中高生相手の3時間

今日の午後からに備えて塩漬けした白菜を京都駅南側にある某所に搬入。その後、茨木へと向かいます。到着したのは、コリア国際学園です。今日は中学生高校生を相手に、3時間連続*1の授業をします。
あくまでも授業なので、50分+10分×3コマが基本です。でも「フレックスでもかまわない」とのことだったので、体力が残っている1時間目は10分オーバー。2時間目は50分。3時間目を40分で考えました。
1時間目はいろいろ考えたけど、せっかくだから普段と少し順番を変えて、いままで出会ってきた子どもたちのことを話すところからスタートすることにしました。にしても、みなさんいい生徒さん達ですね。ちょっとやんちゃ気味の子どももいますけど、真剣に聞いて下さいます。リアクションも抑制がききながらもきちんと返ってくるし、ふともらす笑顔がいいです。
2時間目はライフヒストリーセクシュアリティの基礎あたりを話します。さすがに2時間目の最後のあたりは疲れが見えてきます。休み時間中に「バタッ」としている子どももいます。話をしたのが音楽室だったので、思わず「3時間目の最初はケンガリでも叩こうか」とか雑談をします。
で、3時間目は「性の多様性」→オチです。
質疑応答では、生徒さんも話をしてくれるし、教員も話をしてくれるし、いい感じです。出がけに最後まで手を振ってくれた生徒さんもいたりして、すごくいい気持ちで学園を後にすることができました。

*1:「2009年度の授業内容はこちら」をクリックするみたい

反射的に出た言葉

あまりにも肩こりがひどい&5月から右肩の具合が悪いということで、水曜日から接骨医に通っています。
電気治療&マッサージ&ウォーターベッドという極楽コースなのですが、たまにマッサージが怖いことがあります。
「はい、右腕を後ろにまわしてください」
「え〜と、これが限界です」
「もうちょっと、はい上から押しますね」
激痛が走ります。その瞬間出た言葉が
「ギブ!ギブ!ギブ!」
せっかくはじめて行った時に
「◯子さんの*1…。お姉さんですね?」
と言われたのに、これではダメですな。

*1:そこの接骨医はパートナーの紹介

近づいてきた

ここらあたりから、たてつづけに行事がつまってます。なかでも10月31日〜11月1日と11月3日の在日外国人関係の行事は、大量の下準備をしなくちゃならないので、もうワヤです。
きのうはきのうで、しょうゆだのみりんだのをドカンと買って、今日は発泡スチロールのトレイを買って。家では白菜の塩漬けもしなくちゃならないし*1
平行して、あしたはうちの職場の人権学習。そこへ向けての準備もあるし。
正直言って、インフルエンザにかかるヒマもないです。
それが終わったら…。

あ、原稿が2本+1本あるわorz。

*1:これはパートナーがやってくれるm(__)m

Iずみちゃん参り

今日は午前中授業がなかったので、Iずみちゃん参りに行ってきました。いやぁ、久しぶりでした。
まぁ、はじめのうちは血液検査の結果とか近況報告とか。そのうち、いつものグダグダトークになってしまいました。向こうで看護士さんが笑いをこらえていましたよ(笑)。
出がけに看護士さんに「シーですよ」と言うと、「シーですね」と笑いながら返して下さいました。ええノリです。

そこに反応するのか…。

先日の金光敏さんの講演の感想をみんなで出しあっていたのですが、みなさん印象に残っているのが金さんの生い立ちの中のトピックスなんですよ。
でも、金さんが語られた本当のテーマは、演題「学校の中のサンクチュアリ」なんですね。ここで言われた「サンクチュアリ=聖域」っていうのは、簡単に言うと、「マイノリティの子どもが自分のことを隠さなくていい場所」なんです。そういうものを学校や地域の中につくっていくこと。そしてそこに子どもたちを連れて行くことが、とても大切なんだということなんです。
このことを誰も言わなかったんですよね。ちょっと寂しかった…。

昨日の話が続いた

昨日の「トゲ」の人。昨日一晩落ち込んでいたらしいです。
わたしが落ち込んで、その人が落ち込んで。それを互いに出しあうところから、次の一歩が歩めるんだと思います。なので、ふたりで
「ありがとうございます。これからもよろしく」
と互いにあいさつを交わしました。

読書感想文・さらに

今日は先日とは違い、ちょっとだけですけどね。
朝、A久◯さんからメール。

あらためて太郎なんだけど、ネオリベの競争主義の落とし子(均等法第一世代)みたいな彼女が、どうしてあーいう話にしたのかなと思います。

これを読んで、「あっ」と思いました。わたしの返答。

ふと「もうひとつの東電OLかも」と思いました。

今日は、単にそれだけです。

小さなトゲから、でも、つながる

今日、数人の教員で担当している補充授業の最中、突然とても小さなトゲが心に刺さりました。いや、もしかしたら体調がよければ笑い飛ばしていたかもしれない、そんな小さなトゲだったのですがね。ちなみにトゲを発射した人は、おそらくわたしのことを最も受け入れてくれている人のうちのひとりの方です。
そこから補充授業の最中、自分がどんどん落ち込んでいくのがわかりました。ほんまに情けないなぁと思ったのですが、とめられませんでした。
補充授業が終わって、自分の机のところに帰って仕事して、さぁ帰ろうと思ったのですが…。トゲを発射した人がまだどうやらまだ職員室におられるっぽいので、
「やっぱり行こう。言って話をしよう」
と思い直しました。

その方、もちろんわたしがトゲに反応したことはわかっておられたのですが、わたしがそこまで落ち込んだとは思っておられなかったみたいです。
「やっぱり言わないとわからないと思うので」
「言ってくれてありがとう」
みたいな話。
「わたしが海外で出会ってきた人たちってけっこう開き直っていたみたい」
「ん〜、開き直りにはふたつあるんじゃないかなぁ。傷つくことを前提にして、そこから対話をはじめようとする開き直りと、傷つくことを前提にしながら傷つかないように心を鎧で守ってしまうのと」
みたいな話。なんだかいろんな話をしました。

もしも2種類の開き直りがあるとしたら、やっぱりわたしは前者でありたいなぁ。
「傷ついた」という言葉は、相手を責めるための言葉じゃなくて、そこから対話をはじめて新たなつながりがつくるために使いたい。

きっとその方とは、さらに深いつながりが持てたと信じています。

でもわたしは会場を脱出!

感動している割りに、「むずかしい話はわからへんねん」とか言って、肉体労働をしに会場を出ました。
向かったのは、ウトロの広場。すでに焼肉の準備は始まっています。わたしも準備に自主的に参加。まずはブルーシート敷きとか七輪の準備とか。そのうちオモニ達がキムチとかコンナムルの盛りつけを始めます。これがまぁうるさい。ひとりひとりが船頭なので、ひたすら言いあいをしながらの準備です。まぁこれが日常なので、みなさんなんとも思っておられないでしょうけどね。で、わたしもそんなところに混じってワイワイ騒いでいました。
やがて「町内会長さんがこっち来いと言っている」という伝令が来たので、七輪を囲むことになりました。知らない人とも七輪を囲んで焼肉をつつくとすぐに仲よくなります。
やがてノレがはじまります。チャングやケンガリの音が鳴りはじめます。もう我慢ができません。ウトロの集会所の責任者の方に
「プク、とりに行きたいんですが」
と言うと、カギ束をわたしに渡しながら
「これで支部の事務所に入ってとってきて」
って、いいのかい!
あとは、ノレにあわせて延々とプクを叩きました。
8時頃にお開き。片づけを済ませると、またまた会長の声が飛んできます。
「今からもうちょっと呑むからおいで」
てことで、ウトロの奥の方にあるハルモニの家におじゃま。「KIN」(地球村同胞青年連帯)の人たちと一緒に呑みです。またまた途中からノレがはじまります。わたしにも順番が回ってきたので、しゃーないので「international」を歌ってしまいました。
てなことをやっているうちに、急激に体調がやばくなってきました。これは帰らなくちゃ…。
てことで、大急ぎでお家へ。つっても、1時間かかるよorz

ウトロ歴史資料館のための国際ワークショップ

午前中は自転車の手入れ。見栄えもちょっとマシになってきました。
で、午後からはウトロへ。
考えてみると、京都在日外国人高校生*1交流会が1997年秋にやった交流会では、東九条フィールドワークをしていたんですね。その時の写真がこれです。

当時はスキャンした写真を「どーせ」と思っていたので白黒で保存していたんです。
これ、参加者が東九条の40番地、いわゆる「堤防の街」を歩いている風景です。それが、いまや跡形もなくなっています。東九条に限らず、ほとんどの部落では地区改良前の風景は跡形もなくなっていて、とってつけたような*2町並みが並んでいたり、唐突な*3団地があったりというふうになってしまっています。
もちろん住環境が改善・整備されているわけで、それはとても喜ぶべきことなんですが、一方、「歴史」をなかったことにしてしまうことが可能になるわけです。
なので、ウトロでは「歴史資料館」をつくろうという話が、まちづくりの計画が持ちあがると同時に出てきていました。
で、今回は、丹波マンガン記念館の李龍植さんをお呼びして、歴史資料館をつくることの意味みたいな話をしてもらい、守る会からは田川明子さんに話をしてもらうというワークショップが開催されました。
李さんの話からは、政府がいかに歴史を消し去ろうとしているのかということが、ご自分の体験を通して、これでもかこれでもかと突きつけられました。また、田川さんの話は、ドイツにある小さな町の教会がもともとは強制収容所だったことから、町の人々がその歴史を保存するべく歴史の発掘をされた事例が紹介されました。
いずれの話も、「歴史」と向きあうこと抜きに今・これからを生きることができないこと、にもかかわらず、どんどん資料がなくなっていくことの危機感を語られました。
田川さんの話の中にあったエピソードを備忘のために書いておきます。

今から20年前に「守る会」ができた時に、あるハルモニから「なんで終戦の時に守る会がなかったのか」と言われた。

みなさん、「恨(ハン)」を抱えたまま死にたくはないのです。

その後いろいろあったので(笑)、断片的な記憶しかなくてわけわからんけど、ほんとうにいい話でした。

*1:当時

*2:と書くと語弊があるか…←こればっか

*3:ん〜…