山をやる人たちの間に、「登る勇気」と「引き返す勇気」みたいな言葉があるそうな。目の前にピークがあって、そのピークをめざすために、ありとあらゆる困難を乗り越えてきた。でも、天候が悪化してきた。その時、どうするか。みたいな話です。
まぁ、比叡山くらいだったら、サルにかまれる程度ですむのかもしれないけど、それがヒマラヤあたりになってくると、その判断が命と関係してくる。
で、この間「のど仏」の手術について、(樹)さんをはじめ、何人かの方から貴重なアドバイスをもらいました。あるいは、「のど仏」に限らずSRSも含めてアドバイスをして下さった方々もおられました。
その人たちの言葉が、今日、次々と思い出されました。
まずは早急に考えなくちゃならないのが「のど毛」の手術です。
考えなくちゃならないのが、そのリスクと効果、そしてその結果が自分にもたらす満足度です。
- リスク
おそらくほとんどが成功しているだろうけど、数少ない「想定内の失敗」がある。その代償は「声」。いずれにしろ豊富な症例数の中で検討をしたか。
- 効果
パスしやすくなる(笑)。というか、自分のボディイメージの中の大切なようそのうちのひとつである「のどの線」が実現される。
- 満足度
「声」を失って「のどの線」が得られた時、自分はどう感じるだろうか?わたしにとってはいまのままで「声」に対する満足度はそれなりに高い*1。となると、どうなるだろうか…。
ふむ。
こういうことを考えながら、ふと気づいたこと。はたして自分はこうしたことをじっくりと見つめてきただろうか。もしかして「焦り」はなかっただろうか。おそらく、いままで比較的順調に「ホルモン」や「改名」といった作業は進んできました。そしていま、目の前にSRSすらぶら下がっています。そんな「おいしい(笑)」状態の中で、でも、もしかしたら「ベルトコンベア」に自ら乗っていなかっただろうかと考えました。そして、そもそも自分のスタンスがぶれていないのだろうかとも。「のど仏」の手術はしたい。もちろんSRSだってしたい。でも、「したい」ことと「する」ことはちがう。そのことと、自分の生き方を照らし合わして、充分な検討をしてきただろうか。「ちんこねぇさん」「まんこにぃさん」はありというのが、基本的なスタンスのはずでした。SRSしてお風呂に入るのではなく*2、一緒に入ってくれる友達をつくっていく(笑)というのが、自分のスタンスのはずでした。その原点を見失っていなかったか。
こんなことを考えながら、「はやる自分」「あせる自分」を押さえて、少し立ち止まってみようかという気になりました。いままでは「まわりが反対する」ことで「立ち止まって振り返る」余裕がつくられてきました。いま、「すべてが許される」時、その余裕を自分自身がつくりだす必要があります。
夜、ある友だちから「のど仏の手術の日程、いつだっけ?」という電話がかかってきました。「いま、どうしようか考えている」と答えました。すると「躊躇する理由はなに?」と聞かれました。
たしかに「躊躇」に聞こえるかもしれない。でも、これは「躊躇」ではないと思います。おそらくは「選択」。どの道を進んでいくのかという選択。迷いが出てきた時にどうするかという選択。それを忘れていたなぁと思いました。
そして、なにより、こういうことを気づかせてくれたたくさんの人に感謝しなくちゃと思いました。「苦言」を呈するのはとてもイヤなことだと思います。でも、それをあえて言ってくれる人が、わたしのまわりに確実にいるということ。本当に幸せだと思いました。みなさん、ありがとうございます。
さて、しばらく考えて、次の一歩を踏み出すことにしようかな。