今日は、いつもお世話になっているNPO法人JUMPのS輔さんと、サポートをしてくださる予定のNさんの引きあわせ。
とりあえず大阪に行って、S輔さんと合流。かなり緊張しています。まぁそりゃそうでしょうね。サポーターになってくださるかどうかという緊張感と、初対面の緊張感と。ちなみにわたしはまったく緊張していませんが(笑)。
「とりあえず晩ご飯を食べに行きましょうか」
ということで、近くのホルモンのお店へ。
生○○ーなんかをつつきながら、S輔さん、NさんにJUMPの説明をしています。時々かむのが初々しいです。でも、わたしもはたしてNさんがどういう反応をされるかよくわかりません。さてさてどうなるやら。
と、Nさん
「わかります。自分も同じような経験があります。意味のある活動ですね。サポートします」*1
と、予想とはまったく違う、というよりも予想以上のすごい答えが返ってきました。
気がつくと、NさんとS輔さん、
「元ヤンどうし」
とか言って、えらい意気投合しています。
それにしても、Nさん、すごい優しい人だなぁと思っていたんだけど、その優しさの裏側にはそんな挫折や経験があったんだなぁと、はじめて知りました。
わたしにとっては、サポーターになってくださったことよりも、そういうNさんと出会い直せたのがうれしかった*2
応用問題
今日も某クラスは特別授業。今日とあと一回で、とりあえず一通り網羅できます。
にしても、衝撃を受けたのはある生徒の一言。
「この問題が出たら解けるのに、いつも応用問題ばかりやから解けへん」
え〜と。
きみが言う「応用問題」って、もしかしたら数字を変えたものか?
例えば、例題で
「x^2を微分せよ」
が出てきて、これの解き方はわかったと。で、試験で
「x^3を微分せよ」
が出てきたら、これは応用問題だと。
さすがのわたしも絶句しました。
でも、もしかしたらそうなのかもしれない。
中学校時代
「x^2の微分がわかったら、それを応用すればx^3の微分がわかる」
みたいなことを言われていたら、数字を変えただけでも応用問題に見えてしまうのかもしれない。そりゃぁ解けた時の充実感はあるだろうけど、問題のハードルを自分であげている気がするんだよね。
勝負!
某学年の授業、今年は敗北感でいっぱいでした。このままでは、ほんとうにどうしようもありません。
てことで、とうとう「生まれてはじめてパターン」をやってみることにしました。まぁ、はじめての試みは、いつでも「生まれてはじめてパターン」なんですけどね(笑)。
まずは、教室は移動。
理由は
1、いらないものを持ってこない
2、席を自由に設定できる
です。
考えてみると、わたしたちは教室に行く時不要なものは持って行かない。でも、子どもたちは不要なものに囲まれています。だから、あえての移動教室です。
あと、今回は首にひもが掛かっている子どもたちを対象に授業をしようと。となると、そういう子どもたちが自分の意思で前に座って授業を受けることを可能にしなくちゃなりません。ふだんは、
「勝手に席を動くな」
っていわなくちゃならない。で、動かすにしても、誰かをどけなくちゃならない。それはかなりめんどくさいです。てことで、
「自分で勉強できるヤツは後ろでやっとけ!」
みたいなことをやろうと。
さて、どうなるか…。
ふたを開けたら、見事にはまりました。
てか、これだけやって乗ってこなかったら、さすがにアウトやろ。
ある妥協
朝、パートナーに
「ワイヤーがささって痛いねん」
というと、パートナーは躊躇なく
「そういうのはな、抜くねん」
と教えてくれました。
ワイヤーがつきだしていて捨てようかと思っていたのからワイヤーを抜くと、見事に復活。そして楽!
もう後もどりできないです。妥協ってこういうことなんですね(笑)。
某研究会にて
午後から出張で某研究会へ。
後半は分散会にわかれてレポートを聞いたのですが…。
なんというか…。
某私学のレポートなんですが、がんばっておられるのはわかる。それも、すごいおもしろいことをやっている。うらやましいほど。
でも、それが「いい生徒」をとることにつなげているのがありあり。それがねぇ。結局パイのとりあいにしかなっていない。いや、私学の経営を考えたらそういう方向に走るのはいたしかたないところがあるのはよくわかります。ましてや、底辺層を引き受け続けてきたから、そうなるのはわかる。でも、そういう自分たちに
「なんだかな」
と思いながらやっているという躊躇感がほしいなぁ。
ま、うちも一緒か…。ひとのこと言えないな。
某市立のレポートなんですが、がんばっておられるのはわかる。でも、そこに行っている子どもたち、京都府全域から集めた超エリートでしょ?保護者もしっかりしているし、卒業生もしっかりしている。
生徒指導をしたら保護者から文句が来たり、地域の人たちから石が飛ぶような苦情が来たりというところでは、はっきり言って、ない。たぶん教育委員会とかあちこちからふんだんにお金も出ている。
まぁ、しっかりやって、エリート層を育ててくれと。うちと比べた時、京都の教育が、日本の教育がどこを目指しているのかよくわかりました。
はぁ…。
でも、この中でやるしかないか。
再始動
夕方、久しぶりにジャージに着替えてグランドへ。
ふくらはぎはピキッっていわないかな…。おそるおそる走って30分。大丈夫でした。よかった…。
朝起きたら
朝起きたら、「なんかもう」な状態です。
とりあえず、モーニングチューハイをプシュ!元焼きたてのパンをもしょもしょ。おいしいです。
そうこうするうちに、みんな起きてきました。
あちことでプシュ!という音が聞こえます。最低です。
そのうちK野さんがうどんをゆではじめます。で、できたのが釜玉とか生醤油うどんとか。やはり、釜玉は食べなくちゃなりますまい。ん、うまい!
てなことをしながら、食材を消費していると、あっという間に昼前です。てか、動く気配ないけど…。そうこうするうちにMちゃん初登場。なにげに違和感なく混じるあたりがすごいです。
しばし昼下がりの宴会を楽しんだところで、今日は久しぶりの「わかば」へ。やはりK野さんにここのすじ肉を食べてもらわなくちゃなりません。
てなことで、気がつけば朝から夕方まで宴会です。みんな、なんの躊躇もなく呑んでます。すごい人たちです。
でも、わたしはMちゃんがちょっとしんどそうなので、お先に失礼。いや、実はわたしもしんどかったんですけどね^^;;
まぁ、みんな放心状態で呑んでたから、たぶん時間の問題だな。
まだまだ続く
で、向かったのは東九条。今日からあしたにかけて、在日外国人生徒交流会卒業生の会の新年会です。新大阪からの参戦組は、わたしを入れて4人。当然わたしが守山まで乗り越さないためのガード役です。てか、まだ9時やって。
で、会場に着くと、5人しかいない。しかも、うち3人はさっきまで新大阪にいた人たち*1です。いや、徳島から交流会に遊びに来るのも大概ですがね。でも、会のメンバーはIローとその妹のふたり。ダメじゃん。まぁいいや。とりあえず食べ物つくって呑みましょう。
そうこうしているうちにT―マスとNぎちゃん登場。
あまりにも人数が少なすぎます。さっそくT―マスはBんちゃんに電話。
「今日は強制や」
向こうでなにやらベタなギャグを言っています。みんなで腹を抱えて笑います。ダメ人間の集まりです。
12時をまわった頃、さすがにわたしはダウン。
*1:K渕さん、K野さん@徳島、K原さん@徳島
いっぱいいるなぁ
交流会が終わったら、交流会をサポートしてくれた人たちと打ちあげ。軽く10人は越しています。これでもずいぶんと帰られた。
わずか5〜6人の中高生の当事者のために、これだけの人が集まる交流会になったんだなぁ。その気持ちを、きっと子どもたちは感じてくれていると思います。
「世間や学校の理解はまだまだ」
という意見もあります。でも、わたしはそうは思わない。これだけの人が集まるところまで来たんだと思っています。そしてこの人たちは確信犯です。ぜったいにもとにもどることはない。だから、身近なところで理解を広めていってくれます。そうやって理解は広まっていく。
そんなことを思いながら、心地よい「酔い」を楽しむひとときでした。
てことで、9時に撤収。
新大阪へ
朝、6時起床。外へ出るとこんな景色。
笑っちゃいました。
でも、とにかく帰らないといけません。雪道を延々とドライブしてお家へ。
にしても、なんで一番混んでるのが京都市内なんだ?そりゃぁ、道はまだ薄く凍結してるさ。そんな日にノーマルタイヤで走るのはやめようよ。スクーターはあかんて。タイヤがつるつるやし。ほら、自転車こけた。こわっ!
で、新大阪へ。今日はトランスジェンダー生徒交流会です。
最近大人の人の参加も多いのですが、それはそれでいいかと思いはじめました。いや、かつては大人の参加は極力絞っていたのですが、みなさん、「手伝いたい」と思ってくださっているんですね。そして、余計な口出しをされない。どちらかというと、子どもたちを見守りたい人たちなんです。だから、来てもらえばいいと思いはじめました。
で、交流会をまわすのは、20台くらいのサポーターの人たちです。子どもたちの会話をつなげるために、いっぱいいっぱい子どもたちに声かけをしてくれます。ほんとうにありがたい。で、わたしがやっているのはビールを呑むことと、チヂミを焼くことと、餃子の皮をつくることくらい。どんだけ楽やねん。
と思っていたら、やっぱり20台の人には深く心をえぐるツッコミはきついみたいです。こういう時が年季の入った人間の出番でしょう。
「で、君はこれからどうしたいの?」
とツッコミを入れます。
こんなところに来て「どんな音楽聴くの?」は必要ないです。いや、スタートとしては必要なんですが、15時をまわってそれは必要ない。じゃなくて、
「いまどういう状況に自分はいるのか」
「自分はなにに困っているのか」
「自分はこれからどうしたいのか」
「それをするにはどうすればいいのか」
「でも、あきらめることはできるのか」
そんなことを、言葉としてまとめながらみんなに向かって発することが大切なんだと思います。そして、聞いている人間はそれに返すこと。特に先輩たちは、自分の経験を語ること。そうやって継承がされていく。
それは1対1の関係ではできないことです。交流会だからできることだと思います。
今日も最後の1時間はハードでした。でも、これをくぐった時に、子どもたちの表情が柔らかくなり、笑顔が見えてきます。その笑顔を見るために、交流会を続けています。
ちなみに、わたしも身体がぐったり。いや、けっして飲み過ぎなんかじゃありません(笑)。