Help!・その2

帰りの車の中のニュースで…。
安倍氏が総裁選出馬表明とか。「美しい国、日本」その内実として「自由と規律を知る凜とした国」「他国から尊敬される国」。なんかいろいろ言ったらしいです。
こわい…。
「美しい」の中身は誰が決めるの?「規律」の中身はだれが決めるの?「尊敬」って誰がするの?
あまりにも形容する言葉が多すぎます。形容詞の中身は、人さまざまだし、その自由度が認められるものだと思うのです。でも、それを一般化してしまう動き。こわすぎます。
「規律」ひとつとっても、先日の校内研修ですら論議がありました。わたしなんて、全員がきちんと前を向いて静かにしている教室*1よりも、みんなが数学について教えあいながらワヤワヤやっている教室*2の方が、はるかに規律があると思っている。でも、ウチの学校でも大半の教職員は前者が「規律」と思っている。たぶん、「規律を知る」となると、わたしなんてつぶされるんだろうなぁ。そういう教育改革を「上から」やるわけでしょ?しかもそこに「自由を知る」なんてある。完全な矛盾だと思いますけど…。
「尊敬」。誰かから尊敬されるのって、「尊敬されよう」と思ってできることじゃないと思うんですけど。自分がしなくちゃならないと思うことを淡々とやった結果として、もしかしたら尊敬されるかもしれないです。でも、そんなことは自分が望むこととは別に、副次的にくっついてくるかもしれない結果でしかありません。
再度掲載です。

庭上一寒梅  (テイジャウノイチカンバイ)
笑侵風雪開  (ワラフテフウセツヲオカシテヒラク
不争又不力  (アラソハズマタツトメズ)
自占百花魁  (オノヅカラシムヒャッカノサキガケ)

*1:裏返せば、「自分のことだけをやる」考え方

*2:裏返せば、「仲間のことを考えながら自分も伸びていく」考え方

Help!・その1

行きの車の中のニュースで…。
大阪市では、同和地区に過剰に配置されていた教員を引きあげて…」「青少年会館の利用率が低いので、民間委託して…」
おいおい…。
そりゃぁ昨今報道されている不正行為はあかんと思います。でも、それと加配制度って関係ないっしょ。
そもそも、「過配」じゃなくて、「加配」です。「加えて配置」をしているんです。つまり、加配設置校は、教員定数外に教員が配置されているんです。結果的に、教員数に余裕があるんです。教員数に余裕があったら、最終的にその学校の教員の仕事に余裕が出てくるのです。それが、最終的には、その学校のすべての生徒に還元されていくんです。加配って、そういうものなんです。
加配を引きあげるということは、その学校の教員数が減るということです。ということは、例えば分掌配置をはじめ、試験監督や掃除監督などの細かいところにいたるまで、「引きあげ前」と同じレベルを維持しようとすると、加配以外の教員の仕事の負担が増えるんです。すると、その跳ね返りは生徒達に行くんです。
いま、現場では少子化に伴って、一校あたりの教職員の数が少なくて、ひいひい言っています。「生徒が少なくなったら教員も少なくなるでしょう」と思われがちですが、実は違うんです。生徒が少なくなっても、仕事の総量は実は、あまり変わらないんです。だから、いまの定数法では学校現場はまわらなくなってきているんです。なぜ、「加配を引きあげろ」という方向に行くのかわからない。なぜ「すべてに学校に加配を配置せよ」にいかないのか、わたしにはわからない。
同じことは、青少年会館の利用の問題にもあります。使えばいいじゃん。なぜ使わないの?いま、青少年会館は一般に開放しています。例えば、青少年会館じゃないけど、人権文化センターをトランス交流会で使った経験があります。使えるんです。なぜ使わないの?民間に委託して、なにかいいことがあるの?トランス交流会の時にはずいぶんと便宜をはかってもらったけど、あんなの、民間に委託したらできなくなると思います。それだけじゃないです。いま、「夜回り先生」みたいなことをやっている青少年会館もあるんですよね。それもこれもいっしょくたにしてつぶそうとする。
なにかが違う。話の展開の方向が、どこかまちがっていると思う。

感想文を読んで

終わってから、書いてもらった感想を読んだのですが…。
たいていの人は「よかった」という感想なんですが、なかに「性が多様というならば、お好きになさればよろしいじゃないですか」なんていうのがありました。講師の方々、これを読んでひとしきり笑ったあと「この人、なにがあったんだろうなぁ」と、みんな逆に心配していました。この人「聞きたい人だけが聞くようにしてくれ」とも書いていたのですが、「君が一番聞かなくちゃならないんだけど、その前にやらなくちゃならないことがあるよなぁ」とも思いました。てか、同僚にも変なのがいるんだけどね(笑)。
他にも「ウチの学校に問題が起こっているならともかく、なにも起こっていないのにこんな研修をする必要はないのではないか」なんていう感想がありました。「なにも起こっていない」と思えるのは、きつい思いをしている生徒が隠しているからだということに気づいていないんですよね。「きつい思いをしている生徒がいるかもしれない」という想像力が働かない教員がいるというのが、見事に顕在化しましたね。それと、こういう研修って、「なにかあってから」では遅いからやっているということなんですけど、これもまたわからないんだなぁ。
ま、他の「重要(笑)」な課題の時には決して出てこない感想が出てくるのが、この手の「どーでもいい(笑)」課題の研修のおもしろいところかな。

89年から92年の間にあったこと

あのアルバムの年号は、ちょっとややこしいんです。いちおう、あれは、表記の前年の4月から表記の年の3月までの間に撮った写真なんです。なので、「89年から92年の間」というのは、正確には「88年4月から92年3月の間」あるいは、「88年度から91年度の間」ということになります。わたしは、基本的に年度で考える方が楽なので、その時系列で考えると次のようになります。

1988年度
不当人事を蹴飛ばした関係で、校内人事で報復にあう(笑)。腹が立ったけど、上司がいい人で、土日がメインの仕事が担当になった。平日がヒマだったので、一生懸命走ってダイエット成功!QOLが著しく向上した(笑)。
1989年度
やけくそ人事の結果、念願の1年担任。これが、担任人生のスタート。すごく張り切って仕事をして、生徒にうっとうしがられる(笑)。でも、いまにいたる教員人生の基礎ができた頃。秋ごろに、いろいろ出会いがある(笑)。築100年と噂される家に引っ越しを決意する。
1990年度
「あの旗」とか「あの歌」とかの関係で、さっそく担任をはずされる(笑)。すねて一年仕事をしなかった。引っ越し決行。一方、昨年度の出会いの結果、この年度の最後の日に結婚する。
1991年度
他の担任さん達が、やいのやいの言ってくれてm(_ _)m、担任復帰。すぐに、子どもができたのがわかる(笑)。はりきって仕事をする。年明け早々、教室で生徒達に「早よ掃除せんかい!」と怒鳴っている最中、上の子どもがうまれる。初の卒業生を送り出す。

という感じですか。
いろいろあったなぁ…。

カムアウトのもうひとつの観点

自分の考えをまとめたり発展させるために、人と話をすることが有効なことが、わたしの場合はチョコチョコあります。
昨日の生徒交流会のことを話している最中に、ふと考えたことがありました。それは、「日本人からのカムアウト」ということです。
従来、どうしても当事者*1に対して、そうではない生徒*2は差別問題にかかわる時「随伴者的存在」あるいは、「支える人」というふうにしかとらえられてきませんでした*3。そうした、「マス」としてしかとらえられない「非当事者」というとらえかたはおかしいだろうと、先行研究などに触れながらずっと考えてきました。そのことに、昨日の「日本人交流会」がひとつのヒントを与えてくれたような気がしました。
つまり、「君のことを知っている」というカムアウトは「あり」だろう、ということです。いや、「なにをいまさら」という話なんですけど、これも「君との関係を変えていきたい」ということに他ならない態度表明なわけです。まさに、全朝教が「本名を呼び名のる」としてきた、それそのものです。そうなんだよなぁ…。まさに、原点だ!

*1:部落や在日外国人の生徒

*2:日本におけるWASP(笑)すなわち、「日本人」「男性」「部落外」ついでに「階層としてプチブルまたはブルジョア」かな?

*3:このあたりは、すでに先行研究があります。ね?こちゅかる子さん(笑)

状況から再構築する感性

昨日の夜、教員のミーティングで出た話を実行委員の生徒たちに伝えたのですが、どうやらうまく伝わっていなかったようです。というか、やはり司会はむずかしい。
当然一人一人の持つ「しんどさ」には違いがあります。あるいは、そのしんどさを「しんどい」と感じるかどうかについても違いがあります。このふたつの「違い」が、自分の経験を時として「取るに足りない経験」「語るに値しない経験」としてしまうことがあります。その結果「なにかあった?」と司会がたずねても、誰もなにも答えないということが起こってしまいます。
自分の置かれた状況や経験から、「なにが理不尽であるのか」ということを感じとるには、やはり「感性」が必要なんだと思いました。その感性を磨くためには、自分と自分のまわりのことを分析できる力が必要です。でも、「理不尽な状況」から自分自身を防衛するために、そういう力がマスクされてしまう。その力をとりもどすことが必要かなぁと思いました。

中間総括から・2「日本人が参加することの意味」

もうひとつ提起されたこと。今回初めて「ルーツ別交流会」を行ないました。参加者のほとんどは、自分と同じルーツを持つもの同士の出会いを喜んでいたようです。それが最も大きくあらわれるのは「言葉」。渡日からせいぜい数年しかたっていない生徒たちにとって、母語で話しあい冗談を言いあう機会はとても貴重なものです。わずかな時間ではあっても、そうした時間が設けられたことの意味はとても大きいかなと思います。
しかし、その一方「ルーツ別交流会」は2種類のマイノリティをつくってしまいます。
ひとつは、圧倒的に少数のルーツを持つ子どもたちです。せっかく「仲間」と出会いに来たのにやはりいなかったということの絶望感を、出会う機会を得た他のルーツの参加者の姿が倍増させると思います。
もうひとつのマイノリティは「日本」というルーツを持つ生徒たちです。「自分たちはなにを語ればいいのか」というとまどいが、そこにあります。いや、おそらくは、なんの働きかけもなければ、そう思ってしまうのはしかたのないことだと思います。
そんな、「日本というルーツを持つ生徒」の交流会にも、実は貴重な意見があったようです。それはこんなものでした。「自分は友だちが中国人であることを知っているんだけど、その中国人の友だちは自分が知っていることを知らない。どうやったら友だちが自分に話をしてくれるだろうか」。
ここにこそ、ひとつの本質があるように思いました。

中間総括から・1「しんどさを語ること」

夜に教員の総括。印象に残ったのは「司会をしている実行委員の生徒たちが、なんとか明るく軽くしていこうとしているけど、自分たちの経験をそんなふうにしゃべれるのか?」という提起。そりゃそうです。なにせ、オーバーステイや血縁関係にないから在留資格を取り消されて*1入管に収容とかいう経験までもっているような子らです。そんなに明るく語れるわけがないです。というか、他の場所ならともかく、「この場所」ならばそんなこと*2に気を使うことなく、しんどいことは「しんどい」と、素直に表現をしてもかまわないんじゃないかということなんです。
「しんどいことを明るく語る」というのがわたしの芸風*3ですから、これって逆行すると言えば逆行するのですが、たぶん、ほんとうにしんどいことはたぶんしゃべっていないんだろうと思います*4。なので、いまほんとうにしんどいと思っていることは、やっぱり明るくはしゃべれない可能性があります。それを無理に明るくすることは、たぶん不可能なんですよね。てか、きっと無理をしているのが伝わってしまうだろうと思います。それって、逆に痛々しいです。
今回の提起をされた方は、たぶんその痛々しさを感じとられたんだろうと思います。
「仲間」に対して、しんどさを隠さないということ、そのしんどさをマイナスに受けとめるのではなく、プラスに転化していける関係性(あるいは、「場」)って、やっぱり大切なんじゃないかなぁと思いました。

*1:日本の在留資格は「血統」に依存しています。なので、日本人と血縁関係があれば(たとえば実子)在留資格が認められますが、「連れ子」の場合は血縁関係がないので、たとえ親子であっても在留資格が認められないことがほとんどです。しかし、「家族=血縁」というのは、戸籍制度に基づく価値観であって、かならずしもこのような価値観は一般的ではありません。でも、入管はこれらをすべてひとくくりに「偽装」として、在留資格を取り消して、強制収容・強制送還の対象にすることがほとんどです。

*2:「明るくしなくちゃいけない」みたいな。

*3:というか、京都解放研の作風

*4:自分のことなのに「思う」というのは、自分では意識していないからなんですよ。