑)。でも、なんとか京都で降りて、最寄り駅まで行ったらパートナーが来てくれていました。
あ〜、長かった…。

たまにはちょっと遠回り・死のロード(5日目・その1)

朝起きると、体調は最悪です。でも、1時に東京に集合です(笑)。
なんしか朝ご飯を食べて、10時までゴロゴロ。さて、あと3時間どうしよう。ここは藤沢…。そうか、江ノ電に乗ろう。
てことで、江ノ電に乗車。
いやぁおもしろい!第1印象は
「狭っっっ!」
実は叡電みたいなもんだろうと思っていたら、ぜんぜん違います。線路の両側すぐに家が建ち並んでいます。しかも、かなり曲がりくねっています。なので、当然見通しが悪い。はっきり言って、こわいです。しかも、そのコーナーのRがきつい。かなりヤバイです。でも、海あり川ありトンネルありと、なかなか変化に富んだ30分でした。こんなのもいいかも。
で、鎌倉からJRに乗って新橋へ。待ちあわせの時間まで少しあります。あまりにも体調が悪いので、足ツボマッサージ屋さんへ。出てこられたのは、やっぱりフィリピン人ぽいおばちゃんでした。
「う゛」
とかうめくと
「イタタタタ?」
と、笑いながら優しく聞いて下さいます。すごくいい感じでした。30分押してもらってずいぶんと身体が楽になったところで、U兄と合流(笑)。

で、H田プロデュース・死のロード(4日目・その3)

ホテルで楽な服に着替えてテレビを見ているうちにウトウト…。と、電話です。H田さんです。
「いまから駅に来て下さい」
ひえ〜、てっきり6時くらいからだと思っていたら、5時からなんですか…。
とりあえず服を着替えて出陣です。眠いです。
会場の中華料理屋さんに着いたら、すでに宴たけなわです。と、奥の方に見覚えのある方が…。池田賢市さんでした。池田さんも共同研究者なんですよね。
ふたりでいろいろ話をしていたのですが、いつしか話の方向はデモの話へ。
「やっぱ、パレードなんてダメですよ。デモですよ!」
などと騒いでしまっていました。なんでだろう…。
あまりにも盛りあがって、若手教員と意気投合してしまったので*1、2次会へ(笑)。と、またまたおしゃれなバーです。でも、呑むのはなぜかウィスキー。これはかなり効きます。大丈夫なのか?で、さらに
「もう一軒行きましょう」
とか言われてしまって、フィリピン人のお母ちゃんがやっているお店へ。一歩はいると、完全にフィリピン人ばかりです。あのアウェイ感はたまらないです。もう、カラオケの歌詞なんて、聞いていてもサッパリわかりません。でも、たまに日本語の歌が流れます。
「あれ、ボクたちに気をつかってくれているんですよ」
とは、つれてきてくれた若手教員の説明です。なんでも、教え子のお母ちゃんがやっている店だとか。そうこうするうちに、保育園ぐらいの子がオリガミの飛行機を持ってやってきました。
「ここ、成田空港。こっちはマニラ空港」
とか言っています。思わず
「成田じゃなくて三里塚
とか口走っていました。
なんだかんだと熱い教育論議をかわしつつ、気がつくと1時をまわっています。ダメじゃん…。

*1:学級通信の束をもらってしまった(笑)

女性部の皆さんとランチ・死のロード(4日目・その2)

その後、お弁当が出たのですが、なんか心がうずいています。女性部の人たちともっと話がしたい気がします。幸いみなさん報告者をねぎらう会に行かれるとか。てことで、わたしもお弁当を持って参加です。
到着したのはパスタ屋さん。かなり待たされたけど*1、待った甲斐のある味と量(笑)でした。ちなみに、アルコールが飲めるのはわたしともうお一方。ふたりでサングリアは飲むはワインは飲むは。もちろんわたしはビールから。なんだかんだとしゃべって終了は4時頃。みなさんにホテルまで送ってもらって、ちょいと一休み…。

*1:食事を終わったカポーがなかなか出ない

で、教研集会・死のロード(4日目)

朝起きたら、身体が睡眠を要求しています。これはかなりヤバイです。でも、うだうだするわけにはいきません。なんしか9時前には会場に行かなくちゃ。
会場に着くと、えらい丁重な扱いです。慣れない…。とにかく「共同研究者控え室」というところに通されました。う〜、やっぱり慣れない…^^;;。
今日は緊急の全体会があるとか。30分ほど全体会があって、いろいろ昨今の情勢についての説明や提起がありました。その後、分科会。
今回は、2本のレポートを受けて、その後質疑応答・討論があって、それへのコメントという流れで、そのコメントを、わたしを含めて3人の共同研究者が話をするということのようです。
レポートの内容は、基本的には教職員対象のアンケート調査の報告です。ひとつはジェンダー意識について。もうひとつはセクシュアルマイノリティの受け入れについて。
ジェンダー意識のレポートについては、2006年調査との比較があって、これがなかなかおもしろい。女性のジェンダー意識については、少し下がり気味で、男性は有意にあがっています。あと、50代女性のジェンダー意識については、圧倒的に高いものがある。まぁ「そりゃそうだ」というかなんというか。逆に、その人たちが定年を迎えたらえらいことになるなぁという予感も…。
セクシュアルマイノリティの受け入れについてのアンケートは、小学校の教員が対象ということもあって、ちょっと難しいのかもしれないなとは思いました。いや、単に教員にとってリアリティを持ちにくいかもしれないという意味ですが。でも、実際には小学校のうちからある程度の知識を身につけていれば
「女が好きな自分は男」
みたいな話にはなりにくいだろうから、やっぱりセクシュアリティのことをとりあげるのは大切だと思うんですよね。やっぱり、知識を持つことは「自分とはなにか」ということを知ることにつながるんだと思うんです。
そんなレポートの後に、みなさん活発に意見を言われます。もう、ひたすら
「そうそうそう、うんうんうん」
という感じです。だったら共同研究者いらないじゃん(笑)。
まぁそれでも言いたいなぁと思ったことを数点メモして、10分ほどしゃべってお役目終了。ふぅ…。

で、なぜか新幹線に乗る・死のロード(3日目・その2)

重たい荷物を担いで、京都駅へ。で、新幹線乗って、なぜか新横浜へ。そこから引き返して藤沢です。駅に着いたら、なにやらぁゃιぃ人=H田さんが出迎えてくれました。そのまま飲み屋に直行です。
今日は明日ある湘南教組の教研集会の前夜祭といったところでしょうか。相手をしてくださったのは、湘南教組の女性部の皆さんです。ちなみにわたしの役回りは「共同研究者」だそうです。いや、「無理」って一度は断ったんですよ。だって、明らかに無理ですから。でも
「いいんですよ。好きなことを言ってくれたら」
と言われたので、
「じゃぁ」
と引き受けてしまったわけで。
飲み屋の前で迎えに来て下さったH田さんは
「じゃぁ、ボクはこれで…」
へ?一緒じゃないんですか?
「ボク近くで呑んでいますから、呑み終わったら連絡下さい」
2次会決定ですか(笑)。
てことで、女性部の皆さんとしばし歓談。なんか、途中から数学の話なんかをしていた気もするけど、、たぶんいろんなプレッシャーから解き放たれて、ちょっとハイになっていたのかも。
で、8時半頃からH田さんと合流。なにやらおしゃれなバーに行って2次会です。H田さんもえらいハイになっておられます。途中から
「ベイベー」
とか言ってます。ほんとうに「ベイベー」とか言う人、はじめてみました。やっぱりここは湘南なんやなぁ…。
気がついたらえらい遅い時間です。ホテルの部屋に入ってすぐに倒れました。
まぁ、一昨日の夜が4時半、昨日の夜が1時だったしなぁ(笑)。

分科会・死のロード(3日目)

今日は分科会の日です。でも、やっぱり眠いものは眠い。それでもとにかく会場へ。
今日は「とよなか国際交流協会」のレポートがあるから、やっぱり参加しなくちゃなりませんよね。国流のレポートは午後からです。前の方に陣取って、がっつり聞きましょう。
国流のレポート、なにがいいって、力が抜けてます。「○○をしなくちゃ!」という感じじゃなくて、「おもしろそうだからやった」「やったら、やっぱりおもしろかった」みたいな。で、思わず質問。
「なんで国流の人って、みんな笑ってるんですか?」
もちろんしんどいことはいっぱいあるんです。それはわかっています。でも、やっぱりみんな楽しそう。そして笑っています。これって、ものすごく大切なことだと思います。だって、しんどそうな人のところにしんどい人は寄っていかないと思います。
で、みなさんの答え。
「楽しいから」「おもしろいから」
ゲームをやる楽しさじゃないんですね。新しいことを発見する楽しさであり、自分が変化する楽しさみたい。そう言いながら、やっぱりみなさんの顔は笑顔でした。
てことで、今年の大会も終了。来年は、なんと大分開催ですよ。

で、大会の全体会・死のロード(2日目)

朝起きると、完全に寝不足です。なにせ、昨日寝たのは4時。生徒よりひどいです。でも、起きなくちゃならない。しばらくふとんの上でのたうちまわって、ようやく起きあがります。
朝食は「ウィンナー・卵巻き・ハッシュドポテト・根菜汁」とごはんです。もう、なにを考えているのかさっぱりわかりません。あぁ、コーヒーが飲みたい。
それでもなんとかご飯をかきこんで、午前の行事のスタートです。でも、やっぱりわたしは裏方に走ります。ちょこちょこと片づけをしたり、ちょこちょことサポートにまわったり。そんなことをしているうちに、午前の話し合いも終了。あとは全体会をやって、大人の集会に行くだけです。
大人の集会の会場に着くと、これまたおなじみの顔が並んでいます。ちょこちょことあいさつをしたら、みなさん
「ご苦労さん」
とあいさつを返してくれます。大会に参加している人たちにとって、やっぱり生徒交流会は特別なものなんでしょうね。
「いやぁ、ほんとうに疲れましたよ。子どもたちが寝てからがしんどかった」
と答えると
「あほか…」
と(笑)。まぁその通りですね。
やがて全体会も終了。宿舎まで重い荷物を持っていって、またまた会場に引き返します。ここからは「交流会」。もちろん「呑み会」です。どれくらいハードになるかなぁと思っていたのですが、熊本の女性たちと一緒のテーブルになったおかげで、けっこうまったり気分の交流会になりました。
交流会が終わったらもちろん2次会です。めんどくさいのはイヤなので、YンさんとかN入さんとかと一緒にこの時に行った飲み屋さんへ。と、店の雰囲気が違います。どうやらオーナーが変わったみたいですね。う〜ん。
2次会での会話はもっぱら「パラムの会」の話。なにせ、「民族名をとりもどす会」のYンさんと異文化研究会のN入さんがおられるわけですから、とうぜんそのあたりの話になります。それにしても、Yンさんの話はすごくよかった!日本籍・ダブルがどのようにアイデンティティを確立してきたか。Yンさんの世代からパラムの会へ、そしてその次の世代としてのK田孫朝日さん、さらにその系譜に位置づけられるであろうTーマスやU本へという流れをおさらいすることができた気がしました。
それにしても、わたしはほんとうにパラムの会の影響を受けているよなぁ…。
宿に帰ったら、すでに先着隊が呑んでいます。う〜、男だらけの呑み会は、やっぱりハードやなぁ…。

ちょっとだけね

この交流会、やっぱり子どもたちが起きている間は、基本的には(笑)呑めません。ということで、子どもたちを寝かしつけてから、引率の交流がてら、ほんの少しだけ呑みます。といっても、呑むのがメインじゃなくて、いろいろ各地の情報交換をするのがメインです。それぞれの地域でどんな活動をしているかとか、活動資金をどうしているのかとか、なかなか有意義な時間が過ごせました。
そうそう、今回は卒業生たちがサポートに入ってくれて、ヤツらともちょっと話できたのがよかったかな。まぁ最後は腕相撲とかして、負けて「にゃん!」とか言っていたからダメダメなんですけどね。

今年もはじまった・死のロード(1日目)

今日から明日、奈良で「全国在日外国人生徒交流会」があります。今年も約100人の在日外国人の生徒たちが集まり、延々と語りあいます。すごくスリリングで、そしてすごく疲れるイベントです。いや、スリリングなのはもちろんなんですが、高校生真っ盛りの連中と2日一緒にいると、ほんとうに体力的には限界になります。さてさて、はたして持つのかな。
とりあえず、京都のメンバーと合流して、会場に向かいます。最寄りの駅に行くと、他府県からの参加者や引率がいます。
「ひさしぶり〜」
と声を掛けあうたびに、「今年もはじまったなぁ」という思いがわきあがってきます。
会場に入ると、すでにそこは100人ほどの高校生がいます。もう、多種多様なルーツのサラダボウル状態になっています。
今回は、ゲーム大会形式のアイスブレーキングではなく、2日間一緒に討論する班ごとにいろんな「タスク」をしながらアイスブレーキングをすることになっています。個人的には、たぶんその方がいいと思うんですよね。なので、早々に子どもたちは各班にわかれて論議をはじめます。で、大人は…。班につく人以外は、まぁヒマと言えばヒマかな。とりあえず、必要な買い出しに出かけましょう。
買い出しから帰ってきたら、晩ご飯。メニューは「ソースがたっぷりかかったハンバーグ・海老フライ2本・千切りキャベツ・スープ」とごはんです。なんというか…。これに旗が立っていたらお子様ランチですね。でもしかたありません。◯ールもなく食べます。
夕食後はルーツ別討論。ここはわたしも担当が入っています。わたしの担当は「日本人分科会」です。わたしは在日外国人生徒交流会を通して外国人生徒が元気になるのは大切だともちろん思っていますが、そこに参加する少数の日本人生徒がなにを考え、なにを持ち帰るかということも大切だと思っています。今回参加してくれた10人ちょっとの日本人生徒たち、地域や学校でいろいろな人権にかかわる活動をしていて、その延長でこの交流会に来ていることを知って、かなりうれしかったです。特に、徳島の生徒の
「地元に持ち帰って伝えたい」
という言葉に
「おぉ!」
という気持ちになりました。
その後、ふたたび班別討論会。このあたりになると、かなり疲れがたまってきています。責任者の人と、来年の話なんかをしながらダラダラ。やがて子どもたちの就寝時間です。