人のことは言えないけど

今日は散々な一日でした。なんか、いろんなところから「あれはまだか」「これはどうした」「これやって」「あれやって」とせっつかれまくり。しかも、別にそれ、わたしの本来の仕事とちゃうし。わたしも、日によってはほとんど限界のところで生活してるから、そこにほんの小さなものでも積み重なった時、あっけなくひっくり返ってしまいます。

なんか、たぶん、人にものを頼むって、簡単なんです。例えば「これ、調べて」「これ、翻訳して」「こんなの、できない?」。すべてワンセンテンスです。でも、それにこたえるためには「考え」「調べ」「整理し」「返す」といった、いくつものステップを踏まねばなりません。考えたり整理したりするためには脳みそのリソースを使います。調べたり返したりするためには時間のリソースを使います。つまり、それなりの労力を使います。そして、それがいくつか集まると、それなりに大きなリソースを必要とします。
ところが、「気軽に頼む人」は、たぶんそれを簡単なことと思っている。まぁ「できるだろう」と思っているんでしょうね。そして、たぶんさらに、その人にものを頼んでいるのは「自分だけ」と思ってる。だから「これくらいできるだろう」と思っている。だから、気軽に頼める。
ところが、そんな依頼がいくつか集まると、「なんなんだ!これは!」となってしまう。わたしにはわたしのやらなきゃならないことがあって、そのリソースを割いてそれをしなきゃならないのに、そこへの「申し訳なさ」がないと、ほんとうにイヤになってきます。

ちなみに、頼まれてもイヤな気持ちにならないこともあります。それはどんな時かというと、人にものを頼んだ時、相手がそれに対してどれほどのリソースを使っているかがわかっている人からの依頼です。
たぶんそういう人は、ものを頼む前にずいぶんと考え、調べ、整理をしている。つまり、リソースを使っている。そのうえで、やはりどうしようもないから頼む。すると、こちらのリソースの使い方はずいぶんと軽減されます。そしてなにより、「頼まれる側」のリソースを使わせることへの申し訳なさがにじみ出ています。例えばそれは言葉の選択であったり、文章の構成であったり、その他さまざまなところに出てきます。そういうものを受けとると「あー、こたえよう」という気になる。

もちろん、わたしもずいぶんと人にものを頼む人です。なぜなら、わたしひとりでできることはたかが知れているからです。人に頼まないと動かない。そんなことをたくさんしているからです。
せめて、頼まれた人が「いいよ」と快く引き受けてくれる頼み方をしなきゃなと、あらためて思います。

南へ北へ

今日の午前はおべんきょの日です。なので、大阪市のさらに南まで移動です。御堂筋線では「これがラッシュというものか」という混み方に出会いましたが、ふた駅で解消して座れたりして。
で、ひとつ用事をすませてからのおべんきょタイム。あいも変わらず、ほんとに楽しい。自分の少ない知識*1にも、みなさんきちんと拾ってくださる。そんなとき「仲間に入れてもらってる」感がジワジワきます。そして、みなさんのおべんきょ分野にまつわる話から発展していく話題がまたいい。ほんとに帰りたくなくなりますね。
でも、午後からは京都府中部に出張です。急いで駅までもどって、再び車中の人に。
午後の会議では、少し腹立つというか情けないというか、そんな話があったりして。でも、来年度へ向けた話もできたからいいかな。
そして、夜の会議へ向けて再び大阪へ(笑)。
今回の夜の会議は比較的短時間で終わったので、そのまま呑み会。昨日のデータにまつわる話も少し出たりして、これもまたまたおもしろかったです。
てことで、今日は終電前におひらき。まぁ、寒いし、雪が積もってたらあぶないですからね。

平和だわ。

*1:リッチの読書会にフックスをぶつけて「フックスの方がいいなぁ」みたいな

当たり前のことを当たり前に

朝、なんとか起きました。
昨日は夜8時に寝て、一度1時に起きて、そこからまた寝たから、9時間くらいは寝てますね。でも、寝たりない。とにかく眠いまま出勤。眠いまま仕事。でも、眠いから、淡々と仕事ができて、いらんこと考えないからかえって雑務は進みます。
で、夕方、やるのはめんどくさいけど、どうやらやらなきゃしゃーない雑務に突き当たりました。それはなにかというと、「授業アンケートの分析」らしいです。
これ、前から「あまりやる意味ないよなー」と思っているムダ仕事です。だって、そんなん、生徒の顔を見たらわかることです。でも、どうやらそういうものではないらしい。
ちなみに去年はあまりにも忙しくてほったらかしていましたが、今年は口実もないからやらなきゃしゃーないなと。で、同僚が集計してくれたデータを見たのですが…。まぁ、はっきり言ってうれしいのはうれしいですね。ふだん心がけていることが数値となって返ってきたわけですから。
例えば…。
「先生は、生徒の発言や意見など反応を大事にしている」に対して「そう思う64.1%」「だいたいそう思う33.33%」「あまり思わない2.56%」「思わない0%」です。これ、母集団が39人なので(笑)、2.56%は、言い換えると一人ってことです。まぁ、一人いることはそれはそれで大事に受けとめなきゃならないわけですが、でもまぁ、相性ってものがあるので、そんなこともあります。おおまかな傾向としては、大事にしてると考えてくれている生徒がほとんどってことです。
でもこれ、当たり前のことを当たり前にやれば、当たり前に出てくる数字です。
子どもが質問できるような雰囲気をつくる。子どもの質問を拾う。子どもの質問に答える。それだけのことです。
で、授業なんてのは質問でつくられるものだと思ってます。だって、質問がないんだったらビデオテープ(笑)を流せばいい。テレビですら双方向なんだから、授業は当然双方向です。
だから、うれしいけど、それは「当たり前のことをやろうと心がけていたら、子どもたちが受けとめてくれた」といううれしさなんです。
そして、当たり前のことを当たり前にやったら、子どもたちはそれにこたえようとしてくれる。だから雰囲気は学習しやすくなるし「41.03%、53.85%、5.13%、0%」、知識や学力が身についたとも感じてくれる「28.21%、48.72%、17.95%、5.13%」。
でもこれ、逆に言うなら、子どもたちががんばったおかげでこの数値になるわけです。
だから、集計してくれた同僚が「すごいですね」って言ってくれた時のわたしの答えは「だって、あのクラスだもん」でした。

さてと。
分析、どうするかな(笑)。

これはまずいわ

玖伊屋の朝は、完全にクズです。
とりあえず「ほろよい」が飲みたかったけどなかったので、仕方なくモーニングビール。でも、さすがにハードです。そんな時目に入ったのは赤ワイン。アカンと思いながらも、つい飲んじゃいました。
で、11時くらいまでダラダラしてたけど、このままではどうしようもないので、片づけ開始。みんなでバタバタやったら、なんとか1時にはならないくらいの時間には片づけ終了。
その後、おたふくへ。なんだかんだとしゃべっていたけど、気がついたら寝てました(笑)。
なんか、焼酎ばかり飲んでたらしんどいなぁ…。温かいものがほしいなぁ…。ラーメン?と思ったけど、それよりもしんどさが勝ちました。はやくおふとん入りたい。
てことで、バスに乗って…。で、ここでも延々と論議があったりして。さらにバス停でも論議があったりして。30分ほど寒空で話し合って解散。
お風呂に入って身体を温めたところで限界が来ました。もう寝よう。8時か…。けっこう寝られるな(笑)。

玖伊屋だな

今日の昼間は某在日外国人教育関係の会議です。午前の会議と午後の会議を無事終えて、いったん飲み会(笑)。
で、飲み会を中座して、別の場所でサシ呑み。それにしても、まずいビールを呑んだあとのちゃんとしたビールと赤ワインはうれしいな。心が洗われるようです。
で、玖伊屋の会場へ。すでに会場は思いっきり温まってます。とりあえず、あわてて白菜を切るなど。まぁ、今日のメニューはピェンローですから、楽といえば楽です。が、干ししいたけがもどしきれてない。
「軸のところがまだ固い」
って言われたので
「それ、アルデンテ」
とか言ってごまかしておきました。
そんなこんなで、「歴史の重要性」みたいなことを熱く語ったりして、何時まで遊んでいたんだろ。最後はゼンマイが切れたみたいに横になった瞬間に爆睡です。

まぁ、なにがなんということもなく

とにかく仕事がたまっています。それも、けっこう大きめかな。
例えば、2学期にとった「授業アンケート」のまとめ。まぁ、わたしは1クラスだけだから、楽といえば楽です。というか、若い同僚がマークシートリーダー使って集計してくれたから、それを使えば簡単っちゃぁ簡単です。ちなみにその同僚
「すごいですね!めちゃくちゃいい結果ですよ」
って言ってました。そりゃそうだ。こういうものは「子どもたちががんばるといい結果が出てくる」ものなんですよね。だから
「そりゃ、あのクラスだから(笑)」
と言っておきました。まぁあえていうなら、そういう子どもたちとわたしが共鳴したんでしょうね。
てことがあったり、来年度のホームルーム計画を立てたり、はたまたおべんきょ関係の書類をつくったり、英文の「フォーム」に記入しなくちゃならなかったり。
どれからどうやっていいのかわからないので、とにかく順番を考えずに〆切が早いものから着手をして、一日ごそごそやっていました。そしたら、まぁ、それなりのところまでいけたかもしれないような気がしました。
なるほど、こんなものか…。
帰りに明日の玖伊屋の買い出しなんかもして。
大阪では「ヘイトスピーチ抑止条例」が可決されたみたいです。よかった。というか、これを否決するなんていうことがあったら「ヘイトスピーチはかまわない」ということを、市として認めることになるわけだから、アカンやろうとは思いますが、「反対」にまわった自民党がいるわけで、もう、どうしようもない人々だなと思ったり。
はたまた、バルス祭もあったみたいで、それはそれ。
そんな感じで一日終了。

セーフと参加、参加とセーフ

今日は最後のp4cの日です。これまで1年間p4cをリードしてくれたFぁよんさんと、いろいろ打ちあわせ。
F「今回は最後なので、「友だち同士」じゃない2つのグループにして、そのかわりみんなが興味を持つ話題でやってみたいと思っています」
I「でも、みんな「話題」の問題じゃなくて、「メンバー」の問題って言ってるよ」
F「あーそうでしたねぇ。じゃぁ、友だち同士にしてみますか…」
I「うーん、でも最後だしなぁ。どうする?無難に行くか、攻めてみるか…」
F「そうですねぇ…」
I「やっぱ最後だし、攻めてみるか」
F「そうですね。攻めましょう」
てことで、グループはくじ引きで、話題は「最近気になったこと」を出し合うということになりました。やはり、ものすごい緊張です。でも、笑顔(笑)。
はじめにFぁよんさんがこれまで半年やってきた中身を再度説明。そして、わたしからもp4cへの思いを少し語りました。

なぜ、この「考える」って言う授業をしてきたか。それは、「不思議」って思うことを考えてほしいと思ったから。そして、それはひとりでやるものじゃなくて、誰かとやるものだっていうことを知ってほしいと思ったから。
例えば、わたしは数学の授業をやってる時、生徒が「わからない」と言ったとする。そしたら「なぜわからないんだろう」と思う。そして、その「わからない」ということの答を知っているのは「「わからない」と言った生徒」だから、どこがわからないのかを教えてもらう。そうやって、生徒から教えてもらうことで「教え方」を考えてきた。わたしは、ひとりで考えるんじゃなくて、生徒達と考えてきた。君たちに教えてもらったんだ。
確かに「話しやすいメンバー」だと楽だね。だって、「○○だよね」「そうそうそう」で話が通じるから。でも、こんな実験がある。白人ばかりのグループと、白人・黒人・ヒスパニック・アジアといったさまざまな人がいるグループで同じテーマについて論議させたら、さまざまな人がいるグループの方がよりクリエイティブな討論ができたんだよね。つまり、「異なる視点」があることが、より考えを深めることになるんだ。だから、「話しやすいメンバー」ばかりと話していたのではダメなんだ。もちろんしんどいよ。でも、そのしんどさの先に、クリエイティブな論議がある。
だからね。これが最後。あと80分でこの授業は終わる。この80分間、一度「わたしがやりたい」と思ってみたことにつきあってみて。子どもの頃に感じた「なぜだろう」という気持ちを思いだして、子どもに返ったつもりでつきあってほしい。

さてと、どうなるかな。
みんなで出し合った「最近気になること」。「お金はなぜ減るのだろう」「どうせ死ぬのになぜ生きているのだろう」「スマップの解散」「ベッキーの不倫」「なぜぷにゅぷにゅのおなかは人気があるのか」といった「気になること」が出て、多数決。そして、コミュニティボールを使って話しあい。今日はなんかみんな話をしてくれます。誰も「別に」とか「わからん」とか言いません。すると、話が深まっていく。深まっていくと、みんなの表情に変化がでてきます。わからない時は「わからない」という顔。おもしろい時は笑顔。「変だ」と思った時は「変だ」という顔。表情がくるくる変わっていく。
そして、結局80分。話題を変えながらも最後までみんなで話ができました。感想を見たら「今日はおもしろかった」と書いてくれた子がたくさんいました。

きっと、みんな「いつきちゃんがああ言ってるんだから、最後ぐらいつきあってやるか」って思ってくれたんだろうな。そして、つきあってみたら、案外おもしろかった。きっとそんなもんだと思うんです。
でも、そこからわかったこと。
Fぁよんさんもわたしも、「セーフな空間」をつくろうと思ってきた。でも、それは「話しやすいメンバー」としかつくれなかった。だからみんな参加できなかった。でも、そうじゃなかったんだ。「参加すること」を通して「セーフな空間」がつくられるんだ。順番が逆だったんだ。
最後の最後。もうこの授業はありません。が、ひとつ大切なことに気づけた気がしました。また、そのうちやりたいな…。

思考がたりない

夏ごろからこっち、大切だけど、でもそれだけに大きな仕事を入れてしまい、そのために年末までいろんなものごとがストップしていました。年が明けて、ようやく「次」へと向かう時間ができたのですが、そのために必要なペーパーが書けません。
このペーパー、ある程度考えがまとまってないと書けないんです。「AはCなはず。その間を埋めるためにはBが必要で、それをやります」ってペーパーです。でも、たぶんAもCもまとまっていない。いや、漠然とはあるんだけど、すべてがあやふや。なので、いざ文字にしようとするととまってしまう。きっと自分の中でまとまるところまで行ってないんですよね。たぶん、キーワードが見つかっていない。
焦ります。でも、焦るとますます書けなくなる。時間だけが過ぎていきます。マジでヤバいです。

コミュニケーション能力?

今日は午後から出張、会議でした。
そこで考えたこと。
なんか、最近の就職試験ではコミュニケーション能力が重視されるらしいです。なるほど、なんとなくわからないわけでもない。てか、最近なんてことは言わなくても、例えば「気が利く」なーんてことは昔から言われてたし、そんなのも、一種のコミュニケーション能力なのかな。で、たしかに最低限のコミュニケーション能力があったほうが、たぶん楽なんでしょうね。「きちんと受け答えができる」とか「考えたことをきちんと話してくれる」とか。逆に「何を考えてるかわからない」「こちらが言ったことに対してどう反応してくるかわからない」なんていうのはキツイのかな。
でも、そんな話を聞いているうちに、だんだん嫌気がさしてきました。なんか、「住みにくい世の中になってきたなー」と。そりゃ、「診断されないアスペルガー」が増えるわけです。
コミュニケーションなんてとれなくていいじゃん。大切なのは、必要なことが伝わることで、それはコミュニケーション能力の問題じゃなくてコミュニケーション方法の問題なんじゃないか?で、コミュニケーションとりたいと思う人が、相手にふさわしいコミュニケーションの方法を考えればいい。たぶんそれを「合理的配慮」っていうのかな。まぁ、そんなことを言わなくても、
「暗いと不平を言うよりも、進んで灯りをつけましょう」
って言いますからね。
例えば、会話のやりとりが苦手な人ならメールやチャットでやりとりすればいい。逆に履歴が残っていいかもしれない。こちらがいうことに的確に答えてもらえないなら、チェックリストを用意すればいい。そしたら、漏れが減ってかえっていいかもしれない。というより、チェックリストをつくる過程で、チェックリストをつくる側がいろんなことを考えられる。
なんか、そんなこんなの工夫をすっぽかして、コミュニケーション能力という、ある種あいまいなところに依拠するのはあかんのとちがうかなぁ。
というか、もっと言うなら、きちんとやりとりができるヤツなんてつまらないです。予想に反する反応が返ってきた時の驚きからものごとが生み出される。こちらが「どうコミュニケーションをとればいい?」と考えるところにこそ発見がある。
根底にあるのは同化主義。それを担保するのは単一民族主義。
なんてことを考えてたんだけど、たぶん、そこにいた人々、けっこうコミュニケーション能力高そうな「いい人」っぽかったので、まぁ、こんな話は通じないだろうなぁとか思ってました(笑)。

これがスキー・雪と氷の世界(3日目)

今日は3日間の最終日。一昨日きのうは個々の技術の習得が目標でした。でも、スキーの目標は技術ではありません。自分の持っている技術を使って、目の前の斜面を安全に楽しく滑るのが目標です。そして、それは誰もができること。でも、技術が増えれば増えるほど選択肢が広がる。まぁ、人権と同じですね(笑)。
てことで、今日のテーマは「いかにしてこの斜面を楽しむか」です。
まずは斜面を読みます。斜度やねじれ、幅や長さ。さらには雪質。これらによって使う技術は変わります。また、選択肢が複数あれば、技術によって楽しみ方は変わります。
最近はどんな斜面でもひとつの技術(カービング)で滑る人が多いように思います。でも、それは楽しみ方のひとつでしかない。スキーの奥の深さは、それとは違うところにもあるはずです。踏みつけ踏みけりを使ったパラレル。伸身・ベンディングのパラレル。ウェーデルン。ジャンプ。ウェーデルンもフォールラインにからむか斜行するか。パラレルも深さを変えると変わります。
てことで「この斜面、3つの技術を使って滑ってください」とか、「次のトレイン、技術を変えながら滑るのでついてきてください」とかやりながら、いろんな滑りをしました。
で、〆。
「ひとつの斜面でも滑り方を変えたら異なる楽しさがあります。だから、その斜面の楽しさをしゃぶりつくしてください」
たぶん、わたしはそういう生き方をしてるんだろな…。