阿佐ヶ谷の焼肉屋

ホテルで一休みしてから、新宿で働いている友だちのところへ。仕事が終わって出てくるのをしばらく待って、一緒に阿佐ヶ谷へ。めざすは大門です。
とりあえず頼んだのは、ユッケとかチャプチェとか。あとはお肉系。
ユッケもチャプチェも、ちょっと甘めの味つけですね。カルビの中落ちの塩焼きがなかなかです。なるほど、おいしいっす。しかも、友だちのおかげでサービスも抜群だし(笑)。
で、話の方は…。
もう、友だちの仕事の裏話とか、そのたいへんさとか。そりゃそうだよなぁ。心を冷たくして働かなくちゃならないこともあるとは思うのよね。そこで、Kさんの名言。「いまは帆をたたんでいる状態なんだよ」。
場所は違えど、一緒に「冬の日を走り抜こうではないか」。いまは、夏だけど(笑)。

両性研・1日目

今年みたいにバタバタする年に、なぜわざわざ行かなくちゃならないのかとは思うのですが、去年は参加できなかったので*1、やっぱり両性研に行くことにしました。
6時半に家を出たら10時開会に間にあうのですが、昨日が昨日だったのでそんな時間に起きられるわけがないです。ようやく8時過ぎに家をスタートして東京へ。目指すは一ツ橋です。
会場に到着したら、すでに11時半。まぁ、昼ご飯タイム待ちという感じです。
まもなく昼ご飯。山口から参加しているお友だちを見つけて、一緒に近くの定食屋さん*2で燃料補給です。
午後からは、ちょっとまじめに参加。なんせ、午後一番は池上千寿子さんの第20回日本エイズ学会報告です。
で、報告内容は、まずはHIVの「とらえ方」の変遷からはじまって、日本の施策の対応の歴史・世界のとりくみの歴史あたりから、現在の状況の概説が語られました。なかでも「PWH(HA)」という言葉の概念の説明はよくわかったし、ストンと落ちました。
「PWH」というのは「Peolpe Living With HIV」の略です。

HIVに感染した瞬間、「名前を奪われ、「患者」として扱われる」ことへのカウンターとして、「PWH」という言葉をつくりだしていった。そして、PWHという概念は、誰もが「People Living With ◯◯」であるということを提起してきた。

てことかな*3。なるほど!そうなんだよなぁ。だれしも、なんらかのことと一緒に(なんらかのことをかかえて)生きているんですよね。自分の特殊性を主張するのではなく、それぞれの人が持つ「◯◯」を重ねあわせていくことから「共感」みたいなことがあるんじゃないかなぁ。
で、報告の〆が、なぜか「上杉鷹山の三助*4」だったという(笑)。

その後、シンポジウム。こちらのほうは…。
まぁ、「男性の育児休暇」が大切なのはわかるんだけど、そこにちょっとこだわりすぎていたんじゃないかなぁという気が…。すごく光っていたのが「南房総文化財・戦跡 保存活用フォーラム」の池田恵美子さん。自分の活動を報告された時に「かにた婦人の村」のある方の生き方から「働くことが生きることにつながる」みたいな言葉ありました。そこまでは「働くことから解放されること」みたいな話ばかりで「なんだかなぁ」と思っていたのですが、まったく逆の言葉が出てきたんですよね。
もちろん、それぞれのおかれている状況の中から出てくる言葉ではあるのですが、やはり苛酷な状況を生きてこられた方の言葉の中に、すごい迫力を感じてしまいました。
う〜ん、一回館山市に行きたくなってしまいました。

てな感じで、1日目終了。
山口から参加された方の珍道中にちょっとつきあって新宿へ。

*1:お友だちから「レポートするんだけど来る?」というメールがあったにもかかわらずm(_ _)m

*2:つっても、おしゃれ〜

*3:違ったり足りないことがあるでしょうが、補足してくださいね。>知ってる人

*4:自助・互助・扶助だそうです。池上さんは最後のを「公助」って言ってました。

打ちあわせ

午前は日直。仕事の主たる内容は…。とりあえず「存在していること」です。なので、存在していました(笑)。
もちろん、せっかく存在しているわけですから、たまりたまった仕事とか、これからたまるであろう仕事とかをこなし続けていたのは当然です。
で、夕方から打ち合わせのために滋賀県へ。
滋賀県の某駅で待ちあわせをしていたのですが、先方さんから電話。「ちょっと仕事の都合があって行けへんし、迎えに車をよこしたからそれで来て」「はぁ」「黒塗りの車やし」「はぁ?」。
駅を降りたら、確かに黒塗りの車がいました(笑)。わたしのスタイルは、ジーンズとサンダル*1。まいった…。思わず助手席に乗らせていただきました。
その後、2ヶ所ばっかでサクサクッと打ち合わせをすませて、晩ご飯を食べに行きました。
話の内容は、集まってきている人の多様さと同質さが混在する状況にふさわしく、メチャクチャです。ムラの人間が5万円もする本を買わされた話とか(笑)、青い話とか赤い話とか、もう、堪能させていただきました。
てことで、晩ご飯の場所から、今度は本来は黒塗りの車の後部座席に座る人の運転で駅まで送ってもらって無事帰還。
わけわかりませんわ…。
でも、この夏最大のイベントの成功は確信できました。関係者のみなさんよろしくお願いいたします。また、すべてが終わってから打ち上げしましょう!
その時は、参加者募集だな(笑)。

*1:裸足

人権教育の研修

今日は、府立高校のブロックごとの研修会。午前は講演です。
講師の方の名前を見て、「ぜったいクリスチャン系だよなぁ」と思っていました。なんせ、名前が「みぎわ」です。で、当日配付資料のプロフィールを見て「牧師の家庭に生まれる」とありました。なるほど、ぴったしかんかん*1でした。
で、話の内容。
人権教育の文脈で、よく「アサーティブネス」ということがいわれます。で、それを学習するために、これまた人権教育がらみの人から話を聞くのですが、今回の「みぎわさん」は、臨床心理士でもあり、スクールカウンセラーもされているという立場から話をしてもらいました。きわめて実践的な話もありーの、その根っことしてのリラクゼーションみたいな話もありーのと、なかなか基本的かつ深い話を聞かせていただきました。
ところで、休憩時間にちょっと話をしにいったら、実は古〜い知りあいであることが判明。まぁ、親が牧師とかキリスト教がらみの人間ってそういうことが大いにありうるんですけど、それにしても、思わず「はいはいはい」みたいな。まぁ、お互いに名字とか性別(笑)が変わっていたらわからんわなぁ。互いに素性を紹介しあって、「あぁ!」。
どうやら大学時代に一緒にデモをしていた仲間だったみたいです(笑)。
う〜ん、互いにそれぞれに仕事をしているわけですが、根っこのところはぜんぜん変わっていないんだろうなぁということを、こうやって20年以上たって、こういうところで出会い直したことに、深く感じるところがありました。

*1:死語

中島通子さん

寝る前に夕刊を見てびっくりしました。中島通子さんがハワイで亡くなられたとか。
日教組教研・両性の部会の助言者としての中島さんと幾度かお会いしました。なかでも、最後の助言者となられた北海道の教研集会での中島さんの話を思い出しました。その後、リバティ大阪の展示の中に中島さんの名前を見つけた時、その長い闘いの歴史の中に北海道での話が位置づけられていることをあらためて認識しました。
あの中島さんと再びお会いすることができないということが、ほんとうに残念です。

佐世保バーガー

帰りの電車の中で、ずっとハンバーガーの香りが漂っていました。食べたいのを相当我慢しました。
で、晩ご飯。
すごいボリュームのハンバーガー、上の子どもも下の子どもぺろりと食べてしまいました。かなりうまかったらしいです。それにしても、ハンバーグはもちろん、卵、ベーコン、野菜と中身もすごかったし、バンズの味もほのかな甘みがあります。あと、マヨネーズじゃなくてなんだろう…。ソースの味もこってりしていてしつこくないという感じ。すごくおいしかったです。そうそう、わたしとパートナーは半分こしたので、あしたの朝ご飯にも食べられるぞっと。

佐世保市の夏季研

目が覚めると6時。2度寝をしたところで7時。しばらくボーっとしてから、とりあえず朝ご飯。なんか、高校生の体育系の全国大会があるみたいでやたら元気な兄ちゃんとか、引率っぽい人々*1が朝からもりもり食べています。それにしても、ウィンナーを一人で20本ぐらい持っていくの、なんとかしろよ。他の人が食べられないやん。
朝食後シャワーを浴びて、高座用の服に着替えて準備完了です。
迎えに来てくれた人が「米軍基地の前を通って行きましょうね」とうれしい言葉。思わず「あ、昨日のうちにビンを用意しておきました」とかしょーもない話をしながら会場へ。
さて、佐世保の人たち、はたしてウケてくれるだろうか…。少々不安に思いながら話しはじめたのですが、みなさん優しい!柔らかい笑顔と柔らかい笑い声に励まされながら、なんとか最後まで話しきることができました。それにしても、今日もペース配分を考えていたんだけど、やっぱり最後で早口になってしまいます。もっともっとペースを考えないとあかんにゃなぁ。
昼の休憩時間に、聞いてくださった方々と雑談。お互いにおばちゃんトーク全開でしゃべってしまいました。うん、心地よい。
やがて電車の時間が迫ってきたので「そろそろ帰らなくちゃならないんですよ」と言うと、その方が「おみやげはどうするの?佐世保だから佐世保バーガーがいいよ。ヒカリのがおいしいよ。焼けるのに時間がかかるから電話してあげるね。帰りに受けとったらいい」とありがたいお言葉。いや、かなり気になっていたんですよ、佐世保バーガー。おかげさまで、今日の晩ご飯が決まりました。助かった(笑)。
帰りの新幹線ではとなりに座ったおじさんに「非武装中立地帯」を占拠されて、かなり狭い思いをさせられてしまいました。あそこを占拠したら隣の人間が狭い思いをするって、なんでわからないかなぁ…。

*1:教員だけじゃなくて、県体連の役員っぽい人ね。

で、交流会

2時間半ほど炎天下を歩きまわったので、さすがにヘトヘトです。いったんホテルにもどってシャワーを浴びて、しばし休憩。その後、本屋で立ち読み*1をして集合場所へ。佐世保の人たちとの宴会です。
話の内容は、まずはもちろん選挙結果の話。そこから、「自分の本意とは違うんだよねぇ」とかなんとか話をしながら、どんどん単なるよもやま話へ。最後はオカルトじみた話まで落ちたところで、飲み放題の時間が終了。
帰り道、ちょっと小腹が空いたので回転寿司屋さんで軽く持ち帰りをつつんでもらって、ビールを仕入れてホテルへ。
テレビで「選挙その後」の報道番組*2を見ながら久しぶりの寿司をパクついてビールを飲んでいるうちに爆睡。

*1:週刊B春のあるページを読もうかと^^;;

*2:みんな言いたい放題だよなぁ…。

移動日&自主フィールドワーク

いつもの通り6時に起きて、コーヒーを淹れて、ちょっとテレビをつけてみました。なるほど、そういう結果でしたか。
しかし、みんな年金とか政治と金とか、そのあたりを論点にしているよなぁ。わたしはちゃいますね。もちろん「9条改憲」がひとつの論点。もうひとつは、戦後最も激しく行われた「強行採決の嵐」をなんとしてでも食いとめるために、今回の1票を使いたかった。後者なんて、ほとんど誰も話題にしていないのってどうよと思いますが…。
さて、今日は移動日です。行き先はなぜか佐世保
8時過ぎの新幹線に乗って、途中駅弁なんかを食べながら14時過ぎに佐世保到着。ホテルに入って緊急の仕事をひとつやっつけて、散歩です。
さて、どこに行こうかな。実は、佐世保のムラは完全に「埋没」をしているらしくて、フィールドワークなんてとうていできないらしいです。なので、わたしもまったくわからないまま、適当に見当をつけて歩いてみることにしました。まぁ、別にそこがムラであろうがなかろうが、佐世保の街を知るという意味では一緒ですからね。
それにしても、佐世保って、海から短い距離ですごい急激に登っているんですね。ほんとうに山肌にへばりつくようなところが多々あります。そんなところをあちこち歩きまわってみました。山の中腹に防火水槽があったり、突然畑があったり。ここまで水をくみ上げるって、そうとうたいへんだよなぁと思いながら、かつての生活を想像してみました。
帰りの下り道のすごいこと。ある階段には「下りは危険」とか書いた立て看板があります。そりゃそうです。はしごみたいな角度です。そこを避けて別の下り道を降りたのですが、その坂道、車はもちろん狭い&急すぎて入れません。自転車でも無理。てか、自転車であがろうものなら下る時がこわいです。あそこを登れるのは、たぶんトライアルバイクぐらいじゃないかなぁ。その坂道を、下から買い物の荷物を持ったおばさんが休み休みあがってこられます。すごいよ…。
坂道を降りたらすぐに海です。海にはお船が浮かんでいます。ただし、色は濃い灰色ね。しかも、船籍は日本のもあればアメリカのもあります。これが佐世保の海なんだなぁ…。
なんか、いろいろ考えさせられました。