昨日寝たのは午前3時過ぎ。今日起きたのは午前6時。
昨日の夜仕掛けておいたご飯をたきます。問題はおかずです。なにせ、昨日レシピを考えた時、今日の朝食までは気がまわっていなかった…。というか、気はまわっていたけど、「まぁええわ」で終わっていたんです。でも、いざ午前1時ごろになると、食材が何もない…。とりあえず、昨日の夜のうちに乾燥ワカメだけは買っておいてもらったので、残っていた玉ねぎと一緒にワカメスープでもつくりましょう。ご飯が炊けたところで、早めに起きた子らと一緒におにぎりづくり。
朝ご飯を食べたら、子どもたちは話しあい。わたしはというと、台所の片づけ。この交流会に限らず、この手の世話人グループ、率先して洗ってくれたり掃除機をかけてくれたりする人がいるので、すごく助かります。まぁ、そういう人しか世話人にならないという話もありますが。
で、子どもたちの話しあいに入ったのは、午前10時ぐらい。でも、この夏の交流会の概要の確認だったので、それはそれで大切かな。
なんだかんだで合宿終了は12時。みんな記念写真とかとっているのはいつもの光景。ほんとうに1泊2日でこれほどまでに関係が深まっていくんだなぁ…。
合宿やしなぁ…
この交流会、当然雑魚寝です。で、わたしはいつのころからか女性部屋で寝るようになりました。5〜6年前まではいろいろあったけど、最近では女性教員が「いつきさんはここね」と言ってくれるようになったんですよね。
で、生徒に「わたしがこっちの部屋で寝ることについて、最初どう思った?今はどう思う?」みたいな話をちょこっと聞いてみたのですが、みんなあっけらかんと「あ、そうなんやと思った」みたいな返事ばかりでした。
まぁそんなもんなんでしょうね。
で、合宿
午前の会議が終わったら速攻お家へ。支度を整えて、京都駅へ。ちょっと早めに行って、ユニクロでお買い物。「ボーナスが出たら買おう」とパートナーには言っていたんだけど、いろんなものがダメになっていて、これ以上はもたないと判断です。
で、合宿の集合場所へ。
今日は全国から各地の在日外国人生徒交流会の実行委員が集まって合宿がある日です。いろんな経緯があって、場所は玖伊屋をやっている場所になりました。てことは、各種裏方はわたしにケテーイです(笑)。
まずは、遅れてきた人や迷子になった人の回収業務。
続いて、手配してあった貸し布団業者との折衝。
さらに、晩ご飯のメニューづくり→材料とレシピの確定→買い出し→下準備。
今回は、交流会らしく「ホーシュールー*1」「チキンアドボ*2」「粟米湯*3」「ナムル」で攻めることにしました。また玖伊屋でつくろう。
そこからあとは、延々と話しあい。それぞれが自分の話をはじめるのですが、10人ぐらいいるのに、ひとりあたり1時間とか話をしています。いつまで続くねん(笑)。途中から時間調整をしたはものの、終了したのが午前2時半頃。それからちょこっとお酒を飲んだら爆睡ですよ。
で、会議
今日の午前は、某在日外国人教育関係の会議です。夏の大会が近づいているので、やらなきゃならないことが山のようにあります。それでも、今年はモロに主催じゃないので楽です。去年はとんでもなかったもんなぁ…。
早朝のおでかけ
久々の謀議
で、研修が終わって片づけが終わったら、急いでお家へ。
その後、再び街に出て謀議。
今回の謀議の相手はかなり年下。でも、たぶんスタンスが似ているんだなぁ。なんか、2時間ぐらいのんびりと語りあってしまいました。で、謀議ができたかというと、内容をよくおぼえていないという(笑)。
帰りの電車でまたまた乗り越してしまいました。今回も「あ、この電車折り返しですからそのまま乗っていて下さい」でOK。よかったよかった。
ケータイ警報発令中!
今日は教職員研修。
で、主催が生徒指導部と人権教育部という、まわりから見たら水と油みたいな両者です。でも、実は水と油じゃなくて、コインの裏表なんですね。わたしの尊敬する先輩教員は「やさしさの中に厳しさを」「厳しさの中にやさしさを」と言われます。まぁ、言ってみれば、前者が人権教育部のスタイルで、後者が生徒指導部のスタイルということになるでしょうか。「生徒」を軸においた時にスタイルの違いはあるものの、スタンスの違いはおそらくはないんです。
で、今回のテーマは「ケータイ」。
細かいことはおいておきますが、なるほどなぁと心の底から思いました。おもしろかった。
講師の方のスタンスは、まさに「やさしさと厳しさの同居」なんですね。そういうスタンスで生徒とつきあうことで、携帯サイトでさまざまな誹謗中傷をされた生徒とつながっていく。そのことを通じて、学級集団・学年集団・担任集団がつながっていく。そういう居場所を生徒が獲得することで、携帯サイトでの誹謗中傷にまどわされない子ども*1へと変化していく。
「携帯サイト」って、結局は単なる「場所」でしかないわけです。それが、今の状況の中で「特殊な場所」に思えるだけ。基本はふだんわたしたちの前で起こっているさまざまなできごとへの対処とほとんど変わらないということなんですね。
でもこれってこわいですね。だって、ふだん起こっているさまざまなことに対処できていなければ、ネット関係の「技術」がいくらあってもなにもならないということにほかならないわけで…。
グラフの書き方
通常、グラフって、表を書いてプロットしていくのが導入なんですよね。でも、それができない生徒がけっこういます。おそらくは、中学校、いや小学校の時にやっているはずなんですけど、それができない。そういう生徒にとって、もしかしたら、「形」を与えておいて平行移動をするというやり方の方が飲み込みやすいんじゃないか、と。
てことで、昨日仕込んだのは「放物線」を書いた小さな紙です。
まずは最初にふたつに折ります。このとき、光で透かしながらちょうど左右が重なるように折るのがポイント。このことで、左右対称であることを実感させます。
で、元にもどした時「この折り目を「軸」というんだよ」と。さらに、「「軸」と「放物線」が交わったところが「頂点」だよ」と。で、「頂点」に「↓」をつけます。
で、放物線に沿ってハサミで切ります。
これで、「放物線定規」のできあがり。
あとは、「ひとつ点を取って。その点が頂点になるように放物線を書いてみよう」とやります。
そうそう、ひとつ注意。「「軸」は必ずまっすぐ立つんだよ」。
こいつは、筆巻きに放物線を書いておいて、ちょいと歪めてやればいいです。放物線の位置はズレますが、回転をしません。まさに、平行移動。
つまり、「形と場所がわかれば放物線定規をあてて書けるよね」ということです。
ということは、どうやって「形」を決めるのか。どうやって「場所」を探すのか。という話にすべてが帰結します。
これ、わたしとしては新しいやり方なんだけど、どうかな?定着するかな?まぁ、クラスで一番数学が苦手な子が、このやり方で「ニコリ」としてくれたら成功なんだと思います。
つ・つ・疲れた
なんか、朝からとりたい連絡はとれないし…。必要ない連絡は入ってくるし…。
まぁさ、「はじめる」ことは簡単なんだけど、「続ける」ことはとてつもなくしんどいことなんです。それはわかってはいるんだけど、覚悟もできているんだけど。でもやっぱり時として疲れるわけで…。
まぁいいや。あしたの研究授業のネタを仕込んでおきますか。
ルーツとルート
今日の帰り、郵便物を届ける用事があったので、えらい規模のところに行ってきました。
まぁ、郵便物を届けるのが「ついで」なのか、郵便物を届ける「ついで」というか、そのあたりはよくわかりませんが…。
で、今年からそこで働くことになったこちゅかる子さんとしばし話。
こちゅかる子さんとわたし、全然違うところはもちろん多々あるんだけど、「キリスト教1世」の親を持った「2世」という共通点から出てくるさまざまなものの考え方の類似性もまた、多々あります。
おそらくは、「1世」って、まったくそういう素地のないところから、自らの意思でキリスト教になる。当然、まわりとの軋轢もたくさんあるだろうし、その中で「ゆずらない一線」というものもたくさんあるんだと思います。しかし、「2世」って、そういう「こだわり」の中にどっぷりと浸かりこんでいます。
例えば、わたしの家では長い間「盆・暮れ・正月」という概念はありませんでした。あるのは、「クリスマス」と「イースター」。まぁ、イースターといっても、教会で色セロファンで包まれた卵をもらうだけなんですけどね(笑)。ついでにいうと、クリスマスも別に何がどうということはないです。まぁプレゼントはもらいましたけど、その程度かなぁ。あ、教会の人たちがクリスマスイブの日にキャロリングできてくれました。まぁそんなものです。方や、盆…。なにもない。暮れ…。ほんとうになにもない。正月…。澄まし雑煮は食べたかな。お年玉はもらったな。そんな感じ。そうそう、年賀状も来なかったわけじゃないけど、それよりもたくさん来たのはクリスマスカード。それをあちこちに飾っていました。
もっとも、「あまりにも季節感がないのもどうよ」と思ったらしく、正月のおせち料理は後に出てきたような気もします。
それ以外に、親戚づきあいもあまりなかったですね。その典型的な例が、わたしは父方の祖母の葬式に出なかったという。
父 親「お前、仕事あるだろう
わたし「いや、別に休めるよ」
父 親「まぁ、来なくていいよ。母親は、あくまでもわたしの母親であってそれだけのことだから」
わたし「わかった」
「血縁」よりも、自らつくりあげた*1「人と人のつながり」を大切にしていたのかなぁと思います。そして、「死んだあと」のことを考えるのではなく「いま・ここ」でなにができるのかを大切にするのも、うちの価値観なのかなぁ。だから、法事とかには全然関心がない。
そうやって生活をしていると、近所の子どもたちやクラスの子どもたちの価値観との間にそうとうなズレができはじめます。
「なんでうちは違うのかな?」「でもこれでいいのかな?」
なんか、やっぱり揺れていたなぁ。
やがて大きくなると、親の存在っていうのがわかってきます。そこへの反発も当然出てきます。例えば、それは教会学校の教師としてのわたしの態度や、青年会活動へのわたしの態度として典型的にあらわれてきました。「批判的に教会にかかわる」という、のがその当時のわたし(たち)のスタンスでした。その中で、「教会」と「キリスト教」が分離をしていった。そこでおもしろかったのが、わたしの場合は「教会=キリスト教」から「わたし」が分離したのではなかったというところかな。結局、教会に行かないままに、「キリスト者」として生きることになし崩し的に(笑)なっていったんですよね。
ま、そのまま「現在に至る」という感じですか。
で、わたしが「わたし」であるということは、「キリスト者」「クリスチャン」という一言、あるいは、「クリスチャンホームに育った」という一言、すなわち「ルーツ」ではあらわしきれないわけです。どちらかというと、そこを出発点としながら、自分がどう「右往左往」してきたかという「ルート」にこそ意味がある。
まぁ、これはこちゅかる子さんが話して下さったことへのレスポンスになるのかな。そんなことをダラダラと話をしていたら、あっという間に8時を過ぎてしまいましたよ。
にしても、これって結局は「叙述的自己表現」なんだよなぁ…。
*1:あるいは与えられた?