こないだ3年生対象にやった人権学習の感想文を読んでいたら、気になる作文がありました。「やっぱりこの子かぁ」。わたしの教え子がお母ちゃんの子です。
とはいえ、朝からメッチャしんどくて、放課後ようやく復活基調。クラブに行こうとしているその子をつかまえて
「話しようか」
「えー、いまー(笑)」
「うん(笑)」
てことで、よもやま話。
そうなんだよなー。こういう時間を山のように過ごした担任時代だったよなー。この子、別に授業を担当しているわけじゃないし、まぁ外交的な子なので、だれとでも話はする子なんですけど、自分の「根っこにある思い」を一番話しやすい相手はわたしだとか。うれしいな。それは、きっとお母ちゃんの高校時代にお母ちゃんと山のように話をしてきたことを引き継いでくれてるんでしょうね。
いろんな話をして、
「ありがとー」
「ありがとー」
その子はクラブへ。わたしは職員室へ。
またこんな時間をもちたいな。それもいろんな被差別の立場にある子とね。案外多いからね。

場所は変われど

今日はお友だちのSくんと会うことになってます。
てことで、ロビーで合流して月島へ。いや、なんとなくもんじゃが食べたくて。が、もんじゃはおいしいけど、飲み物がよくない。ということで、ひと通りもんじゃを食べたら「屋根」を探します。はじめは橋の下を考えたけど、河川敷に入れない!あかんやん。さいわい近くの公園に屋根があったので、そこに根を生やして飲み開始。
いやぁ、楽しい!
楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。
飲みはじめたのが1時頃。でも、気がつくと暗くなりはじめています。いかんいかん。
てことで、新幹線に飛び乗って帰りました。アホや(笑)。

女子会か?

終わってからの懇親会は、ほとんど女子会です。聾のシンポジストの人とか、そのお友だちとか、足に障害のある人とか、この研究の責任者の人とか。手話ができる人は手話で。できないわたしは「ありがとう」だけ理解しながら、あとは筆談。酔っぱらいの字は汚いです。すみませんm(_ _)m。
そんななかW田さんが「いつきさんも一緒やん」と話した手話に「そうそうそう!」って反応したら、「うわ、通じた、メッチャうれしい!」って反応して、わたしもメッチャうれしかったです。「思い」は「言葉」を通じて伝わる。やはり「言葉」って大事なんだなって、あらためて思いました。
別れ際に筆談で「やきもち焼いてんのよ」とか書かれて、爆笑しました(笑)。

「障害×学校教員」シンポジウム

朝から新幹線に乗って東京へ。とりあえずホテルに荷物を置いて、そのまま歩いて向かうは本郷三丁目近辺。とりま、ここの写真は撮らなきゃならんでしょう。

うーん、なにか物足りない。「富士には月見草が似合う」ではないけど、やはり、もう少し賑やかな方がいいですね。

てのはおいといて、向かったのは小柴ホール。今日は「障害×学校教員」シンポジウムがあります。
にしても、なんでわたしがこのシンポに呼ばれるねんという話なんですが、たぶん「障害概念」そのものを問いたいんでしょうね。というか、わたしのことをよく知ってくださっているKちゅかるさんからの依頼なので、シンポそのものについては安心して参加することができるんですよね。

てことで、シンポ開始。
わたし以外の人は、「ディスレクシア(K山さん)」「盲(N村さん)」「聾(W田さん)」といった、まぁ、ちゃんとした(謎)障害をお持ちの方々です。
まずは自己紹介です。トップバッターがわたしってなんでやねん(笑)。なので「なんでわたしやねん」という、当然のネタからスタートです。
なにせ「障害」と冠するシンポに出たら「やっぱりいつきは「障害」って考えてる」とか「普段言ってることと違うやん。その場その場で立場を変えるやつ」とか「結局いつきは医療モデル」とか、まぁうしろから砲丸が飛んできそうなのですが、実は前々から「障害でええやん」と思ってるんですよね。だって、「障害者解放運動」は「社会モデル」をとっていて、そこに学びながらやればいいと思ってるんですよ。というのは、障害者解放運動における社会モデルは、決して医療行為そのものを排除してるわけじゃない。必要な医療は必要だし、そこへのアプローチはいいんだけど、要は「Nothing about us ,Without us」なわけです。
なので、そんな話を補足。
そんな中で聾の方の自己紹介でぶっ飛びました。
「わたしは自分が障害者とは思ってません。わたしは手話文化を生きているだけです」
これかーo(^^)o
いや、手話文化ってものそのものは綾屋さんの話で知ってたけど、「その文化を生きているだけ」ってのははじめて知ったし、これはすごいなと。てことは、どうやら「障害」はアイデンティティなんだな。つまり、他者から押し付けられるものではなく、自分がそれをどう解釈し
、どうそれとつきあっていくのかみたいな。
そこからはなんかとてもスリリングです。ディスレクシアの方からはカミングアウトの問題が引き出されてきました。まさかここでと思ったけど、「ノンカムフルバレ」の話から、でも必要に応じてカミングアウトせざるを得ない局面もまたあるって話を正直にできたり。質疑応答の中で「ポストモダニズムは障害教員から」みたいな話が出てきて、思わず「お荷物教員(笑)でもええやん」と反論してみたり。なんかとにかく盛りだくさんなシンポで、また何らかの形で報告が出るのを待つしかないですね。
最後に「教員に多様性を開く」って話が出てきて、ここで盲の方が炸裂。「お金です」。いやあ、ほんとにその通り。お金なんですよ。予算をつけないと話にならない。さて、自分は何が言えるだろう…。

多様性は外にあるんでしょうか?
わたしはマジョリティの定義を「他者との違いに鈍感にされている人」って言ってます。本来、ひとりひとりが多様性を持っているにもかかわらず、そのことに気づかれなくされている人たち。そんな人たちが自らの持つ多様性に気づくその延長線上に「開かれた多様性」があるんじゃないか。
そのためには「当たり前」とされていることに疑問を付す。例えば「元気で明るく大きな声の授業がいい」と言われたら、「ほんとにそうか?」と考える。元気ないけどギリギリの体調や精神状態で来ている生徒にとって「朝から元気なヤツはうざい」と思うかもしれない。そんなときに「二日酔いでしんどいねん。大きな声を出すヤツめんどくさいよな」っていう教員がいてもいい。
当たり前のことに疑問を付して、少しずらす。そこからはじめる必要があるんじゃないかと思います。

まぁ、いつも言ってることですけどね^^;;。
そんなこんなでシンポ終了。与えられ期待された役回りに応えられたかな?もしも応えられたら、それはわたしからの恩返しです。

あとで、facebookで次のようなコメントがありました。

横からすみません。懇親会では、パネルディスカッションをずっと見ていたTさん(○○書院社長、わりと辛口)が、「中身が濃かった、おもしろかった」とおっしゃった上で、一人だけ名前を挙げたのがいつきさんでした。それも「社会モデル」の普遍化を体現している人、みたいな意味で。主催者としても、友人としてもとても嬉しい出来事でした。ほんま、ありがとさんでした!  追記:障害学とクィア研究の接点を日本でいちばん考えている(←と私は思う)飯野さんもいつきさんをほめていたなー。

うれしい!もしかしたら、少しは恩返しできたかな。
でも、わたしはわたしの戦線で、これからさまざまな解放運動から学びならやっていくだけですね。

今年はていねいに

ここ数年、ずっと殺伐とした気持ちで人権担当をしてきましたが、ほんとに残り年数が数えるほどになってきて、しかも今まで3年間やってきたこともできなくなって、一からやり直す感じになっちゃいました。
じゃ、立て直そうと。そのためにはどうしたらいいか。府教委のというか文科省のというか、とにかく先を見通した人事の計画をしてこなかったツケがほんとに来ています。でも、しかたないです。そのケツを拭かなきゃ、先はない。
なんか、そんな感じで、今年は積極的に打って出ようかなと。なので、1学期はかなり精神的脳みそ的に忙しいです。なにせ、人権学習は各学年を別日程で組んでいて、しかも1年生は1時間ものを2回組んでいるから、都合4回あるわけです。そのうち2回はわたしがプレゼンして、1回はゆきみちゃんの講演。そして、あと1回が来週にあります。これは担任さんにやってもらいます。ネタは「多様性カード」です。うちのガッコのオリジナル教材です。何年か前にK田さんにものすごくお世話になりながらつくった教材です。でも、たぶんはじめての人にはわかりにくい。なので、今日の放課後に勉強会です。とりあえず担任のみなさんの前でやってみる。
いちおう14枚のカードにプラスして「こんなカードもあるよね」というのを追加です。ひとつは「興梠/李」カード。もうひとつは「JAPANESE ONLY/SAY NO TO RACISM」カード。そしてもうひとつがリオオリンピックのときの「公開プロポーズ」カードです。もちろん裏はヘテロで表がレズビアン。こうやって、同じ内容でありながら属性の違いで非対称であることを伝えると、たぶんわかりやすいはず。
まぁ、そんなことを考えながら準備をして、そしてやってみました。
前なら「プラスするカードは自分で考えて」って言ってました。でも、今年はやめました。だって、考えたことのない人は、そもそも考え方がわからない。それは生徒も教員も同じです。逆に、左利きの人の生きづらさは、考えたことのない人にはわからないけど、でも、右利きであっても「わかろう」とすればわかる。そして、なぜその生きづらさがあるかというところまで深めると、他の「生きづらさ」とつながるところがある。それを関連づけることを、わたしはずっとやってきました。
できれば、そうやって考え生きてきたことを伝えたい。だからこそ、あらためて「わたしはこう考えてるよ」「わたしはこんなふうに世界を見ているよ」ということを、この教材を通して伝えたいなと思ったのです。
そしてなにより、この教材を使って子どもたちと一緒に楽しんでほしい。多様性を考えること、人選を知り考えることの楽しさを経験してほしいなと思いました。なので、「どうしよう…」という不安を少しでも減らそうと。
さてさて。
どうなるかな…。

外飲みはあぶない

夜、デモに行こうかと思いましたが、デモからの飲みはさすがにきついです。今日行かないと後悔するかと思いましたが、どうやら闘いは長いみたいなので、今日は飲みに行くことにしました。
てことで、JC・JK・保護者とわたしの4人のみ。なんだかんだとしゃべって飲んで、アカンな。飲みすぎた。
外飲みは、お酒もつまみも無限にあるからこわいです。よく家に帰れたな、我ながら…。

多様性を身につける日まで

朝起きて「通ったのかな」とネットを見たら、どうやら夜を徹しての攻防が続いているようです。でも、6時40分から本会議再開。ここで採決をするとか。
まぁ衆参の多数が違う状況を「ねじれ」と言い、論議を深めるよりも「決められる政治」を求めてきた先に今の状況があるわけで、ナチスの時代もこうだったんだろうなぁと思いながらの出勤です。そして、職場に着いたら「通ったよ」とのメールが…。

今朝、いわゆる「共謀罪」が成立しました。それも、法務委員会での採決をすっとばして、中間報告という形で本会議に出して採決するという方法です。討論の時間も採決の時間も制限するという方法です。
ここに至る歴史を振り返ってみます。
現在の安倍政権は第2次です。その前の第1次政権のときに「教育基本法」を変えました。「教育基本法」は、いわば教育における憲法のようなものです。もともとは戦前の教育への反省から生まれたもので、「教育は国家権力から独立したものである」ということを謳っていました。しかし、第1次安倍政権によって、「国家が教育をする」というふうに変えられました。
その後、第2次安倍政権になり、「特定秘密保護法」ができました。これはプライバシー保護ではなく、「国家にとって都合の悪い秘密」つまりこれが「特定秘密」です。それを隠すことができるという法律です。そして、いわゆる「戦争法」ができました。これに基づいて自衛隊南スーダンに行きました。その後「日報問題」もありましたね。
そして、次にできたのが「共謀罪」です。
これはなにかというと、昨日までは「犯罪行為」に対して処罰するという考え方でした。ところが、今日からは「するかもしれない」ということで処罰することができるようになったのです。「するかもしれない」とは誰か。そんなのはわかるはずがない。つまり、わたしも君たちも「するかもしれない」わけです。だから、監視しなくちゃならない。
例えばね。わたしたち教員は君たちを信じてます。だから、例えば授業中にスマホを触らないと思っている。でも、もしも触ったら、それに対して「反省文+スマホ預かり」をする。でも、今日からは違います。君たちは「触るかもしれない」と扱われるということです。つまり、教員が板書するために黒板を向いている最中に触るかもしれない。だから、それを監視しなきゃならない。どうするか。例えば教室の前にカメラをつけます。いや、前じゃないですね。後ろです。常に後ろから監視されている。そんな状態になるということです。そしてもうひとつ、こちらのほうがこわい。例えば、とてもなかよしだったふたりがケンカしたとします。その時、片方の人が「あいつを陥れよう」と考える。そして、例えば授業が終わったあとに「先生、あいつ、授業中スマホ触ってたで」とチクる。昨日までは、でも触っているところを見ないと「反省文」とはならなった。でも、今日からはそれだけでしょっぴけることになりました。つまり、他の人から監視されるということです。
こういう時代は過去ありました。それは「治安維持法」の時代でした。その頃罪のない人がたくさん捕まりました。そして、今日から再びそういう時代になったということです。
じゃ、なぜそんな社会をつくるのか。それは、戦争をするためです。じゃ、なぜ戦争をするのか。それはお金が儲かるからです。なぜなら、例えば爆弾や銃弾は消費されるだけの存在だからです。爆弾一発でうん百万。一秒間に何十発撃てるマシンガンで10秒撃ったらうん十万が消費されます。すると儲る。だれが?それは軍需産業です。そして、それを売る人です。そして、そこに関与する国家です。私たちじゃない。だから、そういう人は戦争がしたい。
戦争なんて正義でもなんでもないです。金儲けです。現に、世界中の国々が不況になるたびに戦争をしてきました。そしていまの日本もそうだということです。
だからね。こんな沈みかかった国なんて、さっさと出てください。世界は広いです。そんな世界を見てください。
今の日本は多様性を排除しています。そんな国に未来はありません。例えば錦織選手。あの人は日本から出てアメリカに渡りました。なぜか。それは日本では強くなれないからです。単一な人ばかりのところでは強くなれない。さまざまな民族・国籍・価値観・人種がいるところで、互いに競い合い・学び合うなかで成長するのです。逆にそれがないところは滅びていきます。
今の日本は大学の研究費を出さない。じゃどうなるか。優秀な頭脳は出ていきます。こないだノーベル賞を受賞した科学者は、日本を出てアメリカで研究し、アメリカの市民権をとった人です。あの人がノーベル賞をとったとき「日本人が」って言ってたけどウソですね。
つまりそういうことです。みんな海外に行きます。だから、君たちも賢くなって海外に行って、君たちの能力を発揮してください。
わたしはこの国に残ります。そして、この社会をそれでもなんとかしたい。そして、もしもこの国が多様性を身につけたら、ぜひ帰ってきてください。そして、世界で身につけた能力をこの国で発揮してください。
あぁ、長くなってしまった。じゃ、こないだの宿題、あてますね…。

ゆきみちゃんの講演

今日は2年生の人権学習。ゆきみちゃんの講演です。さてさてどうなるのかな。
とにかく、朝からずっと準備でバタバタ。わたしは協調性がないから、準備はひとりでやるのが性に合ってます。その代わり、片づけは任せますけどね。
で、同僚の車で駅までお迎え。合流して、プレゼンの準備です。
で、あっという間に講演の時間が来ました。

ゆきみちゃんの話、子どもたちに伝わるかな。
前から考えてることですが、強烈な被差別の経験がある人、もちろんおられます。が、すべてのマイノリティが強烈な被差別体験をしているわけじゃない。表面上はうまくやっている人の方が多いんじゃないかな。
でも、うまくやるために、マジョリティの人よりもより多くの労力が必要だったり、場面によって自分を使い分けたり、あるいはたまには自分を偽ったり、心をフリーズドライさせたり。そして、自分を隠したり。そんなことをしなくちゃならない。
わたしはそんなことを強いる社会が「差別社会」だと思っています。そして、そんなことを強いながら「気にせんでええやん」と言うことを「差別に加担すること」と思っています。
で、これ、別に「マイノリティ」と言われる人だけじゃなくて、マジョリティとされる人の中にもいる。だからこそ「差別社会」なんです。
でも、これ、なかなかわかりにくい。その一因は、例えば「いじめ」と「差別」を同じとみなすからです。つまり「差別とは行為である」ということです。たしかに、小さな子どもに対してはわかりやすいかもしれない。でも、わかりやすさの中にはウソが混じる。そのことに自覚的であればいいけど、そんな混じったウソを信じたまま大きくなった人が差別について語る時、それが「行為でなければ差別でない」と伝わる可能性が大きくなる。そしてそれは「社会のありようとしての差別」をないことにしてしまう。
で、まさにいまそうなんじゃないかと思うのです。でも、これを伝えることはなかなか難しい。なぜなら、「わかりやすさ」の引力はとても強いからです。
だからこそ、ゆきみちゃんかなと。「行為としての差別」も語りながら、そこに回収されない「社会のありようとしての差別」も語り、そして自分のマイノリティ性とマジョリティ性を自覚的に語る。さらに、ダンス教室の子どもの話ある。
ゆきみちゃんは、そんな自分の経験と、経験から考えたことをたっぷりと話してくれました。なんか、何度も涙が出てきました。それはたぶん、「わたしの知らないゆきみちゃん」を持つゆきみちゃんとわたしは、それでもいろんなことをやってきた「なかま」だからなんだろな。
ゆきみちゃんが伝えようとして子どもたちに伝わっていないことはたくさんあると思います。それを間に立って伝えるのが、わたしたち教員の仕事です。
なので、明日の授業が勝負だな(笑)。

にしても、最初のスライド「ここにいるわたし「たち」」の写真、これなんだよな。

たしかに「たち」だわ(笑)。

特番、やめぇ!

今日は明日の振替の授業を一発こなして、あとは今週と来週の人権学習の資料なんかをひたすら印刷です。
で、あっという間に昼になって、出張です。午後の出張では、かなり白熱した論議もあったり。てことで、電車に間に合うギリギリの時間だったので、あわてて出張先を飛び出して、電車に飛び乗って、うまく接骨医に間に合いました。接骨医では声にならない悲鳴を上げたり(笑)。

で、家に帰って、ビールを飲んで、テレビを見たのですが…。
マツコの知らない世界」もない。「報道ステーション」もない。なんなんこれ。特番だのDXだの。レギュラー番組が少なすぎ。「報道ステーション」にいたっては、このものすごく大切なの時にサッカー優先とはさっぱりわからない。
レギュラー=日常を大切にしないことは、たぶん劣化を招く。いや、劣化してるからこそ、日常を軽視してるのか。
なんしか、ひどい。

身体がガタガタ

さすがに昨日の影響で体調は最悪です。でも、今日はひたすら授業な日。なんだかんだか言っても授業をしてると忘れるでしょう(笑)。
で、実際、授業をしてたら、あっという間に3時間経ちました。なんなんだろ…。午後も授業と会議。このあたりでヘロヘロになりました。
それにしても、腰が痛いです。なんか、ずっと重くて、そこにたまに痛みが走ります。ほんとにこれはアカンな。幸いにして、ここから3週間は夜の用事はほとんどありません。ここらでメンテナンスをしましょう。
ということで、帰り道にある接骨医に久しぶりに行きました。院長から「お久しぶりです」とあいさつされたので「ごぶさたしています」などという大人の会話。その後施術をしてもらって、やはり身体のバランスがガタガタなのが判明。まぁそりゃそうでしょう。なんでも1ヶ月定期があるとかで、買っちゃいました。とにかく夏へ向けてメンテナンスだな。