今日は、午後大阪で「ちがうことこそすばらしい 子ども作文コンクール」の授賞式があります。なので、上川さんのお家を8時過ぎにバイバイして、一路大阪へ。
しかし、なんでこんな日程になっているんだorz。
とにかく、眠気を我慢しながらも寝られないという最悪の体調で、ようやく鶴橋まで来ました。もう、こうなったら「風月」のお好みを試してみて、ついでにビールを飲んで体調を復活させるしかありません(笑)。で、「風月」のお好みですが…。まぁ、個人的にはいまいちでした。せっかく熱々のお好みなのに、どっぷりとかけたマヨネーズとソースが冷たくて、味がさっぱりわかりません。まぁ、これはあくまでも私見ですけどね…。
ただ、急いで食べなくちゃ時間に間に合わなかったので、助かったといえば助かりました。店を出たら外に長蛇の列ができていましたから、本当はきっとおいしいんだと思います(笑)。
で、授賞式。
わたしは京都の事務局として前に立つ必要があったので、ジーンズ&パーカーからスラックス&セーターに着替えて、ついでなのでネクタイ代わりのネックレスをしてみました。で、一言言わなくちゃならなかったので、即興であいさつ。やれやれ…。
子どもたちの作文は、ほんとうにすごかったです。このコンクールは、在日外国人の子どもたちが、みずからの生い立ちや生活を振り返りながら、自分自身について自問自答しながら自己肯定をしていってほしいという思いで開催されています。そういうわたしたちの思いを凌駕するような作文が、たくさん出てきました。まぁ、ウチのガッコの生徒たちは、あの中の小学生の作文でも打ちのめされるんじゃないかなぁ*1。
ちなみに、去年からは小学生だけじゃなくて、夜間中学の生徒さん達の作文も応募されはじめたのですが、こちらはただただ頭が下がるだけです。ひらがなばかりの作文を書く集中力と持続力。それが、「文字を書ける!」という喜びに裏打ちされているのがよく伝わってきます。「学び」っていうものがなんなのか、その作文を読まれているハルモニの姿から伝わってきました。「この場にいられて本当に幸せだ」と心の底から思いました。
おそらく、こうした実践の積み重ねを続け発展させていくことが、ありとあらゆる攻撃に抗することにつながるんだろうなと思いました。
ただ、一方で思ったこと。授賞式では入選した作文を、受賞した人自身が朗読をします。なかには渡日数年なために、流暢とは言えない日本語で読んでくれたりします。でも、そんなことを乗り越えて、すばらしいんですよね。当然、ハプニングが起きることもあります。
ある在日の子が、最近差別落書きや心ないひとことに直面したらしいんです。そのことを作文に書きながら、その経験を乗り越えようとしていたようです。でも、やっぱりしんどいんでしょうね。そこのところを読もうとした時、泣きはじめたんです。
ところが、その姿を見た瞬間、なんとも言えない冷めた思いが自分の中にありました。なぜか…。
実は、授賞式の最初にあいさつした時、わたしが言葉を出した瞬間、ある在日外国人(と思われる子)がひそひそ話をしているんですよね。それ、見た目が日本人とさほど変わらないような在日外国人の子どもたちが日本語が流暢じゃないことがわかった瞬間にまわりがする反応、すなわち、自分たちがやられてきたことと同じなわけです。そのことに思いが至らない。あるいは気づいていない。
さらに、差別落書きや心ないひとことなんて、わたしたちの仲間はさんざん食らってきています。大人ですら、そのことで凹んでしまう。でも、そんな思いを吐き出す場はないし、そのことに涙してくれる人間関係をつくることすら困難です。
こんな自分の思いが「ひがみ」であることは百も承知です。でも、そんな思いが自分の中からわきあがってくることもまた事実です。
かつてはそんな自分の思いを否定していたし、出してはいけないと思っていました。でも、いまはそうはしないことにしました。というより、口にしてもかまわない人間関係が、まわりの人たちと築けるようになってきたということかと思います。そういう「ひがみ」を持つ自分を認め、そんな情けない自分と折りあいをつけながら、それでも在日外国人教育運動の実践をすすめていくことが大切かな、と。
そんなことを、帰りの電車の中で、さらには京都駅前の飲み屋で今回いろいろご苦労いただいた方と話しました。
*1:読みたいという人がおられたら、ご一報下さい。