帰り

その友だち、「もう一杯飲むか?」と聞いてきたので、「飛行機の時間は大丈夫?」と返すと、「知らないよ」とか言いながら、チケットを取り出します。「う〜ん、4時25分だなぁ」。って、いま3時50分だよ!あと5分で空港行きの電車が出るよ!あわてて店を飛び出して、一緒に空港へ。ところが、セキュリティが大混雑。そんな中「ちょっとトイレに行って来る」。って、おいおい。もしかしたら優先的に入らないとヤバイかもしれないよ。とそこへ、「東京行きのお客様は…」あわててトイレに行っている友達に電話。
まぁ、そんな感じで、1人、また1人と帰っていきます。わたしはというと、フライトまではまだ2時間。しゃーないので、展望台に行って時間つぶし。ジュースにコンビニで買ったウィスキーをちょこっと垂らして飛行機を見ながらボーっとこの4日間を思い出していました。
でも、いずれは帰る時間が来ます。一緒に帰る友達もやがて空港に来て、あとは順調に帰るだけ。帰りはじめるとあっという間です。10時頃には家に着いていました。
家に帰ると、相変わらずの日常。上の子どもは明日が試験の最終日。英語。のんびりしていないで勉強せーよ。

孤立を求めて…

終わったのがお昼。さて、だれかと昼ご飯を食べようと思ったのですが、さすがに友達はほとんど昨日帰ってしまっています。わずかに残った人たちも、書籍販売の担当なんかをしていて、忙しいみたい。誘いに行っても、「団体行動しているから」とか「後かたづけしなくちゃならないから」とか。とりあえず、しゃーないので、一緒に行った人たちに連絡をして、とりあえず昼ご飯を一緒に食べることにしました。
しかし、駅前にあった定食屋のおばちゃん。あわててましたねぇ。「あの〜、注文とっていただけますか?」「日替わりが早いです」「いや、あの日替わりじゃなくて…」「あ、いらっしゃいませ*1。日替わり都合9人分!」。おいおい、日替わり頼んでないって。てか、このままだったら日替わりが出てくるよ。あわてて他のを注文しました。
で、1時過ぎに解散。ところが誰が悪いのかわかりませんが、飛行機の時間は6時40分。これから4時間ほどどないすんねん。一緒に行った人たちは観光に行く。でも、わたしは正しい全同教参加者(笑)*2なので、観光には行きません。しゃーないので、しばらく駅でメールチェック(笑)。すると、昨日、話を聞かれた方から「聞きました」というメールが来ていました。うれしいなぁ。でも、そんなことをやっていても、持つ時間はせいぜい1時間。しゃーないので、東京の友達に「友達がいいひんねん。遊んで」と泣きつきました。すると、優しい友達は「わかった。今団体行動の最中だけど、フリーになったら遊んであげる」と言ってくれました。まもなく、友達から電話。駅の中にある飲み屋でお酒を飲みながら、全同教大会の私的総括をかわしました。こういう時間が必要なのよ…。

*1:他の客が入ってきた

*2:正しい参加方法は、「宿舎」「会場」「飲み屋」の3角形の中のみを移動します。

全同教4日目・ご苦労様でした!

考えてみると、全同教の閉会全体会って、出るのは初めてなんです。なので、どんなんかなぁと思いながら出てみました。さすがに開会全体会よりは全然少ないのですが、それでも体育館にいっぱい。どれくらいの人がいたんだろう。
それぞれの分科会の報告や大会総括、次年度開催地の挨拶などが続いて、あっというまに閉会。長かった3日間の大会が済みました。きっと、実行委員の皆さんもホッとされたことだろうなぁと思います。ご苦労様でした。
でも、事務方ってこれで終わらないのが悲しいんですよね。ここからおそらく延々と事後処理が続くんじゃないかと思います。

で、宴会

宮崎に来たら必ず行く割烹「ほんだ」で交流会。はじめは京都の参加者だけだったんですが、半日のうちに鳥取・佐賀、そして地元宮崎の人達も来てくれることになりました。なによりも、特別分科会で話をされた溝辺さんや地元実行委員会の人達も来て下さいました。一緒においしい地鶏を食べながら、おいしいお酒を飲みながら、溝辺さんのお話のさらに裏側のお話を聞くことができたのは、本当に大きな喜びでした。また、地元実行委員会の人たちのこの大会にかける思いもたっぷりと聞かせていただきました。なんというか、わたしにとっての今回の全同教の「総括」という感じだったなぁ。そして、これから宮崎の人たちの新しいつながりがはじまるのかなという気もしました。

午後は交流会

午後は宮崎にもどってセクシュアルマイノリティ高校生の交流会でした。県同教の呼びかけでこの湯尾名当事者交流会がおこなわれたというのは、本当に驚きです。たぶん、全国ではじめてです。宮崎の人たちがつくってきた「つながり」の「豊かさと深さ」を思わされました。子どもたちが自分の話をし、それをまわりにいる大人達が受けとめるという交流会ができました。そこに大人達は「こういう交流の場が、これからもほしい」という子どもたちの言葉、「保護者は誰にもいえない、保護者の交流の場も必要だ」保護者の言葉を、しっかりと受けとめられたんじゃないかと思います。

全同教3日目・盛岡延岡にて

早朝、盛岡延岡へ。全同教特別分科会盛岡延岡会場に参加のためです。
全同教で特別分科会が3会場で開催されるというのは、おそらく異例のことです。でも、ここには宮崎「県」の要請や、宮崎ならではの事情など複雑な要素がからんでいます。また、開催した宮崎県同教の「思い」もいっぱいつまっています。そんな、特別分科会で発表をする機会をもらえました。
発表前、わたしが発表をすることを聞いた、地元の当事者の人が会いに来てくれました。一目見て「かわい〜!くそっ(笑)」と声が出てしまいました。ほんとにめちゃくちゃかわいい。でも、「レジ打ちの仕事、ネクタイをしてやっているんです」。思わず「それ、無理があるやろう…」。やっぱり、お客さんはその人を見て「えっ?」という顔をしたり、「男?女?どっち?」と失礼なことを聞いたりするみたいです。そのたびに、すごくしんどい思いをするとのこと。そりゃそうだわ。わたしだってきっとしんどい。でも、切り返さなくっちゃ。わたしの答は「じろじろ見られたら、Vサイン出したらええねん。『なんでネクタイしてんの?』って言われたら、『男装趣味です』って胸張ってゆうたらええねん!せっかくこんな生きかたしてるんやし、それをネタにせな!」わたしからの精一杯のエールです。「そうですね!」と笑ってくれた顔がかわいかった。くそぉ(笑)。
で、そのあと1時間半ほど話。はじめのうちは、互いに「間合い」をはかっていたのですが、だんだんとわたしのペースを理解していただけるようになったのか、徐々に笑いが出てきました。それにしてもまじめな人がいます。一番前でメモをとっている人、すごかったです。「あのね、わたしがつくった言葉がありまして『あこがれの9号、妥協の11号』っていうのがあるんですよ」とネタをふると、そこまでメモしておられます。思わず前に言って「いまの、メモしてはるんですかいな」とやっちゃいました。ええ感じの人です。最後は、暖かい拍手をもらえました。ホッ。
ちなみに、次に話をされたのは、露の新治さん。もう、ホール全体が轟くような笑いです。「ワハハ」じゃないです。「ドカン」です。さすがプロです。思わずお昼に「笑いの質が違いますね」と露のさんに話しかけると「芸人ですから」と優しく笑われてしまいました。失礼しました。あたりまえでした。

夜は交流会→ハプニング

夜は全同教恒例の「ぁゃιぃ交流会」。総勢160人。どんなんやねん、という感じ。熱く濃く語りあう「仲間」の存在に押しつぶされそうになりながらも、そんな仲間の存在に妙な心地よさを感じるのは、そういう空気の中に自分もまたいるからなんだろうなぁ。
で、あまりにも熱い交流会だったためか、交流会が終わって2次会に向かおうというその瞬間、突然身体に震えが来ました。「あれあれあれ?」と思ったのですが、なんか突然寒くなりました。みんなに「今日、寒いね」といったのですが、みんなは「そう?」という答え。え〜、と思ったのですが、震えがとまりません。2次会の席に座ったのですが、やっぱり寒い。みんなが服をどんどん掛けてくれるのですが、ダメです。「まだ寒いの?」と隣にいた人がくっついてくれたのですが*1、やっぱりダメです。どうも発熱したみたいです。「ゴメン、ちょっと帰るわ」とビールを1杯、お茶を2杯飲んでその場を失礼することにしました。帰り際、M口さん@徳島と握手したのですが、その手の熱いこと熱いこと。思わず、「熱のあるわたしより、なんであなたの手のひらの方が熱いの?!」としょーもないネタをふるのは忘れませんでしたけどね(笑)。
ホテルに帰って熱を測ると、37.9℃。えらいこってす。あしたはいろんな意味で「本番」の日です。とにかく、熱いお風呂に入って、暖房をガンガンに効かせて、ふとんをかぶって寝ることにしました。

*1:結局これについては単にふたりでネコのマネをしただけになりました(笑)

なぜ語るのか

話を聞いたあと、Hさんから「なぜ語らなければならないんですか?」という質問を受けました。「んじゃ、昼ご飯を食べに行きましょうか」と誘って少し話をしました。
いや、隠してもいいんです。でも、「なぜ語るのか」という問うならば、同時に「なぜ隠すのか」「なぜ隠さなきゃならないのか」という問いも成立するはずです。でも、こちらの問いについては、なぜかあまり真剣に論議がなされていないというか、自明のこととして放っておかれてきたんじゃないかと思ったりします。
実は「隠す」ことと「語る」ことはコインの裏表(まぁそのまんまですが)かなぁという気がします。いずれにしろ、大切なこと。「隠す必要のないこと」って、たぶんそんなに大切なことじゃないです。大切なことだからこそ、「隠さなきゃならない」。でも、そここそを理解してほしいからこそ「語りたい」。そして、その間で葛藤するんだと思うのです。
あぁ、そう考えると「語ることのできる社会」ができたら「葛藤」もまたなくなるのか。でも、葛藤が「今ある自分からの脱皮」をつくりだすんじゃないかなぁ。とすると…。
う〜ん、続く…。

全同教2日目・特別報告

今回の全同教のわたし的な最大の目玉は全体会での特別報告です。実は、Hさんも教員ではないのですが、特別報告を聞きに来られていたんです。
宮崎県同教は、いまから4年前、わたしにはじめて「語る」機会を与えてくれた組織です。報告者は、その宮崎県同教の前会長。この方は、その集まりのあいさつの時、「いつきさんが自分を語るなら、自分もきちんと自分のことを語らなくてはいかん」と、ご自分の出身について語られた方です。それまで、オフィシャルな場ではそういう話は滅多とされず、ご自分の実践を背景にした話をされていたそうです。そういう意味でははじめてだったそうな。
とにかく、今回この方の話を聞きたいと思っていました。
この方、41歳の時にたまたま参加したムラの忘年会への道を歩きながら、自分の記憶の中にこの「道」があることに気づかれます。そして、ムラのおばちゃんにそのことを告げ、自分の出身のムラの子とを話した時「あんたもわたしらと同じや」と告げられます。そこから、自分の過去の中にあったさまざまな経験の中にある、部落出身の「徴」を掘り起こしていかれます。と同時に、まわりの人間が自分に告げなかった「41年間の無言」という重みを感じられます。しかし、ご自分が自分のことを掘り起こされた時、決してまわりの人々は「隠し」はしませんでした。こうして、まさに41年目にしてご自分を取りもどしていかれます。
やがて、話は識字のおばあちゃん・おじいちゃんへと移っていきます。そして、宮崎の高校生たちの話。1996年に宮崎で行われた全奨*1の中で起こった一人の高校生の変容。わたしは、この全奨に自分のクラスの生徒をつれて参加していました。そして、やっぱりその子もこの全奨で元気をもらって、2学期に自分のことをクラスで語ったことを思い出しました。
そして、ご自分の子どもに伝えきれていなかったこと。でも、子どもたち自身が、大きくなるにつれて、自ら変わっていった姿。そして、お孫さんの名前のこと。語られる言葉の端々に「世代をつなぎ、思いをつなぐ」という思いがあふれていました。
思わず泣いちゃいました。

*1:全国高校奨学生集会

全同教2日目・同窓会ですな

いよいよ今年も全同教がはじまりました。
まずは全体会場へ。受付をしようとした時、向こうから「柔道系」が歩いてきました。「おぉ!」「久しぶり!」。東京都同教の友だちでした。それにしもて、そら1年に1回しか会わんのやから久しぶりやわな(笑)。でも、2万人の参加者の中からきっちり会うわけやからたいしたもんです。で、しばらく歩くと、「うわぁ〜!」「久しぶり〜!」。今度は熊本の友だちでした。この間用事でメールのやりとりはしたんだけど、ここでも会うかなぁ。で、その友だちとしばらく歩いていると「おっ!」「おう」「ハーイ!」「あぁ!」みたいな感じで次から次へと知りあいが歩いてきます。まぁこんなもんです。
で、全体会会場にはいると、広い体育館が満席。まぁ、いつものことなんで、通路出たって話を聞いていました。すると、向こうから人影が…。うちの子どもが前に通っていた小学校の教員でした。さらにしばらく話を聞いていると、うしろから「いつきさんですか?」「はい?」「Hです」「あぁ〜!」宮崎に来た時必ずと言っていいほど行く料理屋さんのお子さんです。今回は無理っぽかったので、「残念〜」と思っていたのですが、思いがけず会えたので、さっそく明日の晩の予約を入れてしまいました。
しかしこの広い会場なのに、互いが互いを呼びあうように人が集まってくる。「縁」を感じます。