こーゆーの↑が日教組の中にあります。
かつては「なんだかなぁ」と思っていたのですが、最近「必要だなぁ」と思っているんですよね。やはり、「女性」ということを軸にしながら、そこに共通する課題を考え、問題を提起していく必要があるということを、つくづく認識させられます。
もちろん、女性と男性を二分したところに立脚をしているとしたら、それはちがうだろうと思うのですが、現実にはとても柔軟なんですよね。なにせ、わたしを「女性の生き方」という分科会のレポーターにするくらいですから(笑)。
てことで、今日は大阪でレポート。
しかし、20分とか言われたけど、なにをしゃべればいいんだろう。自分のライフヒストリー(ネタあり)だと、1時間以上かかるし、「知識」だけだとすごく薄っぺらになってしまうし…。いろいろ悩んだんですが、最終的な結論は「出たとこ勝負」でした。
会場について、見覚えのある小柄な女性が一人。「久しぶり」と声をかけられ「聞き覚えのある声だなぁ…」。で、さらに最大のヒントをいただきました。「高野山でさいぼしを持っていった…」「あぁ!塩谷さん*1!」。
しかし、さいぼしで思い出すわたしもなんだかです。
どうやら、今日のもう一人のレポーターは、塩谷さんとのことです。えらいこっちゃ…。なにがって、ふたりとも20分どころか、ピン芸人で2時間しゃべるのが平気な人間です。時間がどうなることやら…。まぁ、それぞれの持ち時間が1時間+質疑応答が40分ぐらいという配分らしいので、一安心。
まずはわたしのレポートから。とりあえず、ライフヒストリーを話さないとネタのくりようがないので、ちょびちょび話をしました。聞いてくれる人たちは、基本的には学校関係者ですから、やっぱり子どもの頃の話が必要ですからね。で、超ダイジェスト番を話し終えたところで18分。ここからです。トランスジェンダー生徒交流会の話とか、クローゼットでいる生徒や教職員の話をおりまぜながら、「現状と課題」のあたりを話したところで、そろそろ潮時かな。「これで40分ぐらい話をしましたか?」と司会の方の時計をのぞき込むと、41分。やれやれ…。
続いて、塩谷さんの話。すごかったです。わたしのように隠したまま世間の風をやり過ごしていた人間と、塩谷さんのようにそこに直面せざるを得なかった人間の違いを、まざまざと見せつけられました。だからこそ、部落解放運動が必要とされ、あそこまでの大きな結集力をもったんだなぁと、素直に思いました。
で、塩谷さんも「風邪でのどが」とかいいながら、超ダイジェスト番ながら凝縮した絶好調の話。結局、総括の質疑を45分とるはずが、ほとんどなし。司会の方から「最後にお二人から一言」と言われたので、「やっぱ先攻は不利です。今日は完全に負けました」と敗北宣言をしておきました。もっとも横から塩谷さんが「河内のおばちゃんには勝てへんで!」と勝利宣言をしておられましたけどね(笑)。
その後、そこにおられたレズビアンの人としばらく話。お互いの状況なんかを話していました。と、そこで思いついたこと。
わたしって、前にも書いたけど、あらためて学校ではカミングアウトしていないんですよね。なので、そのレズビアンの友だちに「わたしね、学校ではカミングアウトしてないんですよ。どちらかというと、クローゼットなんです。もっとも、クローゼットのドアは全開ですけど(笑)」「ほな、中、丸見えやんか」「うん、丸見えのクローゼットに入ってるねん。こっちからもよぅ見えるし。風もけっこう入ってくるし」。
そうか、我ながら、こういう表現があったんだ。
また、ネタで使おう…。
こらあかんわ…
今日は朝はゆっくり。なので、こたつにはいってちょっと新聞なぞ読んでみました。
それにしても、母子加算を減額→廃止にかかわる記事がありました。いまさらなんですけど、どうなるかわかっているのかなぁ。記事を読んでいても、すごく厳しい母子家庭の状況が記されています。
まぁ、「健全な家庭」は両親がそろっていて子どもがふたりなんだろうから、母子家庭なんざぁ「あの人達」のout of gancyu*1というか、もっというと「施しの対象」でしかないんでしょうね。ま、これじゃぁ結婚状態が続くことを担保にしか子供を産めないし、そうなるとリスクを考えると、ますます子どもはつくれないですね。
もう一個。またまたやらかしてくれたらしいです。「産科の医師は出生数あたりでは減っているわけではない」「出生数の減少で医療ニーズがはっきり低減していることの反映」らしいです。
わたしも女性診療科に通っているけど(笑)、メチャクチャたいへんなんですよね。
これ、すごく単純な話です。「お産」なんていつあるかわからないので、産婦人科を設置している病院では24時間体制をとっておかないといけない。ところが、「お産」ができるのは産婦人科の医者とか助産師だけですよね。てことは、当直医は他の科と違い、限定されるわけです。すると、ある病院に勤務する「お産のできる人」が3人だと、当直の回数は単純に1週間に2回〜3回になります。出生率が減ったからと言って、これは変わらない。ところが、担当医が2人になると、一人減るだけで当直の回数は3回〜4回に増えます。つまり、出生率が減ったから仕事が減るというものじゃなくて、逆に「お産のできる人」が減ると、出生率とは無関係に仕事が増えるわけです。
この単純なことがわからない人が、厚生労働省の大臣なわけですよね。過重労働の現場ではミスが増える可能性が高くなるから、そうなるとリスクを考えると、ますます子どもがつくれないですね。
安心して子どもをつくれ、育てられる環境とはいったい何かということがぜんぜんわかっていない人が、「子どもを増やせ」と言う。で、責任を転嫁する。
かつて「精神論を述べるのは力のない教員」と思っていた時期があったけど*2、同じだな。
神の法廷
今日は、ある人権関係の講演のテープおこしをしました。
テープおこしって、すごく勉強になります。なにしろ、一字一句漏らすことなく聞かないと、テープおこしってできませんからね(笑)。
で、今日はテープをおこしながら、思わずディスプレイが涙でかすむ瞬間が何度かありました。いや、もちろん「疲れ目」でかすんだわけじゃないですよ(笑)。
テープおこしをした人間の特権で、その箇所を少し長くなるけど引用しますね。
だからいつか私、3つのことを申しましたけれども、我々の、この人権を守るための、平和を求めるための闘いといいましょうか、運動といいましょうか、その土俵を割らないようにしよう。これがひとつ。どんなことがあっても土俵を割らない。
それからもうひとつは、対話をやめない。対話し続ける。断られても断られても、対話を続ける。聖書の中にもありますよね。「聞きたくなくっても、あんまりうるさいから、しかたなしに奥へ消えてやる」なんてのがね。イエス様、たとえ話をなさると思いますけれども、対話をやめない。
最後に、希望を捨てない。どんなことがあっても希望を捨てない。ということだと思います。
(中略)
この「フィリピ人への手紙」っていうのは、使徒パウロの最後の手紙で、遺言のようなものなんです。しかしこの手紙のキーノートは「喜び」なんです。「喜びの手紙」ってことで、このフィリピの手紙はいつも読まれていきます。
しかし読んでいただきましたように、彼は獄中に閉じこめられているんですよ。まさに彼こそが敗北の歴史を生きている。充分自由に伝道できない。獄中に閉じこめられてしまっている。負の歴史を、彼自身生きているわけです。ところが、負の歴史を生きている獄中から、「喜びなさい」「喜びなさい。あなた方がはじめられたことは、キリストの日までに、必ず神様が成就して下さる。キリストの日までに。キリストに、キリストに向かって行こうじゃないか」。希望にあふれる手紙が獄中から書かれているっていうことに注目していただきたい。
梶原先生の恩師でもあります鈴木正久という牧師、日本基督教団の戦争責任告白をはじめて公にした、あの鈴木正久牧師が、亡くなっていかれる病院の中で残された遺言のテープがあるんです。そのテープの題名は「キリストの日に向かって」。テープの題名です。ピリピのこの箇所からとられているんですね。
だから、負の歴史を、敗北の歴史を生きる時にこそ、希望の味わいがありありとわかってくるんです。平穏無事の時にはね、ほんとうの希望というのはわからない。どん底に追いつめられてこそ、希望の味わいっていうのがありありとわかってくるんですよ。
聖書の希望っていうのは、いっつも「にもかかわらず希望」じゃなかったですか?聖書の希望っていうのは、いつも「にもかかわらず望む」。これが聖書の希望なんです。だからこそ、負の歴史の中に生きる私たちの、だからこそね、希望が語られなきゃならない。希望の歌が歌われなきゃならない。そういうふうに思います。
フィリピの信徒のための祈り
フィリピ1章3節〜11節
わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。
あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。わたしがあなたがた一同についてこのように考えるのは、当然です。というのは、監禁されているときも、福音を弁明し立証するときも、あなたがた一同のことを、共に恵みにあずかる者と思って、心に留めているからです。わたしが、キリスト・イエスの愛の心で、あなたがた一同のことをどれほど思っているかは、神が証ししてくださいます。
わたしは、こう祈ります。
知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。
なぜあれほどまでにクリスチャンってかたくなに、一途に、あきらめずに「闘い続ける」のか。それは、キリスト教そのものが、「イエスの敗北」から出発しているからなんでしょうね。そんなことを考えました。
でも、テープおこし、もうやりたくないなぁ(笑)。
たまには昼からお家
今日は「特色選抜」。早い話がクラブ推薦なんかの入試です。なので、授業はなし。授業時数確保とか言いながら、こういう日をつくるので、矛盾しているなぁと思うのですが、業務が終わるのが担当以外は早いので助かるな(笑)。
てことで、昼から休みを取って家に帰りました。
で、しばらく懸案事項にしていた「庭の屋根づくり」に着手。
といっても、きちんとしたのをつくってしまうと、逆に何かと不便です。適当な強度があって、でも適当に撤去できて、しかも、再び設置できるというものを長い間考えていました。で、アルミか何かのポールにアダプタをつけて継ぎあわせたらいいかという結論に達し、材料を探していました。
実は、昨日いいのが見つかりました。むずかしいのは屋根の部分で、勾配があるから貼りの部分と直角にならないんですよね。はじめは自在フランジか何かをとおもっていたのですが、考え方を変えると「固定しなきゃいいじゃん!」てことで、解決。昨日のうちにだいたい材料を買ってあって、今日は足りないものを補充して組みはじめました。
しかし、狭い庭で組むのはたいへんです。高い方は250cmのポールを3本使って側をつくるのですが、そもそも場所がそれくらいの面積しかありません。てか、前の人が植えていった木が多すぎ。あっちにひっかかり、こっちにひっかかりしてなかなか立ちあげることができません。でもまぁ、なんとかやりきって、次は低い方の側。こちらは横が250cmで高さが200cm。接着剤で固定しなきゃならないのですが、横に寝かすスペースなんてありません。てことで、こいつも壁で平面をつくって固定しました。最後は屋根の部分にあたるポールを2本。とここで、最大の問題が発生。背丈が足りない(笑)。そこらにある台に乗っても足らない。しゃーないので、力業でなんとかこなしました。
最後に屋根の上によしずをはって終了。
で、できあがったのがこれ*1です。
これで雨が降ってもバーベキューができるし、夏は日陰ができて涼しいし。
なんか、一仕事終わったなという実感がわいてきますね。
*1:まだ写真をアップしてません
も、もちつけ!
朝、2年生の授業に行くと、思いっきりざわついています。しかも、人の動きが激しい。
そうか、今日は2月14日でしたか…。
とにかく、ピーチクパーチクうるさいし*1、なにやらわたしの目を盗んで口を動かしているヤツもいます。「こっちにもよこせ!」と言おうかと思ったら、すでに箱の中は空。てか、ヤツら、もちろん「本命」にはちゃんと渡しているんだろうけど、それよりも「今日はチョコレートみんなで食べ放題の日」みたいになっているんじゃないかなぁ。まぁチョコレート業界としては「してやったり」かもしれませんが、困ったヤツらだ…。
で、1年生の授業。こちらは妙に静まりかえっています。しかも、隣の教室をうかがっている生徒数人。
「ハイハイ、授業は授業、教室に入りなさい」
ということで、授業開始。
「君たちね、確かに今日はそういう日で、しかも今日は午前で帰らなくちゃならなくて*2、しかもすでに4時間目で、残されたチャンスがあとわずかなのはわかるけど、数学は数学ね」と嫌がらせをして授業に入りました。あー、歳とったなぁ(笑)。
なんてことをやっていると、突然「ヤバイ!」と叫ぶ♀ひとり。
「なにがやねん?」
と聞くと、まわりの子が
「この子、うまいこといきそうやねん!」
「ヤバイ!」とまたひと叫び。
藻前らな、浮き足立つなよな。まぁええけど…。
放課後、掃除をしているとやんちゃな生徒がひとこと吼えました。
「先生。誰にチョコレートあげたんですか!」
ハイハイ。すでにあげる人もいないさびしい人ですよ、あたしゃ…。
元気な連中だわ…。
ほぼ回復
11月にやってもた左肩の件ですが、最近会われた方はおわかりだと思いますが、「日常生活や業務にはなんら支障がないものと認めます*1」という感じになっています。
で、今日は久々に被曝しようかと思い整形外科に行くことにしました。てか、先週行こうと思ったら定休日だったし…。
それにしても、日の選択をまちがえました。激混み!そうですね。なにせ、3連休の直後ですもんね。結局診察券を出して、一回家に帰って、1時間ほど経ってからもう一度行って、さらに1時間ほど待って、やっと呼ばれました。都合2時間。そりゃぁ、某精神神経科の待ち時間よりはましかもしれませんが、夕方の待ち時間としては長いですよ…。ようやく呼ばれてレントゲン室へ。「やっぱり3連休のあとはたいへんですね」と聞くと、「いやぁ、平和な連休明けもあるんですが、今日は骨折が多いですねぇ」って、みなさん骨折かよ!平日に骨折したわたしが言うことじゃないけど(笑)。
で、レントゲンの結果ですが、「まぁつながってますね」ということでした\(^o^)/。
「スキーには行かれますか?」とのことだったので、「3月まで日がないんですけど、行きます」と答えました。「じゃぁこけないで下さいね」。そりゃ、わざとはこけませんわ。もっとも、吹っ飛んだらしらんけどね(笑)。「もしも何かあったらまた来ていただくということで、いちおうけっこうです」
てことで、3ヶ月にわたる被曝の日々ともようやくお別れです。やれやれ…。
*1:わたしの某診断書の中身
教研・3日目(最終日)
今日は、9時から1時までの半日が討論の時間。
「キャラがかぶっている人」は今日も絶好調です。わたしはというと、少々不調気味。というか、そろそろネタが尽きてきたところへもってきて、「学ぶしかない」という「デートDV」をめぐるすごい実践だったので、ほとんど論議に参加できず。
ところが、だんだんと話が深まるにつれて、ツッコミどころが出てきました。DVの予防として、アサーションスキルを身につけるというのは、たしかにわかるのですが、それだけでいいんだろうかという思いが出てきたんです。
というのは、常々気になっているのが、子どもたちの持つ「ダブルスタンダード」なんです。たしかに、人権学習の作文なんかではいいことを書いているんだけど、実際に社会に出た時にそれが生きているんだろうか。わたしたちが育てている子どもたちは「差別をしない*1」ところにとどまっていて「差別を許さない*2」ところまで深まっていないのではないかということなんです。
で、そのあとは、やっぱり爆裂!いやぁ、久しぶりに萌え燃えました。でも、そのあと「またやっちまった」って反省をするんですけどね(笑)。
分科会の最後は、オブザーバーの人たちの発言と共同研究者の人たちのコメント。よかったです。「暴力の反対は話しあうこと」というS藤さんの言葉、けっこうしみました。そうなんだよなぁ。話しあわずにものごとをすすめようと思うと、どうしても権力関係に依存しなくちゃならないんですよね。逆に、権力関係を排除しようとすると、どうしても「話しあうこと」が必要になります。そして、そこからひとつの物事を実現した時、「わたしは社会を変革する主体としての力をもちうる人間である」という力がわいてきます。これこそが、エンパワーメントなんだろうなぁ。
さらに、ふだんは決して「語らない」本部の女性部長が、わたしが参加し始めて以来はじめて語られました。すごくかっこよかったです。この場に自分がいてよかったと、心の底から思いました。
ということで、熱く長い4日間が終了。あとは、土産を買って電車に乗って帰るだけです。大分のみなさん、ありがとうございました。
それにしてもつかれた…。風呂も入れんかったし(笑)。
教研・2日目
今日は朝9時から夕方6時まで、丸一日討論の日です。
おもしろかったのは、三重の小学校のレポート。「男子トイレの出入り口にドアがないため、中が丸見えなのがイヤ」という子どもたちの思いから、子どもたち自身が校長と交渉して出入り口のカーテン設置を実現するという話。その中で「男が見られてなにが悪い」という教員とかが出てきたらしくて、みんなで大笑いをしていました。いいなぁと思ったのは、子どもたちの思いを行動にしてそれを実現していくという経験をさせたことです。こういう経験を積み重ねることで、あきらめることなく社会に積極的にかかわる態度がつちかわれるんだと思います。そういえば、何年か前、やはり同じ三重の小学校のレポートでスリッパの色についてとりあげたのがありましたが、これもおもしろかったなぁ。近所の雑貨屋のおじちゃんに働きかけて、自分の好きな色を買えるようにしたというレポートでしたが、同じ流れですね。
なかなか高校ではむずかしいところはあるのですが、学びたいなぁと思いました。
てな謙虚なことは書いてはいますが、もちろん2日目も爆裂。もう、発言の機会があれば、ほとんど発言し続けるという迷惑な存在になってしまいました。ま、わたし以外にそういう人、もう一人いましたが(笑)。
夜は、異種格闘技戦。
通常、丸一日分科会の夜は、各単組ごとに交流会をするそうな。ところが、うちのように参加者がほとんどいない単組にとって「一人で飲めっつーのか!」ということに他ならないわけです。そりゃぁ、それぞれの分科会の報告をするとかいろんな目的はあるんだろうけど、せっかく全国から参加者が集まってくるんだから、各分科会ごとに交流会をする方がはるかに意味があると思うんですが…。
てことで、わたしが「両性」の分科会に参加して以来、「分科会参加者で飲みに行こう!」とみなさんを誘うことにしています。さらに今年は、「両性」と「人権教育(略称「人権」*1)」の合同飲み会を企画してみました。さてさてどうなることやら…。
で、会場は朝鮮料理の店。集まったのは20人ちょっと。もう…。すごかったです。
もともと「両性」も「人権」も根っこは一緒です。ところが、それぞれが分化していくなかで、少しずつ足りないところが出てきているような気がしてならないんです。
「人権」には、あきらかに「ジェンダー」の視点が欠けています。なにしろ、分科会の会場にはいると、いきなり「白黒の世界」です。居並ぶみなさんはとてもこわそう(笑)。もちろんそこからすぐれた実践が出てきているのですが、やはり「なんだかなあ」なわけです。
一方、「両性」には「実践」が不足しているように思えてしかたがない。この厳しい状況の中で、みなさんたしかにすごいとりくみをされているし、「へ〜!」と新しい世界を見せつけられる実践もあるのですが、なにかが足りないんです。子どもたちがみずからを「社会をよりよくするために変えていく主体」としていくところまで迫りきっていないんじゃないかという感じが、なんとなくするんです。
ところが、両方に参加した経験からすると、「両性」と「人権」は互いに棲み分けをしてしまって、交流がない。というより、敬遠しあっているのではないかという気までしてしまうのです。これはあまりにももったいない。
ということで、そこの交流を目論んでみたというわけです。
で、飲みはじめたら…。はじめのうちは、互いに垣根があるような気がしていたのですが、だんだんと「図々しい人」が強引に話をすることで*2、だんだんと垣根が低くなっていったような気がします。
大分行きの最終の時間が来た*3ので、やむを得ずお開きになるまでの約3時間。濃いぃ時間を過ごさせてもらいました。また来年もやろっと!
その後、中津行きの最終までの時間、もう少し呑みたいという人や、1次会には出られなかったけど合流したいという人*4を交えて2次会。さらに、地元の人たちに連れられて3次会と流れて、えらい夜になってしまいました(笑)。
ホテルに着いたのは、2時過ぎ。倒れるようにして寝ました。
のり平@別府
かつて東ジュンさんと別府の路地裏でお好みを食べたことはあるのですが、残念ながらその店はなくなっていたのか探し出すことができませんでした。いや、見覚えのあるところまでは行ったのですが…。てことで、どう考えても「ムラ」じゃないところですが、とりあえずお好み焼き屋さんを教えてもらい食べてみました。
別府では特に「別府ふう」というのはないようで、それぞれの店が自分のところのオリジナリティで勝負をしているという感じでしょうか。この店のメニューを見ると「関西風」と「うす焼き」とあります。「どっちがこの店のおすすめですか?」と聞くと、「うす焼きです」とのことだったので、そちらにしました。
まぁ言ってみるとベタ焼きです。ただし、具はキャベツというよりはもやしという感じです。それに焼きそばを載せて半分に折ってお皿に盛りつけておられました。
食べてみると、けっこう生地がもちもちしています。これがなかなかおいしいです。なるほど、強力粉を混ぜるとベタ焼きがおいしくなるのかぁと納得。
しかし、量が多い。やっとの思いで食べきりました。
data
お好み焼き(豚玉・そば入り) | 650円 |
瓶ビール500ml(笑) | 500円 |
スタイル | ベタ焼き系(混ぜ系もあり) |
その他 | おしゃれなふつうの店、ビールにはイカ焼きのアテがつく |
独断的評価 | ★★☆☆☆(ディープさがないのはしかたないですね) |
教研・1日目
起床は午前5時半。6時に集合してバスに乗りあわせて教研の会場へ。さすがにバスの中では寝ました。会場に着いたら7時…。全体会の開始は9時なんで、もう、すごい余裕です。もっとも、道路が混雑している可能性が高いので、しかたないんですけどね。
会場近辺はものすごい警備です。なんでも、U翼の人たちが全国から来られるとのこと。そうか、教研って地元にとったら2重に経済効果があるんだ(笑)。
会場の前では、赤い旗がたなびいています。Kクマル派のみなさんです。
さて、本日午前のメインは、CWニコルの講演。自分の子どもの頃の話からはじまって、空手がしたくて日本に来たこととか、日本に来た当初の話とか。
ニコルから見たら、自然*1と街*2が同居する国は日本だけだそうです。そして、流氷と珊瑚礁が同居する多様性を持つ国も日本だけだそうです。そんな日本がとっても好きなんだそうです。そして、その「美しい国・日本」*3の自然が破壊されていくことが耐えられない。そこで、「恩返し」として森の再生をはじめたと。
このあたりの話までは、なんだかなぁという感じでした。まぁそりゃそうかもしれませんが、一方で「民族意識」みたいなものとしては、あまりにも単一思考で、在日外国人への同化と排外を強いている。まぁ、そりゃあんたは白人だから…。みたいな。
ところが、このあたりから話は変わっていきます。
「恩返し」は「森」だけじゃなくて、虐待を受けた子どもたちの「再生」にも結びついていくんですね。自然とふれあうことで、虐待を受けた子どもたちに笑顔がもどっていく。そんな姿を写真で見せられた日にゃぁ…。そうだよなぁ。わたしもずっとやってたよなぁ*4などと思っていたら、気がついたら泣いていました。
おそるべしCWニコル!単にS名誠とたき火で遊んでいるだけじゃなかったんだ(笑)!
てことで、午前の全体会は終了。昼ご飯と燃料を補給して、午後から分科会。わたしが参加したのは「両性の自立と平等をめざす教育分科会(略称「両性」*5)」です。
分科会の開会のあいさつを聞いたら、「今年も長い3日間がいよいよはじまるなぁ」という気がしてきます。
分科会には全国から集まったレポーターとオブザーバーが参加します。基本的には、オブザーバーとしてまで参加したい人は、実践も豊富だし、理論もすごいです。でも、討論への参加は、原則としてレポーターだけ。で、レポーターについては「しゃべり」もいればおとなしい人もいます。わたしがどっちのタイプかというと、もちろん前者なわけで…。なので、意図していないのですが、いつも目立ってしまいます。困ったことだ…。もちろん、今年も初日からかなり目立ってしまいました^^;;。
ところで、似たような人はやっぱりいます。2年前にもキャラがかぶる人がいたのですが、今年もおられました(笑)。なんしか、わたしが手をあげて、ひょいとその人を見ると手をあげています。人の話へのリアクションも似ています。さらに「できるだけたくさんの人の意見を」みたいなことを言われると、胸を押さえながら「ズキズキー!」とかやっているのも同じ感じ。
てことで、夜、呑みに誘いました。他にも何人か誘って、別府の街へ。飲み会は、他に、大分の若いFTMの当事者もいて、全部で6人。おとなしいと言えばおとなしいのですが、まぁ、一日目ですから。でも、FTM当事者の話を聞きながら、みんなでいろんな話を共有できたいい一晩でした。
その後、4人の方は帰られ、わたしともう一人は別のグループと合流して、さらにもうひと呑み。でも、1時頃にはさすがに眠たくなったので、おいとましました。考えてみたら、22時間ぐらい起きてたな…。