行動をコントロールする

夜は夜でおべんきょです。
今日は「強化」とか「強化子」とかいう話です。
わたしがいま自分の授業でやっていることが、式を分析的に見ることだとするならば、おべんきょでやっていることは「行動の変化を分析的に見ること」なのかな。まさに、「行動分析」です。で、分析的に行動を捉えることによって、行動をコントロールすることができる。
にしても、出されたお題が難しい。
「増やしたい行動を決めて」
「それを増やすための「ごほうび」を決めて」
「実際やって一週間カウントする」
なんですよね。
増やしたい行動…。ないわ…。
別にビールは呑んでるし、逆にそれを「ごほうび」にしちゃうと「行動ができなかった時」には呑めなくなっちゃうし(T_T)。
うーん。
自分の行動を分析的にとらえるって、けっこうむずかしいかも…。

さぁ、アナリーゼだ!

今年、15年ぶりくらいにちょい勉強できる(はずの^^;;)クラスの授業を担当しています。
うーん。
そりゃ、みんな担当したがるはずです。
いや、楽といえば楽ですが、考えなきゃならないことが、あまりにも違います。
いままでならば、「できないことをどこまで遡って教えるか」がメインだったのですが、それを前提とはしなくてすむわけです。だから、「いま」の内容に集中できます。そしてそれを深く掘り下げることができます。
例えば「a(x-b)y+(x-a)(x-b)」みたいな式があったとして、この式をどう見るか。
いままでなら「あきらめるな」とか「まぁこれはこうなんねん」とか、そもそも扱わないとか(笑)、そんな感じだったわけですが、今年は「これはyの1次式として見るわけで」みたいなことを話せるわけです。
こういうことって、おそらく「なんとなく解ける」から「確実に解ける」へとステップアップするために必要な作業なのかなと思っています。
でもまぁ、そんなことを考えられるのは、もしかしたら、いままで数学が苦手な子らをずっと相手し続けていたからかもしれませんね。

考え違い?

この間から読んでいるペーパーの中にセジウィックホモソーシャル理論とやらが出てきていまして。で、ペーパーの中には詳しい説明がなかったので、かと言って原典にあたる時間もないので、ネットでグリグリと探していたら、原典を引用しながら説明している文章に出会えました。で、
「ふんふん、なるほど。そーゆーことかー。あー、あるある(笑)!」
とか思いながら電車の中で読んで、家に帰ってもぎょりながらいろいろ考えていたのですが…。
突然わたしはとんでもないところで考え違いをしていたことに気づいて、ひっくり返りそうになりました。
そうかぁ。だからあの時あんなことを考えたんだ。
でも、もしも「あの考え違い」がなければ、わたしの人生はぜんぜん違っていただろうなぁ…。

復活!と…。

今朝事務室に行くと、人権のメールボックスに箱があります。なんだろ…。お!電源ユニット!
てことで、先日破滅の音を出したパソコンにさっそく装着。さて、マザーは?石は?メモリは?…。
ふぃーんとか言ったあと、無事起動。助かった〜。これで仕事がまともにできます。にしても、かなりたまってしまいました(T_T)。
そうそう。地下室に捨ててあったモニタもつないでみましょう。なんせ、版組しているのに、いままで17inchのモニタで、見通しが悪いのなんの。で、地下室に19inchのがあったので拾ってきたんですね。画面に引っかき傷があるものの、どうやら使えそうです。うわ!画面、広!さすがは1600×900です。
てことで、環境が整いました。

しかし、このパソコン、マザーが変わって石が変わって、メモリが変わって、電源が変わって。残っているのは、ハードディスクとDVDドライブだけじゃん^^;;

←こんな一日

朝、突然飛び込んできた用事でバタバタ。この時点で、完全に一日の段取りが崩壊しました(T_T)。でもまぁ先送りにしていた仕事だったんで、それはそれで意味はあるんですけどね。それにしてもパソコンが火を吹いたのが痛いです(T_T)。

で、昼からは出張。まぁ、充実した話し合いをしながら、無事会議も終了。

で、移動。
途中、ちょいと友だちと晩ごはんをつまむべく、待ち合わせ。
待ち時間の電車のホームでおべんきょ。どうも机の前でやるより、こういうところの方がやる気が出るみたいです。ホームに吹く風がひんやりしていて、なんか気持ちいいです。
にしても、まとめなくちゃならない文章、なーんか、アジテーションみたいです。言いたいことはわかるし、その内容に賛同もするんだけど、「我田引水」って言葉が頭をよぎります。うーん^^;;。

で、友だちと合流して、軽く晩ごはんを呑みながら、「澱」のことや「ピュアなプレイヤー」について、ちょっとだけ話。

んで、夜の会議に参加。こちらはツッコミどころを見つけられずに、ちょいみなさんを退屈させてしまったかも^^;;。

で、その反省の意味はないけど飲み会。帰る間際に
「いつきさん、なんであそこでツッコまへんかったん?」
となかなかいい指摘をもらったりして^^;;。

てことで、無事終電でおうちに帰りました。
めまぐるしくも楽しくも充実した一日だったかな…。

歴史をどこまで遡るか

今日から月曜日のおべんきょがスタートです。
去年読書会で、「おべんきょの楽しさ」を教えてくれたセンセが担当されます。なんでも「大正期の自由教育」あたりがテーマだとか。なんか、よくわかりまけんが、このセンセならきっと楽しいだろうと思って選んでみました^^;;。
で、フタを開けてみると…。
「なぜ大正期なのか?」というと、大正期は大きな分岐点だとか。で、ここでのさまざまな思想や実践が現在にもあてはめることができると。すると、例えば、現在問われている理論と実践の乖離、あるいは理論と現実の乖離みたいなものの分析を大正期まで遡ることで可能になるのではないか。
まぁそのあたりが大正期への着目の理由だったとか。
ところが!
実は大正期にはすでに理論と実践、あるいは理論と現実の乖離はおこっていた。「わかっちゃいるけどできない」みたいな。
さらに、分岐点の前に、継承されなかったものがあるのではないかと。まぁ、ここでは教育がテーマなのでそこにしぼるなら、近代教育が「近代であろう」とするがゆえに切り捨ててしまったものがあるのではないか。あるいは、理論というか根源的なことを伝えなかったままに、形式だけが残っているものがあるのではないか。あるいは、形式すら残っていないものがあるのではないか。
このあたりのことを分析するために、歴史をどこまで遡るのか…。
そこでセンセが着目したのは「江戸期」。それも、江戸の初期らしいです。
去年はデューイに彩られた月曜日でしたが、どうやら今年は貝原益軒に彩られそうですo(^^)o。
にしても、デューイと貝原益軒。センセの語り口だと、なんとなく似てます。たぶん、そういう人が好きなんでしょうね、このセンセ。

にしても…。
おべんきょの進め方として、ひとつのセクションにレポーターとコメンテーターがいるらしいです。で、どちらを選択するかを迫られたのですが…。迷わずコメンテーターを選択しちゃいました。いや、けっしてレジュメを切るのがイヤなんじゃないです。じゃなくて、斜め37度くらいから切り込んでみたいなと、ふと思いまして。それが「ピュアなおべんきゃー*1」ではないわたしの役割かなと^^;;。

*1:「おべんきょプレイヤー」を略してみました^^;;。

記憶の底

「やらなきゃならないこと」と「やりたいこと」がほぼ一致する時、「やりたいこと」は「やらなきゃならないこと」に憑依する。その時、「やらなきゃならないこと」と「やりたいこと」の間にはさまったことが忘れ去られ、記憶の底へと沈殿してしまう。でも、その澱のようなものこそが、実は「「ほんとうに」やりたいこと」だったりします。
「憑依」されて、そこに生き甲斐や喜びを感じれば感じるほど、澱はそこへと溜まっていく。
そんな澱が、ふいに浮かび上がる瞬間がある。

バーンスタインの指揮を見て、ふとそんなことを考えました。

休日の過ごし方

さてと、今日は完全オフ!
午前中はパートナーと買い出しに行って、昼に軽くビールを飲んで、午後はおべんきょ関係の文章を読んで、晩ごはんは…。
とスケジュールをたてていたわけですが^^;;。
まぁ、買い出しには行きました。昼のビールもok!問題はそこからです。眠くなってきたので、横になりながら、いまや布団と一体化したノートパソコンで、ちょいとお買い物。夕方になっておべんとのネタをつくらなきゃならないことを思い出して、いきなり台所仕事。あとはもぎょってビール飲んだらグダグダです。
んー。
でも、こっちのほうが正しい休日の過ごし方な気がします。

はじまりに還る

今日は某在日外国人教育関係の会議。と言っても、フルメンバー会議じゃなくて、まぁ、代表者会議みたいなもんでして。
集まってきたメンバーで、今後のあり方について、あーでもないこーでもないとグダグダ話。
で、出てきた結論を聞きながら、思わず
「それって、この会の発足当時の姿と一緒ですね」
って言っちゃいました。
けっきょくそういうことなのかもしれませんね。「はじまり」からスタートして「はじまり」へと還っていく。
少し寂しいですけどね。

でも、わたしたちとは違う新たなとりくみは、あちこちですでにはじまっています。わたしたちのとりくみから得られたものを伝えられたらいいなとは思うのですが、たぶん「新たなとりくみ」の人たちには大きなお世話なんだろうなと思います。
それは、わたしたちのとりくみも出発当時は、たぶん同じだった。当時はわたしはいませんでしたけどね。
そんなものです。
そしてそれは、おそらくは外国人教育関係の運動だけではありません。
そうやって、歴史は繰り返されていく。そして「はじまり」へと還っていく。

分派活動→脱落行動

夜は職場の宴会です。
今日もいつものように誰のところにも注ぎに行かずに、ひたすら自分の席で飲み続けです。
ほんとにみんなマメに動くなと思います。まぁ、飲みに来てるのじゃなくてしゃべりに来てるのか(笑)。
で、2時間ばっかで終了。当然のことながら2次会です。
とりあえず、SCの方と
「どうしましょ」
と相談。なぜかSCさんなんですよね。つくづく友だちがいないんだなと再認識です。というか、もっというと、「群れをつくってない」んでしょうね。若い衆に
「行こうか」
と言っても、みんな主流派に流れていきます。まぁそりゃ当然です。そちらのほうが楽しいに決まってます。わたしが若い衆の立場なら同じ行動をとりますよ(笑)。てことで、分派活動は失敗に。
まぁそれなら久しぶりに主流派に乗っかってもいいかなと、しばし待機。ところが、店が決まりません。当たり前です。いきなり30人は無理でしょう(笑)。
なかなか決まらそうにないので、SCさんと、
「じゃあ行きますか」
てことで、脱落行動へ。
あとはふたりでいろいろな話。
9時半くらいにお店に入ったはずなのに、すぐに0時過ぎ。時間の流れる速さに、ふたりともびっくりです。
てことで帰ったわけですが…。
まぁ、けっきょく分派もできないわたしは、やはり一人一派なんですね。
まぁ、しゃーないです。
「連帯を求めて孤立をおそれず」
が、今も頭の中にこだましています(^^)