返還跡地めぐり

今年もやってきました。琉大でのお座敷です。琉大のお座敷そのものも楽しみですが、ゼミの乱入もかなり楽しいです。そして、それよりもっと楽しみなのは、野入さん厳選のフィールドワークです。ちなみに、野入さんにわたしから行きたい場所を言ったのは初年度だけです。
野「いつきさん、どこか行きたいところある?」
い「伊波普猶のお墓」
野「伊波普猶…」
ちょうどこの年は沖縄人権学習の教材をつくった年で、それができるヒントをくれたのが伊波普猶だったからです。
その年は
アメラジアンスクール→伊波普猶のお墓→嘉数高台→ガマ
といったところをまわりました。
その翌年
コザ十字路→ヒストリート→中の町自治会館
といったところをまわりました。
その次の年はこんなことがあったから、沖縄には来られず。
で、昨年は不屈館に行きました。
さて、今年はどんなところだろう。野入さんからは
「今回のテーマは「基地返還跡地 返ってきたぜ沖縄が!?」です」
との連絡が入ってきました。さらに今回は「株式会社がちゆん」の人たちと「nuge」の人たちとともに「おもてなし班」を結成してくださっているとのこと。なんか、ものすごいんですが^^;
ということで、15分おくれの「はるか」で関西空港に着いて、ギリギリの時間で搭乗手続きをすませて、なんとかジェットスターに飛び乗って、那覇空港到着。「がちゆん」と合流して向かったのは「那覇メインプレイス」です。ここ、新都心にあるショッピングセンターです。ここで野入さんと合流。

  • シュガーローフ

向かったのは「シュガーローフ」です。
野入さん曰く「この丘は骨でできている」です。

どうやら、このシュガーローフと首里城を結ぶ線を日本軍は死守すべきラインと設定したらしく、ここでものすごい戦闘が行われたとか。そして、ここが落ちるのが5月。翌月首里城が落ちて、牛島中将は自害。形式的には沖縄は陥落しますが、そのあと司令官を失ったにもかかわらず降伏を許されなかったために、えげつないことになったとか。
そんなシュガーローフは戦後接収され、その後返還されるわけです。その返還跡地が、見事なジェントリフィケーションで新都心に生まれ変わるのですが、なんかもうえげつない。戦争のあとなんか跡形もなくなっていて、たしかに経済効果抜群そうな有名ブランド店とか高層マンションが建っていて、どないやねんと。


経済効果抜群はいいけど、そのお金は誰の懐に入るねんと。しかも、ウチナーは有名ブランド店では買い物できないとか。正確には、県外に行く航空券を持ってないと買い物ができない。まぁ、免税店なのでというのがその理由ですが、誰を相手にしてるかがにおってくる話です。
さらに、ここからゆいレールをはさんだ向こう側では、今も遺骨発掘作業をしているとか。

その落差にクラクラします。
なぜこういうことが起こるかというと、返還前より返還後のほうが経済的にプラスでないと返還するメリットがないというロジックらしいです。でも、その経済が地元の人を潤しているのか、あるいは地元であっても誰を潤しているのかということを考えると、壮大な疑問符がつく話かなと思いました。
そして、頭上にはオスプレイ

  • 佐喜真美術館

お次は「佐喜真美術館」です。
ここも実は返還跡地なんですね。
佐喜真美術館は「沖縄戦の図」で有名ですが、その成り立ちは、丸木位里・俊が「沖縄戦の図」を書くにあたって常設展示する美術館が必要で、美術収集家の佐喜真さんに「つくれ」と。そこで、佐喜真さんは米軍に「あかんやろなぁ」と思いながらも「返してくれ」と。すると、米軍は「我々は平和をもっとも重んじる」と言って、美術館に必要な土地とアプローチの道の分「のみ」返してくれたと。なので、フェンスに囲まれた美術館になったと。
で、「沖縄戦の図」の前へ。ここまでは下を見て近寄って、椅子のところで「バッ」と目を上げるのがおすすめの見方だとか。いや、絵のわからないわたしにも迫力が伝わってきます。ひとしきり見たあと、絵に近づいて細部を見ます。すると、いろんなものが書き込まれていることがわかります。右の下には石碑があって「在住朝鮮人」の文字があります。右の上には風車。沖縄のおばあ・おじいは97歳になると「ガジマヤー」を持たせてもらって子どもに帰るんだとか。「沖縄戦がなければ、みんな子どもになれたのにね」という野入さんの言葉を聞いた瞬間なみだが出てきました。
そして屋上へ。ここには6段と23段の階段が空へ向かって伸びています。6月23日には、そこにある小さな窓から日が差し込んでくるんだとか。

ひょいと下を見ると、フェンスの中に亀甲墓があります。うわぁ…。

  • 比嘉集落跡地の碑

続いて向かったのは「ライカム・イオン」。

イカムはRyCom、かつて琉球米軍司令部(Ryukyu Command headquarters)のあったところです。ここに、最近、沖縄最大のイオンモールができました。このイオンモールの土地、その前は何だったかというと、「泡瀬ゴルフ場」という、米軍専用のゴルフ場でした。では、その前はというと北中城村比嘉という集落でした。ここ、けっこう肥沃な土地だったようで、作物のできもよく、比較的裕福な村で、赤瓦の家が並んでいたとか。
そんな自分たちの集落が米軍専用のゴルフ場になり、いくら返還を要求してもかなえられず、返還されるとなったらイオンモールになったという。たしかに、イオンモールだと経済効果はあるでしょうね。でも、そのお金はどこに流れるのか。もちろん、イオンモールの土地の一部は比嘉集落の人々からの借地になっているので、土地所有者には借地料は入ります。でも、それは「経済効果」と言えるのか?さらに、イオンなんてできたら、周囲のお店はどうなるのか?まさに、お金の一極集中化だし、それは地元の人々のためとは言えないんじゃないかと思うのです。
で、碑は駐車場の端に、誰も歩かない道の方を向いて建てられています。比嘉集落の人々の無念さと、それでもある誇りがにじみ出てくる碑です。

  • プラザハウス

近くにイオンモールみたいな巨大な施設ができたら、当然のことながらまわりの商店街は大打撃を受けます。いまや、コザのお店はシャッター街になってしまっているとか。でも、そんなイオンモールに、静かな反撃をくわえているのが、沖縄、いや日本で最初のショッピングモールである「プラザハウス」です。ここ、イオンから出て、交差点を曲がったところにあります。

ここはもともとは台湾資本がつくったショッピングセンターで、当時は米軍専用、それもライカムがあっただけに、米軍の将校クラスの人が買い物に来てたとか。その後、沖縄の人の所有になって、現在は誰でも買い物ができます。
とにかく、お店のつくりが違います。イオンが店内を自動ドアで密閉して空調設備をガンガン効かせているのに対して、プラザハウスは両側にはドアがなく、風が通る設計になっています。3階なんてもう、涼しい風がヒュンヒュン通って気持ちいい。しかも、真ん中のホールにはテーブルとイスがあって、買い物しなくてもそこでゆっくりできます。

センターに入ってるお店がすごい。イオンが「全国どこでも同じものが買える」=「どこでも同じ」なら、プラザハウスは真逆で「ここでしか買えないもの」をおいています。もちろん値段はそこそこはります。が、それを超えてなお価値のあるものを置く。それは、入っている服屋さんや洋書屋さん、さらに飲食店にまで徹底しています。
さらに3階には「RYCOM ANTHROPOLOGY」なる一角があります。ここは、50年代の沖縄をモチーフにしたさまざまな写真が展示されており、プラザハウスの歴史というか、沖縄の商業史というか、そんなものを感じさせます。

ここの写真を見ていると、米軍統治下の時代と、あたかも日本に復帰したかのように見えながらも日米両者に統治されているかのような現在と、どっちがええねんと思わされます。そりゃ、米軍統治下はひどかったのはわかりますが、いまもひどい。まさに「主権を奪われた沖縄」は、今も昔も変わらない。そんなことを感じさせるスペースです。
ちなみに、ここのアートや企画を任されているのは琉大の卒業生だとか。すごいなぁ…。

  • BALI NOON BALI MOON

晩ごはんはBALI NOON BALI MOONでバリ料理です。実は、このお店も「静かな反撃」のうちのひとつだとか。イオンモールにあるお店がファストフードだとしたら、このお店はここでしか食べられない本格的なバリ料理です。

BALI NOON BALI MOONは、上質なスパイスとハーブを使用し輸出基準をクリアしたブンブの開発、冷凍輸入を成功させたこと、そのブンブを使用して調理する18年来の交流がある信頼できる調理人の招聘によって2016年2月3日に開店することができました。

とあるように、食材だけではなく、調理できる人がいてはじめて成り立つバリ料理ということです。
ここで、メッチャおいしいバリ料理と、その料理にぴったりのワインを飲んでごきげんです^^;;



でも、あしたが本番です。2014年の二の舞だけは避けなければ!

初もの

今日は、某人権研究会の夏季研究大会です。
午前は分科会。わたしもいちおうレポートは出しています。が、あまりやる気はありません(笑)。なので、てきとーにヘラヘラとレポートして終了。
今日のメインは午後の講演会です。講師はキリちゃん(笑)。ずっと前から、一度まとめて話を聞いてみたいと思っていたので、お願いしたらOKをもらえたので、ラッキーです。
いちおうお願いしている内容は、「子どもの頃に同和学習を受けて大きくなって、いま教員として子どもとかかわっている人の思い」です。さてさて、これにそった話をしてくれるかな?
のっけから、教員一年目のできごとです。なかなか自分のことを言わないなーと思ったいたら、そこで言うか(笑)?ってタイミングでネタばらしをされます。そこからは絶好調ですね。なんかもう、危険な水域ギリギリをかすめるというか、たまに危険水域に突入するというか。なにせ、途中でアブナイ手品まで披露する始末。さらに、真剣な場面にさらりとアブナイネタをぶっこんでくるあたりは、わたしも見習わなければならないなと。
そんなアブナイ話に笑ってるうちらの研究会もどうかと思いますが、まぁそれくらいでちょうどいいです。
てことで、1時間40分、楽しませていただきました。
で、わたしからの質問を。
「キリちゃん、なんでそんなに子どもたちの声が聞こえるのですか?というか、わたしたちにも聞こえてると思うんですが、聞きとれていないんだと謂うのです。なぜ聞きとれるんですか?」
答えは
「距離を半歩詰めること」
でした。意味深やな。

で、夜は飲み会です。
ここではアブナイ話はそこそこに、それでもかなり危うくもりあがって、二次会はお福。ここでもワイワイやってお母さんに迷惑かけて、なぜか崇仁の公園でマッサージしてもらって、なんとか家にたどり着きました。
それにしても、K野さん、来たらよかったのに(笑)。

うまくいったのかな…

朝、とりあえず出勤です。職場に行けるときは行っておかないと、たぶん職場の人に忘れられちゃいます(笑)。
職場に着いたら、あちらこちらとの連絡開始です。そんな中、ニュースが飛び込んできました。このニュース、「ツール」としてつかってくれたらうれしいなと思いながら取材をうけたものです。と、さらにメールが!とある小学校の宿泊学習で、gender identityに従った部屋の使用が認められた!やった!我がことのようにうれしいけど、実は当たり前のことなんですよね。さらに、とある高校に制服についての働きかけがはじまったという連絡も!なんか、すごい1日です。
さらに、教職員研修の講師のこととか、10月のフィールドワークのこととか、メッチャクチャ動きました。

で、大阪府南部のとある町へ。今日は保幼小中の教職員研修会です。中身はミッション2。さてさて、どうなるかな。
とりあえず、最初のあたりのネタで爆笑しておられる方がいらっしゃるので、つかみはOKのようです。が、途中から、みなさんの顔が真剣になってきました。これはヤバイ。そんなに真剣に聞かれても^^;。
それでも、与えられた2時間を全力で飛ばして、なんとかかんとか終わることができました。担当の教頭とさんが「きっと今日のビールはおいしいですよ」って言っておられたので、できはよかったのかなo(^^)o

帰りにちょいと木津中学に行って教頭さんを驚かせようと思ったけど、タッチの差で帰っておられたみたいで、残念!

とにかく休む

今日はホントは伊丹に行きたかったけど、やんぺ。梅田には行かなきゃならなかったけど、それも断念。とにかく家でゴロゴロすることにしました。
ゴロゴロのお供は、今日も『フーコー』です。ちなみに、こんなにゆっくりとした時間はそんなには確保できないので、なんとか今日読んでしまいたいなと。なので、少し無理気味でしたが、なんとか読み切りました。
フーコー、おもしろいわ。はずみがついたところで、2冊ほどポチってみたり。
で、次の本をと思い、本棚から1冊選んで見返しを開けたら、おぅ!

そこで、ふと大学時代のFくんのことを思い出して検索するとfacebookやってるのがわかって友だち申請したり。
そんなこんなののんびりした1日を過ごしました。さてと、明日から2週間ほどノンストップだ。

変化

今日は夕方から用事があるけど、そこまではなにもなし。なので、読書でもしようかと、かつて修理したデッキチェアを持ち出して、『フーコー』なんぞを読んだりしました。たぶん、原作は難しいだろうけど、解説本はとてもおもしろい!なので、このおもしろさをもとに、原作を読もうかなと。
で、夕方の用事へ。今日の用事はとある新聞の取材です。基本的にはstn21についての取材でしたが、セクシュアルマイノリティ全般にわたる内容、それも、子どもたちについてだけではなく、教職員当事者の処遇にまでわたる内容について話しをすることになってしまいました。
てか、そんなん、わからんがな(笑)。
それでも、可能な範囲で話をしていたのですが、結局どこに行くかというと「シスジェンダーの人間が保障されている権利をトランスジェンダーにも」「異性愛者が保障されている権利を同性愛者にも」という、ごく当たり前の、でもドラスティックは話しか出てこないわけです。つまり、小手先の「対応」なんて、いくら積み重ねてもアカンということです。
なぜ自分がこんな発想をするようになったのかなぁと、あらためて考えてみると、このシンポジウムに至るさまざまな思考かなぁ。で、その原点は「「国際障害者年」連続シンポジウム 「当事者」って何だろう!」だったんじゃないかなぁ。そう考えると、やはり運動の蓄積と継承ってすごく大切だなあと思うのです。
てことで、言いたい放題話をして、最後に「写真を撮っていいですか?」と言われたのですが、記者さん「そのTシャツ…」って言われます。「何がアカンのですか?」と答えたのですが、どうやら「Anti Facist」があかんらしいです。「でも、ファシストは民主主義の敵だし、この社会が民主主義であるなら当然の主張だと思うのですが(笑)」と答えてみたり。まぁ、苦労して写真のフレームを考えておられました。
その後、いろいろ迷った末、角打ちに行って、軽く総括。

それにしても、ただひとつ不安要素が。あの「とある新聞」ですが、文科省教育委員会も愛読しているはずで、そうなると、あの記事、デスクの方がボツにする可能性があるんだよなぁ(笑)。

リベンジ

で、先週は呑みに行けなかったので、今日が呑みのリベンジです。Y田さんと、N尾さん(なんでも八尾生まれだとか)と3人でつれもって阪急に乗りました。当初「十三に行こう」と言ってたのですが、途中で気が変わって庄内で下車。向かうはg mercatoです。ところが、到着したのが5時前。開店時間は5時半。どうしたものかと思い、無謀にもさSっさんに電話。すると、わざわざ来て下さって「ここに入ろう」と紹介されたのが「またたび堂」という立ちのみです。ここがいい!安い!おいし!しかも、お店の雰囲気がいい!
「こっちでいいか」
とか言ってましたが、やはり立ち飲みはキツイです。ということで、g mercatoに移動。さっきビールを呑んだから、こちらではいきなりワインとアンティパスタ。いやぁ、こちらもまたおいしいし、落ち着きます。と、いきなり教育委員会の人が飲みに来られてびびったけど、勤務時間も終わってるし、そもそも野宮ですから、それはそれでよしです。
それにしても、ワインが進むにつれ、ドンドン乗ってしまって、ここでもいっぱいしゃべってしまいました。アカンなぁ…。
ということで、Y田さんは明日の朝が早いので、9時過ぎにお開き。再び阪急に乗って、乗りかえて、目が覚めたら河原町(笑)。アカンやん。それでも10時前に帰れたからよかったよかった。

2週連続で聞かなくても^^;;

今日は午後から伊丹空港の近くでお座敷です。
てか、昨日の夜に伊丹空港に到着して、また今日も伊丹空港ってどうよと思いながらも、会場に向かいます。で、会場の建物に到着してエスカレーターに乗ったはいいものの、会場の6Fにはエスカレーターでは行けないようです。しかたないのでエレベーターで行こうとボタンを押したら、2台が同時に1Fに向かいます。わけわからんな…。
ということで、ようやく会場の部屋に到着。まわりの部屋を見ると、あちこちで研修会が開かれています。なるほど、ここは教育委員会の研修センターだったんだ。でも、いいな、こういうの。もちろん、うちの本社にもあるのはあるけど、もう少し敷居が高いというか、強制的に呼ばれる時以外、ほとんどいかないというか。
ということで、今日もミッション3をすることにしたのですが…。
ほんの先週話を聞かれた方が、きっちり座っておられます。いや、そんな…。でもま、こないだはミッション2だったし、まぁいいか。
ということで、「早口です」と言い訳を先にしてからお座敷スタート。それにしても、みなさんすごい勢いでメモをとっておられます。主催者の方に至っては、話しはじめて20分ほどしかたってないのに、すでにレジュメが真っ赤です。そんな内容、あるのか?
という感じで、わさわさ話をしていたのですが、なんか、最後の方になると、メッチャ真剣な顔になって行かれる方がおられたりして。このYさん、先週わたしに声をかけてくださったのに、ご自分は会議のために半分しか聞けなくて、今日がリベンジと言っておられたのですが、そんな真剣な顔をされなくても^^;;
ということで、なんとか10分オーバーで終了しました。
実は、話をつくるときに、どれくらいかかるかをあまり考えずにつくっていて、やっているうちにだんだんわかってくるというのが常なんですが、どうやら、フルに話をすると2時間半。最後をパスすると2時間。最後をはしょると2時間10分らしいということがわかってきました。
それでも、アンケートを読ませてもらったら「早口」というもっともな指摘はありましたが、概ね好評だったみたいでホッとしました。

12年ぶりの舞台

朝起きると、意外と体調が悪くない。「よしよし」と思って、とりあえずお風呂に入ったり身支度をしたりして、ホテルを出発しました。向かったのは文化会館。会場に到着すると、人がワラワラおられます。なんか、メッチャ規模が大きいです。楽屋に入ると…。あれ?見たことあるぞ?

あ!12年前に来たな。全同教宮崎大会での延岡会場は、まさにこの文化会館でした。それにしても、楽屋の通路で会場を思い出すって、どうよ…。
そうこうするうちに、大会がはじまりました。このあたりで、少しずつ体調が悪くなってきました。これは困った。やはり、昨日の夜、霧島を泡盛代わりに呑んだのが悪かったのかな。二日酔いではないけど、肩・首・頭がメッチャクチャ痛いです。さて、どうしたものか。
それでも時間は来るわけで、あっという間にわたしが話をしなきゃならない時間になりました。舞台に立つと、なんかもう…。

800人おられるとか。こないだといい、今日といい、なんかこの夏はすごい人数の前で話をするめぐりのようです。
さて、12年前みたいに笑いがとれるかな?とはいえ、今回はミッション3です。ミッション3は、大きく3部構成になっている気がします。なかでも、中盤はそもそもそんなに笑いがとれる話ではないという説もあるわけで。ということで、このあたりは笑いをとるのはあきらめて、真剣に話をしちゃいます。で、後半とのギャップで楽しんでもらいましょう。
それにしても、スライドの枚数が234枚もあると判明したのですが、これを2時間弱で話しきるのは至難の業ですね。

もちろん、すべてのスライドをじっくり話をするわけではなくて、瞬間で切り替わるものもあるから、なんとかなると言えばなんとかなるのですが、それでもどうしても早口になるというものです。なので、手話通訳の方には最初に謝っておくということで。
そんなこんなで、ところどころ、ウケるべきところはウケたりしながら、なんとか10分オーバーで終了。まぁ、H岡さんは「かまわない」って言っておられたから、まぁいいことにしてもらいましょう。
話し終わったら、手話通訳の方が謝りに来られたのですが、なんでもわたしをスタッフの人と間違えられたそうな。それは本望というものです。だって、わざわざスタッフのネームフォルダーを借りたりして遊んでいましたからね。

ということで、無事午前の部は終了。

昼ごはんのあとは午後の部スタートです。午後は分科会ですが、そこで時間をもらって、質疑応答とかみんなで考える時間を持ったりとか。
質問は知識的なこと(「トランスジェンダーGIDの違い」みたいな)から、具体的なこと(カミングアウトされた時の返しとか)から、メッチャ本質的なこと(「女/男」でわけることを問い直すためにどうしたらいいかみたいな)から、いろいろ出てきました。それらについてコメントしたり、話し合ってもらったり。
それにしても、やはり「かつてそういう生徒と会ったことがある」という人から「いま在籍している」という人までおられますね。後者の人はともかく、「いま振り返ると」という人については、それを感じ取る力が「今」という時代の中で磨かれているんでしょうね。
で、わたしはわたしで、宮崎とは異なる京都の話をしてみたり、はたまた、なかばぶっ飛んでしまっているわたしの感性の話をしてみたり。そんなこんなで、けっこう楽しい1時間半を過ごさせてもらいました。

さてと。あとは帰るだけだな。それにしても、肩・首・頭の痛みがとれません。とりあえず空港に着いて、マッサージに行こうと思ったら、満席で入れない。どうしようかな。しかたないから、マッサージに行ったと思って、少し高めの地ビールを買って呑んだら、あら不思議。肩・首・頭の痛みがとれましたとさ。

H岡さんにその旨メールを送ると
「ビールの力は偉大ですな」
と、もっともな答が返ってきました。まあ、そんなもんでしょう。
さてと、飛行機も来たことだから、帰りましょうか。

前夜祭

朝寝坊ができる日に限って朝寝坊できないのはいつものことです。それでも、10時頃には家を出発。地下鉄→バスと乗り継いで、向かうは伊丹空港です。飛行機が登りはじめたと思ったら降りはじめるのは、なんだかんだ言っても近い証拠です。で、降りたのは宮崎空港。さらにここから特急で1時間半。到着したのは延岡です。明日、延岡で人権教育研究大会があって、それの記念講演をするハメになってしまいました。
で、今日はその前夜祭です。
幸い、空港を出てすぐの特急に乗れたので、延岡に着いたのは16時前。余裕やなぁと思っていたら、ホテルのチェックインでトラブル発生です。どうやら、予約したホテルが同じ系列の宮崎のホテルらしいです。どうする?
「あの、空き部屋、ありますか?」
「…ありますよ」
その瞬間の沈黙は身体に悪いです。
とにかく、追加料金が発生しようがしまいが、「泊まる」の一択です。追加料金は、最大6500円ぐらい。まぁ、自業自得というものです。
とりあえず、部屋に入って、8月のお座敷先にバババとレジュメなんかを送ったりして。と、フロントから電話。
「パックなので、キャンセルできませんでした」
「わかりました。じゃ、追加料金はあとで教えてくださいね」
「いや、こちらから宮崎に請求しますから、追加料金は必要ないです」
神か!
てことで、2時間ばっかメールを送りまくって、その後いよいよ前夜祭です。今回すべてをセッティングしていただいたH岡さんと合流して、向かった先は「ども安」です。ちなみに、飲み放題らしいです。飲み放題メニューは…。うわ、日本酒もワインもなくて、焼酎ですか。宮崎気分満開です。
それでもとりあえずはビールから。
「銘柄、どこですか?」
「…。工場からの直送って書いてあります」
「じゃ、それで」
てことで、前夜祭開始です。
なんかもう、みなさんフランクです。隣に座れた方は京都の大学に行っておられたとか。そこから、なぜか昔の京都談義がはじまったり。はたまた、明日の基礎講座で認知症について話をされる方と、ちょこっと岩倉の話をしてみたり。なんだかんだと話をしていると、あっという間に3時間が過ぎてしまいました。
てことで、2次会へ。次のお店は日本酒がおいしいとか。
こちらでは、部活動談義で花が咲きます。まぁ、やっぱりここらは教員でして。もちろん、わたしの部活動談義は「部活廃止」ですけどね。
ということで、少しずつ身体が横になっていったところでお開きです。
さてと、ホテルに帰って、チューハイでも呑むかな。

「変わらない」ことと「変わる」ことと

今日はとりあえず午前は出勤です。昨日一日行かないだけで、なんとなく不安になるのですが、でも、土日からの月曜日を休んだだけなんですけどね。
で、職場に行くと、あれやこれやとあって、あっという間に時間が過ぎていきます。

で、昼過ぎに奈良へ。今日は2時間弱のお座敷と主催者がされるワークショップの参加です。
まずはミッション3の話開始。
うーん、固い。まぁ、職場の研修ですからみなさんマジメなのはわかりますが、固い。もちろんところどころで笑顔があるのはあるのですが、反応が薄くて、ウケてるのかどうかわかりません。なんか、最近こういうのが多すぎます。まぁ、こうなると、ぶっ飛ばしていくしかないわけで、ガンガン行くことにしました。時間も足りないしね。
ということで、ほぼほぼオンタイムで終了。
休憩のあとの後半戦では、法務省作成の映像を見たあと、感想を出しあうというものです。これ、むずかしいですよね。この手のものって、ある種「正解」がないようで、実は「正解らしきもの」はあるんですよね。だって、映像のそこここに「ヒント」が散りばめられていて、それを見つけることができるかどうかという話なんです。だから、化学調味料の味がしてしまうわけです。さらにいうと、わたしたちのように「お座敷をする側」は、さらに制作者があえてつくった「穴」を探すことが要求されます。いわば、バトルですね。つまり、「ヒント」を見つけたうえで、そこにさらにコメントをすることが求められる。
で、わたしが引っかかったのは、カミングアウトを受けた人の「これからも変らないよ」というひとことです。
まぁ、いつも言ってることですが、「変らない」わけがない。でも、まずは「変らないよ」と言わなきゃならない。そこなんですね。
つまり「何が変わらない」のか、そして「何が変わる」のか。そして、「変わる」というところをどう意識化するのか。
なので、コメントとして「「わからないことがあるの思うから教えてね。ダメなところがあったら言ってね」というひとことをつけ加えましょう」とだけ言っておきました。
だって、「新たな世界」に入って、自分の価値観が「変わる」ことの楽しさはハンパないです。例えば、手をつないでる男性ふたりを見たとき、「気持ち悪い」と思うか「幸せそうだなぁ」と思うか、どちらが自分がハッピーになれるかというと、当然後者だからです。
ま、そんなこんなで、今日のお座敷終了です。