3年目になる「おべんきょ」ですが、なんか久しぶりです。あ、2ヶ月あいてたんですね。
今年前半のテーマは「カウンセリング」です。同業者がもっともできてないテーマです。ちなみに、「できてない」であって「苦手とする」ではないところがキモでして。
同業者って、「できてる」つもりで「できてない」ということが多いんじゃないかなと。いや、みんな「課題解決」のためにがんばるわけです。で、「よかれ」と思っていろんなとりくみをするわけですが、たぶん、その「よかれ」があかんのやろなぁと思うのです。でも、そこにあまり気づかない。
てなことは思っていたのですが…。
今日の話を聞いて「なるほどなぁ」と。
カウンセリングとは「対人支援」。で、劇薬は好まない。どちらかというと、物足りないくらいで充分。
そもそも「臨床」とは「死を目前にした人の床に臨む」わけで、たぶん「なにもできない」。
その、「なにもできない」という謙虚さからスタートする。
例えば家庭訪問。アポをとるかとらないか。誰と話をするのか。どんな話をするのか。なんのために行くのか。そこをきめ細かく考える。
たぶん、ある側面では気づき実践をしてきました。でも、そこに理論がなかった。無意識ではなく、直感でもなく、慣れでもなく、意識化して行動を選択していることに自覚的になること。
たぶん、そのためのとてもいい機会になりそうです。
(カウンセリングについて)『同業者って、「できてる」つもりで「できてない」ということが多いんじゃないか』
あー、そうかも。
マイミクさんに50代後半の都立校教員の方がいるのですが。その方、ずっと
「カウンセリング=親身なアドバイスをすること」
だと思いこんでいたんですね。私が「そうではないですよ」と何度言っても真に受けない。で
「自分は、多少足りない面もあるとは思うけど、熱心にアドバイスしているっ!だからちゃんとカウンセリングしてる!」
と言っておられた。
ところが、神学校の選択講義で(その方は熱心なクリスチャン。この春から兼業副牧師になる予定だった)
「カウンセリングでアドバイスしてはダメ。本人自身に考えさせる、その手助けをするのがカウンセリング」
と教わり、仰天されたそうです。
「じ、自分が今までやって来たのは一体なんだったの?よかれと思っていたのに、逆効果だった??」
と。
カウンセリングを誤解している人って、とても多そうな。
そうそう!
アドバイスしたがるんですよね。
わたしもアドバイスしちゃいそうになる。でも、かろうじてふみとどまる。で、「わたしはこうだったけど、時代も状況も違うから、まぁそれぞれで」みたいにして、少しだけ逃げてます^^;;。
でも、ほんとはそんなのもジャマなんでしょうねぇ。