無謀な企て(1・2・3)・徳島合宿(2日目)

朝起きたら快晴です。秋のキャンプ場の朝はとても気持ちいい。オープンテラスで玉子かけご飯をかっこみます。
で、いよいよ、本来の用事をしにスタート。
今日はとある高校で、朝・昼・夜と3回お座敷があります。

  • 朝の部(1)

まずは朝の部。某高校の昼間定時制の生徒さんたちに話です。
生徒さん相手に話をするのは、実は大人相手よりもはるかにパワーが必要です。なぜなら、ほんとに反応が正直なんです。おもしろくなかったり興味が持てなかったりしたら、はっきりと態度でわかります。逆に興味を持ってくれたら、それもまた態度でわかります。で、真ん中はない。
さて、今日の生徒さんは関心を持ってくれるかな?
話はじめると、たしかに私語をしている生徒さんもいますけど、寝ている生徒さんもいますけど、ガッツリこちらを見つめてくれている生徒さんがいます。後ろの方の生徒さんもこちらを見てくれています。意識がこちらに向いているのが伝わってきます。夢中でしゃべること1時間。なんとか終わりました。
終わってからの生徒さんの謝辞がすごかった。あんなに的確に内容を把握し、自分に引きつけて話を聞き、それを簡潔にまとめた謝辞は、たぶん今までほとんど聞いたことがありません。その謝辞に心を揺さぶられながら、午前の部は終了です。

  • 午後の部(2)

お昼の時間は各課程の人権担当の教員の方々と昼ごはんを食べながら懇談。で、1時間ほどのインターバル。「マニュアル化」を巡って、激しいやりとりの応酬がありました。
で、午後の部開始です。
午後の部は3課程合同の教職員研修です。
教職員研修は、ある意味楽です。てか、一番慣れていますからね。ここは新ネタでこなします。ちゃんとウケてくださる方もおられて、ホッと一息です。

  • 夜の部(3)

ここでK原さんとK淵さんが登場。さらに他校の生徒さんもおふたり登場。なんかもう^^;;。で、夜間定時制の生徒さん対象のお座敷開始です。
実は、今回最もハードルを感じていたのはここでした。おそらくはみなさん、いろんな経験をしている。そんな経験から考えていることと、わたしがわたしの経験の中で考えることは、ある種イーブンです。いや、わたしよりも生徒さんのほうが豊富な経験や思考をしている可能性すらあります。そこでわたしの話が通用するのか?
フタを開けてみると、3回のうち一番すごかったのが、夜の部でした。最前列で腕組みしながら半眼で聞いている大人びた生徒さん。身体を乗り出して、片時も見逃すまいと話を聞いてくれる生徒さん。眠気と闘いながら、時に寝ながらも、それでも起きて再び聞いてくれる生徒さん。ある箇所でいきなりジブンゴトになったらしく隣の生徒と話はじめる生徒さん。そして、わざわざ他校から聞きに来てくれたり、仕事を終えて駆けつけてきたり。そんな生徒さんに支えられて、少しずつ「話せるかな?」と思える場所が広がっていきます。
話の途中で、たまりかねたのか、質問が口をついて出てくることもあったり。なので、終わってから「質問ありますか?」ってやったら、これまた質問が出てくる出てくる。どころか、意見も出てくる。終わってから握手を求めてきたり、話に来てくれたりする生徒さん。
ほんとに「聞いてくださってありがとう」と、心の底から思えるひとときでした。
外に出ると、皆既月食。月も味方をしてくれたかな?

無謀な企て(0)・徳島合宿(1日目)

夕方、某駅に集合して車でスタート。けっこう道が空いていたので、スイスイと走って、暗くなる頃には徳島のとあるキャンプ場に到着。
そこにはいつものK野さんがおられるわけです。
で、さっそく呑みの開始(笑)。
そうこうするうちに、K原さんとかYっしーさんとかSかきさんとか、続々と集まってこられます。てことで、宴会開始!
なんでも今回のメニューは、そばつゆで食べる豚しゃぶらしいです。たしかにおいしい!
それにしても、平日の夜にいったいなにをやってるんだ状態なわけですが、まぁいいでしょう。
飲めば飲むほど、いつもの通り、話はディープに落ちていくわけです。
てことで、1時半くらいに沈没。
明日、たいへんなのに、こんなことやってていいのか?

台風一過とはならんけど

朝、暴風警報が出ています。子どもたちは自宅待機です。が、わたしたちは勤務(笑)。でも、電車はとまってます。えーと。振替輸送か。えらい歩かにゃならんなぁ…。まぁ、運動です。
職場についたら仕事仕事。落ち着いて仕事できる数少ない機会です。
途中、決戦の時があったりしてグッタリと疲れたけど、いろんな人がいろんな知恵を出してくれて、やはりひとりで考えないことのメリットってあるんだなと。
暴風警報が解除されたので、午後から授業。とはいえ、試験前だからなんもないんですけどね。
で、夕方までバタバタと用事をして、暗くなったら帰りましょう。

帰り道。すっかり寒くなりました。
台風一過とはならんけど、確実に秋ですね。

一日沈没

なんか、夕方、妙に眠くなっておふとんに入ったら、そのまま寝ちゃいました。
晩ごはんを食べてお風呂に入って…。眠くなって、そのまま寝ちゃいました。
ま、今日はこれでいいのかもしれません(笑)。

てことで呑み

さすがに3時間半のシンポは疲れました。
てことで、関東に帰られる鶴田さんを康さんとわたしのふたりでお見送り。もちろん、軽くいっぱい飲むわけですが^^;;。
で、しばし本日の総括。というよりも、お疲れの康さんを慰労してたのかな。

その後、正規の懇親会。
なんか、端っこの方でグダグダと。いつもの通り、動くのがめんどくさいんですよね。

で、康さんと近くのバーで二次会。
なんか、しっとりと話してた気はするのですが、ほとんど支離滅裂だったかもしれません。でも康さんはしっとりしてました。お酒、強いわ^^;;。

脱精神医療

今日は東優子さんvs康純vs山本蘭という、ガチンコバトル興味深いシンポジウムがあるので行くことにしました。
会場について、いろいろあいさつ。と、そこに鶴田幸恵さん登場。うわ、千葉から来たんだ。
てことで、隣に誘って、一緒に聞くことになりました。
東さんは、国際的(ここでいう「国際的」はアメリカ限定ではなく「国際会議」的)な流れを俯瞰して、そこから日本の状況を「問う」って感じの話でした。
康さんは、精神医療の立場から同性愛の脱精神医療化の話と並置させながら「今の状況」を語られる感じの話でした。
山本さんは、当事者組織の代表として、当事者のニーズに力点をおいて話されるって感じの話でした。
おそらくは三者に一致しているのは「脱精神医療」という観点かな。もちろん「じゃ、どこに医療との接点を置くのか」というテクニカルなことはあるにしろ、「医療的なアプローチは不要」とはならないということは一致しているのは気がしました。
まぁ、それは当たり前であって、なんらかの「身体改造」を必要とする人がいるわけで、それを医療から切り離すことはやはり厳しいわけです。ただ、違うのは「軸足」と「広がり」の問題かなと思いました。それを象徴していたのは、山本さんの「わたしはトランスジェンダーというのは嫌いです」という言葉だったかな。つまり、「身体改造が必要となる人に限定したより狭いレンジで考えたい」ということかなと思いました。そして、社会に対する問題意識も、そういう人がより社会に適応しやすくするためにはどのような制度の整備が必要かというところから考えておられるように思いました。
実は、わたしとしては「その狭いレンジの人についてはほぼ一致」なんですよね。ただ、違うのは「より広いレンジで考えた時にどうするのか」というところなような気がしました。わたしはその「広いレンジ」は「あり」と思っている。山本さんは「なし」と思ってる。で、それがそれだけのことであればバッティングはしないのですが、山本さんは「なし」ではなく、もう少し端的に言うなら「ダメ」と考えておられるように思いました。
で、仮にこういう聞き方が正しかったとしたなら、わたしと山本さんでバッティングするのは、このような「広いレンジ」なんだなと思いました。

人権の専門家

よく職場で「人権の専門家」とか言われます。たぶん、ものすごくいろんな意味が込められてるんだろうと思います。まぁ「鬱陶しい」とか「めんどくさい」とか「好きもの」とか、その他諸々(笑)。
でも、ずっとわたしは「人権の専門家なんていないよ」と思ってきたのですが…。
あえて「人権の専門家って存在する」って言ってもいいような気がしてきました。
例えば…。
野球の専門家がいるとします。豊富な知識もあり、豊かな実践を重ねている。そこには、もしかしたらいろんな他のことよりもそれを優先し、それにかけ続けた結果として得られる膨大な経験と理論がある。
じゃ、人権の専門家がいるとします。豊富な知識もあり、豊かな実践を重ねている。そこには、もしかしたらいろんな他のことよりもそれを優先し、それにかけ続けた結果として得られる膨大な経験と理論がある。
たぶん同じです。でも、前者は専門家として自他ともに認めることは可能かもしれないけど、後者はどこかに「?」が入り込む。
ま、野球は普遍ではなくて人権は普遍ってことはあるかもしれない。でも、そこでいう普遍さと専門性の有無は少し違う。
で…。
おそらくは専門家同士の間には、いろんなことはあるだろうけど、やはり謙虚さと尊敬がある。例えば、人権を専門的に追求している人たちの間にもそれはたぶん(笑)あります。
逆に言うなら、専門家と非専門家の間には専門家同士の間にある「それ」はなかなかない。なぜなら、「わからない」からです。
そして、イーブンに論議をしようとする。でも、それはきついと思うのです。

これ、教育を語るときにも同じようなことがある気がします。
なんか、「教育」も「人権」も、いまや居酒屋談義で語れてしまうレベルって意味で、同じなのかもしれない。

打ち合わせ

今日は、とある講演会の打ち合わせ。いや、わたしが打ち合わさせていただく側です。
打ち合わせの中で、「その課題」についていろいろ話を聞かせてもらいました。ほんとに、自分が何もわかっていなかったことに気づかされます。だからこそ、もっと聞きたい、もっと知りたいと思いますよ。でも、もっと聞きたければ、もっと知りたければ、やはりそれなりの自分からの「対価」を払わなくてはなりません。自分の中から「絡み合う経験」を探します。
「絡み合う経験」と「同じくらいのしんどさの経験」は、まったく違います。後者を出すのは不可能です。前者は…。それを「絡み合う」と相手が認めてくれれば大丈夫。じゃあどうすればそれを「絡み合う」と考えてくれるのか。それは、その経験を出す側が謙虚さと誠実さを持って出していることが伝われば、きっとそう受けとめてもらえる。じゃ、どうすれば謙虚さと誠実さを持てるのか。それは「自分が正しくあろう」と思わないこと。自分が不完全であることを引き受けること。そして、そういう自分を掘ること。
なんか、そんな気がします。
で、つながる。そして、互いに互いをさらに深く掘る。

そんなことを実感するひとときでした。とても心地よかった(^^)。

あとからジワジワくる

ふいに出会ったフォビアは、その瞬間は「キョトン」なんですけど、あとからジワジワきます。そしてそれはなかなかひかない。もしかしたら、一生ひかないかもしれませんね。仮にひくとしたら、そのフォビアを打ち消す「なにか」があった時、それに相殺される感じで消される。
「ひく」という受動ではなく「消す」という能動。そこには打ち消してくれる「他者」と、消そうとする「わたし」の両者の意志が働く。
いや、「消す」は消えるからなくなることになる。そうではなくて、そこに存在し続けるけれども、「つ」になるということ。「無化」かな。

とりあえず、まだ「つ」にはなってないけど、「やる」ことが「つ」へとつながる行為。そこに「他者」はいるはず。そしてすでにいる。

とりあえず書く

とにかくひとつ仕事が決着ついたので、次のタスクに移ります。
考える→探す→読む→考える→書く。
ひたすらこの繰り返しです。でも、これをしないことにはどうしようもない。山のいただきはまだまだ遠方にあります。たまには顔をあげて山のいただきを見たい気がするけど、それをやったら「雑念」が混じります。とにかく一歩一歩前へ進むこと。