朝起きると、思ったよりも体調がマシです。そういや、昨日、恒例の会議の後の恒例の飲み会では、ビール1本と日本酒2杯でした。これが自分の適量なので、やはりそこにおさめると翌朝楽なんだってことが、あらためてわかりました。
さて、今日は少し時間があるので、まとまってものを考えようなどと思いながら電車に揺られていると、ふと思いついたことがありました。あー、ひとつのキーワードにこだわりすぎていて、その隣にある言葉に考えが及んでいなかったのかも。とにかく、これは後で調べるしかないですね。
そんなことを考えながら職場へ。3時間目に体育館の放送セットを確認しに行って音が出ないのでチェックしたら電池のブラスとブラスがごっつんこしてるの見てあきれてしまったのは、つかの間の脳みその休憩です。
とにかく今日は具体的に作業を進めましょう。もう黙って考える時期は過ぎています。作業を進めながら、ドンドンショボくなるのがわかっていきます。その瞬間「こんなのでええんか?」「書く意味あるのか?」と落ち込むのですが、たぶんその方向でいいはずです。でも、そうなると「壮大な書き出し」をショボくする必要が出てきます。あー、時間がない。
放課後にはリサーチです。なにせ、その分野のペーパーが、なぜかひっかかってきません。
某クラブに行って
「この中で腐女子の人?」
って質問すると
「はい!」
と速攻手を上げてくれる子どもがいるあたりはさすがです。いろいろ質問してリサーチ。うーん、むずかしい。でも、むずかしさがわかっただけでもリサーチの価値がありました。
ま、そんなこんなで、まだ道半ばですが、とにかく道ははじまりました。が、タイムリミットまで、あと2日。アカンやん。
遅々として進まず
タイムリミットは金曜日。いや、木曜日の夜か。金曜日は某所で印刷して、午後から発表ですからね。当然のことながら、その前にセンセおふたりにも送らなきゃなりません。メッチャ切羽詰ってます。
でも、午後からは出張、夜は恒例の会議です。ま、いいです。こんな時のための電車通勤です。とにかく本を読んで、必要に応じてデータを読んで。
それにしても、本を読むと落ち込みます。わたしがやってきたこと、やろうとしてることは、すべて他の人がすでにやってます。じゃ、わたしがやる意味はどこにあるんだ?自分の価値のなさに打ちのめされます。こんな時、「なんでこんなことをやろうと思ってるんだろ」と思っちゃいます。だって、「こんなこと」さえやろうと思っていなければ、もっといろんなことに余裕ができるのにね。でも、きっとそんなもんなんでしょう。
そして、本を読み進めていくうちに勇気ももらったりします。そっか、「正しさ」を探しているんじゃなくて「実践」を明らかにしようとしているんだ。それを浮き彫りにすることで「現実」がわかる。それが「理論」と「わたしがやっている/やろうとしていること」の「差」なんだよな。
ま、いままでも「壁際の魔術師」だったし、今回もきっとコロボックルさんが来てくれる。それを信じよう。
進まない
朝起きると絶不調です。あたりまえですね。とりあえず、昼ごろまで友だちのところにいさせてもらって、ボチボチと帰ることにしました。
家に帰って、今度の金曜日の準備をしようと思うのですが、進まない。
「そんな時は引用部分のコピーやるとか、事務作業をやるんですよ」
というダメダメ先輩の言葉が頭の中に響いたので、そんなことをしながら、ほんの少しだけ進めたけど、もうダメです。
どうしたものやら(;_;)
台風なんて気にしない
で、駅まで行って、呑みです。誘ってくださったのは、なんでもメチャクチャ呑む姐さんだとか。名指しとは光栄です。
それにしても、テレビ局も待機してる駅で台風情報を質問して、「夕方から強くなりますね」って言われて、そこから呑みに行くわたしたちもたいがいですね。てことで、駅ビルで呑み開始。まずは1軒ガッツリ呑んで、「畳がほしい」という姐さんのリクエストに応えて2軒目へ。ここでもさんざん呑んで、呑み終えたのは7時過ぎ。
えーと、新幹線は…。とまってます(笑)。
でも、どうやら運転を再開しそうなので、ホームに行って待つことにしました。まもなく来た新幹線の自由席を陣取ったのですが、ガラガラです。なので、セッティング。
ここからも、姐さんとダラダラ話しながら、飲んだのですが、なにせ岡山までは各駅停車です。まぁ時間があるからええかと。しかも、岡山で停止。車内はガラガラ。となると、座席は向かい合わせですね。ということで、爆睡です。目が覚めると、間もなく新大阪。時間は…。0時前(笑)。これは京都まで行っても帰れませんね。大阪の友だちに泊めてもらおうかな。明日は休みだし。
二人会
朝、目が覚めると8時45分でした。
…
8時45分?!
アカンやん。会場には最低でも9時15分には行かなきゃなりません。えーと。とりあえず着替えて朝ごはんを食べますか。
てことで、朝ごはん会場に行くときれいな眺めです。遠くに原爆ドームが見えます。
で、さっくりとご飯を食べて、そのままチェックアウト。会場はすぐ近くなので走っていきました。ありがたい!
会場につくと、みなさん、わけわからん笑顔で迎えてくださいました。そりゃそうか^^;
てことで、二人会スタート。まずはN村さんによる基礎知識。この人、genderbread personの考え方で説明をされます。最先端ですね。あと、特例法についても、きっちりと問題点を指摘されます。ほとんど話すことはありません。が、まぁ、語り口というものはそれぞれだから、かぶるのもやむないかな。とりあえず、与えられた時間を考えると、かぶるところを極力減らしましょう。最終的に、打ち合わせ通り、子どものことを残してN村さんのお話終了。お次はわたしか。
とりま、N村さんの話を継いで、わたしなりの話を補足して、そのまま子どもの話に突入です。まぁ、ここからはわたしの専門分野です。なので、少し余裕もできるというものです。それにしても、さすがは「青年司法書士」です。笑いのタイミングが絶妙です。これは話しやすい。こちらが話しやすくなると、ますますネタの鮮度があがります。ということで、とても気持ちよく話させていただけました。
終わってから、いろんな人が「よかった」ってあいさつに来られて、ほんとに恐縮です。
その後、閉会式に参加。これがよかった。特に、地元実行委員長の話はすごかった。広島でおきた土砂災害の時にボランティアに行って、重機使ってフルに活動されたところ、東日本大震災の被災者の方がボランティアに来られてて「あなたはこの地域のヒーローだね。でも、あなたがやっていることはこの地域の人々の自立を一番ジャマしてるね」と言われ、そこから法律の専門家としてできることを一生懸命考えて、それをやった。そしたら、地元の人と、少し距離が近くなった気がしたという話でした。なんか、自分の身に置き換えながら話を聞きました。
司法書士って仕事、すごいんだな。
なにがなんだか
今日は朝から某在日外国人教育関係の会議です。午前は事前の打ち合わせ。午後からが会議です。が、台風の影響があったり、土曜日に各種行事がある人もいて、集まりがイマイチ。なんか、ほんとうに土曜日の仕事が増えてきた印象があります。おかしいよな…。
で、会議が終わったら、みなさんとバイバイして、新幹線に乗りました。まずは、QC20のスイッチをオン。突然広がる静寂の瞬間はたまりません。グールドのバッハを小さな音でかけながら、来週の日曜日にあるイベントの構想を練ったりしました。それにしても、久しぶりに1990年に書いたレポート読んだけど、ひどいな…。でも、あの頃の自分があるから、今の自分があるわけで、あの「ひどい過去」は消しちゃいけませんね。
で、広島に到着。なんでも、今日はカープは負けたとか。残念です。
で、ホテルにチェックインして、しばし休憩。時間が来たので、呑み会の場所へ。明日ある「全国青年司法書士協議会」の分科会の前夜祭です。到着すると、今回2人会をするもうお一方のN村さんはすでに来ておられました。ここで簡単に明日の打ち合わせをして、ここから呑みがスタートです。ちなみに、N村さん、趣味が各地のパレードに参加することだとか。今回のN村さんの役まわりは「基礎知識」ですが、かなりな最新情報を織り込んでおられて、ほとんどわたしが話をする内容がないんじゃないかと思ってしまいます。
そうこうするうちに、懇親会をおえた司法書士のみなさん合流されて、なんだかすごいことになってきました。いや、みなさん、メッチャ元気です。
ということで、2次会へ。なんでも、お店で盛りあがっておられるのは、今日の広島カープの残念会をやっておられる方々だとか。さすがは広島です。ここでワイワイ呑んで、ワイワイ歌っていたら、気がつくと1時。これはヤバイ。帰らなきゃ。
ホテルに帰って倒れるように寝てしまったのですが、大丈夫なのか?
ミクロとマクロ
ミサイルと聞いて、またまた不安な気持ちが首をもたげてきます。朝鮮学校の子どもたちがバッシングを食らうんじゃないかな。イヤだなぁ。
ということで、朝のあいさつはここから。
また今朝ミサイルが発射されたね。
最初に思ったのは、「また朝鮮学校の子どもたちが叩かれるんじゃないか」ということ。もともと朝鮮学校の制服はチマチョゴリだったんだ。でも、朝鮮民主主義人民共和国がなにかすると、そのことで朝鮮学校の子どもたちが叩かれる。かつてチマチョゴリがカミソリで切られるということがあった。制服だよ?君たちが自分の制服をカミソリで切られることを考えたら、それがどんなことかわかるよね?もちろん、この中に今回のミサイルの発射が朝鮮学校と関係があると考える人がいないとは思っているけどね。でも、そういう状況は、今も変わっていない。例えば、高校無償化から朝鮮学校ははずされている。
それからね。「DPRK、アホやなぁ」みたいなことを言う人がいる。
ただ、核武装やミサイル発射はダメだけど、その是非はおいておいた時、わたしはDPRKの気持ちがわからないわけじゃない。
だってね、韓国・日本、その向こうにアメリカ、そして中国に囲まれているんだよ。まわりは敵国だらけ。中国とロシアはそんなでもないけど、でも、まわりに気を遣わなきゃならない立場。そして、38度線は停戦ライン。つまり、DPRKと韓国はまだ戦争状態なんだ。これを言いかえると、クラスの中にメッチャケンカ相手がいて、しかもクラスのイニシアティブをとっているような人はみんなケンカ相手の仲間。それ以外の人もそこに気をつかっている。そんな状態ね。で、ひとことなにか言えば、まわりからフルボッコにされる。そこで自分の強さを見せつけたりしてガードを固めたり「いつでもいけるぞ」とやってみたりするの、わたしはわかる。そのことのぜひはおいておいてね。
でね、ぜったいにDPRKは日本にミサイルは落とさない。だって、落とした瞬間に、世界戦争がはじまる。あちこちからミサイルが飛んでくる。DPRKは終わっちゃう。そんなミスは絶対にしない。そんなミスがないことがわかっているからミサイル発射をしているんだよ。じゃ、なんのためにJアラートは鳴るのかな?
つまりね。日本の立場で考えるだけじゃダメ。一度世界規模で全体を見る。そして、そこからDPRKの立場で考える。そして再び世界規模で全体を見る。すると、わかってくることがある。
世界は、いま、危ういバランスの中で「世界戦争はやめよう」という立場をとり続けている。もちろん、世界中のあちこちで戦争は今もある。でも、それが「世界に広がる」のは避けようという、危ういバランスなんだ。そのバランスは、例えば「オバマからトランプへ」「イギリスのEU離脱」「ギリシャの破産」ありとあらゆる要因で崩れる。でも、その崩れる中で、それでも世界戦争にならないようにバランスをとり続けている。そういう中に、DPRKのミサイル発射もまたある。
あとね、本気でDPRKが日本を攻撃するとしたらどこだと思う?まずは南にある小さな島だよ。それは、君たちが12月に行く沖縄。なぜ沖縄か。もしもDPRKに向けてミサイルが発射されるとしたら、そのミサイルがあるのは沖縄だからだよ。じゃ、なぜ沖縄にミサイルがあるのか。それは、アメリカにとって沖縄が最前線の基地だから。じゃ、なぜ4島に基地がないのか。それは、沖縄に基地を押しつけているからだよね。じゃ、なぜ沖縄に基地を押しつけているのか。それを知るためには歴史を学ぶ必要があるね。その歴史は11月にやるからね。
もしも沖縄がミサイル攻撃されたらどうするだろう。たぶん、日本政府はそのことをもって報復に出るだろうね。でもその時、沖縄の人々への関心があるだろうか。沖縄で傷ついた人たちに関心を払うだろうか。わたしはそこについては疑問だな。こわいね。
じゃぁ、授業をはじめよう。
今日は三角関数の定義ね。
ほんとに疎い
朝、毎日同僚と駅から職場まで歩きながら、いろいろ考えていることとか、身のまわりのこととか話をしています。で、今日の話題は3連休の過ごし方。
い「土曜日の夕方から広島なんですよね。カープの優勝とかぶるからなぁ」
同「え?台風ですよ」
い「え?知らなかった…。で、同さんは?」
同「わたしはいつも台風(笑)」
い「あー、子どもがね」
同「はい、3人」
で、職場についてパソコンに火を入れて。すると、別の同僚が出勤してきて
同「また発射したー。テレビの画面が切り替わって、子どもが怒ったー」
い「へ?」
同「知らないんですか?7時頃かな、ミサイル発射」
えーと…。てか、7時は地下鉄の駅からJRの駅までホームを駆けあがって、息を切らしている最中だよ。そのあとはブログの更新してるし、そのあとは本読んでるし。そういや、最近天気予想もニュースも見ないからなぁ。
言葉が軽くないか?
なんか、ここ最近、やたら「「命の大切さ」を伝えてほしい」などと言われるようになりました。まぁ、近年「9月1日問題」が叫ばれるようになってきたから、そんなのもあるのかもしれません。
ただ、わたしは「命の大切さ」を子どもたちに伝えられる自信がないんですよね。
だって、「命は大切」と言った時に「あぁ、大切だよな」って思うことができるのは、すでに「命は大切」と思っている子どもだと思うのです。じゃ、「命は大切」と思えていない子「生きてるよりも死んだほうがマシ」と思ってる子は?
「いや、もうええし。そんなきれいごと」
「たしかに大切なんだろうけど、でも、こんなふうに生き続けるよりも死んだほうが楽やし」
そんな子らにとって「命の大切さ」は「命は大切」という言葉では伝わらない気がするのです。
さらに言うなら、この、今の社会において、なんと命が軽んじられていることか。日常的に「死」が報道され、戦争への道を突き進むこの国この社会において「命の大切さ」という言葉がはたして伝わるのか?
わたしはそういうふうに思ってしまうんですよね。
そう考えるわたしにとって、「命の大切さ」という言葉はなんと空虚で軽いことか。
なので、今日は3つのクラスでそんな気持ちをぶつけてみました。なんか、みんなシンとして聞いていたし、あるクラスでは「みんな、どう思う?」って聞いたら、それぞれがそれぞれの考えを返してくれて、なんか、めっちゃおもしろかったです。
もしかしたら、可能性としては、こんな場の中で、ほんの少し伝わるのかも。もちろん、その時渦中にいる子には無理です。でも、その場にいた子が、将来どこかで「死んだほうがマシ」と思った時、思い出すことは…。ないやろな…。
その程度に、むずかしいことだと思ってるんですよね。だからこそ、「命の大切さ」という言葉のなんと軽いことよ。