神奈川県の高校が服装を理由に不合格にしていた件です。
まぁ、「叩く」人たちの気持ちもわからないわけじゃないけど、こういうことをやった学校の気持ちもよくわかります。
この高校、けっこうしんどい学校なわけですよ。で、昨今の情勢っていうのは、しんどい学校にはしんどい子が地域ごと、あるいは県によっては全県レベルで集まってくる。すると、その学校の風評は悪くなって、さらにしんどい子が集まってくるという、スパイラルになっています。
その時問題になるのは「風評」なんですよね。「あそこの学校は」と、世間から叩かれるわけです。地域や保護者*1の支援も得られない状況の中で、その学校は孤立無援の状況で闘わなくちゃならない。
さらに、教育委員会も「おたくの学校は成果があがっていない」と予算や人間などのリソースを引きあげてしまう可能性があるわけで。
きっとその学校の教職員は一生懸命「なんとかしよう」とがんばっている。でも、がんばってもがんばっても、入学してくる子は「しんどい子」なんですよね。すると、「成果をあげる」ことはすごくしんどくなってきます。ここに、スパイラルを加速する要因が出てきます。
まぁ、すごく雑感的なんですけどね。
で、こうやって、学校の「順位」は、そこにいる教員の頑張りとは関係なく、固定化されていきます。では、その固定化に抗おうとした時、どうすればいいか。非常に簡単でして、「いい子を入れる」あるいは「普通の子を入れる」方向へ走っていくわけです。で、それはとりもなおさずそこからはみ出る子を「入れない」ことにつながっていきます。だって、それぞれの学校には定員があり、入学予定者総数というパイには限りがあるからです。で、成功すれば「しんどい学校」から脱出できるかもしれないけど、新たな「しんどい学校」をつくっていくことになるわけです。で、失敗すると、「何をやってもダメな学校」というレッテルを、いろんなところからはられてしまい、これまたスパイラルを加速する要因になったりするわけで…。
なんだかなぁ…。
*1:「しんどい子」の保護者はたいてい忙しいので、なかなか教育に自分のリソースをまわすヒマがないっす。
私は、生徒本人の努力でナントカなる外見(容姿でなく身だしなみ)で落とすのは、アリだと思うんです… 学力なんかより、よっぽど本人の努力とやる気でなんとかなるもの。学力で人を輪切りにするのが認められて、なんで外見(シツコイけど、容姿でなく身だしなみ)で輪切りにしたらイケナイの?
ただ、まぁ、「身だしなみでも選別するで」と予告しておかなかったのはマズイのかもしれません。予告したら、取りあえずその場、上辺を取り繕うだけかもしれない。でも、上辺を取り繕うってことは、ある意味やる気の表れですよね?世で求められる対世間対応能力の表れでもあるし。だから、予告しておくべきだった、というならそれはそうかも。
でも、校長さんが更迭されるほど悪いことなのかなぁ?私にはそうは思えないんですけど…
↑ただ、外見を見られると、私なんかも落とされていたかも(^◇^;)。
髪は長いし、眉は剃ってるし…
実は、教員採用試験が単純に学力だけで合否が決められるということにたいして、わたしは「助かった」とか思っていたんですよね。
「お前は性格が悪いから×」とか言われたら、立ち直れませんわ(笑)
> 「お前は性格が悪いから×」とか言われたら
性格は、ちょっとやそっと努力したって変わらないから、それで選別したらマズイでしょー
(^◇^;)。
まぁ、一般に選別って難しいですよねぇ。
そうなんですよね。だから「学力」だけになったりするんだけど、それもまた本人の力の及ばないところがあったりして…。
てことで、最初にもどっていくんですよね(笑)。
で、最初にもどったところで、やっぱりTPOみたいなのは大切だと思うのですよ。そういう意味では「あり」かもしれないですよね。少なくとも、企業を受ける時は完全に「あり」ですもんね。
いつも拝見させていただき、貴重な示唆をいただいているところですが、
今回はかなり???だったので、コメントさせていただきました。
TPOの規準は誰が決めるのでしょうか?
会社は会社の利益のための人なので、「人権」が犯されない限り身だしなみ等は会社の判断でいいと思います。
けれども公立学校は、教員や校長のものではありませんね。これから入学してくる生徒の幸福のための場ですね。それを選別しなければいけない以上、できる限り公平な判断がされるべきではないでしょうか?
元々の入試配点にない身だしなみが「公平な判断」とは思えません。
そもそも身だしなみの悪いことと素行の悪いことは相関が高いだけで、100%一致している要素ではありませんし。
もし世間のTPOが
「性同一性障害の人間は生まれたときの性で生活しろ」
だったらそれに甘んじろ、ということとどう違うのでしょうか?
学校にとってよい子、より力を伸ばせそうな子
を校長が選別するのではありません。
校長にとっての入試の仕事というのは、入学後の結果がどうであろうと、「公正で明示された規準にしたがって」選別する役目を府民から付託されているだけなのではないでしょうか?
きれいごとかもしれませんが、
しんどい学校
に行きたくなければ生徒は選ばない自由があります。
教員は異動を拒否し退職する自由があります。
しんどい学校に勤務したくてもできないたくさんの教員志望者が代わりをやってくれます。
> GID当事者ですが さん
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
コメント欄ではひとつだけ。
そういう意味では「あり」かもしれないですよね。
とわたしが書いた件ですが、これは、樹村さんの最初のコメント
アリだと思うんです
に対応しています。で、その前提として、
予告しておくべきだった
ということも含みこんでいるとお考え下さい。
あと、その前のわたしのコメント
「お前は性格が悪いから×」とか言われたら、立ち直れませんわ(笑)
というところで、「客観的なもので判断をするのが公正である」というわたしなりの立ち位置を出しているつもりではあります。
それ以外のことについては、示唆に富む提示をしていただいていると思いますので、11月4日の日記にてm(_ _)m。