なにもできないけど、しゃーないな

今日は卒業式の前日です。なので、会場準備とか予行とか。てことは、1日体育館に貼りつきです。なにもでけんな。とりあえずあいてるのは1時間目だけか。
そんなことを思って職場に行くと、昨日自分で書いたメモがありました。
「コンセントの交換」
忘れてました(笑)。
今年の卒業記念品はフォロースポットなんですけど、今日日の舞台照明用のコンセントは「C型コンセント」です。でも、うちの体育館は当然ことながら、いわゆる「平行型コンセント」です。しかも昔の舞台照明用のコンセントは「T型コンセント」で、埋め込みのコンセントとスポットをつなぐ延長コードが「平行ーT型」なんですよね。どんだけ使いにくいねんと。
てことで、「コンセントの交換」というのはC型をはずしてT型にするというものです。ちなみにメーカーからは「うちではできないので自己責任で」と言われるタイプの交換です(笑)。で、C型のフタを開けたら3芯になってます。え?と思ったけど、アースか。でも、T型は2芯です。えーと「L(ライン)」と「N(ニュートラル)」をつなげばいいわけね。アースは…。どこにもないわ(笑)。
そんなことをやってるうちに1時間目終了。しかし、なんでこんなことをしてるねんと。
で、会場準備。キミたち、遊びながら準備をするのはやめたまえ。そんなことしてたら昼ごはん食べる時間がなくなるぞ。
で、午後の予行。この3年生は、ことのほか親しくつきあってくれた子らです。ある卒業が危ぶまれた子のところに行って
「なんでここにいんねん」
って言ったら、まわりの子らは大爆笑をしてました。つまり、その子とわたしの関係をみんなが知ってるってことなんですね。
別のメッチャうるさかった子のところに行ったら、
A「メガネどうしたんや」
って聞かれて、そしたら別の子が
B「コンタクトのほうがかわいいからやんな!」
って言って、そこから
A「オレ、それ知ってる」
B「わたしのほうが先に知ってる!ロードレースの時に聞いた!」
A「オレ、もっと前に聞いた!」
B「チッ」
って、キミたち、何を争ってるねんと(笑)。
そんな子らなんで、まぁつきあうかと。
予行が終わって少し時間があったけど、7時間目が終わったら放送部の子らが集まってきたので、再び部室へ。
そんなことをしてたら、あっという間に定時です。帰ろうと思ったら
「書いてー」
という声が。卒業アルバムにひとことメッセージらしいです。こんなこと、ここ数年なかったよなぁ。ちょっとうれしいけど
「明日でいい?」
「ええよ」
ということで退勤です。
なにもできなかったけど、しゃーないな。

どちらをとるか

金曜日のブログにも書いたように、10年もんのコンタクトを新しくしました。わたしの「度数」と「カーブ」の在庫がなかったようで、昨日の夕方に受けとりでした。
新しいコンタクト、メッチャ見えます。それもそのはず、今回は右目左目それぞれ単独で1.2出てます。とにかく世界がシャープです。
が、困ったことがひとつ。電車の中のスマホが…。
基本的にはこのブログは通勤電車の中で更新しています。使ってるのはHTC10の中に入れたJota+というテキストエディタです。これ、メッチャいいです。ユーザーになれば、dropboxと直接やりとりができます。たぶん日本性教育協会に連載してた頃から使ってます。ついでに日本語入力はというとアルテってのを使ってます。これ「カーブフリック」というのがあって、拗音・撥音・濁点・半濁点が斜め方向とかフリックをカーブさせることで入力できるすぐれものです。ま、どうでもいいですけど(笑)。
てことで、ブログの更新はスマホでやってるわけですが、この字が見にくい。いや、見えます。見えるのは見えるんだけど、見にくい。
さらに更新が早めに終わったら本を読みますが、これも見にくい。
まぁ、そういうお年ごろってこともあるかもしれませんが、そもそもそういう方向にチューニングしてるってことなんですよね。
ただ、一番よく使うのは、PCのディスプレイとの距離だったりします。これは快適です。さらにそこから目をあげると、そこにはシャープな世界が広がっています。これは気持ちいい。おかげさまで、今日はめんどくさい組版をひとつ終えてしまいました。
まぁ結局、すべてを満足させるのはむずかしいってことですか。いや、すべてを「そこそこ」ですませたら、おそらくは「そこそこ」で両立するのかな。でも、少しとんがり目のチューニングをしたら、どこかに歪がくるという、当たり前のことなんですね。
しかし「濁音」と「半濁音」の区別が…。

楽観主義者

今日の午前は、第2のふるさとで会議です。内容は、互いのガッコ・園の人権教育(≠人権学習)の状況の報告です。
おもしろいなと思ったのは、保育園や小学校では人権教育のターゲットに保護者が入っているところです。もちろん中学校にも入ってるんだけど、比重は保・小に比べると低くなります。そして高校ではほぼゼロ。おそらくそれとバーターになるのが子どもたちへの比重なんでしょうね。とは言え、高校でそれほどやってるかというと、京都の場合はイマイチですけどね。
で、もうひとつ出たのが「若手教職員への継承」でした。ただこれ、いつも思うんですが、今から30年前を知ってる人は「同和教育の継承は大切」とか「自分もあの時代を知ってるから伝えなきゃならないと思ってる」とか言うんですけど、「本当に知ってるのか?」と小一時間問い詰めたくなる瞬間があるんですよね。「やってへんかったやん」どころか、「どっちかというと反対してたやん」「てか、ジャマしてたやん」みたいな人もおられないわけではない。まぁそれでも、もしかしたらよくも悪しくも影響力はあったし、もしかしたら「やってなかった」って思ってる人もそれなりにやってたのかもしれませんけどね。
ま、それはおいといて。
20代30代の教職員が増える中で、みなさん「若い人は何も知らない」って言っておられます、もちろんそれはブーメランです。だって、わたしたちけ伝えてこなかったってことですけどね。ただ、2002年に法が切れて、それでもまだしばらくはやってたけど、少しずつやりにくくなってきてたのは確かです。その後、2016年のいわゆる「部落差別解消推進法」が成立するまでの10年くらいは、まさに空白の時代でした。なにが空白だったかというと「同和教育から人権教育へ」という流れの中で、部落問題以外にもやらなきゃならんことが増える一方、人権教育そのものに対しても風あたりが強くなって低調になっていった。なので、部落問題については大幅にとりくみが減りました。「同和教育から人権教育へという流れは、部落問題の「薄め」ではない」とは言われてたけど、現実的には薄めでした。その代わりウイングを広げることはできましたけどね。
で、今例えば30歳の教員は中学生くらいからあと、部落問題についての学習はしていない。だから実感もないし、イチから教えないといけない。まぁそういう話が大半を占めてました。
でも、ほんとにそうなんだろうか。なんか違和感があるんですよね。
だって、わたしの勤務校ではずいぶん違う気がします。あるいは若手教員の捉え方なのかもしれませんが。
例えば、ある教員は、高校時代のクラブで在日の友だちがいて、その子が東九条出身でみたいな話をしてくれます。あるいは、自分のクラブがらみの恩人が部落出身で結婚差別を受けたことがあって、そのことが許せないって言ってる教員もいました。宇治市出身の教員なら子ども時代からウトロのことを知ってます。さらにある教員は「母親が部落にルーツを持つ人って教えてくれた」って言ってくれました。
みんな知ってるんです。経験してるんです。でも知らない。教えられてない。だから知りたがっているんです。でも、なかなか「知りたい」と言う機会がない。だから、「知る機会」をつくると、みんな来ます。まぁ、正確には「みんな」じゃないですけどね。でも、さっきあげたような教員は来ます。
大切なのは、そういう機会をどうやってつくるかなんだと思ってます。そして「この世界は、はまるとおもしろい」ってことを伝えることなんだと思うんですよね。
方法はたくさんあります。
ちなみに、わたしは明々後日、数人の若手教員を連れて「おさんぽ」やることになってます。前に「おさんぽ」の話をしたら「やってほしい」って言われたからです。そんなのもいい。
あるいは、ある子どもをめくって「眼差しの違い」を伝えることも大切です。例えば、担任してる子が悪さをしたら、他の教員と一緒になってその子を怒るのか、逆にその子と一緒に怒られるのか。例えば学力の低い子どもを「あの子はアカン」とか「LDなんじゃないか」とか、その子に原因を求めるのではなく、その子の置かれた家庭や家庭をとりまく社会の状況から考えるのか。そんな中から「眼差し」を伝えることもできます。
きっと「いつきさんはなぜそう考えるのか」って不思議に思ってる教員もいると思うのです。その「不思議」のタネ明かしをすること。
それは案外できるんじゃないかと思ってます。
会議の席でそんなことを言ったら「お前はそう思ってるんや」って言われたので「わたしは楽観主義なんです」って答えたら笑われましたけどね。

久しぶり

今日は授業にまみれる月曜日。でも、図書室学習なので、みんなにがんばってもらいましょう。もっとも、ヤバイ子が勉強してないのが気になるんだよなぁ。

で、夜はS岡さん(かつてのS井さん)のお家で家呑みです。
S岡さんとのつきあいは…。長いです。2005年のGID研究会で一緒にスタッフやった時以来なので、もう14年のつきあいなんですね。そういや、S岡さんを連れてきたのはゼロ島さんでした。その後、ゼロ島さん・S岡さん・S岡さんの子どもさん・わたしの4人でたまに飲みに行ったなぁ。ゼロ島さんは子どもさんに自分のことを「グラン・パ」って呼ばせてました。ゼロ島さん、子どもが好きだったなぁ。うちの子もずいぶんかわいがってもらいました。
で、S岡さん、現在は障害者の就労支援の仕事をしておられます。なので、いろいろそんな話。まぁ、GID研究会の事務局長をされていたくらいなので、支援しておられる中には発達障害のあるトランスの人もおられるとか。うーん。「重複障害」ってわけじゃないけど、たぶんたいへんだろうなぁ。だって、トランスってコミュニケーション能力がすごく求められるし、そのコミュニケーションのあり方が非典型とされる発達障害ってことですからね。たぶん、そのふたつが重なると、自分を責めて鬱とかにもなりやすそうです。でも、それって、本来その人が悪いわけじゃないし、自分を責める必要なんてないんですけどね。
まぁそんことを考えながら話を聞いていたのですが、やがて同居人さんなんかも交えた晩ごはんタイム。みなさん、あまりお酒は飲まれないみたいで、わたしひとりがワインをグビグビ。そのうち、なぜか話が在日話へといき、さらに音楽談義へと変わっていきます。というのはS岡さん、バンド活動をされていて、パートナーさんはサックス奏者をされていて、他のお客さんもバンド仲間だとか。さらに子どもさんはホルンをやってて、とにかく音楽関係者なんですよね。
で、「ロックは構築的だ!」とか「パープルはバッハだ」とか「ロバート・フリップは変態だ」とか、なんだかわからん話をやりはじめたところで、そろそろ帰らなきゃってことになりました。
いや、でも楽しかった!
今度は屋上で焼肉も楽しいだろなぁ。

洞部落のフィールドワーク

今日の午前は洞部落のフィールドワークです。とは言え、洞部落は厳密にはすでにありません。というのは、神武天皇陵が建設されるとき「天皇陵を見下ろす位置に部落があるのはけしからん」ということで強制移転させられたからです。これ、完全におかしな話です。そこに部落があるのがわかってて、わざわざ天皇陵をつくって「けしからん」は順番がおかしいです。でも、それがまかり通るのは、いつの時代も同じです。
そういや、今日は沖縄の県民投票だな。
ただ、これが単に「強制移転」と言われてたのは過去の話で、研究が進んだ現在はもう少し複雑です。そんなあたりを福西満さんからお聞きしました。
まぁとても簡単に言うと、今でこそ解放運動は「貴族あれば賤族あり」ってことで反天皇制の立場をとってます。でも、かつては「天皇が解放令を出してくれた」ってことで、例えば水平社の糾弾闘争でも「天皇の御心に背くのか」という論理がとられていたとか。
つまり、洞部落の人たちは「天皇陵をつくるならどうぞお使い下さい」と自分たちの土地をさしだし、そのことをもって差別を解消しようとしたという側面もあったと。さらに、もともとの洞部落は山の中腹にあって、人口に対して狭かったので、新たな土地を得て新たにまちづくりをしようという狙いもあったと。つまり、単なる権力からの横暴とか差別とかじゃなくて、部落の側の戦略もあったと。さらに、1940年に神武天皇陵の拡張工事があった時は、部落ではない村も移転させられていたことがわかって、そうなるとますます「差別」というひとくくりでは語れなくなってきます。でも歴史って、たぶんそういうものなんでしょうね。
それにしても、「移転」というと、「あまべの移転」も思い出すんですが、なぜ好き好んで部落の土地に移転するのかなぁ。もしかしたら、ずいぶんと「眼差し」が違ったのかなぁ。
で、話のあとはフィールドワーク。行ったのは「生國魂神社」と「洞部落跡の入口」です。後者がなぜ「入口」かというと、なんでも「即位30年祭」が行われるので立ち入らないでほしいと言われたんだとか。どこまでジャマするねん。
生国魂神社は中まで入れてもらっていろいろ見せてもらいました。例えばこんなんとか。

で、昔の洞部落の風景を教えてもらいました。なんか、のどかな風景なんですよね。
そんなこんなで、3時間弱のフィールドワーク終了。
それにしても、福西さん、なんでわたしのことを知ってたんだ^^;?

きみちゃん@大久保再訪

実は今回のフィールドワークのコースは3コースありました。ひとつは東之阪近辺、もうひとつは水平社博物館&西光寺近辺、そしてもうひとつが洞部落でした。
わたしが洞部落を選んだのは、前に一度来たけど跡地に行けなかったんです。なので行きたいなと思っていたんですが、これは見事にジャマされました。で、もうひとつの理由は「きみちゃんにきてざぶとんを食べたい」だったんです。もちろん東之阪にも「ちえちゃん」や「白梟」があります。が、奈良市内は行く機会があるかもしれないけど、畝傍御陵前は来年の夏は行くのは確実だけど、なかなか来られません。というか、謎のお好み「ざぶとん」を一度食べてみたいなと。
てことで、一度橿原神宮前まで行って、Aっちゃんと合流して、再度大久保へ移動しました。
記憶をたどりながらお店に行くと、めっちゃ人がおられます。
「あかんわー、満員やわー」
と腕でバツをされたのですが、ここで帰ったらなんのための大久保やねんと思い
「えー!京都から来たのにー」
と言うと、とたんにお客さんたちが場所をつくってくださいました。ほんとにもうしわけない^^;。
てことで、無事席にありついて、とりまビール。キリンラガーがあるのがうれしいです。ビールを呑んでる間も、お母ちゃんはひっきりなしに動いておられます。それにしても、お客さんたち、フレンドリーです。
「あんたら、夫婦か?」
定番のツッコミです。てか、歳、離れすぎやろ。
「ちゃいますちゃいます、友だち友だち」
みたいな。と、ご高齢のおじさまがおいしそうなお惣菜をつつきながらおいしそうにお酒を飲んでおられます。なんでも95歳だとか。で、毎日来ておられるとか。で、来られたら、自動的になんなと食べ物とお酒が供されるとか。
お母ちゃん曰く
「いろいろバランスを考えてるんやで」
とのことです。

母「さぁ、お待たせ、何、焼こ?」
い「えーと、ざぶとんとお好みをお願いしたいんですが、それぞれ何を入れたらいいですか?」
母「そやなぁ。ざぶとんはてっちゃんかなぁ。お好みはカスかなぁ」
い「じゃ、それで」
ということで、いよいよ焼きはじめられました。
こちらがカスのお好みです。

そして、こちらがざぶとんのベースにあたるもの。

不思議です。単にべた焼きのタネではなくて、そこに卵と山芋が混ざってる感じです。トロッとしてます。そこにうどんが投入されます。

お好みとざぶとんのコラボです。

美しい!
で、完成。こちらがお好みです。

そしてざぶとん。

写真では区別がつきませんね。かろうじてうどんがはみ出てます。
さてと、お味は…。
お好みはあいかわらずうまいです。生地はフカフカでしかもしっかりと味があります。
ざぶとんは…。
うまい!うどんなのでどっしりしてるかと思いきや、なんとも軽めです。パクパク食べられます。そしてじんわりと染み出てくるてっちゃんのダシ。ちなみに、お母ちゃんとお客さんの会話を聞いてると「チヂ」って言っておられます。チヂと言えば「よっちゃん@笠神村」です。てか、たぶん奈良県中部ではチヂって言うんでしょうね。
とにかくおいしくて、あっという間に食べてしまいました。が、お店の雰囲気があまりにもよくて、帰りたくないです。なにせ、娘さんもお孫さんも食べておられます。そして、みんなでワイワイ。
なんでもこのお店は18年めだとか。まだ新しいですね。でも、ガッチリと常連さんをつかんでおられます。というか、有名店なのか、東京都からアメリカとかからも食べに来られるとか(笑)。
Aっちゃんと「ネギ焼き食べようか、どうしようか」と悩んでいたら、こんなもんを焼きはじめられました!

これ、べた焼きやん!
い「べた焼きもしはるんですか?」
母「これはキャベツ焼きや」
なるほど、ネギの代わりにキャベツだからキャベツ焼きですか。
客「ここな、メニューに書いてないもん、いっぱいあるで」
母「そやで、さいぼしとか大チヂとかな。うちのさいぼし食べたら、他の食べられへんで」
Aっちゃんの目がキラリンと光りました。
A「さいぼし、ありますか?」
母「ないわー」
い「ほな、大チヂは?」
母「あるで」
ということで、大チヂ登場。

焼けるまでの間の飲み物はと…。
い「すんません、焼酎ストレートとお水ください」
出てきたのがこれ。

何も言わなかったら、「焼酎ストレートと氷水」なのか「焼酎ロックとお水」なのかわかりません。
と、焼けました。

うまい!
い「これ、大腸ですか」
母「そやね」
さらに野菜がほしくなつたので
い「なんか野菜ありますか?」
と聞くと、キャベツとチヂを焼きはじめられました。が、そこにあった水菜が食べたいんだよなぁ。
い「水菜も食べたいです」
母「ええよ、ここに入れよか」
てことで、なんだか2回目なのにやりたい放題してしまいました。
ちなみに、前回「ソースが謎」だったのですが、今回教えてもらいました。ヒロタソースのとんかつソースらしいです。

が、メーカーのサイトを見ても、このラベルが見当たらない。また謎がひとつ増えました。
てことで、完全な酔っぱらいになってAっちゃんと帰りました。

てことで、恒例のdata

うどんのざぶとんてっちゃん入 650円
ビール キリン中瓶500円
スタイル 練り込み系
その他 べた焼きを食べたければ「キャベツ焼き」と言えばいいようです。サイドメニューはいろいろあるけど、謎です。なので、お母ちゃんに聞くしかないです。なんしか、お客さんも含めておもしろいお店です。
独断的評価 ★★★★★(文句なし!)

さらに詳細なリンクも更新しましょう。

つい力んだ

今日は去年に引き続き、日教組の「人権教育実践交流集会」です。今年の場所は奈良。近いです。なので、前泊はせずに朝にスタート。午前は打ち合わせです。
それにしても、一昨年共同研究者として声をかけてもらって、去年・今年と担当させてもらっています。が、やはり「わたしなんかでええんか」感がぬぐいきれません。てか、きっとわたしよりも豊かな実践をされている方もおられるはずです。わたしにアドバンテージがあるとすれば…。ないな(笑)。
ま、少しは研究してるところかな。

てことで、午後から集会がスタートです。今年の講演は竹平さん。同和教育の大先輩です。なんかもう、「昔話」がおもしろいです。ちなみに、後ろに座っておられるのはおとついの講師さんなわけですが、2日連続で「昔話」を聞けるのは楽しいです。が、「昔話」の興が乗りすぎたのか、本題とちゃうのんというところまでほとんどたどりつけず。でも、みなさん
「竹平さんはあれでええねん」
と笑っておられるので、たぶんそういう人なんですね。
お次は分科会。今年のレポーターはふたりとも知り合いです。
まずは大阪のレポート。ご自身のカムアウトの授業をきっかけに、性の多様性についての授業を広げるとりくみです。しかし、自分のカムアウトを授業に使うってむずかしいですね。あくまでも自分を主役にするのではなく、題材として扱わなくちゃなりません。そして、子どもたち自身が自分のことに思いを馳せるように、どう伝えるかがキモだと思っています。でも、子どもたちの感想を読んでると、いろいろ考えてるみたいだし、なによりレポーターの方が「楽になった」っていうのがいいのかもしれない。なぜなら、子どもとの関係も楽になるからです。で、わたしがいいなと思ったのは、中学校でのとりくみだけじゃなく、校区の小学校にも出前授業をされているところです。つまり、それだけの連携ができているってことですからね。てことで、小学校時代から性の多様性、特に同性愛についての情報を伝えることの重要性を指摘しておきました。
次は三重のレポート。基本的には去年の日教組教研で聞いた話なんですが、今回は立場が違います。同じレポーターとして聞く時は「穴」を探すのですが、共同研究者として聞く時は「山」を探します。つまり「いいとこ探し」って感じかな。でも、それだけではだめです。てか、三重のレポート、いいんですよ。だから、「谷こそが山」であり「山こそが谷」なんですね。だから、そういう場所を探しながらレポートを読んでました。そんな中で思いついたのが「国際基準」です。というのは、三重のレポートの中で「世界人権宣言」に触れられているんですけど、それだけでは不充分なんじゃないかってことです。流れとしては世界人権宣言の教材をつくった時に考えたことを念頭においてます。てことで、「ジョクジャカルタ原則」のことを話したり。
あとは、やはりLGBTの問題を女性差別の問題とつなげなきゃなりません。そこで伝えたのは「LGBT「を」教えるのか、LGBT「で」教えるのか」って話です。まぁ鉄板ですね。つまり「ノーマルをつくることでアブノーマルが生まれる。ということは、アブノーマルを分析することでノーマルがどのようにしてつくられているのかがわかる」ってことです。まぁそんなあたりから、異性愛規範なんかを少し話をしてみたり。
それにしても、もうひとりの共同研究者の東さんはすごいわ。見事に分科会をまとめられました。
そんな感じで分科会も無事終了。

懇親会ではスーパー○ライしか並んでなかったので、わがまま言って黒ラベルを出しでもらったり。
2次会では「カリラ」を飲んでみたり。
3次会では泡盛を飲んでみたり。
でも、明日のことも考えなきゃ。とか思って、部屋飲みをすべく缶チューハイを一口飲んだところで気を失いました(笑)。

少しずつ脳みそが動きはじめる

今日から本格的に図書室学習です。ひとつのクラスは「ほんまもん」が何人もいるのでなんとかしないといけません。が、「助けて」と言ってくれる子がひとりしかいない。まぁしゃーないな。ほんとに赤点が出るな。もうひとつのクラスはガシガシ勉強をします。なんか、正反対です。
で、いちおう自分の用事も持っていくのですが、もちろん今は「おべんきょ成果」です。今回はコメントをペーパーに写して「ここがこうなってるのか」「なるほど、納得」とかやってます。そして一番大きな課題についても「そりゃそーだ」と。そんなことを考えながら読んでいると、一番はじめに書いたことを思い出しました。それ、使えるんじゃないかな。てか、実際書いてるし。
そんな感じで、少しずつ脳みそが動きはじめました。でも、まだまだです。
午後は家庭訪問。ものすごい緊張感から解き放たれた感じで、それは寂しいけど、まぁしかたないです。最後はお外でしばしバイク談義など。
帰りはコンタクト屋さんに寄って、新しいコンタクトをつくろうかなと。火曜日の会議では前にある文字が見えなかったし、水曜日のロードレースの時は向かい側から声をかけてくれた卒業生の顔が見えなかったし、そもそも10年くらい前のコンタクトなんで、まぁアカンでしょう。
ところが、なかなかカーブがあわない。すんごい時間をかけていろんなのを試して、最終的に選んだのは最初に試したものでした。まぁそんなもんやね。
さぁ、帰ってビールだな。

両側から壁を越える ー歌でたどる平和と人権の日本近現代史ー

今日は午後から第2のふるさとに出張です。中身は総会、わたしのターゲットは記念講演です。講師は古川正博さん
古川さんをはじめて見たのは、たぶん香川の全同教の時ですね。あの時ははっきり言って「なんだ?この人」って思ってました。ただ、その時は「この人」が古川さんとは知らず、古川さんを古川さんと認識したのは、クロスベイスの呑み会の時でした。それ以来、なんとなくいろんなところで会って、そのたびにあいさつ+しょーもない話をする仲になりました。で、全同教の「この人」と「古川さん」が同一人物であることがわかったのは日教組教研の時です。この時山口の人と飲んでて、そこにあの分科会の司会の方がおられて、なにかのはずみで「あれ、古川さんでな。とにかく歌おうとするからとめるの必死やったんやで」と言われて「あー、なるほどな」と。
まぁそんなこんなで「今日は絶対に行くぞ」と決めてました。
駅からの長い上り坂を歩いて会場に到着すると、総会開始前なのにすでに古川さんがギターを抱えておられました。
「ども」
ってあいさつしたら、別に驚いたふうもなく
「ここが地元ですか」
と返されたのですが、実は驚いてたらしいです(笑)。
で、総会もだいたいつつがなく終了。いよいよ記念講演です。タイトルは「両側から壁を越える」。これ、藤田敬一さんがよく引用する金時鐘さんの言葉じゃんと思いながら、まぁそのツッコミは入れないことにしました。
講演内容は、さまざまな人権問題を書き連ねた近現代史の年表に自分史と歌を重ねるものなんです。ただ「〜らしいです」という言い方をされるのが謙虚というかなんというか。もちろん、はじめに「自分は研究者じゃないなら」って前置きされていて、それを受けての話なんでしょうが。ところがそんな古川さんの語り口は、自分史がはじまるとガラリと変わります。特に中学校教員になってからのエピソードは熱い!まぁ、鶴見橋→我孫子南→大池と渡り歩いておられるし、教員になったのが1970年代ですから、生徒も教員も熱いですわな。それを笑顔で笑い話のようにされます。でも、聞いてる人間は圧倒されてます。
ずっと聞きながら、なるほどなーって思ったのは、ほんとにテーマは一貫してるんですよね。それは「視点を変えて見てみよう」ってことです。あるひとつの出来事を、自分(教員and/or加差別者)の側からだけ考えるのではなく、他者(生徒and/or被差別者)の側からも考えよう。考えられなくても想像しようってことです。でも、その「想像」はそう簡単にできるものじゃありません。そこで「出会い」が必要になる。
そういう話のところどころに「歌」が入ります。これがちょうどいい気分転換です。それにしても「里の秋」ってそんな歌だったんだ…。
終わってから、そこにいた高校教員が
「圧倒されるわ」
って言ってたので
「まぁそれは70年代の大阪の中学校やからしゃーないですわ。なので、圧倒されても、自分の経験や出会いの中でやればいいよ」
って答えておきました。
まぁでも、古川さんがみんなに好かれるの、なんとなくわかりました。

で、夕方から懇親会があるのでしばし時間つぶしをしながら、いろいろ裏話。そうかぁ、あの出来事の裏側にはそういう話があるのかぁ。

で、懇親会。参加者は基本的には支店長・副支店長・本部あたりのえらいさんですが、第2のふるさとではそのあたりは関係なしです。
おいしい中華料理をいっぱい食べて、ビール→紹興酒→日本酒→焼酎というダメダメなコースをたどって、9時におひらきです。
引っ越ししなけりゃここから5分で帰れたのに、これから1時間半かけて帰らなきゃならんのがきついな(笑)。

ある種歴史的だな

今日はエルファの職員研修です。ちなみに、この話はこの日に依頼されました。
今日の話はミッション1。こないだの打ち合わせで唯一の打ち合わせらしい打ち合わせは「1時間半でよろしく」でした。1時間半は相当なプレッシャーです。
てか、考えてみると、わたしはほとんど京都では話をしてないんですね。それも、ウトロや東九条といった、長くお世話になり自分自身の「拠点」とまで思ってるところで自分の話をしてません。たぶん、みなさん、あらたまって聞くのもなんなんだよなって思っておられるのかな。
でも、この間の「LGBT」への関心の高まりの中で、あらためて聞いてみようと思ってくださるようになったのかもしれません。先日インフルエンザになった関係で行けなかったんだけど「希望の家カトリック保育園」でも話をしてほしいと頼まれたからなぁ。
もしかしたら、古い知人であるわたし、あるいはいつも出会ってつまらん話をしてるわたし、年に一回高校生と焼肉売ってるわたし。あたりまえにそこにいるわたしの「背後」にあるものに、ずっとぼんやりと興味はあったけど、それをあえては聞けなかった。そのいい機会と思ってくださったのかな。
でも、それはそれでわたしにとってはうれしくもプレッシャーです。もちろん「わかってもらう」とかいうことは1mmも考えていません。いつものように淡々と話をするだけです。そして、きっと楽しんでもらえることもわかっています。でも、やっぱりプレッシャーです。
で、お座敷スタート。それにしても佐藤さんとか鄭さんがいるのは職員なのでいいとして、村木さんとか、なんでいるねん(笑)。
実はわたしのことをご存じない人も半分くらいおられるので、はじめのつかみがいきなり成功。うれしいわぁ。そこからの前半部は、基本笑いのセクションです。知ってる人たちはゲラゲラ笑ってくださいます。
中盤は「語り」かな。ここはガッツリと聞いて下さいます。そして終盤のレクチャー部。「なるほどー」という感じの人とか「ほへー」ってなってる人とか。いいんです。全部わからなくても、「わからんくらいいろいろある」ってこのさえ伝われば、あとはあとです。で、最後のオチのところも笑っていただけて、最高に気持ちがいいお座敷でした。

お座敷のあとは懇親会。近くのお好み焼き屋というか鉄板焼き屋というか、そんなところに行きました。
「スーパー○ライ以外のビールはありますか?」
と聞くと
「アサヒならあります」
とか、胸を張って
「うちはスーパードライです!」
とか言われて少しへこんだけど、ワインもそこそこおいしかったし、たべものもおいしかったし、もうええわ。それよりなにより、話が一番おいしくて、やはりこれやなと。