電車通勤の醍醐味

電車通勤になって3年目。朝起きるのは辛いけど、そしてこの5時半起きが定年まで続くのかと思うと(笑)、気が滅入ります。
でも、電車通勤の状態で遠距離の出張があると、例えばこんなことができます(笑)。

他にもいいことがあって、例えばどこかの駅まで迎えに来てもらえたりするわけです。すると、いろんな人と話ができる。車やバイクで通勤してた時には話さなかった人、話せなかった話をできたりするんですよね。ま、よもやま話ではありますが、それはそれで大切かなと。
あと、いろんな車に乗せてもらえる。
これはおもしろいです。それぞれの車の特性がわかるんですよね。トルクフルな車、非力だけどがんばる車、スムーズな車。乗せてくれた人のアクセルワークに対するレスポンスを助手席で感じるんです。これが楽しい。で、感じた特性を乗せてくれた人に話すと、けっこう話が弾みます。
ちなみに、一人になりたい時は電車に乗ればいい。
いやぁ、やはり電車通勤はいい!

なじみの世界〜半年ぶりの検査

えーと。2ヶ月に一回処方してもらってる「ヤク」が先週切れました。実は「ヤク切れ」はヤバイんですよね。まぁ、トランスなんて行為は、しょせんは「バランスを崩す行為」なんで、メンタル面なり身体面なりにいろいろ歪がくるわけです。その歪と折り合いをつけながらうまく手なづけた先に、ちょっとはマシな世界が広がるわけで。
てことで、行きつけのお医者さんに半年ぶりに行きました。って、メッチャ混んでますやん!これは1時間半待ちか?はたまた2時間待ちか?
でも、ヤクをゲットせにゃならんので、おとなしく待合室に座りました。さてと、どうしよう。
まずは、今日一日忙しくてネットに触ってなかったので、中毒症状を緩和緩和(笑)。
落ち着いたところで取り出したのが「セックス・チェンジズ」です(笑)。「今ごろか(笑)?」って笑われそうなんですけど、今ごろなんです。もちろん「読みたい」と思って買っていたわけですが、なかなか必然がないと読まない人間なんですよね。
ちなみに、昨日あたりまで読んでいたのが「ゲイ・スタディーズ」です。もう、さらに「今ごろか(笑)?」な本です。
で、読んでいたのですが…。なんでしょうかねぇ。体から湧き上がってくる「懐かしさ」。
「ゲイ・スタディーズ」読みながら感じていたのは「アウェイ感」でした。「自分の力になる言説はここにはない」でした。もちろんそれは当たり前です。「ゲイにとって力になる」本ですから。ただ、「そこから学びたい」と思うのですが、どうしても応用ができないところに突き当たってしまうんですよね。ものすごく特化されている。それは「ゲイ」にとってはとても大切だし、「非ゲイ」にとっても、そのアウェイ感こそが大切な問題提起になるわけで、なんら異議をはさむものではない。というよりも「成功している」と言えるわけです。
で、そんなアウェイ感にまみれながら、「セックス・チェンジズ」をパラパラとめくりはじめたのですが…。そこここに「見知った世界」が散りばめられています。もちろん、書かれた時代は少し前ですから、記述として古さを感じる場面があることは否めません。でもそれは、それだけ社会が変わってきた、というよりも少しではあれ変えてきた証左でもあるわけです。そして、その変化のまだ先を行くパトリック・カリフィアの記述に「愛おしさ」すら感じます。
と…。

もしトランスセクシュアリティのすべての痕跡を消し去ることができ、完全に男性として生活できるなら、わたしはそうするだろうか?多くのトランスセクシュアルがイエスと即答することをわたしは知っている。しかしわたしは、この<大いなるジェンダー分割線>にとどまり、苦くはあるが貴重な何かを見続ける。この眺めは、危険なほどの高みからではあるが、心躍る愉快なものだ。共感とは、常に孤独から生まれるものだ。

「誰が先に言った」とかは、なしです。
わたしはわたしなりの生き方や出会いの中で、暫定的ではあれ、ようやくたどり着いたところに、ちゃんと人がいた。そのことの喜びは、なににも例えられないものです。
やっと、自分がなじんできた世界と出会えた。そんな感じがしました。
あと何日かかるかわからないけど、とりあえず読みすすめることにしましょう。

で、半年ぶりの骨密度。

測定日 数値(g/cm2) 同年代女性(%) 若年女性(%) 同年代男性(%) 若年男性(%)
2011.4/1       36.6  
2012.5.11   120 112 98 95
2012.11.22 0.737     97 95
2013.4.1 0.749 125 116    
2013.11.11 0.718 120 115    
2014.5.26 0.752 127 116    

「あがってますねぇ」
「へ?」
受付の人からも
「なかなかあがらないですよ。よくて平行線ですよ」
といわれちゃいました。
よくわかりませんが、治療の成果が出たわけで、よかったよかった(^^)。
とりあえず、あと2年半、ヤクを飲み続けると。

「おたふく」臨時休業につき

朝、ひとつ1時間半ほどかかる用事をしなきゃなりません。
もそもそと起き出して、「用事」をこなします。にしても、今日の「用事」は難航します。なにせ、しゃべってくれない。まぁ予想はしていたわけですが。それでもなんとかかんとか1時間ほどかけていろんな話を聞き出しました。
「用事」を終えて台所に行くと、みんな
「ようしゃべってたなぁ」
とか言います。まぁそれはそうかもしれませんね。その後、しばし「人前でしゃべること」について意見交換。
自分の経験をしゃべるって、簡単に見えて,実はけっこうたいへんだし、「考える」必要があるんじゃないかなぁって思います。「経験」はそのままでは単なる出来事です。
その経験、聞き手が「聞きたいな」って思うものは、たいてい自分にとってしんどかった「出来事」です。できれば思い出したくない。そのしんどさを話す行為は、時として自分にしんどさのフラッシュバックを起こしてしまうこともあります。たとえフラッシュバックを起こさなかったとしても、その「しんどさ」をそのまま表現したのでは、「聞き手」には伝わらない。そのしんどかった「出来事」を一度自分の中をくぐらせて、「言葉」に落とし込む必要があるように思います。そして、その言葉は独りよがりなものではなく、「伝わる」言葉である必要がある。それも、自分が納得できる言葉ではなく、聞き手が理解し納得できる言葉にしなくちゃならない。
まぁ、そんな話をちらちらと話をしながらマッサージをしてもらう、玖伊屋あけの朝です。

で、昼前に閉店。
さて、おたふくへ…。と思って電話したのですが、誰も出ない。どうしよう…。ここはKっくんに電話するしかありません。
「すんません、いつきです。今日、おたふくあいてます?」
「今日はな、臨時休業や」
うーん、残念…。てか、体調崩してはるんとちゃうやろな…。
でも、仕方ありません。そんなときは、おたふくと双璧の「わかば」です。
突然10人で押しかけても、にこやかに迎えてくださる「わかばのおばちゃん」。なにやら、メッチャ店が忙しくなってきたので、ドリンク類はほぼセルフサービスです。
いつものようにおいしいお肉をむさぼるように食べながら、4時過ぎまでわいわい。
さて、楽しい2日間を過ごしたから、そろそろおうちに帰りましょう。
家に帰ると、パートナーから
「あら、早いわね」
とのお言葉。そうか。まだ明るいもんね。
でも、おふとんの上に横になった瞬間に爆睡です。

で、玖伊屋

今日のメインディッシュは「豚のはらみの切り落とし」です。こいつにあわせたらいい食材は…。やはり蒸し野菜かなぁ。
とりあえず野菜をたんまり買ってきてもらって、ひたすら切って、ザルの中に放り込みます。で、ザルごと鍋に放り込んで火にかけて蒸しあげます。根菜類が柔らかくなったら完成です。
うん、甘くておいしい!ポン酢もあいますが、やはりそのまま食べるのがいいです。もちろん、お肉と一緒に食べてもおいしい。てか、この肉、「オン・ザ・ライス」がしたくなります。ご飯にあわせるとおいしい!
最近の玖伊屋は、お酒の持ち込みがおおいです。それも、みなさんが「おいしい」と思うものを持ってこられるので、メッチャ贅沢です。
なんか、呑んで、しゃべって、笑って、泣いて(笑)な一夜が過ぎていくのですが、このままでは徹夜してしまいそうです。とりあえず寝なくちゃ、明日が持ちません。な、午前3時でした。

ここが某超高級住宅街…

朝、なぜか阪急に乗って、駅からタクシーに乗って、兵庫県内の超高級住宅街へ。
一緒にタクシーに乗っている人たちと
「目が痛いわー」
とかいいながら、まわりの豪勢な家並みをキョロキョロ。と、えらい低い車が…。フェラーリか^^;;。お次は…。ベンツか^^;;。はいはい。いったい、どんな人が住んでいるんですかねぇ。
で、用事を済ませて、再び駅まで。時間は11時。今後の打ち合わせもあるし、ちょいとビールでも…。お、中華料理屋です。「揚げワンタン」とか書いてあります。生ビールもおいしいらしいです。入らない手はありません。
てことで、「済ませた用事」が無事すんだことを乾杯。
「揚げワンタン」「水餃子」「レモンエビ」おいしい!ついついビール→紹興酒と進んでいきます。と、一緒に行ったIさんがいきなり
日中戦争のように泥沼化…」
とかつぶやきます。あのね、ここ、中華料理店。
と、Bちゃんもつぶやきます。
「まだ盧溝橋事件ぐらいやな…」
マジでたち悪い連中です(笑)。
「うん、ちょうど鉄道爆破ぐらいか」
とか、みんなでつぶやきながら、メッチャおいしい料理をつついて、すてきなランチタイム終了です。

その後、大阪市内に移動して、ちょいとお散歩。で、京都にもどって…。

困った人

まぁ、仕事してると「困った人」はぼちぼちおられます。もちろん「困ってる人」じゃなくて「困った人」です。こういう人がいると、チームワークがうまくいかないどころか、仕事全体がまわらなくなって、へたすると仕事そのものがつぶれてしまうことすらあります。
まぁそんなこと…。経験したことありますねぇ…。ほんとにいままでできていたことが、ことごとくつぶれていって、その弊害は長く残ります。あの時「つくるのはみんなの合意をとったりしてたいへんだけど、つぶすのは一人のわがままでいけるんだ」って身にしみて思いました。
てのはどうでもいいんですが…。
で、その「困った人」なんですけど、たいていの場合、その本人は「困ってない」んですよね。で、まわりが困ってる。だから、本人は変わる必然性なんて感じていない。でも、困ってるまわりの人は変わってほしい。
こういう時、どうすればいいんだろう。
本人が困る時を待つ?
たぶん、それ、ない気がします。だって、今まで困らなかったから変わってないんです。
本人のパーソナリティーを強制的に変える?
基本的にまわりで困ってる人は、そういうおこがましいことは考えないものです。
配置換えを待つ?
なんか、排除してる気がするので、そういうことを考える自分に対して自己嫌悪を感じるんですよねぇ。
ほんとに打つ手がないんです。
まぁ、実は一番現実的なのは「配置換え」だったりするんですけどね。そしてそれは、一番根本的ではない解決方法だったりするんですけどね。
うーん…。

まぁ、でも、うちの職場で一番「困った人」は、わたしなんだろな…(笑)。

圧力を高めること

仕事にしろ、考えを深めるにしろ、それをするための条件はひとそれぞれな気がします。
どこかにこもって、ひたすら集中を高めて出していくタイプもいれば、例えば散歩をしながら考えるタイプもいるかと思います。で、わたしは…。
たぶん「ながら族」ですね。
身体は頭を使わない雑務をしながら、頭は別のことに振り分ける。こうすることで、頭を単独で動かすための、けっこう長い時間が確保できます。でも、頭と身体が同時に動かせる時間はけっこう限られています。
で、そうやって漠然と考えながら、考えの圧力を高めていきます。まぁ、例えて言うならば、時間がペットボトルで、考えが空気ですね。
充分に圧力が高まると、ペットボトルはロケットとして飛んでいきます。それが「言葉」みたいなイメージです。
なので、一番大切なのは、圧力を高めること。でも、これが難しい。バラバラな「考え」や頭の中にちりぢりに存在している「キーワード」を、ていねいに拾い集めて、それを、綿菓子を支えるようにふんわりと持つ。そこまでの過程がなかなかできません。
たぶん、何かが足りない。集めるために中心となる地点?でも、中心はあらかじめあるのではなくて、それは結果として存在するもののはずです。
そんなことを漠然と考え続ける以外、わたしには方法はなさそうです。
でも、それこそが圧力を高めることらしい。

なんとかなるのか?

今日は、すごく簡単に言うならば、「雑務ができない日」です。
これ、この1ヶ月半でわかりました。表向きはゆるゆるの時間割ですが、実際には雑務を許さないタイムスケジュールになっています。さらに放課後は「積み残し作業」をしなきゃなりません。
にもかかわらず、明日までに「大きな表」をつくらなきゃならない。2週間前に出された宿題です。
この「表」。何をどう分類して埋めていけばいいのか、埋めれば埋めるほどわからなくなります。
まずは項目立てをするのですが、その項目は「表を埋めるもの」から考えます。すると、ひとつ目はまぁ埋まる。ところが、ふたつ目のデータにとりかかると、それは別の項目立てをしたほうがいいこたに気づかせてくれる。で、新たな項目を立てるとひとつめがうまく埋まらなくなる。でも、強引に埋める。で、みっつ目のデータを処理しはじめると…。ワケわからん(笑)。
で、ほぼほぼ全体を見渡すと、手持ちのデータでは傾向が出ない(;_;)。
みたいな…。

こんなんで、明日までになんとかなるのか?

遠くにあるものは実は近くにある

今日は一日出張だのなんだの。
で、午後の出張にて…。
某研究会の議案書を事務局長が読み上げているのを何気なしに聞いていると「ヘイトスピーチ」という言葉が耳に飛び込んできました。瞬間「お!とりあげるのか!」と思って文面を読むと…。なーんかイマイチです。なんだろう。踏み込み方が浅い?ふだん、ツイッターで読んでいるカウンター仲間の肉声とはまったく違う、血肉となっていない感じ?
まぁそれはしかたないのですが、どうせ取り上げるなら、もう少し自分の身のまわりに寄せなくちゃ。
で、小学校のレポートを聞いて、もやもや。
「いじめ」に関する授業実践ですが、一時間の討論を通して「いじめはよくないと思った」とみんなが考えたそうな。いや、それはそうでしょう。みんな「いじめはよくない」と思っていますよ。問題は「いじめが起こったらどうするか」いや、「いじめが起こらないためにはどうするか」という問いかけへの具体的な行動をどう見つけるかでしょう。
ま、そんなことを考えて、
「「いじめはよくないと思った」はいいんですが、その次の一歩を踏み出すためにどうしたらいいかということについて、きっとお考えがあると思うのですが、そのあたり、どうお考えか教えていただければ」
と質問。ところが、答えは
「考えていません。あれは4年の時の実践で、6年になった今も男女なかよくやっているので、それでいいと思っています」
とのこと。一気に頭に血がのぼったのですが、ガマンガマン^^;;。
で、意見発表の時間が来たので、つい挙手。

いじめにとりくんだ小学校のレポートを読んだ時、「いじめはいけない」と答えた小学生を、中学や高校でどう育てていくのかということを考えました。
話は少しずれますが、数ヶ月前に神戸の朝鮮高級学校を襲撃する事件が起きました。どうやら暴徒は心神喪失だったらしいのですが、先生に対して「朝鮮人だな」と確認して暴行をふるったとのことでした。
あの事件を聞いた時、「朝鮮人に暴力を振るってもかまわない」という空気がわたしたちの社会にあるから、あの事件が起きたんだと思いました。では、わたしになにができるのか。
あの日を境に、わたしは「京都に差別はいらない」という缶バッチをリュックにつけるようになりました。「差別を許さない」という市民がいるとうこと。そういう市民の声が、この社会にあふれていれば、あの事件は起こらなかったかもしれないと思ったのです。
研究課題の中にヘイトスピーチがとりあげられていましたが、「異なる文化を持つ人等への」とあります。しかし、レイシストたちは、水平社博物館を襲い、朝鮮初級学校を襲い、デイケアセンターを襲っています。つまり、部落や子どもたちや老人、あるいはヘイトスピーチの現場では女性にヘイトが向けられています。つまり、マイノリティへの「いじめ」であると思うのです。
そして、まさに昨日の夜、高校生がツイッターでヘイトをつぶやき、多くの人が抗議するという出来事がありました。その高校生はLINEで連絡をとりあっていたといいます。もうひとつのレポート、コミュニケーションにかかわる課題でもあります。
ヘイトスピーチは遠くにある問題ではなく、わたしたちがかかわっている子どもたちの問題です。「いじめはいけない」と答えた子どもたちが、その後どう育っていくかという問題であると思います。
そのために、あの小学校のとりくみを、わたしたち中学校や高校の教員がどう引き継いでいくのかという問題なんだと思い、ひとこと発言をさせていただきました。
ありがとうございました。

まぁ、ヘイトスピーチを「いじめ」なんていうふうに表現するのは、かなりアカンやろと思うのですが、レポートにからめるための無茶です。

それにしても、たったこれだけのことを発言するために、どれほどの緊張があったことか。
なにしろ、質問も意見も誰も言わない中で、ひとり「かみついている」みたいな構図のわけです。まさに「KY」です。
でもいいんです。「AKY」であり「MKY」です。
ここで「空気」に抗うことも、ひとつのカウンターなんだと思うのです。

発言したあと、手の震えがとまりませんでした。そんな手の震えをとめてくれたのは、facebookの向こうにいる「カウンターなかま」でした。
カウンターに参加しはじめて1年ちょい。「許さない」と具体的に声をあげる人はまだまだ少数です。でも、地球上のどこかで発せられたヘイトの声が、実は身近なところにあることを感じ「許さない」と声をあげる、そんな「なかま」のつながりと力を感じました。

テンパった(;_;)

どうせ土日はなにもできないんです。いや、用事があってもなくてもできないんです。なので、どうせなら土日は「やる」ことに使うわけなんですけどね。なので、そのことには一片の悔いもないわけなんですが…。
仕事の帰りに明日の予定を組み立てているうちに凍りつきました…。
明日と一週間後を間違えてました。
てことは、あしたは一日出張?雑務は何にもできない?ま、データを持ってるのは、不幸中の幸いでした。
しかし、いよいよテンパったなぁ。

とか考えながら、家帰って、ビール飲んで、録画してあったモトGP見てたら世話ないんですが^^;;。