線引き

職場に着いたら、とりあえずパソコンに火を入れて…。さてさて、成績処理の最終段階です。ここからは「顏」は見ません。単純に点数だけを見ます。
点数を集計して、ソートをかけて、カチャカチャカチャ。
はい、出てきました(笑)。
一年間の長い「闘い」の最後は、あっけないほど簡単に終わります。
で、最後の会議。
担当者が出した原案を元に、みんなで論議をします。
「この子は○○な子で」
みたいな意見も出てきます。わたしは即座に
「その話はやめよう」
と返します。わたし、こういうところでは原理主義なんです。心情はあれど、それは論議に持ち込まない。仮に論議をするなら、みんなが納得するロジックを見つける。もしもそれが見つけられなければアウト。
教員って、たいてい「落とす」ためには授業をしてないです。基本は通したい。そこに私情をはさんでしまうと線が引けなくなります。いや、先を引く必要はないという根本的な論議はありだと思います。が、その論議をせずに線の引き方をあいまいにするのは、わたしにはどうしてもしっくりこないんです。
「長い闘い」の最中はとてもウェットです。しかし、その最後はドライである。要は、「そこまで」が勝負なんだと思っているということです。会議は勝負の場所ではない。
そんなことを考えながら、2時間半ほどの論議を終えて、今年一年が終わりました。

最終日

長かった一年の授業も、今日で終了です。と言っても、最後の一時間は試験返しの20分間。さて、この時間をどう過ごそうか…。
もちろん、単に返してそれで終わりという方法もあります。あるいは、一年間の感想を書いてもらうのも「手」ですね。でもなぁ。今年はまだやっていないことがあるんですよね。
どうしようかと、昨日の夜もさんざん悩んで、「やっぱりやろう!」と決めました。
しかし、20分しかない。いつもの映像を見せる時間はありません。んー…。交流会でいきましょう。今の自分の一番の関心事です。
一つのクラスはツッコミまくり。もうひとつのクラスは静まり返って見てました。
「感想を書いてもらう時間はないし、またそのへんで会った時に感想教えて」
て感じで、オープンエンドで終えました。
帰り際に一人生徒がやってきて
「来年も担当してください」
って言ってくれたのは、やっぱりうれしかったなぁ…o(^^)o。

忙しくも穏やかな一日

とにかく今日の最重点課題は成績処理です。
そのために、4時半に起きて、雑務をひとつこなしちゃいました。
職場に着いたら、とにかくさくさくと採点だのノートチェックだのをすませます。途中、いろんな用事は入ってきたものの、そんなこんなをてきとうにこなしているうちに、あっという間に職員会議の時間です。てか、なんでこんな日に(T_T)。
会議が終ったら、またまた成績処理。とにかく、できることをできるかぎりやると、あとが楽です。
で、夕方家に帰って、できあがったメガネをとりに行きました。んー…。似合うのかなぁ…。まぁ、たとえ似合わなくても、3日も経てば慣れるでしょう。
で、その後、家族で外食。今日はパートナーの誕生日。それとわたしの誕生日をかねたお祝いです。かつては完全なファミレスでしたが、最近はファミレスよりちょい高めの店みたいです。でも、あまり変わるものではないですけどね^^;;。
子どもの塾が終わってからなので、遅めの晩ごはんでしたが、ゆっくり食べて、ゆっくりしゃべって。子どもからプレゼントをもらってo(^^)o
家に帰ったら、満腹と疲れでもう限界。寝ましょうかo(^^)o

にもかかわらず、こちらを優先

今日は夜にセンセとふたりの「おべんきょ」があります。にもかかわらず、まだレジュメが半分くらいしかできていません。てか、本もまだ全部は読めていません。どーするよ(T_T)。
なんしか、読むしかないです。
てことで、ボランティア活動のあと、おべんと食べて、本にとり…。ね、眠い^^;;。
気がつくと小一時間経っていたり(T_T)。
しゃーないです。レジュメは路線変更。とにかく形にだけはしてと^^;;。

で、おべんきょ場所へ。
部屋に入っていきなり昨日の「趣味」の振り返りがあったりして、グダグダ一時間ほどそっちの話です(笑)。その後、さっくりとレジュメを見て、センセはひとこと。
「んー、この方向で行ったら、シッチャカメッチャカになるね」
たしかに^^;;。でも、たぶんベースにおいておかなきゃならない内容かなとは思ったので、無意味ではないとは思うのですが…。

まぁ、今日は「おべんきょ」というより、「今後のあり方」についての話だった気がしますが、それはそれで有意義だったかな。
問題は山積み*1ですがね。

*1:最大の問題は、時間とモチベーション^^;;。

んー、なんだこれは…。

途中、「特殊業務の日」と土日をはさんで一週間にわたる学年末試験が、今日終わったわけですが…。
わたしの担当するクラスの試験は今日。なので、今までの一週間、採点しようにもできず、ノートチェックもできない。
で、今日は試験後にボランティアが入ったり、あしたは放課後会議が入ったり、とにかく採点の邪魔をするものがたくさんあります。ったく、どーせーと(-_-メ)!

課題の持つ排他性

ある課題を追っかけた時、とても排他的になるんじゃないかと、ふと思いました。その課題が大切であればあるほど、深刻であればあるほど、排他的になる。
例えば、「A」という課題について話をしている時に、「B」という課題に抵触した発言が出る。その時「その発言、B的にどうよ」てなことが言えるかどうか。「A」がさほど深刻ではない、あるいは、深刻であったとしても、「そのことだけ」ではない場であれば、きっと言えるだろうなと思うのです。ところが、「A」という課題に特化した場であればあるほど、「A」が「深刻であると認知」されていれらいるほど、それは言いにくくなる。「いや、いま、そーゆー話とちゃうし」と。
わたしはそういう場に対して、すごくアウェイ感を感じてしまう。これはしかたないです。わたしがいまだ乗り越えきれていないトラウマと言ってもいいかもしれません。
でも、そのトラウマを持ってよかった。なぜなら、自分はそうではありたくないと思えるからです。
かつて、とあるところでお座敷を頼まれ、開会のあいさつを聞いていたのですが、その中で「○○問題をはじめとし、日本にはさまざまな人権問題が…」なんていうフレーズが出てきました。そんな時、「へい(笑)。「はじめ」じゃない「二の次」の課題でございます(笑)」と言えることって、しあわせだなぁと思います。
「二の次」だからこそわかること、できることがある。わたしはわたしの課題を考える時、語る時、「排他的」にはなりたくない。「いつきさん、それどーよ」「あ、ほんまや。わたしって、まだまたまやなぁ」という、いつもの会話ができるダメ人間でいつづけたいなぁ。

中立なぁ…。

今日は「在日外国人教育セミナー」。テーマは「京都・滋賀の朝鮮学校の現在」。とてもタイムリーなので、いろんな人が来られるかなぁと。でも、考えてみたら、たぶん「いろんな人」も限られた人数の中で取捨選択しながらあちこちに行っておられるので、たぶん吹けば飛ぶような「わたしたち」の集まりには来られないでしょうね。
てことで、ゆるーい警戒感を持ちながらセミナー開始。
ちなみに、「集会をやる」ってことは、わたしにとってどういうことかというと…。

  1. 会場をどこにするか考える
  2. 必要に応じて根まわししたり、申し込みに行ったりする
  3. 名簿用紙をつくる
  4. 最初に行って会場をあける
  5. 必要に応じて案内用の張り紙をしたり、視聴覚機器のセットをする
  6. はじまったら電気のつけ消しとか視聴覚機器の操作をする
  7. 終ったらゴミのチェックをして片づけして部屋を閉めてカギの返却

なんですよね。これ、セミナーなのか交流会なのか玖伊屋なのかわかりませんよね。つまり、中味じゃないってことです。どんな集まりであっても、やることは同じです。でも、そういう感覚を持たない人が多いんですよね…。ま、いいや。

セミナーの中身は…。
支援者の方の話は、いろんな「情報」がつまっていて勉強になりました。あと、朝鮮高級学校の先生の話がおもしろかったですね。スライドを使いながらの話でしたが、生徒たちがとてもいい顔をしています。てことは、楽しいんでしょうね。それから、一生懸命なんでしょうね。とても大切なことだと思います。京都の公立高校であんな顔ができる学校がどれだけあるかなと思うと…。まぁ心許ないですね。

教育の中立性ってなんだろうと、あらためて思います。カリキュラムによって、あるいは思想信条によって補助金を出すか出さないか決めるって、極めて中立的でないなぁと、ふと感じました。つまり、「中立」をどのレベルで考えるかってことです。「中立」に対して一定の審査をするということは、「審査基準」があるわけで、その「審査基準がある」ということそのものが中立ではないということだよなぁということなんです。
いや、「なんでも通しはあかんやろ」という意見はあるとは思うのですが、そういう話ではない。「中立ではない」ということに意識的である必要があるということです。「バイアスをかけて排除してる」ということを意識することが必要であるということです。自分を「正しい」と思わないということです。
単にそれだけのこと。
そんなことを、あの子どもたちの顔を見ながら、ふと感じた。まぁ、それが感じられたという意味で、参加してよかったかな。

新たな半世紀へ

にしても、朝起きて
「51歳かぁ」
と思ったのですが…。
考えてみると、いままで半世紀を生きてきたんですね。てことは、折り返し点です。今日から新たな半世紀に向けてスタートを切るんだなって思いました。しかも、前半の半世紀の最初の20年は、まぁたいしたことのない20年でした。それに比べて、後半の最初20年は、さすがにあの頃よりはマシでしょう。
うん。
「しでかしたろ!」
っていう気がムクムク起こってきましたよo(^^)o

やっとわかった

解散地点で、大学時代からお世話になっている先輩から
「呑みに行こう」
と誘われて、
「じゃあ」
とついていくわけです。これ、30年前からパターンが変わってません(笑)。
で、呑みながら聞かせてもらったのが、まさに「京都の運動史秘話」でした。そして、わたしがまさにその渦中にいたことを、今ごろ知りました。いやぁ…。
わたし、完全にその先輩のオルグを受けていたんですね。でも、そのオルグはどこかのグループへのオルグではありません。まさに「運動」へのオルグだったんです。だから、わたしが表面上「運動」から離れていても、その先輩は温かい目で見守ってくれていたんですね。そして、おそらくオルグは成功しています。
さらに、どうやらうちの父親は、そういうオルグを、おそらくわかっていながら放っておいた。今そのことに気づいて、驚きます。
まさに、父親に出会わせてもらった「運動」にわたしは育てられ、今ここにいる。
そんなことがおぼろげながらにわかった夜、そして、51歳のスタートの日にふさわしい一日でした。

ちなみに家に帰って
「ごめん、帰ると言いながら、つい呑んじゃった」
とパートナーに言ったら
「どうせそうやろうと思ってた」
と笑われてしまいました^^;;。

散歩は楽し!

家を出たのはすでに集会がはじまっている時間です。まぁ、「お散歩」に間に合えばいいや。
てことで、円山公園に到着。あ!ちょうど「制服向上委員会」のライブが終わったところだった(T_T)。まぁいいや。「お散歩」の出発には間に合いました。
で、知り合いを探したのですが、わかるわけないです。なんでも参加者は3500人とか。円山公園が満席です。

宵々山コンサート以来です(笑)。
とにかく、各種団体がぞろぞろ出ていくので、そのあたりをやり過ごして行くと、なにやらあやしげな人々が残っています。直感的に
「あのへんやなぁ」
と思ったら、やっぱりそうでした。
てことで、「お散歩隊」出発です。しばらく歩くと、ラジオ塔のまえから「サウンドお散歩隊」が合流。このあたりでちょい悶着があったりしたものの、そのあたりにいるみんながそれぞれの役割をきっちり果たして「邪魔もの」をのけたりして(笑)。
あとはサウンドを聞きながら、ゆるゆると終着地までお散歩しました。

久しぶりだったけど、たのしかった!